カノジョと妹が俺を取り合っている件
ある日のこと。
我が家のリビングは、いつになく騒がしく声が飛び交っていた。
「ですから、涼太くんは私と二人きりで温泉旅行に行くんです。知らない土地を観光して、美味しいご飯を食べて、一緒の温泉に入ってイチャイチャするんです!」
「男女で一泊二日とか爛れてるから。そんなの認めるわけにはいかない! どーせ行くなら、わたしがお兄と行った方が健全でしょ!」
「それを言ったら、美咲ちゃんだって、男女で一泊ってことになるじゃないですか」
「お兄が、妹のわたしに手を出してくると思うわけ?」
「そ、それはあり得ないですけど。……というか涼太くんの場合、私に手を出してくれるかも微妙なとこというか……」
ダイニングテーブルを挟んで、沙由と美咲が言い争いをしている。
どちらが俺と旅行に行くかで揉めている。
「やっぱ、あわよくばお兄とああいうことしようとしてるんだ?」
「ああいうこと? ああいうことってなんですか? 私が、涼太くんと何をしたいと思ってるんですか?」
「そ、それは、だから、えっと……会話の流れでわかるでしょ?」
「すみません。私、頭が良くないのでわかりません。ちゃんと答えてもらっていいですか?」
「……っ。ほんっとムカつく!」
「こっちのセリフです。美咲ちゃんとだけは何がなんでも一緒に温泉旅行には行ってあげません」
「こっちから願い下げだから!」
バチバチと視線で火花を散らしながら、歪み合う両名。
このように、沙由と美咲は犬猿の仲なのだ。
よって、仲良く一緒に温泉旅行に行くことは出来そうになかった。
「お前ら、もう少し仲良くはできそうにない……?」
洗い物をしながら横槍を入れる俺。
沙由はムッと唇を尖らせると、
「涼太くんがハッキリしないのもいけないですからね」
「あ、それわたしも思ってた!」
美咲が沙由の意見に同調する。
矛先が俺に向いてきた。
「な、なんだよ。いきなり……」
射抜くような鋭い視線を受けて、俺の背筋に寒いものが通り過ぎていく。
「とにかく、温泉旅行には私と涼太くんの二人で行きますから。美咲ちゃんにはお土産を買ってきてあげるので、それで満足してください」
「そんなんで満足できないし。わたしがお兄と行くから!」
「筋が通っていないことに気づいてください。元々、私が手に入れた温泉旅行券なんですから。美咲ちゃんは関係ないです」
「じゃあわたしが相場の倍の値段で買い取ってあげる。それでいーでしょ?」
「そういう問題じゃないです!」
言い争いが加熱していく中、美咲はふと何かを思い出したように席を立った。
「……あっ、てか、やば!」
焦燥感たっぷりに目の色を変える。
「どうかしたのか?」
「友達と映画見る予定なの忘れてた。わたしもう行くけど、その温泉旅行、勝手に行ったらダメだからね!」
慌ただしく荷物を手繰り寄せる美咲。駆け足でリビングを後にした。
俺と沙由の二人きりになる。
「まったく、騒がしい人ですね。美咲ちゃんは」
「まぁ、沙由も大概な気がするけど」
「そうですかね。というか、温泉旅行には私と行くんですからね。ちゃんと、『なんでも言うコト聞く券』を使ってるんですから」
「うっ……。今から別の要求に変えてくれたりは」
「変えません♡」
そう。
「一緒に温泉旅行に行ってください」と券を使ってお願いされている。
だが、その結果、美咲を蔑ろにするのは避けたいところだ。二人が納得できるいい案があればいいんだけど。
俺が引き続き洗い物を続ける中、沙由は顎先に指を置き天井を見上げる。数秒一人で考え込んだあとで、こちらに視線を配ってきた。
「涼太くん」
「ん?」
「キスしますか?」
「ご、ごほっ、こほっ」
「大丈夫ですか? 涼太くん」
「あ、ああ……平気平気」
むせ込んでしまう俺。
ちょうど洗い物を終えたのでタオルで水気を切ると、冷蔵庫からお茶を取り出し喉をうるおす。
「あ、お疲れ様です。洗い物ありがとうございました」
「ん。沙由もなにか飲み物いる?」
「じゃあ、オレンジジュースを」
「了解」
