EP6 魔法少女は産まれない

 しばらく家に引きこもり泥のように眠っていた壱湖だったが、真っ暗な部屋で通信機器の画面がパッと光るのを見て、体を起こした。通信機器の画面を見ると『8』とだけ表示がされていた。

「…はい、もしもし。」

「ああ、壱湖?この内線であっていたかな。捌幡やつはた舞衣、この前地下で会ったものだよ。」

 電子伝いに舞衣の声を聞いて、壱湖は心臓をきゅっと掴まれた気分だった。舞衣の高くてかわいらしい声がひどく不気味に壱湖は聞こえた。

「…なに。」

「まだこの前のことを怒っているの?謝るから、少し話を聞いてほしいんだ。」

 しょんぼりと落ち込んだような声を舞衣が出した。壱湖はなんだか申し訳ない気分になり「…いいよ。」と答えた。

「あ、そう?嬉しいよ、じゃあ今日の昼までにぼくの部屋に集合ね。はい、よろしく。」

 壱湖の答えを聞くや否や淡々と舞衣はそう言って、壱湖の返事も聞かずに通信を切ってしまった。

 壱湖は「いいよ。」なんて言わなければよかったと多少イラつきを覚えたが、この数日ずっと家にこもっていたので家を出る理由にもなっていいか。と思った。

 機関の地下にやってきた壱湖は、寒気を覚えた。どの扉が舞衣の部屋だったか、と壱湖は思った。前はしほりが顔を出したのでなんとなく入れたが、正直覚えていない。扉に耳をつけるも何も音は聞こえないし、壱湖はお手上げだった。一瞬帰ることも頭に浮かんだが一応約束をしたわけだからと、根が真面目な壱湖は扉を探した。

「奥から順に開けるか。」

 と、壱湖は廊下奥の扉に手を掛けた。

 その扉は鍵がかかっていて開かず、壱湖は「ここじゃないな。」と、思った。しかし、なんともさびれた扉で、ドアノブも錆び切っている。鍵穴も大きく、壱湖は鍵穴から中を少し覗いてみることにした。

 中には青白い光が漂っており、うすぼんやりと室内は照らされていた。真ん中になにか、人ほどのサイズの置物があるようだったが、それがなんなのか壱湖にはわからなかった。気を取り直して壱湖が隣の扉を引くと、中には舞衣が苔蒸したコンクリートの上に寝ころんでいた。

「お、遅かったじゃないか。あれ、早かった?」

 舞衣はそういってにっこりと壱湖に笑いかけた。

「隣の部屋、何があんの?」

「え?」

「ここの隣の部屋、ほかの扉に比べて錆びてて、なんかあんのかと思って。」

 ゆったりと苔の上から舞衣は起き上がると、うっすらと目を開けて壱湖のことを見た。

「あの部屋は…、」

 と、舞衣は歯切れが悪い。まずい部屋だったのか?と壱湖は思い「いいよ、どうしても聞きたいわけじゃ…。」と言った。

「あそこは屍がいるよ。」

 舞衣は壱湖を遮りそう言うと、壱湖に背を向けてゆらりと立ち上がった。同時にじゃらりと手枷に繋がった鎖が鳴り、部屋に響いた。

「…屍?」

「屍さ、もう物も考えられない、人形が一人でいるだけさ。」

 壱湖は舞衣のいっている意味が一つもわからなかったが、いつもの飄々としている舞衣の様子が少しおかしかった。壱湖はこの話を掘り下げるのはやめようと思った。

「そういえば話って。」

「ああ、そうだった。」

 にこにこと舞衣は微笑んで振り向いた。

「前、しほりに言ったんだけど。そろそろ強めの宙人が発生すると思うんだ。」

 舞衣はその場にドスンと座り、床をつつく小鳥を優しくなでた。小鳥は舞衣に懐いているようで舞衣の傍に近寄ってくる。

「そこでしほりは、大きなけがをする。下手すれば、死ぬ。」

「なんでそんな。」

「予知の能力がある、って前言ったよね。言わなかったっけ。どっちでもいいや。けど、しほりに死なれると困る。これは最後の戦いじゃないんだ。」

 舞衣は指に小鳥を乗せると、目線に小鳥を持ってきて、ふうっと息を吹きかけた。驚いた様子の小鳥は飛び立ち地下室の天井を旋回した。

「あの子はクローン体じゃないからね。代わりがない。これまで何回もしほりのクローン作りをしてるんだけど、どうしても能力を引き継げないんだよね。」

 舞衣はペラリペラリと「能力の引継ぎさせるためのコードがあるんだけどしほりの能力には合わないんだよね。もうこれまで80通りは試してるのになかなか難しい子だよ。これまで作っちゃったクローンちゃんの処理も大変だったし…。」と早口で話した。

