EP5 魔法少女は苦しまない


 舞衣はぼんやりと天井を眺めていた。天井も壁と同じくコンクリートでできていて、灰色で味気ない。天井のシミを数えていたのだが、つまらない。うっすらした大きなシミの中に濃いシミが点々としていて、どこまでが一つのシミなのかわからないし、だんだんシミが異様な量に見えてきて、数えるのをやめてしまった。

 舞衣は手首にはめられた金属製の枷を見つめた。擦れた手首の皮膚は変色し、硬くなっている。一度、それに気づいたしほりが「壊してあげようか?」と、提案してきたことがあった。

 提案したしほりは額に汗をかいていた。きっと舞衣が手枷を「壊してくれ。」と、頼めば彼女は喜んで壊したことだろう。「ここから逃げたい、外に出たい。」と頼もうものならきっと彼女は自分の持つすべてを賭けてこの冷たい地下室から舞衣を連れ出したことだろう。

 舞衣はそんなしほりの心中は察していたが、別にここから出たいという気もなかった。

「何ら問題ない。」

 と、しほりに告げ、しほりは一種安堵したような、そして悲しそうな顔をして微笑んだ。しかし、舞衣はその顔を見ても特になんとも思わなかった。

 ずっとそうだった。舞衣は生まれたときから感情の一部が欠損しているような、そんな子どもだった。人が目の前で死んでも、驚きはするがそれだけ。恐ろしくなったり悲しみに涙を出したりなどはなかった。

 ごろりと床に転がって、舞衣は腕の伸びる範囲に置いてあったノートパソコンを引きずり出した。ノートパソコンの上に乗っかっていたほぼしほりにしか連絡をしない魔法少女用の通信機器がごろりと床へ落ちた。

「今日の仕事は…と。」

 舞衣がパソコンを点けると、画面にはわちゃわちゃと大量のウィンドウが開かれていた。仕事の依頼を通知するアドレスには山盛りの連絡がたまっており、舞衣は億劫な気分になった。

 個人的に作った小動物育成ゲームの小さなウィンドウでは白くて丸い生き物10匹が蠢いており、そのうちの1匹が死亡していた。


 ――梅雨は機関にある勉強部屋にこもって一人積み木をしていた。

 積み木、と言っても幼児の行うような四角や三角をした簡易なものではなく、石のような形をした、バランスをとるタイプの積み木だ。この積み木は梅雨が幼いころから好きなおもちゃの一つで、機関に入ってすぐの頃、研究員たちにおねだりして買ってもらったものだった。このタイプの積み木をしていると心が無になり梅雨は安らぎを覚えた。

 黙々と梅雨が積み木に取り組んでいると「ひとつ、つんでは母のため…。」と、隣から声が聞こえてきた。梅雨は声のしてきた自分の右隣に目をやると、6番の恋夏がにやにやと頬杖をついてこちらを見ていた。

「あれ、恋夏。いつからそこに?」

「さっきだけど、めっちゃ真剣だったから邪魔してやろうと思って。」

 恋夏は人懐っこそう八重歯を見せ、梅雨に笑いかけた。かわいらしい笑顔の恋夏の頭を梅雨はワシワシと少し乱暴に撫でた。恋夏は「わー!なにすんだ!」と言いながらも顔はにこにこだ。

「同い年とは思えんなァ。」

 と、梅雨が言うと、幼く無垢に笑ったまま「なんだぁ、嫌みか?」と恋夏は言った。梅雨と恋夏は機関にほぼ同時期にやってきて、ほとんどの時を一緒に過ごした。


 梅雨と恋夏は、9歳になる頃にこの機関にやってきた。機関にやってきてすぐには能力の向上だとか能力解明と言って、人体実験さながらのモルモット扱いを受けた。中には逃げ惑い叫びまわりたくなるようなものも多かった。

 しかし、梅雨がここに居場所を見出し魔法少女として働けているのは恋夏がいたからだ。

 梅雨はもともとは逃げ癖の強い少女であった。実家は今のご時世の中でもなかなか裕福なもので、甘やかされて育ったからだ。注射をされたり、しばりつけられて半日かけて体の中や外の写真を撮られたり…、梅雨はそんな毎日が耐えきれなくなり機関に来て数か月の頃、機関からの脱走を考えたことがあった。

