EP3 魔法少女は落ち込まない
7番目の魔法少女である
宙人のいる結界内は無数の羽虫が飛び回り、ひどい腐乱臭に包まれている。
ここは梅雨の作った結界で、梅雨の趣味からシンプルだけどごてついたインテリアが多い。
レースのカーテンが入り口近くには施され、結界に入ってすぐには観客席のようなバルコニーがいくつも用意されていた。サーカスのような大きなステージが暗闇の結界中心に鎮座しており、ライトアップされていた。そのステージの真ん中には数メートルはある巨大な人の形らしき肉塊、もとい宙人が鎮座している。
「もうちょっと上手に人間のマネできないのかしら?」
と、梅雨はため息交じりに敵の姿を観察した。腐りかけの細い肉が頭部らしき塊にぶら下がって揺れている。毛髪と思われたそれは赤黒く変色している細長い腕のようだった。梅雨はつやのある黒髪を高い位置でぎゅっと縛りなおした。お気に入りの大きな赤いリボンがポニーテールの根元で柔らかそうに揺れる。
「大抵どの個体にもレースが巻きついているけど、あれって何なんだろうね。」
いつのまにか一人、少女が梅雨の隣に立っていた。にこにことした表情で梅雨に話しかけてくる。梅雨は顔色一つ変えずに少女の顔を見る。少女は中性的で整った顔立ちをしており、腰まで伸ばした淡い青緑の髪を低い位置で結び、ターバンのように垂らしている。
「理衣奈…、移動が早いよ…!」
青緑色の少女に続いて、黄色い髪の少女と橙色の髪をした少女がやってきた。黄色い髪の少女は息を切らしながら理衣奈に文句をつけ、走り寄る。
漆咲梅雨、
自分以外3人の顔を梅雨は確認すると「よし、集まったね!作成会議はじめるよ!集合!集合!」と、大きな声をあげた。
「いや、もう集まってるし。」
と、息切れしていた少女が言った。淡い檸檬色の髪を高い位置から二つ、編み込みにしておさげのように垂らしている。緑がかった瞳がぎろりと梅雨を睨む。
梅雨は千羽耶の視線なんて全く持って気にしてないようで、にこにこと少女に笑いかけた。
「点呼!弐月千羽耶!」
突然梅雨が大きな声で点呼を取り出すと、先ほどまでは梅雨を睨みつけていた檸檬色の髪をした少女、千羽耶は渋々と手をあげた。一応対応してやらないと、梅雨はうるさいのだ。
「なんで梅雨が点呼とるの?」
と、不満げに千羽耶は腕を組み、足で小刻みにリズムをとるようにして苛立ちを表した。2番を背負う魔法少女である弐月千羽耶は、大きな瞳が特徴的な少女で、黄色と黒を基調とした戦闘服を着ていた。まるで蜂のような色合いだが、服のデザインで特徴的なのはイギリス兵のような長めの帽子で、マーチでも始まるかのようなかわいらしい帽子をかぶっている。
「参納多満緒!」
千羽耶の後ろに隠れるようにしていた橙色の髪をした少女が、梅雨の点呼を聞いてひょっこりと顔出し、おびえた様子でおずおずと挙手する。
緩いウェーブがかった橙色の髪はボブほどの長さで肩までおろしており、みつあみを施したハーフアップにきっちりとまとめている。多摩緒は3番を背負う魔法少女だ。森ガールのようにボリュームのあるエプロンドレスを身にまとっており、長めのスカートが床に擦ってしまわないよう、時折裾を気にする素振りを見せていた。
「はい、伍藤理衣奈です。」
にこにこと先ほど一番乗りに結界に入ってきた淡い青緑色の髪の少女が、自分から挙手し自己紹介をした。
理衣奈は5番を背負う魔法少女で、とても物腰柔らかな少女だ。中性的だが睫毛が長く、とても端正な顔立ちだった。ボブぐらいの長さの髪にみえるが、後ろ髪だけひょろりと腰程までに長く伸びている。こめかみあたりにピンクの花のバレッタを左右それぞれにつけており理衣奈はバレッタの位置が気になるのかちょいちょいバレッタをいじった。少し透けているくたびれた黒色のコートを羽織っており、短めのデニムのパンツをはいていた。儚げな顔立ちとは反対にボーイッシュな印象を受ける服装だ。