「…で、何が言いたいわけ。」

「お、ごめんごめん。壱湖にはさ、しほりが無理をしないように見ていてあげてほしいんだよ。」

 と、舞衣はにへっと笑った。愛らしく見える笑顔だが、壱湖には不気味に見えた。

「それは、どういう頼み?」

「へ?」

「しほりの友達として?それとも、クローン体の親、として?」

「なにいってんだか、魔法少女として、だよ。」

 舞衣は「契約したろ。これは仕事だ。」と優しく言った。壱湖はいつもは温厚な方だが、舞衣と話すと自分の血管が沸騰するような気持ちがした。

「クローンが作れないから大切にしろって。おかしい。」

「…、はて、それはどうして。」

「クローンは死んでもいいのか。」

「そのために作っているからね。」

 にんまり顔で舞衣は当たり前のことを告げるように言った。

「私も、私だって、生きてるのに…!」

 壱湖は、叫ぶように舞衣に言った。舞衣は驚いたとでもいうようにぱっちりと目を開けた。こんなに舞衣の瞳って大きかったのか。と壱湖は思った。

「わははは!面白いね。そんなの分かってるよ。」

「なに、笑ってんだよ!」

「死にたくないなら必死こいて死なないように自分で頑張るんだね。」

「もしこの戦いを生き抜いて、オリジナルが目を覚ましたら、私たちはどうなる?」

「…処理だろうね。」

「そんなの、勝手すぎるとは思わないのか…!」

 壱湖はふつふつと湧き上がる怒りが止まらなかった。

 しほり以外の魔法少女のほとんどがクローン体だというのなら、壱湖がこれまで過ごし、関わってきた少女たちは戦いの終わりと同時に処理され、いなくなってしまうのだ。

「使い捨ての人間を作るなんて…。」

「うーん、少し話がズレてしまったね。」

 舞衣は怒っている壱湖なんてなんのその、まったくの無視をした。

 壱湖はそんな舞衣にも腹が立ち、「聞いてるの!?」と声を荒げてしまった。

「聞いてるさ、そんなの百も承知だよ。…だから感情のあるクローン体をつくるのはやめようってぼくはいったんだ…。」

 頭をぽりぽりと掻いて、舞衣は困ったようにため息を吐いた。

「メディア露出とかがあるから意識や感情もクローンに入れたいといったのは機関側さ。ぼくは面倒だから戦うだけの肉人形にしようと提案したのにさ。」

 困ったもんだよね~と舞衣は、まるで壱湖と意気投合でもしたように頷き、ほがらかに話した。のらりくらりとした舞衣の言動に壱湖は意気消沈してしまった。何を言っても理解できないのだろう、と思った。

