借り物競走(過去編)ー①

 中学一年生。十月中頃。

 その日は、体育祭が開催されていた。


 雲一つない快晴。グラウンドには活気づいた声が盛んに飛び交っている。


「涼太くんの出番って、この次ですよね? 準備しなくて大丈夫ですか?」


 教室から運んできた椅子に座りながら百メートル走を眺めていると、右隣から声を掛けられる。


 幼馴染の日比谷は、こてんと首を傾げながら俺と目を合わせてきた。


「あぁ、うん……。そろそろするよ」

「浮かない顔ですね」

「借り物競走なんて外れクジ引いたら、誰でもこうなる」

「大丈夫ですって。私、涼太くんのために色々と物を用意しときましたから。私の元に来てくれれば、大抵のものは提供できます」


 両手で拳を作り、自信満々な様子。

 その気持ちだけで十分、心は軽くなるけど。


「ありがと。でも、万に一つ目当てのものが見つからなかったらと思うと……」

「そのときは私も一緒に探しますから安心してください」

「それは反則じゃないかな……」

「すでに涼太くんの為に色々用意してるので、今更です。なので大船に乗ったつもりでいてください」


 トンッと自らの胸を叩き、ふわりと微笑む日比谷。


 あどけなさを孕んだその笑顔は、直視するのが難しい破壊力だった。


「お、おう。助かるよ」

「はい。……あ、そういえば美咲ちゃん来てましたよ」

「そうなの? 来るなんて言ってなかったけどな」

「さっき校門のあたりで見かけたんです。声掛けようかと思ったんですけど、人混みがすごくて見失ってしまって」


 今日は俺の両親ともに用事があって、体育祭には来ていない。来られても嫌だけど……。


 美咲が単独で来ることは可能だけれど、そういった話は俺の耳に入ってきていなかった。


 キョロキョロあたりを見渡す。さすがに人が多すぎて探せそうにないな……。

 と、思った矢先だった。


「わたしが来たらダメなの? お兄」


 声のした方向に振り返る。

 そこには、腰に手をつき唇を前に尖らせた美咲がいた。


「や、ダメって事はないけど、来るなら来るって一言くらい」

「それならお兄こそ、今日が体育祭ってことちゃんと伝えといてよね。休日なのに、お兄も沙由姉さゆねえもいないから、普通にやることないし」


 不貞腐れたようにそっぽを向きながら、可愛いことを言ってくる。


 日比谷はふわりと微笑むと、美咲の身体に引っ付いた。


「相変わらず寂しがり屋さんですね、美咲ちゃんは。よしよし」

「な、撫でないでよ! てか引っ付かないで!」

「この後、ちょうど涼太くんの出番なんです。一緒に応援しましょっか」

「ふーん。ま、暇つぶしに見てあげても──って、いい加減離れろ!」


 日比谷から距離を取ろうと悪戦苦闘する美咲。

 頬は上気して、息が切れている。そんな美咲にお構いなしに、沙由はベッタリと密着したまま。


「美咲ちゃん、ハグポイントって知ってますか?」

「知るか。てか、ホントに鬱陶しいんだけど!」

「ハグポイントを貯めると、日々のストレスが減少するんです。要するに私が美咲ちゃんにベタベタするのは、健康のためなんです」

「私の健康は害されてるけどね!」

「本当に嫌ですか? 私にベタベタされるの」

「べ、別に本気で嫌ってわけじゃ……」


 美咲は頬を桜色に染めると、照れ隠しするみたいに頬をポリポリと掻く。

 そんな美咲を前にして、日比谷は頬をだらしなく緩めると。


「えへへ、大好きですよ美咲ちゃん」

「こ、小っ恥ずかしいこと言わないでよ、沙由姉」


 一層頬を赤らめる美咲を横目に、俺はすっくと席を立ち上がる。

 そろそろ行かないと、競技に遅れそうだな。


「じゃ、俺、行ってくるから」

「はい。いってらっしゃい、涼太くん」


 美咲はチラリと俺に目を向けると。


「が、頑張ってね。お兄」

「おう」


 さて、妹にも応援してもらったし、気合を入れるとしよう。

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