「あー!もう理衣奈ってば!今日は梅雨がリーダーなのに!」
点呼前に手を挙げたのが気に食わなかったのか、梅雨は声をあらげ、理衣奈の挙手した手をぐぐっと無理やり押し下げた。理衣奈はにこにことした表情のままだが、なかなか手を下げようとしない。
「なんで梅雨がリーダーなのよ。」
と、千羽耶が声をあげ、じぃっと梅雨をにらんでいる。千羽耶は平等を愛しているので、縦割り、というものがとても嫌いなのだ。
「梅雨が一番にここ来たんだもん。」
梅雨は鼻高々に言った。エヘンとでもいうように腰に手をあて、鼻を高くした。
「アンタは結界を作ってるんだから、場所の認知も早いし私たちの誰よりも早いのはあたりまえでしょうに…。」
千羽耶はそう言って、ため息をついた。
魔法少女の中には結界を作れる特徴を持っている子が複数人おり、その中の一人が梅雨である。結界と言う名の別空間を召還するという異能力で、この能力だけは幾人かの魔法少女が使用できる。結界内はそれぞれの魔法少女の趣味や好みで出来上がるため、誰の結界かは一目でわかる。
街中で戦うよりも外への被害を最小限にできるので、どの襲撃にも結界を発生させることのできる魔法少女は招集され、機関にも重宝されている大切な能力なのだ。ちなみに梅雨以外には、壱湖と蝶華が結界を張ることが可能だとわかっている。
「誰がリーダーでもいいんだけど。まずはあの子をどうにかしないとね。」
理衣奈は飄々と肉塊を指さした。肉塊はその場でうごめいているが、こちらに攻撃をしてくる素振りは今のところないようだ。
「理衣奈ちゃん…。今回の子、いつもより大きくない?」
多満緒の声は少し震えていて、理衣奈の陰に隠れるようにして敵を見た。宙人はいつも通り肉塊のような見た目をしているものの、溶けた人体のような形をしていた。人間の首や腰のようにくびれている部分がある。
宙人はうごめきながら辺りをうかがっているようだった。頭部の皮膚、隙間隙間からは眼球が覗いており、あちこちをギョロギョロと何かを探るように動いている。眼球の数に反して視力はそこまでよくないらしく、いまだ魔法少女たちを視認できていないようだった。
「案外育っちゃってるね。ほら、頭と胴体がくびれて…人の形に近付いてるみたい。」
理衣奈はにこにことした表情を崩さず、宙人を分析しているようだった。
「じゃあ今日も、私と多摩緒が後方支援。梅雨は先陣切ってもらって、千羽耶は梅雨に続いて敵の後方から攻めちゃって。」
ちゃかちゃかと理衣奈が指示を出すと、梅雨と千羽耶が敵に向かって飛ぶ。機関から支給されている”
「今日は梅雨がリーダーだったのになぁ。…ね、理衣奈ってリーダーの素質あるよね。」
と、梅雨は不満げに腕を組み、頭を傾げる。理衣奈の冷静で適正な指示には梅雨もいつも助けられているのだ。
「アンタはいっっっつも雰囲気で乗り切っちゃうんだから、向いてないでしょ。リーダーなんて。」
千羽耶はやれやれといった様子で、「気を付けなさいよね。」と、梅雨に声をかけたかと思うとまるで羽でも生えているかのように旋回しながら移動し、敵後方へ回っていった。
梅雨たちの後方から銃弾が大量に発射された。理衣奈が大量のライフルをバルコニーに設置し、同時に発射させたのだ。理衣奈の能力は無限に武具を生み出す能力と、自分の"手"を使わなくても道具を使用することができる能力で、自分の設置した銃器を遠方から操作することができる。
その横で多摩緒は、自分カラーである橙色をしたスナイパーライフルのスコープを覗いていた。多摩緒は一つ一つ確実に、ギョロギョロと動く宙人の目玉を撃ち落としていた。多摩緒は目が非常に良く、どんな状況のどんな銃撃でも絶対に百発百中である。しかし本人はその能力は周りと比べると地味であり、あまり良い能力とは思っておらず、他の魔法少女に比べて派手な活躍がないのをひどく気にしていた。