「話、戻してもいい?しほりの話だけど。」

 怒りが多少鎮火した様子の壱湖をみて、舞衣は話を続けた。

「しほりはね、元々自分の死が分かると無茶な戦闘は避けるタイプなんだ。当たり前だよね。」

 舞衣はどこからかチョークを取り出し、コンクリートの床にゴリゴリとしほりと壱湖らしき人物を描いた。

「けどあの子、君のことになると無茶しまくり。前、君のオリジナルが怪我した時も、無理やり君を救出して、大けがしたんだ。」

 ぐりぐりと赤いチョークで舞衣はしほりのイラストを塗りつぶした。壱湖はその戦闘のことはなに一つ覚えていなかった。

「その戦闘で、私は死んだの?」

「死んでないよ、死んでたら君作れないじゃん。けどまあ、死にかけ?たかな。だし、復帰に半年はかかるよ。」

 舞衣はぴーっと壱湖のイラストに一本線を入れた。縦に切り裂かれたように壱湖は見えた。

「君の次の任務はしほりを守ることだよ。」

 舞衣はそう言い切ると、ぐしゃぐしゃと床に描かれたしほりと壱湖のチョーク画を、踏み消した。

 赤と白のチョークが混ざり合い、汚らしいと壱湖は思った。

「あの子は唯一この機関内の魔法少女の中、オリジナルの肉体で動いている。」

「…唯一?」

 立ち尽くしている壱湖の肩に一羽の小鳥が止まった。

 とてもつぶらな瞳で丸々と太った小鳥で、壱湖はこんなコンクリート打ちっぱなしの部屋で、どうやって暮らしているのだろうと疑問を抱いた。

「君も、僕も。ほかの魔法少女もいざというときに供えて基本的に稼働しているのはクローン体さ。」

 そういって舞衣は、突然服を脱いだ。壱湖は一瞬驚いたが、はらりと落ちた服の中、舞衣の背、首元に小さく『a』と入れ墨が入っているのを確認した。

「それって。」

「オリジナルは何も書かれてない。クローン体には分かりやすくするために彫ってるんだよ。」

 舞衣はそういって、また服を着た。肋骨の浮き痩せたわき腹が静かにしまわれた。

 そして舞衣はクローンの説明を始めた。

 基本的にクローンは26体までしか作成ができない。それは少女の能力抽出の限界だと仮説が立てられている。

 能力は無限ではない。少女の髄液に含まれている能力の記憶を抽出する。そしてそこから能力の遺伝子言語を解明し、少女の細胞を利用して超能力を培養する。

 現在母体である魔法少女たちは、コールドスリープの状態で眠っている。彼女たちの皮膚や髄液を定期で抽出し、クローンを作成しているのだ。

 どうして作成に限度があるか、というと数値で見るに10体目を作るのを境に母体の能力低下がみられているらしい。そこから逆算、計算すれば26体が能力抽出の限界なのだという。

「今、基本的に皆3~5人目のクローン体が戦地に向かってる。これまでの戦いでそれだけ死ぬ場面があった、ということだよ。」

 舞衣はそういって、部屋の電気を消し、壁一面にプロジェクターで映像を映した。

 そこには魔法少女たち全員のクローン情報が記されており、これまでのクローン体の死因も記されていた。

 壱湖は見ていられなくなり、スクリーンから目をそらした。

「そらすなよ。みんな懸命に生きたんだ。」

 舞衣はそういって、魔法少女たちの名前を指でなぞった。

「…私と、舞衣、そして蝶華はクローン1人目なんだな。」

「まあ、あんまり戦地に赴かない、基地からのバックアップ担当だからね。」

「…じゃあなんで私は時々戦地へ?」

 壱湖は基本的に自宅や機関から結界作成を頼まれることが多い。バリア補助能力も遠隔で行えるため、正直戦地にまで赴かなくてもそこそこの距離を保ったままのバックアップは可能だ。

「まあそれは、頭合わせもあるだろうけど。」

 舞衣は頬を掻き、少しバツが悪そうにした。

「メディア露出を異様に大切にしているでしょ。それで、何人か魔法少女が画面にいないと華が無いんだってさ。」

 そういって、舞衣は「馬鹿馬鹿しい理由だろ。」と笑った。

「けど、君のオリジナルがけがをしたときはそんな理由じゃなかったよ。」

 にっこりと舞衣は微笑み、スクリーンを消した。暗い部屋の中で、舞衣は一歩ずつ壱湖に近付いた。

「あの日、3人くらいだったかな…、戦闘用の魔法少女が招集された。けど現地に向かったのはしほり一人だった。それに気が付いた壱湖、君のオリジナルはしほりの元へ行った。」

「…時々ある、馬鹿げたいじめか。」

「まあそうなんだけど、あの日はしほり、なんか泣いてたんだよね。」

 壱湖はまったく記憶が無かった。そんな戦いが本当にこれまでにあったのだろうか。

「それで君は、機関に許可もとらず戦地に向かってさ、しほりの元へ行ったんだ。」

 しみじみ語る舞衣だったはすぐに調子を変えて「ぼくなんだか、少女漫画を読んでいるような気分って、こんなかなーって思ったよ。」と自分を抱き、ふざけるように言った。

「…君がただ可哀想だと思ってしほりに関わっていたのは知ってる。君の考えることなんてぼくにはさ。」

 ぱちっと部屋の電気がつく。舞衣は壱湖に顔をぐっと近づける。舞衣の瞳はぱっちりと見開かれ、壱湖は舞衣のいうように本当にすべてを見透かされているんじゃないかと感じた。

「けど、しほりはどうかな。君に可哀想だと思われてるとわかったら、どう思うだろう。」

 だんまりと、壱湖は舞衣を見つめた。舞衣の淡い琥珀色をした瞳は、砂漠のようにからからに乾いているようにも見えたし、オアシスのように今にもこぼれそうなくらい、水分を含んでいるようにも見えた。