 満月の日。深夜を待った梅雨は荷物を抱えて機関の外へと駆け出した。割れて走りにくいコンクリートの上を必死に走った。しばらくすると機関の土地からも脱出に成功し、順調に思えた脱走であったが、果てには崖に出た。

 現在、梅雨たちの暮らしている第七都市東京は、もうほとんど土地が無く、山岳地帯から平地にかけての直系百キロほどの円形内に作られた都市だった。そんなことはしらない幼い梅雨は必死に必死に走って、山岳部の端までやってきてしまったのだ。山は途中で裂けるようになくなり、崖下にはマグマも海もない。ひたすらの闇だった。

 梅雨は崖下を覗き込み、足がすくんだ。山岳部は寒く、機関から配給されていた薄い患者着だけの梅雨は、息を白くして下山を試みた。

「機関の近くを通らないように迂回して逃げよう。」

 そう思った梅雨は踵を返すと、再びよたよたと走り出し、夜が明ける前には自分の愛する家族の元に帰りたいと思った。すると、目の前に大きな肉の塊が降ってきた。梅雨は肉の塊が落ちてきた衝撃で後方へ飛ばされ、転倒した。慌てて梅雨は立ち上がり、降ってきた肉の塊から逃げようとした。

 けど、自分の荷物が地面に散らされているのに梅雨は気付いた。それらを梅雨は拾い上げた。…荷物の内容どれも両親が家を出ていく梅雨に持たせてくれたものだった。梅雨が好きだといった植物の図鑑、母と作ったビーズの指輪に、家族の写真。梅雨が地面を這うようにして荷物をかき集めていると、先ほど落下してきた肉の塊から皮膚をつき破るように腕が生えた。肉の塊は梅雨の二倍ほどの大きさをしていた。梅雨は腕が生えたのを見ると、恐怖で手足がガタガタと震え、動けなくなった。

 肉の塊の近くに、両親の写真が落ちているのを梅雨は視認し、どうにかしてそれを拾えないかと考えた。その肉の塊はいわゆる宙人の"卵"で、梅雨も機関で話を聞かされており理解していた。卵が孵化する前に荷物だけかき集めて逃げよう。梅雨はそう思い、恐る恐る肉でできた巨大な卵に近付いた。

 機関の研究者から「音や刺激に敏感で、育ち切っていなくとも刺激で孵化することがある。」と聞いていたため、梅雨は音をたてぬよう慎重に近づいた。

 写真に手を伸ばし、梅雨は指先で写真をつまみ、背負ってきたリュックに努めて静かに詰めた。ほかにはシャーペンやらなんやらが散らばっていたが、とりあえずそれらを見捨て、梅雨は四つん這いのような格好になって震えながらも卵から離れた。

 梅雨の奥歯がカチカチと小さな音を立てる。静かに!静かに!と思うほど、梅雨の身体は震え、足はガクつきうまく前に進めなかった。

 数メートル離れたあたりで、梅雨はチラっと背後にある卵を見た。すると、卵には人間の顔面がボコりとコブのように浮かび上がっており、真っ黒な穴の開いた瞳がこちらを見つめていた。

「いやっ!」

 思わず声を上げてしまい、慌てて梅雨は自分の口を押えた。そんな梅雨の声を聞いてか聞かずにか宙人の卵からは無数の腕が生え、梅雨に向かって飛ぶように掴みかかってきた。顔や腹、そして足を梅雨は捕まれた。梅雨はもがき、叫んだ。

「誰か!誰かァ!お母さん!お父さん!」

 目の前は肉でできたドロドロの手で遮られ、暗い。隙間から見える月明かりすらも恐ろしい。梅雨はまだ能力の向上を図っている段階で、腕の力も年相応、大した超能力は使えない。ましてや戦うことなど不可能だった。

 段々と梅雨の顔を包む手に力がこもる。このままでは頭がつぶされると思い、梅雨はもがきながらも逃げられぬ恐怖から絶叫した。

「ピーピー泣くな。」

 そんな声が聞こえたと思ったら、一瞬、目の前が明るくなり、梅雨はとっさに目を瞑った。光源が確認できないまま、梅雨はいつの間にか手から解放されていた。その場で茫然と座りつくし、梅雨は自分の顔に張り付いていた宙人のぶにぶにした溶けた肉のような手を剥し地面に投げた。溶けた肉は絶命しているにもかかわらずびくびくと痙攣しており、梅雨はこんなものに顔面を掴まれていたのかと恐怖で震えた。