理衣奈と多摩緒が放った全ての銃弾は梅雨を避け、宙人の肉にへと埋まっていく。梅雨の特異能力である"幸運"は自分に害を加えるものが自分を避けるラッキーセブンの名に恥じぬ特異能力だ。仲間の銃弾はまるで自分を避けるような軌道を描き、まっすぐに宙人へと刺さる。
宙人の眼前にやってきた梅雨は、違和感を覚えた。
いつも対峙する宙人は、銃弾をいくつか受けると身をよじらせ多少はひるむのだが、今日の敵は特に何も反応がないようだった。何十発もの銃弾をもう全身に浴び切っているはずなのに一度も身一つ捩らないのはおかしいと思ったが、とりあえず宙人を腹部あたりを自分の持つ刀で切った。自分よりも数倍のサイズをした肉の塊だった。梅雨は、宙人の身体中腹から生えていた細い腕が邪魔だとそれも切った。
すると、それぞれの切り口からぼとぼとと無数の丸い、まるで人の頭のような肉がゴロゴロと零れ落ちてきた。まんまるの肉だが牙の生えた口のようなものがついており、大量の目玉が生えていた。梅雨は落ちてきた頭を慌ててつぶしたが、20から30程の数があり、つぶし損ねたものもあった。
梅雨は一度退避しようと宙人の体を蹴り、後方に控える理衣奈たちの元へ戻ろうした。しかし、踏んだ肉周辺から一気に無数の小さい腕が大量に生えてきて、梅雨のつま先から足首までを逃がすまいとつかんできた。
梅雨を内側に取り込もうとするような不可解な動きをとる腕をはひどく不気味だった。梅雨は無限に生えまくってくる腕を何本も何本も切ったが、数があまりにも多く、すべてを一気に切り離し、解放されることは難しかった。
一方、背後に回った千羽耶は、愕然としていた。
千羽耶は透視能力を持ち合わせており、敵の背面から宙人の体内をみた。中には大量の少女らしき人間の首と、真ん中には胎児のように丸まった少女…のような風貌の宙人が埋まっていた。黒い紐状のレースで体をぐるぐる巻きにされた脂肪は、宙人が動くたびにぶよぶよと揺れ、内部の状態は水槽のように歪んで見えた。
千羽耶の武器はレイピアだ。一点に狙いを定めてコアを突いたり、コア近くを突きひるませて他の魔法少女へゆだねる戦い方が主だ。正直、この宙人に彼女の武器は通用しそうになかった。コアであろう部分は胎児状の少女だと思われるが、脂肪に包まれて身体深くに埋まっており、到底千羽耶のレイピアが届くようには思えなかった。
足の3割ほどが埋まったあたりで、梅雨は自分の足にまとわりつく肉腕を周りからごっそりえぐりおとした。思いのほか足先にまとわりつく肉腕は切り離したと同時に簡単にはずれたが、想像通り、抉り取った穴からぼとぼとと複数個の丸い頭部が落ちてきた。
先ほどつぶしたものよりもより頭に近い形になっており、顔面のパーツがそろっているものや、目の数が異様なもの、鋭利な牙の生えた口がいくつもついているものなど様々であった。
その中のいくつかには頭部側面から小さな腕が生えており、ずりずりと這いずり動いていた。梅雨は出てきた頭をとりあえず追いかけ、つぶして回った。
後方組の二人も、今回対峙した宙人に違和感を感じていた。銃弾を何発も何発も打ち込んでいるはずなのに敵が全く怯む様子がない。今までの戦いの流れであれば、銃弾をいくつか打ち込めば、相手が怯み、そこそこに動きが封じられ、近接の魔法少女がコアを破壊する。というものだった。
コアとは言っているが、基本的には心臓のような硬い臓器が宙人の真ん中にあり、それは濃いピンクや紫色をした宝石のような見た目のものだ。宙人はそれを破壊さえすれば動きが停止し、死亡する。
後方組は敵と1キロ程度離れていたが、完全に近接組の挙動がおかしかった。梅雨は敵に触れないようにあたりを飛び回っているようだし、コア崩し担当の千羽耶は後方に回ってからめっきり出てこない。
「理衣奈ちゃん…。あれ、なに。」