「…だったら何。」

「君には責任をとれ、と言いたいんだよ。最後までしほりを死なさない。死んでもいいぼくや、君たちとは違うんだ。」

「死んでもいい奴なんていない、私も、お前も。」

「死んでもいいようにぼくが作ったのさ。しほりは"人類が救われるまで""宙人の完全殲滅"までは死なれては困るんだよ。」

 そういって、舞衣はまた壱湖から距離をとった。にっこりとした表情が不気味だ、と壱湖は思った。

「戦いが終わっても、しほりは死んでもいいわけじゃない。」

「ああ、失言だったね。最低限、死なれちゃ困るさ。」

 舞衣はくるりとその場で回ると、ぱっと手を天井に向けて広げた。

「この部屋の天井に、空を描こうとこの前しほりが言っていた。」

 にこにこと舞衣は笑い、話した。舞衣の頭には楽し気に小鳥が集まる。

「ぼくはそんなもの別に要らないといったんだけど、しほりは嫌でないなら描こうといって、聞かないんだ。」

 舞衣は頭に乗った小鳥の一匹をわしづかみにして、ゴキリと首を折り、殺した。

 他の数羽の小鳥は逃げるように飛び立った。

「壱湖、しほりのことをよろしく頼んだよ。ぼくの能力では、あの子を守ってやれない。クローンの一つも、まともにつくってやれないんだ。」

 舞衣は死んだ小鳥を自分の枕に優しく乗せ、枕ごと小鳥を大切そうに抱きしめた。


 壱湖は舞衣の地下部屋からの帰り道、3番の少女【参納多満子】と鉢合わせた。

 多満子はすこし口角を上げて「こんにちは。」と言った。

 そのまますれ違うところで、壱湖は「ねえ、今から時間ってある?」と多摩子に声をかけた。多摩子は不思議そうに首を傾げたが「大丈夫だよ。」と答えた。

 二人は機関の中庭にやってきた。外は晴れ渡っていて、気持ちのいい風が吹いていた。

「壱湖が私を誘うなんて珍しいね、何かあったの?」

 にこにこと上品に多摩子は言った。壱湖はほっと胸が安堵するのを感じたが、彼女もクローン体であるのかと思ったらずんっと思い気分になった。

「いやぁ、色々考えてて…。」

「うんうん、そういう日って、あるよね。」

 多摩子ははぐらかすでもなく、無視するでもなく適度な距離間で壱湖の隣に座り話相手になっていた。

 壱湖も心地よさを感じ、目を瞑って風を感じた。

「…今、地下にはこの風も、感じられない人がたくさんいるんだよね。」

「そうだねえ、みんなに、風を取り戻して、あげたいね。」

 しばらく二人の間に沈黙があり、多摩子は少し困ったように笑った。

「壱湖がこんなに悩んでるなんて初めてだね。」

「…多摩子は、8番の魔法少女に会ったことある?」

「8…?8と、10の子にはあったことないなあ。」

 多摩子の返事を聞いて、壱湖は確かに自分も10の少女に会ったことが無いと思った。

「なんかその二人は、能力が突出してるとかで研究棟に住み込みしてるって聞いたことあるけど…。」

 壱湖が顔を上げて興味深げに話を聞くものだから、多摩子はなんだか少しうれしくなった。

「…興味あるの?この話し…。」

 そんな多満子の問いかけに壱湖はこくりこくりと頷いた。

「ウワサ程度でしか知らないけど…。」と、多摩子は話を続けた。


 初めて産まれ、乳児の頃宙人がやってくることを予言したという原初の魔法少女が10番目。名前すら魔法少女たちの中には浸透していないし、9番しか10番とはあったことが無い。極めて正確な予知能力をもっており、他にも星を滅ぼすほどの強大な能力があるといわれている。


「蝶華は10番に出会ったことがあるの…?」

「らしいよ。直々に彼女も能力を持っているって任命されたとかで。」

 ふーん、と壱湖は返事をし、その原初の魔法少女と言うものに少し興味が湧いてきた。

 大きな能力を持っているというのならどうして出てこないのか、たいして話にも上がらずまるでいないかのように機関内では扱われているのか。

「けど、10番死亡説も魔法少女内ではささやかれててね…。」

 多満子も楽しくなってきたのか、まるで都市伝説でも話すかのようにこそこそと壱湖の耳元に顔を寄せてに言った。

「実はもう10番は死んでて、本当は10番だけですくえたはずなのにしくじっちゃったんだって、それで、10番は能力を散布し、魔法少女に力を分け与えてる~…みたいな。」

「それはほんとに、ウワサ、だな。」

「そう、だね…。」

 多摩子は我に返ったのか、耳まで赤く染めると恥ずかしそうにうつむいた。

「8番のうわさはないの?」

「んー、研究員に紛れてるんじゃないか、とかそんな程度のウワサしか聞いたことないな。」

 壱湖は「そっかぁ…。」と返事し、大きく伸びをした。

 今思えば、舞衣のいうことは本当に正しいかわからないし、機関に「アナタはクローンです。」と言い渡されたわけでもないんだから、とりあえずこんなことで悩むのはやめよう、と無理に明るく思った。