俺はコップにオレンジジュースを注ぐと、ダイニングテーブルまで持っていく。
さっきまで美咲が座っていた席に腰を下ろした。
「ありがとうございます」
「あ、そうだ。そろそろ卵切れそうだったから、今度買いに──」
「話、逸らそうとしてますか?」
「…………」
ふわりと微笑みながら、鋭く指摘を飛ばす沙由。
俺はさーっと視線を斜め右にズラすと、
「な、なんのことかな」
「キス、してください」
沙由はすかさず俺と目を合わせて、甘えたような声色でお願いしてくる。
相変わらず、ヘタレの俺に容赦がなさすぎる……。
「い、いやなんというか、それは俺のキャパを過剰に超えてる的な……」
「私は、涼太くんの彼女ですよね?」
「え、ああ、そうだよ」
「その彼女が、キスをせがんでるんです。そういうとき、彼氏はどうするべきだと思いますか?」
沙由は俺の隣に移動してくる。
肩がぶつかるくらい至近距離に迫ると、上目遣いで俺を捉えながら、そんな問題を出してきた。
「え、えっと、キスするべきだと思います……」
「じゃあ、お願いしますね」
沙由は明るく笑みを作ると、まぶたをそっと落とす。
無防備な顔面をさらしてきた。
白い肌。柔らかそうな薄桃色の唇。長く伸びたまつ毛は若干、カールしていた。ごくり、と生唾を飲み込む俺。
こうなった以上、覚悟を決めるべきだ。
俺はそっと沙由の肩に手を置く。
ゆっくりと顔を近づけていき、鼻息がかかる距離まで迫った──その時だった。
「へぇ。わたしがいないと、そういうことするんだ?」
──猫騙しを食らったような、頭が真っ白になる感覚が俺を襲う。
沙由はパチリと目を開くと、右斜め後ろに視線を向けた。
「相変わらず間の悪い人ですね……。良いところだったのに」
肩を落として重たく息を吐く沙由。
その様子が癪に触ったのか、美咲の頬が斜めに引き攣った。
「こっちのセリフだから。二人して盛っててバッカみたい」
「お友達と映画を見に行くんじゃなかったんですか?」
「スマホ忘れたから取りに戻っただけ」
美咲はただでさえ猫っぽい目を吊り上げると、俺たちを睨みつけてくる。
テーブルの上に放置されていたスマホをすくい上げて、ポケットにしまった。
「あ、えっと、これはだな……」
「いいよ、言い訳なんかしなくて」
「は? そんなこと言ってないだろ」
「……結局、お兄はわたしなんかどうだっていいんだ」
美咲は声にもならない声で何かを呟くと、そのまま逃げるようにリビングを出て行った。
美咲がいなくなり、再び二人きりになるリビング。
静謐な空気が、この部屋全体に蔓延していた。
「涼太くん。美咲ちゃんが今なんて言ったか、わかりました?」
「いや、聞き取れなかった」
ただ、少なくとも不満を口にしているのはわかった。
あれは美咲のクセなのだ。
聞き取れないような声量で、鬱憤をぶちまける。
こういう時の美咲は、ちょっと厄介だ。
それを沙由も理解しているから、美咲が口にした内容を気にしている。
「……私と涼太くんがお付き合いしていることがよっぽど気に喰わないのは間違いないでしょうね」
「だろうな。てか、どうしてそんなに仲悪いの?」
「性格が合わないんでしょうね」
「いや昔は仲良かっただろ。仲が悪くなるキッカケとかあったのか? いつもはぐらかされるから、釈然としないんだけど」
「美咲ちゃんがやたらと私に噛み付いてくるようになっただけですよ」
俺の立場からだと、どっちもどっちのように見えるが。
「……ただ、こうなったキッカケに心当たりが一つあります」
「心当たり?」
「借り物競走です」
「体育祭とかでやる、あの?」
「はい、あの借り物競走です」
今ひとつピンとこない。
……というか、借り物競走で記憶に残っている出来事は過去に一つだけだ。
恥ずかしい思い出ではあるから記憶の奥底に何重にも密閉して封じ込めていたが、沙由の発言をキッカケに記憶が湯水のように湧き上がってくる。
そう──あれは、中学一年生の頃だった。
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