 目の前には同じころ、一緒に機関に入った恋夏が立っていた。はだしのまま、梅雨と同じ、患者着だ。

「お前どこ行ってたんだよ。」

 恋夏は冷たい声で言った。

 梅雨は恋夏が宙人の血である、濃いピンク色の液体を頭から全身かかっているのを見て、より恐怖を覚えた。恋夏が、一人で宙人を討伐したのだ。産まれたてとはいえ、どうやって倒したのだろうか。と、また恋夏の能力を知らない、幼い梅雨は思った。

「わ、私。」

「まさか逃げようとしたのか?」

 ギロリと恋夏ににらまれ、梅雨は声が出なくなった。自分と同じ年の少女だというのに、まるで恋夏は獣のような眼光をしていた。

「お前、何のために生まれてきたんだよ。」

「…え。」

「なんで逃げた。」

「…!な、なんで、って。アンタも拷問まがいの、人体実験受けてるから、わかるでしょ…!?あんなの、あんな、私、耐えられない。お父さんと、お母さんのところに、かえ、帰りたい…!帰りたかったんだもんッ…!」

 恋夏のひどく冷たい声と視線、どれも梅雨には耐えられなかった。梅雨の瞳からはぼろぼろと涙があふれ、梅雨は自分の顔を手で覆った。ねちょねちょとした宙人の肉片が、まだ顔に張り付いていて、梅雨は気持ちが悪くなった。

「それは逃げた"理由"じゃねえ。お前の"ワガママ"じゃねえか。」

「なん…!」

「お前は、力を持って生まれて、それを世のために使うって、約束したんじゃねーのかよ!」

「…こんな、苦しい思いをするとわかってたなら、そんな約束しなかった…!きっとお父さんとお母さんも…!」

「ビービービービー、お父さんだのお母さんだの聞き苦しいやつだな!」

「アンタは自分のお父さんとお母さんと離れて…、痛い研究に付き合わされて、はてこれからあんなっ、恐ろしい生き物と戦わされるっていうのに…!一ミリも寂しくない、怖くないっていうわけ!?」

「ジジイとババア、そいつら助けるために頑張ろうって思わねえのかよ?」

 後で梅雨は知ったが、恋夏の両親はもうすでに他界していた。幼い頃、宙人に目の前で喰われたのだと、恋夏は言っていた。

 梅雨は恋夏に厳しく叱咤され、ダムが決壊したかのように涙があふれてきた。確かに、逃げたいと思ったのは自分のエゴだったかもしれない、ワガママだったかもしれない。

 梅雨の能力が開花したころ、機関の人間が梅雨の自宅にやってきて、梅雨を褒めそやした、そして梅雨に「一緒に地球を救いましょう!」と優しく声をかけ、契約書へサインを求めたのだ。梅雨は喜んでサインを書いた。父や母は少し困惑をしているようだったが、梅雨が決めたことならと首を縦に振ってくれた。

 機関に連れてこられるまでは自分の力で誰かが助けられたら素晴らしいと思っていた。けど、人を助けるどころか毎日閉じ込められて痛い実験に付き合わされているだけ。先の見えない苦しみに、どうやって順応しろと言うのか。

「うるさい!私は普通なの!モルモットみたいに扱われて普通にしてられるような…!アンタみたいな異常な感性もってないのよ!」

「は!?夜逃げ女が!約束破りのお前のが異常だろうが!ダボ!」

 恋夏はそういって中指をたてた。私はその意味が分からなかったけど、ひどく不快な気分になった。

「いいから帰るぞ、お前探すのに何人こんな深夜にたたき起こされたと思ってんだ。」

「連れ帰るつもり…?」

「ッカァー!お前、捕らわれた悲劇のお姫様気取り女か?普通に心配されてんだっつーの。」

 ズンズンと強い足取りで恋夏は梅雨に近付き、腕を掴んで無理やり立たせた。梅雨の足はまだガクガクと震えており、恋夏に倒れるように寄りかかってしまった。

「ご、ごめ。」

「…捕まってろ。帰るぞ。」

 恋夏に寄りかかったまま、梅雨はまだ涙がとまらなかった。これから先、自分以外の誰かが恐ろしい宙人と出会い、さっきのような恐怖を味わうのだろうか。そして、助けがこなければ死んでしまうのだろうか。