「少し、表情明るくなったね。」

 多満子がそういって微笑む。壱湖も答えるように微笑み「話し聞かせてくれてありがとう。」と答えた。

「うん、私これから勉強室でちょっと予定があるの、またお話ししようね。」

 そういって多摩子が立ち上がり、壱湖に背を向けると、大きな風が吹いた。

「わっ」と多摩子が顔を風から庇う。その様子を壱湖は後ろから見ていて、多満子の背、服の隙間から小さく『e』という入れ墨が入っているのを見た。

「すごい風、びっくりしたね。」

 多摩子は改めてそういうと、服や髪を整え「じゃあね。」と去っていった。

 中庭に取り残された壱湖は、瞳に焼け付いた舞衣の背中にあった小さな入れ墨を思い起こしていた。


 壱湖は受付にやってくると、そこには女性研究員が一人で黙々と書類整理をしていた。

「こんにちは。」

「壱湖ちゃん、こんにちは。」

 にっこりと優しく微笑む研究員は年はまだ若く、壱湖よりも一回りも上ではない、と思われた。研究員の両耳にはピンク色の鉱石がぶら下がっているピアスがきらりと光った。

「ピアス、かわいいですね。」

「あら、ありがとう。今度似たもの買ってきてあげよっか。」

「いいよ。私、似合わないもの。」

 そんなことないとおもうけどなあ、と研究員は言うと、自分の耳元からピアスを外し、壱湖の耳たぶに当てた。

 ひんやりとした感触がなんだかくすぐったくて、壱湖は少し身をよじった。

「ほんと、壱湖ちゃんピアス似合うんじゃない?穴あける?」

 そういって、いつの間にやら壱湖の背後には蝶華がいた。

 先ほどまで気さくだった研究員は背筋を伸ばし、「蝶華さん、お疲れ様です。」と、頭を下げた。

 蝶華はこの機関のトップの娘であるので、研究員たちは蝶華と話すときは緊張するのだと壱湖も聞いたことはあったが、ここまで対応が違うのかと少しおかしくなった。

「そちらこそ、お疲れ様です。」

 蝶華は深々頭を下げ顔を上げるとにこにこと微笑み「もうすぐお昼休みですね!頑張りましょう!」と言った。

「蝶華…。」

「壱湖ちゃんも、久しぶりね。記憶の調子はどう?」

「ぼちぼち。」

「それはよかったわ。」

 蝶華は笑顔を崩さず言い、入所手続きをさっさと済ませて「じゃあね。」と壱湖に言った。

 壱湖は慌てて蝶華の手を掴み「待った。」と言った。蝶華は大きな瞳をぱちくりさせ「なあに」と答えたが、壱湖はとりあえず蝶華の手を引き歩き出した。

 受付にいた研究員は上司である蝶華に無礼を働く壱湖を見て冷や汗がだばだば出たが、止めることはできなかった。


 壱湖と蝶華は機関中心にある礼拝堂へやってきた。

「壱湖ちゃんどうしたの。調子でも悪い?」

 蝶華は無理やり連れられたというのに怒ったような様子も無く、優しく尋ねてきた。

「…8番。」

「ん?」

「8番に会ったんだ。」

 壱湖がそういうと、蝶華の顔から一瞬笑顔が消えたが、すぐに蝶華はにっこり笑って「変な子だったでしょ。」と言った。

「クローン研究の話を聞かされた。」

「あらまあ、機密事項なのに。」

「…やっぱりアンタは知ってたんだな。」

「そりゃあね、一応この機関トップの、娘ですから。」

