風邪

「そういえば、美咲ちゃんの姿がないですね」


 時は流れ、美咲が友人宅に泊まりに行ってから翌日になっていた。

 キッチンで朝食の準備を進めていると、思い出したように沙由が美咲の所在について訊ねてきた。


「今更か。逆に今までよく気づかなかったな」

「だって美咲ちゃん神出鬼没というか、遊びに行ったりで家に居ない時間の方が多いじゃないですか。昨日もてっきりその口かと思ったんですけど」


 美咲は交友関係が広くて、フットワークが異常なまでに軽い。そのため旅行してない間も、家にいる時間は少ない。

 もはや家にいないのがデフォルトだから、昨日は気にならなかったのか。それで今朝も居ないから、ようやく所在を聞いてきたと。


「美咲は昨日から友達の家に泊まりに行ってるよ」

「そうなんですか。いつまでですか?」

「分かんないけど、しばらくは泊まるっぽかったな言い方的に」

「ということは、涼太くんと二人暮らしが再開ってことですよね?」


 沙由はパアッと目を輝かせ満面の笑みで、喜びをあらわにする。


「まぁそうなる、けど」

「やったぁ。これで思う存分イチャイチャできますねっ」

「思う存分はしなくていいから。てか、暇なら学校行く準備……」

「まだ大丈夫ですよ」


 沙由は俺の隣にやってくると、ピトッと肩を寄せてくる。

 彼女の体重が俺にかかり、甘い香りが周囲に舞った。


 このくらいの接触は、今に始まったことではないのに、やけに身体が熱い。


 ……? 


 見れば、沙由の顔が火照っていた。それは、照れや恥ずかしさからくるものではなかった。

 息遣いも少し荒い。俺は料理の手を止めると、沙由のおでこに手を伸ばす。


「……あつっ。熱出してるよ沙由」

「え、ほんとですか」

「あぁ多分……そこまで高熱ではないと思うけど」


 沙由をソファに座らせると、引き出しから体温計を取り出す。電源を入れて、沙由に手渡した。


「測って」

「……測ってください」

「え……俺が?」

「はい。なんだか身体が急に重くなってしまって」


 グッタリとした様子の沙由。腕を上げ、無駄毛一つない綺麗な脇が露見した。


 俺は邪念を必死に打ち消しながら、彼女の脇に体温計を差し出す。これだけちゃんと腕を上げられるなら、絶対自分一人で出来た気がするけど……。


 三十秒と経たずに体温を計り終えると、数値を確認する。


「三十八度一分か。まぁまぁあるな」

「そんなあったんですね。朝から多少怠くて、頭痛くて、立つのしんどいなとは思ってはいましたけど」

「それなら、もっと早く言って」

「余計な心配かけたくなくて……」

「悪化する方が心配する」

「すみません……でも悪化する前に、涼太くんが気づいてくれました」

「そ、そうだけど」

「頼りになりますね」


 頬を紅潮させ、視線をあさってに逸らす。

 コホンと咳払いすると、ソファから立ち上がって沙由に手を伸ばした。


「立てる?」

「なんとか」

「今ならお姫様抱っこで部屋まで運ぶコースがあるけど」

「ほんとですか。でも高くつきません?」

「恋人限定で、無料サービス中」

「やったぁ。じゃあ、お願いします」


 馬鹿みたいなやり取りをしつつ、俺は沙由を持ち上げると部屋まで運ぶ。

 男子と女子の体つきの違いはあるとはいえ、沙由の身体は軽かった。これなら部屋まで簡単に運べそうだ。


 考えなしに言った手前、持ち上げられないなんて展開にならなくてよかった。


「涼太くん、意外に力あるんですね」

「多少、筋トレはしてるからかな」

「これ以上格好良くなって何が目的ですか。まだモテる気ですか?」

「いや知ってると思うけど、俺全然モテないから」

「それは涼太くんが奥手だからです。……普通に女の子と接点を持つようになれば──あ、ダメですよっ。浮気とか絶対ダメですからね?」


 俺の腕の中に収まりながら、牽制するように上目遣いで俺を見つめてくる。

 沙由は俺を過大評価しすぎだな。補正でも掛かってるのだろうか。


「わかってるよ。そんなことしないって」

「美咲ちゃんともダメですからね」

「するわけないだろ。妹だぞ」

「どうですかね。妹モノのエッチな動画見るくらいですし……」

「ブフッ、ごほっ、こほっ! い、いきなりなに言ってんだよ!」

「この前涼太くんのスマホが放置されてるのを発見して……その時に見たんです」

「プライバシー侵害! それ、一番やっちゃダメなやつだから!」

「美咲ちゃんのその場に居ましたよ」

「地獄じゃねえか」

「嘘ですけど」

「タチ悪すぎる! よかったけど!」


 パスコードを解除したまま、スマホを放置した俺の失態だけれど、まさか見られているとは思わなかった。もうお婿にいけない……。

 俺が沙由より顔を真っ赤にして、たじろいでいると、


「近親相姦とか絶対ダメですよ」

「するわけないだろ! てか、それは気の迷いってか、好きな女優がやってたからそれで──」

「…………」

「なんだよその目は」

「大体、なんで幼馴染モノが一つもないんですか」

「なにその嫉妬。おかしくない?」


 病人相手にするとは思えない内容の会話を繰り広げているうちに、部屋に到着する。

 扉を開けると、窓際にあるベッドへと運び、沙由を下ろした。


「とにかく、私は不満です。今後は幼馴染モノでお願いします」

「まだその話続けるか。熱出してんだから安静にしとけって」

「どうしてもというなら、私が一肌脱いでも……」

「熱のせいで、冷静な思考ができなくなってるみたいだな。今冷やすモノ持ってくるよ」


 俺が急ぎ足で部屋を出ると、沙由は不満そうに頬を膨らませる。早速リビングに戻り、看病する道具を用意することにした。

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