 そう思うと、梅雨は想像の中にいる"襲われた第三者"に感情移入してしまい、より、涙がこぼれた。

「…お前が思ってる以上に、あそこは悪い施設じゃねえよ。」

「…うん。」

「研究員の人みんな、お前がけがしてないか、怖い思いしてないか、心配してた。」

「…うん。」

「誰もお前のこと、モルモットなんて思っちゃいねえ。」

「…。」

「痛ぇ実験終わった後、いつも部屋にお菓子置いてってる。お前が痛いって泣いたとき、目をそらして泣いてるやつもいる。」

 梅雨はもう恋夏の話を聞いていられなかった。聞けば聞くほど、今回の自分の行いはなんて勝手で馬鹿だったのだろう、と思いしらさせられるからだ。

「泣くなら今泣けよ。帰って、お前が泣くと、みんな困って泣くだろ。」

 恋夏に引きずられて、梅雨は機関の用意した魔法少女用のマンションにやってきた。そこには幾人もの研究員がいて、ざわついていた。

 恋夏と梅雨の姿を認知すると「あ!梅雨ちゃん!」と、一人の研究員が叫んだ。すると近くの雑木林からも複数人、研究員が出てきて、梅雨のことを代わる代わる抱きしめた。

「怪我はない?」

 そういって、他の研究員たちも囲むようにして梅雨の元へやってきて、口々に「大丈夫?」だの、「怪我は?」とか聞いてきた。

「…うん。」

「よかった…、梅雨ちゃんにケガさせたら、私たち梅雨ちゃんのお父さんとお母さんになんていったらいいか。」

 研究員は一層梅雨を強く抱きしめた。梅雨は「ごめんなさい…。」とか細い声で謝った。

 梅雨の傍に駆け寄った研究員の中に、先輩魔法少女の蝶華が混ざってきた。蝶華は梅雨よりも前から機関に勤めていて、もう戦いの現場にも向かっているベテランの魔法少女だ。

「梅雨ちゃん、顔、少し怪我してる。」

 そういって、蝶華は梅雨の頬を優しくなでた。梅雨はさっきまでズキズキと鈍痛のあった頬の傷が消えてなくなるのを感じた。


「恋夏ってここに来た時から傍若無人で乱暴者だったよね。」

「はあ?褒めてんの?」

「そう聞こえたならそれでよろしい。」

 梅雨は遊んでいた積み木を片付けながら、恋夏を見た。行儀悪く椅子の上で胡坐をかいている恋夏は手を広げ、自分の爪を見つめていた。

「なに。」

「爪、塗ったんだ。」

「かわいい、ネイルだ。」

「そう、菊森がくれたんだ。」

 にぱっと八重歯を見せて笑う恋夏は、年相応の少女そのもので、普段は宙人と殴り合い殺しあっているようには全く見えなかった。

「私も、欲しい。」

 梅雨の口からは梅雨の意識と離れて、ぽろりと声が出た。驚いて梅雨は自分の口を手で覆った。

「また菊森に言っといてやるよ。」

「え!いいよ、別に。」

「アタシら、買いに行くこともできないんだからそれくらい頼んだっていいだろ。」

 現人類のほとんどは地下に都市を発展させており、蟻の巣のように土の中に生活区域を拡大させている。そんな地下要塞内にはショッピングモールも存在している、…らしいのだが魔法少女たちは宙人がそこに出没しない限りは一般区域は立ち位置が禁止されている。もちろん、ショッピングモールも立ち入りは禁止だ。

 理由としては芸能人張りに魔法少女たちの顔が割れている。ということと、地下に住んでいる人類の中には感謝以外の感情を魔法少女たちに抱いている人もいる。ということらしい。

 富裕層以外は基本、地下の要塞に押し込められている。蟻同然の暮らしを強いられている人の中には、現在の平行線で何か前進する兆しのない宙人と人類の争いに否定的なものも存在する。中には「魔法少女は非人道的団体である。」という過激な人もいれば「いつまで平行線で地下に暮らしていかねばならないのか。」と、魔法少女には非協力的で、今の生活に飽き飽きとしている人もいる。

 富裕層の人間は地下シェルター付きの家を購入したりしているようで、高価な自衛グッズも手に入れており、多少の区間を歩き回るものもいる。しかしそれも散歩程度で、宙人がいつ飛び出てくるかわからない地上に出たがる人間ももうずいぶん減った。