 蝶華は眉を八の字にして困ったように壱湖に笑いかけた。「私だってクローン体なのよ。やだ~って言ったんだけどね。」とまるで他愛ない世間話でもするように蝶華は言った。

「しほり以外みんなクローン体が稼働してる、っていうのは嘘じゃなかったんだな。」

 壱湖は礼拝堂奥にあるピアノに手を乗せ、ゆっくりと『ジムノペディ』を演奏した。

「壱湖ちゃんってピアノ弾けるの?」

「少し、習っていたから。」

「へえ、素敵ね。」

 蝶華は優しく笑うと「じゃあ私はお客さんやるわね。」と並べられた木製ベンチの最前列に腰掛けた。

「10番って、死んでるの?」

 壱湖は聞くには唐突過ぎたか、と思ったが10番については後にも先にも聞きたかったしいいか。とも思った。

「ウワサでも聞いたの?」

 蝶華はさして驚くわけでもなく、くすくすと静かに笑った。

 壱湖は「蝶華は会ったことあるの。」と蝶華の顔を見ず、鍵盤を見つめて言った。

「そりゃあね、番号も近いから。」

 そう言って蝶華は立ち上がり、壱湖の隣に立ったかと思うと、静かに連弾を始めた。

「わ、すご。」

「私もピアノ、習ってたから。」

 驚く壱湖に蝶華は「壱湖ちゃんは、生真面目にピアノを弾くのね。」と言った。

「生真面目…?」

「音が、ピンと張った糸見たい。今にも切れてしまいそうな。細い糸。」

 壱湖は何のことやら、と思いながら話を聞いていたがそんな心中も蝶華にはオミトオシだったようで。

「私って、ロマンチストなのよ。」

 と、蝶華は笑った。

 礼拝堂で連弾をし終えた壱湖はなんとなく満ち足りた気分になっていた。大した情報も得られていないのに、現金なものだ。

 そこで、壱湖は蝶華に誘われまた地下へやってきていた。舞衣のいる地下廊下だ。

「どうしてここに。」

「ここに、10番もいるの。ぜひ会ってみて。」

 優しく蝶華は言い、壱湖の手を引いた。壱湖は背中がべとべとになるほど汗をかいていた。

 地下廊下の一番奥。ついさっき覗いた部屋。蝶華はその部屋の鍵を持っているようだった。錆びついた鍵穴に錆びた鍵を差し込み、ゴリゴリと音を立てて鍵を回すと部屋は開いた。

「失礼します。」

 蝶華はそういって、小さく会釈をした。壱湖もそれに倣って小さく頭を下げ、部屋に入った。

 部屋の中は暗いが、ひどく広かった。舞衣の部屋の何倍も広かった。全体的に和風の作りになっており、まるで茶室のようだと壱湖は思った。

 部屋奥には白無垢のような服を着て、打ち覆いで顔面を隠した"人形"が座っているようだった。

「これが10番。」

 蝶華はそういうと、優しく10番の着ている服全てを脱がせた。壱湖はその場で茫然と立ち尽くすしかなかった。

 10番の姿は舞衣とそっくり、というより、【同じ】であった。真っ白な長い髪は編み込まれさっぱりと結ばれているものの顔立ちは舞衣そのものだ。

「8番はね、10番のつくったクローン体なの。」

「え…?」

「10番が神通力を使って、8番を孕んで産んだ。うーん、【処女受胎】って言ったら、いいのかしら。」

 同時におどろいたのは、10番の身体はほとんど"無く"。壁と半分ほど機械でできているようだった。身体のそこらじゅうから太い管が伸び、右半身の太ももから下あごにかけて無理やり機械で繋がれているようだ。