多摩緒にはしっかりと腕の生えた生首が見えてきた。うごうごと地面を這い、梅雨に食らいつかんと飛び回っているようだった。
「たいへん…、いつものアイツらじゃない…!」
「多摩緒、落ち着いて。とりあえず応援を呼んで。」
わたわたと多摩緒は小型の通信機を取り出した。多摩緒の髪色と同じ色の、花の形をしたコンパクト型の通信機だった。
「私たちは神に愛されてる。だから絶対に負けない。」
理衣奈は肉塊をじっと見つめた。頭部から垂れている毛髪を模した細い腕が、蠢いている。その腕は少しずつ伸び、梅雨に向かっているようだった。多分、背後に回っている千羽耶にも近寄っているだろう。
理衣奈の想像通り、梅雨と千羽耶は頭上から振ってくる腕にも困憊していた。足元には無数の首が這いずりまわり、頭上から無数の細長い腕がつかみかかってくる。後方へ戻ろうにも地面にひしめく溢れんばかりの頭部たちが道をふさぎ、なかなか理衣奈たちの元に戻ることができずにいた。
梅雨が開けた宙人の身体に空いた大きめの穴から、生きた生首がほぼ永遠とも思えるほど生み出されており、つぶしてもつぶしてもなかなか減ることがなかった。
千羽耶に関しては生首をつぶすほどの腕力もなく、ただひたすら生首と腕につかまれぬよう逃げ回っていた。梅雨と合流しようにも足元に転げまわる首が邪魔でなかなか移動できず、合流することすら叶わなかった。
理衣奈は援護射撃を延々と行っていた。後方からは上から伸びる腕と這いずりまわる生首をいくつか銃撃でつぶしていたがどれもわずかで、産まれてくる数のほうが大きく上回っており、全くもってきりがなかった。
「理衣奈ちゃん!機関に連絡とれた…!いまから戦闘特化の忌み数をこっちに送ってくれるって!」
多摩緒は振り向いたとき、視界に違和感を感じた。理衣奈の後ろ、宙人のあたりに変に赤い点があるのだ。それはすごくわずかな部分で、多摩緒の超視力を持った瞳でなければ見落としてしまうような赤色であった。
宙人の身体を流れる血、らしき液体は赤ではなく、濃いピンクや淡い紫のような色だ。そのため、多摩緒の見た赤色は人間の血だと思われた。
「理衣奈ちゃん、だれか怪我した…。」
それを聞いた理衣奈は祈るようにぎゅっと目を瞑り、静かに手を結ぶように組んで、宙人に向かって跪いていた。
「多摩緒、私たちは選ばれし子ども。だから、だから大丈夫。」
理衣奈の声は本当に冷静で、戦闘の場でなければここをチャペルと見間違うほどの落ち着きようだった。
機関と連絡をとってからしばらくたった、5分程だろうか。結界の入り口である扉から、優しい風が吹いた。理衣奈は耳元に優しくて甘い香りのする風が吹いたのを感じ、すぐ目を開けたときには目の前はピンクと紫のペンキをぶちまけたかのようだった。
多摩緒が瞬きをしている間に、視界がピンク色で埋め尽くされていた。先ほどまで魔法少女4人がかりであんなにも苦戦していた敵が、一瞬のうちにぐちゃぐちゃにつぶれて動かなくなっていた。
潰れて破裂でもしたかのような宙人の真ん中には、ピンク色の少女が立っていた。
「…しほり?」
梅雨は肩口を食い破られており、地面に蹲っていた。自分に向かって頭部たちがとびかかってきた瞬間に、反射的に目を瞑り、死を覚悟してしまった。
「梅雨…ちゃん、…怪我ない?」
しほりの手にはピンク色に染まった頭部がぶら下がっていた。まるで苺でも潰すかのように簡単に、しほりはその頭を握りつぶせるのだろう。
「…ハンッ…。ほんとアンタって、…化け物みたい。」
梅雨は傷口を抑えながらよろよろと立ち上がった。そして助けに来たしほりを横目に、生首に食い破られたのか腹部が裂け、うつぶせに倒れている千羽耶を担ぎ、しほりの方を振り返ることなく理衣奈たちのもとへ戻った。
しほりは去っていく梅雨の背中を見つめていた。そしてしほりは宙人の脂肪の中、体内に蹲るように収納されていた小さな少女の頭部をまだ握っていた。まだかすかに脈打ちっていて、何かを話しているようにもぞもぞと声のような音を発していた。