 …機関を非人道的だと否定する過激な【魔法少女反対団体】と言うものも存在しており、危険が付きまとう可能性が否定できないためあまり一般区域や、人ごみにはいかないよう命じられている。

 そのため服やアクセサリーも研究員たちに頼んで買ってきてもらったり、研究員たちが選んで買ってくる。魔法少女の中には自分から頼むこともなく配給される服だけを身に着ける子も多い。

「これだけは不自由だな。買い物も行けないなんてさ。」

「本当よね。一生懸命戦ってるのに、批判的な人もいるし…。」

「あー!そいつら一発ぶっ放せねえかな!」

「その人たちも私たちが守らなくちゃいけない人類の一人なんだから…。」

「…そんなやつ守る価値あんのかねえ。」

 過激な恋夏はそういって、椅子から立ち上がると、「今から昼行くんだけど、一緒に行く?」と、誘ってきた。梅雨はもうそんな時間だったのか…と驚き、「よろこんで。」と、答えた。

「あーあ、地下に宙人出てこないかな、そしたらショッピングモールにいけるのに。」

 恋夏は焦がれるようにそういった。

「…縁起でもない。」

 梅雨は呆れたように返事をして、恋夏の隣に並んだ。恋夏と梅雨はそんな話をしながら、機関の食堂へと向かった。


 舞衣は寝ころび、壁を背に足を開いて絵に描いたようなぐーたらなポーズをとっていた。

「あほらしい。こんな事務作業。」

 画面には無限に届く仕事のメール。次々と勝手にメールが開かれ、舞衣は文章を目で追った。

「失敗してんじゃん。えーっと、だ、め、だ、よ。それ、じゃ…っと。」

 キーボードを片手でポチポチと押し、一通のメールに舞衣は返信をした。

 それは魔法少女のクローンを作成する部署で、一応舞衣は部長らしい。舞衣は頭がよく、どんな問題も眺めていれば答えがわかってしまう。機関に入った頃の入所試験だってすべてが満点で研究員たちを驚かせたのだ。

 クローンを作り出す少し前、初めて大きな宙人と魔法少女が対峙することになった頃だった。機関内では不安の声が多く上がっていた。

「小さな宙人にも魔法少女たちは苦戦を強いられています。…前例のない生き物、ですから、私たちも探り探りで、」

 舞衣に相談に来た研究員は体中汚れ、疲れ切っている様子だった。

 魔法少女の筋力増強や能力向上も正直はじめはうまくいっていなかった。魔法少女たちの健康状態を危惧し、大きなドーピングを恐れ、いうなれば学校の部活程度にしか少女たちは訓練を行っていなかった。

 また、魔法少女の能力によって戦いへの向き不向きもあり、宙人討伐も魔法少女だけでは苦しく、臨時に作成された対宙人用の軍隊が過去には導入されていた。今となっては成長した宙人にはまったく太刀打ちできず、もうその軍隊は壊滅してしまったのだが。産まれたての宙人に対しては主戦力として活躍していた頃もあったのだ。

 舞衣は現状打破のため一部の研究員たちと一緒に頭をひねることになった。その結果、舞衣が思いついたのはいくらでもドーピングができいくらでも死ねる"クローン"の作成だった。

 オリジナルと呼ばれるクローンの母体。大元の魔法少女の肉体は能力が絶対的に強い。クローンにしてしまうと能力の低下がみられると予想された。しかし、そもそも母体となる本来の魔法少女たちは10人しか存在しない。一人でも死なれては困るのだ。

 そんな現状を加味し、舞衣の発案した魔法少女クローン化計画だったが【非人道的である】と機関全体から激しい批判を受け、一時は魔法少女クローン化はなりを潜めていた。

 その頃は魔法少女5番【伍藤理衣奈】までが魔法少女として加入しており、戦場に駆り出されている状態だった。舞衣もその頃は戦場にでていて、戦闘特化少女のバックアップをしていた。

 宙人との戦いの中で、6番【陸恋夏】が大きなけがを負った。恋夏はしばらく戦場に立てない、それは大きな損害だった。

「だから言ったよね。今この形態を保つためにはクローン化は必須。それにそろそろ、でかいヤツが来る。」

 舞衣がいくら訴えても機関は聞く耳を持たなかった。

 しかししばらくすると舞衣の予言通り、恋夏の怪我が治らないままに成長した宙人が出現した。その宙人は美しい少女の形をしており、人語を話し、いたずらに人を殺した。その頃はまだ地下シェルターも完成しきっておらず、まだまばらに地上に人がいたころだったため、被害は甚大だった。