「…死んでいるの?」

「死んでないわ。寝てるだけ。起こす?」

 壱湖は半分機械でできた小さな少女を目の前に、ひどく恐ろしくなった。無理やり引き延ばされた皮膚はネジで止められ、冷たそうな金属に身体の半身をむしばまれている。

 姿を見てから数分、ピクリとも動かない。呼吸によって胸が上下することもない。

「…生きてるようには。」

「見えないかしら。」

 壱湖の声を遮って聞こえたのは、蝶華の声ではなかった。

 高くて愛らしい、幼い声。壱湖が困惑していると、眠っていた10番がゆっくりと瞳を開けた。

「初めまして。愛しい子よ。」

 10番の瞳は菫がかった灰色で、まったく焦点が合っていない。

「あら、菫おはよう。」

 蝶華の言葉に、10番はにっこりと微笑んだ。壱湖はその微笑みがひどく不気味に見えた。

「私は魔法少女の始祖、10番。上拾石菫。」

 壱湖は声が出なかった。菫の存在に気圧されているように、壱湖は一歩後ろに下がった。

「壱湖、君は末っ子らしい能力を貰って産まれたみたいね。」

 喉が焼け付いたかのように壱湖は話さなかった。恐怖にも似た畏怖のような気持が自然の胸の中から湧き出てきたのだ。

「蝶華、壱湖を連れてきてくれてありがとう。もう、下がっていいよ。」

 菫のその言葉を聞いて、蝶華は小さく礼をすると壱湖に挨拶もなくするりと部屋から出て行ってしまった。

「さて、壱湖。私に会いたかったんでしょう。お話しをどうぞ。」

 にっこりと優しく微笑む菫はまるで天使のようだった。「よいしょ」と良いながら菫が体制を変えるとぎちぎちと機械がこすれる音がした。

「わ、私は、戦いたく、ない。」

「うん。」

「こんな死にかけた人類のために、私たち魔法少女は身を削りすぎだ。」

「うんうん。」

 壱湖は滴るほどの汗をかいていた。

 声を発するたびに脳から汗があふれるように、だらりと脂汗が額を滑った。

「壱湖は、地球が滅べばいいと思っているわけだね。」

「…人類みんなで頑張るべきだ、と言いたいんだ。」

「魔法少女以外のものも戦えということ?」

「…。」

「壱湖は酷なことを言うんだね。」

 菫と話していると、どんどん自分の気持ちは間違っているような気がしてきた。

 私たちが非人道的に戦う肉人形とされていることも【人類復興】のために必要な犠牲、なのだろうか。

「いいことをおしえてあげる。」

 だんだんと苦虫をかみつぶしたような顔になった壱湖に、菫は優しく声をかけた。

 そして、まだ機械にむしばまれていない左手で壱湖の頬を撫でた。壱湖の肩は跳ね、目には涙がたまった。まるで母親に怒られたかのような気分だった。

「宙人ってなんだか知ってる?」

「…解明できていない、地球外生命体。」

「あはは、あれはね。地球から逃げた人類の成れの果てだよ。」

 菫は蝶華に脱がされた白無垢をぎこちなく拾い上げ、うやうやしく羽織った。痛々しく露出していた機械の身体は隠され、壱湖は少しホッとした。

「地球から逃げた…?」

「昔、地球はあと数年で住めなくなると騒がれたときがあってね。もう100年以上前。地球のマントル部にあるエネルギー体が爆発する可能性が示唆されたころだった。」


 優しい声色で菫は説明をした。壱湖が産まれる100年と少し前。地球は一種のビックバンに見舞われた。

 地球内部のマントル付近に存在した。人類の認知外にあったエネルギー体の爆発だ。結果、人類はほとんどの人間が死にたえ、大陸も海へと沈んだ。

 それ以前に、地球人は地球からの脱出を企て、大量の宇宙船を作成したのだという。そして、金のある富裕層はみなそこに乗り込み、行く当てのない宇宙へと逃亡を図り地球から飛び立った。

 地球に取り残された人類は、地球内部で未だ蠢き、定期的に軽い噴火を起こすエネルギー体に『』と名付けた。アウラは落ち着くことはなく、取り残された人類は頭を抱えたが叡智を集めてエネルギーを宇宙に放出する"管"を3つ作成し、海へと突き刺した。

 アウラは留まることなく、永遠に宇宙へと大量に放出され続けている、今現在も進行して。

 そして、菫が言うにはアウラによって地球外へ逃げた人類に不都合が起きているのだという。宇宙船内での感染症や病気、果てには宇宙に塵状に存在していた脳のない生命体の狂暴化。

 地球を捨てた人類は100年以上逃げられない恐怖と戦っているのだという。


「…どうしてそれがあなたにわかるの?」

「私はね、視えるの。目を瞑って、どうなってるのかな?と思ったらその場の光景が浮かんでくる。」

 菫は瞳を閉じてまるで聖母のように微笑んだ。

「宙人はね、宇宙で生存している人類がこちらに送り込んできている刺客。宙人の目的はこちら側の人類殲滅と、アウラの放出を止めること。宙人は基本私たち魔法少女及び機関を目指して空から降ってくるのはそのためよ。」

「てっとりばやく、私たちや機関を狙わずとも放出台に向かえばいいじゃない。」

「そうね、たしかにそう。壱湖はかしこいのね。」

 そういって菫はにっこりと優しく微笑み、壱湖に「頭を撫でたいわ、しゃがんでくださる?」と言った。壱湖は言葉のままにしゃがみ、菫に優しく頭をなでられた。

「どれができない理由があるの。宙人は海水に落ちると死亡してしまうの。」

「どういう、こと。」

「仕組みは私にもわからないけど、海水は苦手みたいね。点在している小規模な島から生えてる管を折ろうにもそこにたどり着けないみたいよ。」

 にこにこと菫は話す。また、アウラを放出する管は非常に熱く、宙人の融解温度を越しているのも狙われない理由らしい。

「機関には放出台の管理システムも存在しているの。多分狙いはそこでしょうね。」

「そんなものを、機関が管理しているの。」

「…残された人類はここ、第7都市だけ。地球の真ん中に入っても、一人も人間はいないわ。」

「…連絡手段がないだけだ、って。みんな。」

「そう聞かされているのね。本当のことを教えると、地球に暮らしている人間は、この都市にしかいない。あとは宇宙に存在している小さな人類だけよ。」

 壱湖は頭が混乱してきた。

 話しを整理すると、自分たちが戦っている宙人は地球外の謎の生命体ではなく、同じ人類が作成した敵だった。これは、人類VS地球外生命体…ではなく、人類VS人類だった。ということ。そしてその事実を魔法少女たち皆は知らされず、勝手な戦争に駆り出されているという事実だった。

