喧嘩をしてみたい
温泉旅行まで、あと一週間ちょっと。
学校から帰り、特にすることがない俺は、リビングでまったりとした時間を過ごしていた。
ちなみに美咲はあれから顔を見せてきていない。温泉旅行には行かせないとか言っていたけれど、何か仕掛けてくる気なのだろうか。少し、不安である。
まぁ、俺個人としては温泉旅行には行かない方がよかったりするけどな。
いくら恋人同士とはいえ、一泊二日の旅行はやりすぎだと思う。同棲している立場でなに言ってんだという話だけど。
「涼太くん」
「ん?」
コーヒーで唇を湿らせていると、沙由が俺の名前を呼んできた。
「ふと思ったんですけど、私たちって全然喧嘩しないですよね」
「確かにしないな。喧嘩するくらいなら話し合いするし」
改めて振り返ってみるが、沙由と喧嘩をした記憶がほとんどない。
それこそ、過去の一回だけあったが、あれっきりだ。そういやあの時はどうして喧嘩したんだっけな……。
ともかく、何か衝突することがあっても、話し合いの場を設けてお互いが納得できる形にするのが俺たちだ。
当然、喧嘩するような事態には発展しづらい。
「それがどうかしたの? 喧嘩しない方がいい気がするんだけど」
「あ、それは私も同感です。ただ、少しだけしてみたさもあるんです」
「どうして?」
「私の友達が、この前、彼氏と喧嘩したみたいなんです。絶対別れるって豪語してたんですけど、仲直りしたみたいで、前よりも仲睦まじくなっているといいますか」
「えぇっと、つまり要約すると──」
「はい! 涼太くんともっとイチャイチャしたいので、そのために喧嘩という工程を挟んでみたいなってことです!」
俺は困ったように頬を歪めながら、首筋をポリポリと掻く。
相変わらず、突飛なことを言い出すカノジョである。
「故意に喧嘩しても、あんま意味ない気がするけど」
「そこはやってみないとわからないじゃないですか」
「まぁ、そうだけど」
「ダメですか? 涼太くんが嫌ならやめますけど」
沙由は両手の指先をくっ付けながら、俺の顔色を窺うようにチラリと視線を向けてくる。
俺はわずかに逡巡してから。
「沙由がやりたいなら付き合うけどさ」
「ありがとうございます、涼太くんが彼氏でよかったです」
「お、大袈裟だな……。そんな調子でどうやって喧嘩するんだよ」
「え、えっと、そうですね。じゃあ私が普段から涼太くんに対して思っていることをぶつけます。それに対して、反論してきてください」
なるほど。
口喧嘩を勃発させようということか。
普段から俺に対して思っていること。要は不満だろう。
これを聞くのは結構しんどそうだな……。ただ、良い機会でもある。
俺はごくりと生唾を飲み込んでから。
「わかった」
「じゃあいきますね。……えっと、ええっと……」
沙由は視線をキョロキョロと泳がしながら、言葉を探す。
そんなに言いにくいことなんだろうか。
俺の心拍が自然と早まっていく。
「俺に思ってることをそのまま言ってくれればいいから。別に、気を遣う必要ないし」
「そうですね、じゃあ言います」
「お、おう」
「大好きです! ずっと傍にいてください!」
ほんのりと頬を赤らめながら、沙由は思いの丈をそのままにぶつけてくる。
俺の顔まで赤くなってきた。
「い、いや、それじゃ喧嘩にならないって……」
「す、すみません。でも、なにか涼太くんに悪態つこうと思ったんですけど、なにも思いつかなくて。涼太くんに不満なところがないのがいけないんじゃないですか!」
「普通に照れるからそういうのやめて」
「えへへ、ホント私にとっての理想の旦那さんですよ」
「だ、旦那じゃないから」
「近い将来、そうさせてみせます」
「そ、そうですか」
「はい!」
すっかり甘ったるい空気がリビングを充満している。
どうして喧嘩をしようとしてこうなるんだか。
くそ、身体が燃えるように熱いな……。
「て、てか喧嘩するんだろ?」
「あ、そうでした。私が先行だと難しいので、涼太くんから始めてください」
「俺から沙由に対して思ってることを言えばいいの?」
「はい。私に気を遣うことないですからね。普段は言えないけど、実は不満に思ってることがあれば遠慮なく言ってください」
沙由は膝に手をつくと、居住まいを正して聞く耳を立てる。
沙由に対して不満、か。
いざ考えると、中々思いつかない。
可愛くて、スタイルも良くて、俺の話で笑ってくれて、家事炊事が万能で、積極的で、明るくて、いつも俺の傍にいてくれる。あれ? なにこの完璧な女の子。
「……特に思い付かない」
「じゃあ、涼太くんは私に不満ないってことですか?」
「ああ。俺には勿体ないくらいだよ、ほんと」
「……っ。それは私のセリフです。涼太くんより素敵な男性いませんから」
「い、言い過ぎ……」
「言い過ぎじゃないです。それにしても、私たちは喧嘩が不向きみたいですね」
「まぁ俺的にはその方がいいけどな。喧嘩したら口聞かない期間とか生まれちゃうだろうし、そういうの避けたいから」
「そうですね。喧嘩せずとも、もっと仲良くなる方法を考えた方が建設的です」
納得してくれたのか、沙由は微笑を湛える。
喧嘩をせずに済んで安心していると、沙由はテーブルに手をつき前のめりになって。
「じゃあ、取り敢えずキスしませんか? 身体的接触で、親密度を上げていきましょう」
「ご、ごほっ、こほっ! 取り敢えずでするもんじゃないと思う」
咳き込む俺。
沙由はむぅっと頬を膨らませると。
「いいじゃないですか。私は涼太くんとキスしたいんです」
俺の頬に熱が溜まっていく。
このグイグイくる性格は少しばかり穏やかになってほしいと思う俺だった。
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最高に可愛い沙由がみれます……!
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