 その頃戦力の中心だった恋夏はまだ治療中。必死に残りの魔法少女で迎撃するも撃沈、ほとんどの魔法少女は大きなけがをし、数か月戦闘に駆り出せない状態になった。

 舞衣は賛成派だった一部の研究員と隠れて進めていたクローン研究で作成した魔法少女を戦場に放つことにした。機関から批判を背に、舞衣はクローンである恋夏達を引き連れ宙人を殺そうと尽力した。クローン体たちだけで宙人を動けなくなるまで破壊したが、コアの破壊には至らず殲滅には及ばなかった。現在その成長しきり会話が可能だった宙人のコアは機関の最深部シェルターにて、研究対象とし厳重に保管されている。


 …そんな戦いの後、舞衣は腕を拘束され、機関長の前に連れられていた。

 機関長は9番【玖理羽蝶華】の母親である玖理羽茉莉まつりだ。

「舞衣、貴女は最高で素晴らしい。と、同時に史上最低で最悪だわ。」

 茉莉はそういって、ピカピカのハイヒールを光らせ、舞衣を見下ろした。

「茉莉、そんなこといわないで。」

 そういって茉莉を制したのは、傍でまったりと分厚い座布団に座っていた原初の魔法少女である10番の【上拾石かみじっこくすみれ】であった。

 菫は顔が見えないように白い伏せ布を被っていた。舞衣はそれが死者に被せる打ち覆いに見えた。

「舞衣は一生懸命、みんなを助けるために考えてくれたのよ。」

 菫の声は優しくて、脳の隙間に入り込んでくるように甘い声だった。舞衣はそんな菫が苦手だった。菫と話すと心臓やら体中の器官を掴まれ、否応なく無理やり動かされてしまう。そんな、恐ろしさがあった。

「これは人権問題よ。魔法少女たちとの最初の契約に、クローン作製の許可は貰っていない。」

 茉莉は落ち着いた様子でそういうと、舞衣に視線を合わせるように少し屈んだ。

「貴女は勝手に彼女たちの感情のない肉人形、もといクローンを作成し、まるで道具かのように戦いの場に出撃させた。」

「…ぼくの勝手が無かったら、今頃アンタらは死んでたけどね。」

「そうね。それはどうもありがとう。けど貴女の勝手で、今この機関は社会的に死にそうなの。」

 茉莉はそういって、ピンっと舞衣にデコピンをした。舞衣はデコピンをされた額を抑え、立ち上がった茉莉を見上げた。

「信頼と責任の上で、私たちは自由に戦う権利を貰っているの。」

「私たち魔法少女の命を懸けるのが、自由だっていうの?」

「舞衣、本当にあなたには感謝してる。けど、どうしても処罰を与えなくてはいけない。」

「どんな。」

「…。」

 茉莉は黙り込み、自分の机から分厚い資料を取り出した。

「俗的には【】っていうのかしらね。」

 座布団の陰に隠れていたのか、大きな大正琴を菫ははじきだした。何の曲か舞衣には一瞬、わからなかったが、話している最中だというのに耳障りだと思った。

「舞衣、自分のクローンは作れる?」

 茉莉はそういって、振り返った。舞衣は拍子抜けして「できるよ、手順は一緒だから。」と言った。その答えを聞いて茉莉は頷いた。

「魔法少女たちを守るため、貴女にクローンの作成を命じます。全員分、できる限り。オリジナルの肉体は機関で厳重に管理、保管を行います。」

 一息に茉莉は言うと、一枚の誓約書を舞衣に手渡し腕の拘束具を外した。そこには『クローン作製における責任及び管理の命』と記されていた。舞衣は乱雑に一筆サインをし、茉莉に契約書を返した。

「貴女はこれから、戦闘ではなく機関内で研究を行ってもらいます。より安全で完全な、クローン研究です。そして、貴女の予知能力は、ひどく危険だわ。それもこちらで管理させてもらいます。」

 茉莉は舞衣のサインを確認すると、舞衣に再び拘束具をつけた。

 菫の弾く曲の名前を舞衣は必死に思い起こそうとしていた。それが『ゆりかごのうた』だと気が付いたころ、舞衣は研究員たちに引きずられエレベーターで地下に降りている最中だった。

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