「こんなの絶対に、おかしい。」

「そうね、おかしいわ。」

「どうして戦わなくちゃいけないの。」


「じゃあ戦わなかったらいいわ。」


 菫の冷たい声が部屋に響いた。

 壱湖は俯いていた顔を上げて、菫をみた。菫は依然変わらずにこにこと微笑んだままもう一度言った。

「戦わなかったらいいじゃない。」

 壱湖は混乱した。正直、そんなことを言われるなんて思っていなかったのだ。

 舞衣ですら「戦うのが当たり前」のように言ってきたというのに、そっくりな風貌をしている菫は「戦わなければいい」と言ってきた。

 壱湖が茫然と菫のことを見ていると、菫はくすくすと小さく笑った。

「鳩が豆鉄砲を食ったような顔って、こういう顔のことを言うのね。」

 菫は壱湖の頬を撫で、静かに壱湖の額にキスをした。壱湖はおでこを抑えて勢いよく後ずさった。

「あなたは自分の意志で産まれて、自分の意志で力を手に入れた。好きに生きるといいわ。」

 優しい声で菫は話したが、壱湖はおでこに感じた菫の柔らかい唇の感触ばかりが頭の中で反芻した。

「そ、そういえば、舞衣を産んだっていうのは。」

 壱湖は話をそらしたくなって、慌てて舞衣の話をした。蝶華の言っていた【】と言う言葉も引っかかっていた。

「私が、かしこい子が欲しいと願ったの。そしたらお腹が膨らんでね、舞衣が産まれたのよ。」

 菫はにこにこと嬉しそうに話したが、壱湖には全く理解ができなかった。

 だって、菫の見た目は舞衣と同じ年頃に見えるからだ。

「…今何歳、ですか。」

「15、になるわ。」

「舞衣っていくつ…。」

「機関に登録してある年齢は、15ね。」

 にこにこと菫は答える。そして「私、10歳の頃に舞衣を産んだの。」とも。

「全く理解、できません。」

「はっきり言う子は好きよ。」

 そういった菫ははらりと白無垢の前をはだけさせた。菫の腹部はまるで爬虫類の腹のような作りの機械でつぎはぎになってきた。

「もう、産めないけど。5つの頃に私は力を思い出して、いくつも予言を人類に与えてきた。」

 菫はまた、淡々と話し始めた。愛らしい少女の声なのにどうしてか耳が離せない。神秘的な声に聞こえた。

「魔法少女が自分を含めて10人生まれると予言して少ししたころ、8番になるはずだった女の子が産まれなかったの。」

「産まれなかった…・?」

「産むはずだった女が殺されたの。」

 菫はまた、白無垢を羽織りなおして身なりを整えた。

「私の予言を盗み聞きした宇宙の人類がね、魔法少女を産むはずだった妊婦の一人を子ども五と殺害してしまったの。」


 菫の予言は的確で、細かかった。誰がどこで生まれるか、その子どもは何歳ごろに力が覚醒するか。

 一つ一つ確実に当てて行った。ほとんどの子どもはすでに生まれていたが、8番だけはまだ腹の中にいた。

 その予言をスパイ伝いなのか知りえた宇宙側の人類は、その母親を殺害、地球に残った人類の戦力低下を目論んだ。

 本来の8番が殺された日、菫は「私が産む」と思ったらしい。すると、みるみる腹は大きくなり、赤ん坊を出産した。というのだ。


「10歳…で。」

「なんでも挑戦ね。」

「ひえ…。」

 15歳だといった菫ですら、同年代の少女に比べたら小さく細いのに、10歳の頃の菫が赤ん坊を産んだなんて壱湖はにわかに信じられなかった。

 疑いのまなざしでジロジロと菫を見ていると、菫は小さく吹き出し「いいのよ、無理に信じなくても。」と言った。

「けど、蝶華は見ているはず。私のお腹が大きかったころをね。」

 と、菫は優しく言った。

「舞衣は、そのこと。」

「知らないんじゃない?同い年のお母さんがいて、実質自分が5歳だって知ったらびっくりしちゃうでしょ。だから、内緒なの。」

 菫はまるでいたずらっ子のように笑った。びっくりしちゃうレベルではないと思うのだが、魔法少女の力はあまりにも未知数だと壱湖は思った。

「話は戻るけど、」

 優しい淡い灰色の瞳で、菫は壱湖のことを見た。

 壱湖は舞衣とは違う、美しい菫の瞳を見ているとまるで吸い込まれてしまうような平衡感覚を失うような気分に陥った。


「壱湖、アナタはこの人類のために死ぬまで戦うか、すべてを放棄して一人で生きるか。どちらを選んだっていいのよ。」

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