「本当にかわいそう。」
しほりは、宙人に言ったのか、自分に言ったのかわからないほど小声でそういった。しほりが少し手に力を入れたら、一瞬に少女の頭部はつぶれ本当にただの肉の塊になってしまった。
すぐに千羽耶は病院へ運ばれ、結界に残された者たちは茫然としていた。機関の人間が敵の検体をとりにきたときには、みんなが心配する声や感謝する声をかけてきた。そんなやり取りを横目に、しほりはさっさと結界から出ていき帰ってしまった。梅雨はそんなしほりを恨めしそうに睨んだ。
最初に招集された4人のメンバーにとっては、ひどく自信を失う戦いであった。
しかしながら、「自分たち以外に”アレ”と戦うことは不可能である。」ということを改めて魔法少女たちは感じていた。多摩緒はずっと泣いていて「怖かった。」と、漏らした。理衣奈は微笑みながら多摩緒の頭をなでている。
「今日みたいな敵が、もしも、街中に表れて大暴れなんかしたら、人間なんて、みんなみんな死んじゃうよね。」
梅雨は口をとがらせて、拗ねたように言った。
「そう、だから私たち魔法少女は、人類のために戦うのよ。」
理衣奈は表情を全く崩すことはなかった。
「だから多摩緒ももう泣かないで、私たちは誇りになる、素晴らしい仕事についているのよ。」
――戦闘が終わってから数日後、軽傷で済んだ魔法少女たち3人は機関の中庭にある礼拝堂へやってきていた。中庭全体は植物園のような作りになっており、大きなガラス張りの高い天井が特徴的で、万年咲き誇る温室の花々に隠れるよう、中央に小さな礼拝堂がある。
理衣奈は温室で育ち伸びきっている柔い花々を優しくかきわけ、まっすぐ礼拝堂へと入った。礼拝堂奥につるしてある大きなモニュメントに向かって跪き、祈りをささげた。モニュメントは大きなクロスの形状をしており、そのクロスの真ん中に真っ赤なリボンが巻き付き結ばれている。
「神様、みんな無事に帰ってこられました。いつも見守っていただき、ありがとうございます。」
理衣奈はとても信心深く、戦いの前後は礼拝堂で神にいつも祈りをささげている。この礼拝堂は魔法少女を加護する"女神"を祀っており、基本的に魔法少女以外は機関のものでも出入りは少ない。戦闘の後や、何もない日の明け方など、信心深い魔法少女たちの中にはここに足繁く通う者も多かった。
機関の敷地内のど真ん中に位置するこの礼拝堂は、真ん中にあるにもかかわらずとてもひっそりしていて理衣奈にとってお気に入りの場所であった。礼拝堂の奥に設置されているレトロで大きなアップライトピアノに、多摩緒は優しく触れ『きらきらぼし』を演奏していた。
「…千羽耶ちゃん、大丈夫だったかな。」
多摩緒は少し、うつむき加減で言った。千羽耶の腹の怪我を思い出すと身震いをする思いだった。腹が裂けるだけでなく、中身も露出していたからだ。
「機関の医療部の人たちは「回復傾向にある。」って言っていたわ。」
理衣奈は微笑みながら多摩緒のそばにより、優しく肩を抱いた。多摩緒は理衣奈の肩に頭を預け『きらきらぼし』を演奏し続けている。
「内臓、でてたわ。お腹、食い破られて。呼吸も、脈拍もひどく浅かった。」
梅雨は礼拝堂内のベンチに座って、ステンドグラスを眺めながら言った。少し声は震えている。梅雨も肩口を食い破られたものの見た目ほど傷は深くなく、包帯に巻かれてはいるものの入院は必要なかった。戦闘した日のうちに帰宅することが許された。
「…私、何にも助けになれなかった。」
多摩緒の目にはうるうると涙がたまっており、いまにも零れ落ちそうだった。3人共、千羽耶の怪我は致命的なものであると感じていた。しかし、今回復しているという機関の言葉を信じる以外になかった。
「…ねえ、昨日のテレビ見た?」
梅雨はいつもの明るい調子で2人に聞いた。さっきまでの震えた声とは違い、少しおどけたような声だった。
「私の部屋、テレビ撤去しちゃったの。」
理衣奈はにこにことした表情のまま話した。
「理衣奈は本当にミニマリストだね~。」
けらけらと梅雨は返事をし、話を続けた。
「この前の宙人、今までの中でも最大規模のサイズの大物だったんだって。それを退治してくれた魔法少女4人に感謝…ってさ。」
はじめに戦闘に招集された4人がテレビに映され、感謝の声や労りの声がニュースになっていたらしい。…倒した張本人であるしほりは全くテレビには映らなかった。礼拝堂の天井に設置されたシャンデリアがキラキラと反射して、梅雨の顔をちらちらと照らした。
「…あたしら、そんな感謝されるようなこと、したかな。」
梅雨はそういって、礼拝堂内に生え始めて、ベンチを包むようにツタを伸ばし始めている花を一本むしった。梅雨の眼もとはうるんでいるように見えたが、それがシャンデリアの反射なのかどうか、理衣奈にも多摩緒にも判別がつかなかった。
理衣奈は、先ほどまで微笑むように弧を描いていた口をぎゅっと一文字に結んだ。
「…あの場に立てたのは私たちだけよ。」
理衣奈の声と、多摩緒の弾くきらきらぼしが礼拝堂内に響き渡る。多摩緒はすこしづつ単調なきらきらぼしから、変奏曲に変化させているようだった。
「アナタが結界を張って、私たちが相手の力を確認して。…結果、魔法少女みんなで倒した。違う?」
理衣奈の声は落ち着いて聞こえたが、少しだけ切羽詰まっていた。その声を聞いた梅雨は一つため息をついて、うつむいた。みんな、自分たちの存在に疑問を持っているのだ。
「…尊い仕事だよねえ。あたしたちって。」
「梅雨ちゃん、私たちはね。魔法少女なんだよ。」
理衣奈は目を瞑り、優しく話した。礼拝堂には優しいピアノの音だけが響く。
「今この世界で、人類みんな、私たちに頼るしかないの。私たち、地球の最後の要なの。」
魔法少女たちは今、この日本で重宝され、優遇されている。
国民みんな、国の作った大きなマンションに入り、一定の給付をもらい、食べ物も基本は配給、スーパーには値段の高騰した食材が売され、外出も制限のある暮らしをしている。
魔法少女たちはというと、機関から少し離れた小高い土地に、真新しいデザイナーズマンションが用意されている。機関の近くには農園があり、そこから無料で食べ物も提供され、どこのお店もほぼ無料で利用できる。外出も自由で、生活自体に制限もほとんどなく暮らしている。戦闘以外の面では何も不自由のない暮らしを送っている。
命を失うかもしれない戦闘に駆り出されるという点では、他の国民の倍以上の苦痛を伴っているのかもしれない。しかし、街中で魔法少女たちの顔を見たら国民みんなが感謝の言葉を口にし、大切に扱ってくれるひとばかりではない。中には恨みつらみをもつものも存在しているのだ。
例え幾人に恨まれたとしても、感謝してくれる一人でもいるそんな毎日に、魔法少女みんな感謝をして、生きなければならないのだった。
多摩緒は声も出さず、静かに泣いていた。『きらきらぼし』のテンポは弾き始めに比べるとだんだんと崩れていたが、多摩緒は弾き続けていた。
「私たち、たくさんの感謝をみんなからもらって生きているの。だからそれを少しずつでも返していかないとね。」
理衣奈は優しく微笑んだ。よくよくみれば、理衣奈の目の周りは少しだけ赤く、腫れていた。梅雨はきっと戦闘の後、テレビのない部屋で泣いたのだろう、と思った。
「私のラッキーが、もっともっと…。地球規模だったらなぁ。」
梅雨の独り言は、礼拝堂に響く変調したきらきらぼしに飲まれて消えていった。
大きなシャンデリアだけが礼拝堂では何も知らないでぎらぎらと光っていた。
EP3 了
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