耳かき
「はい、どうぞ涼太くん」
沙由は自らの膝をポンポンと叩くと、頭を預けるように指示してきた。
彼女の右手には耳かきが握られ、近くにはティッシュが広げてある。なにげに、誰かに耳かきをしてもらうのは小学生以来かもしれない。
「失礼します……」
恐る恐る沙由の膝上に頭を乗せる。
心拍の上昇が凄かった。直接、肌に触れているわけじゃないけれど、滑らかな肌の感触が伝わる。少し冷たい。
多少なりとも緊張はしているが、それを有に超す寝心地の良さだった。
「じゃ、始めますね」
「あ、あぁ」
身体に緊張を走らせ、肩をすくませる。
まぶたを落として、耳かきが入ってくるのを待ち構えているときだった。
「ふぅ」
「……ッ!」
耳元に息が吹きかけられる。
勢いよく上体を起こすと、沙由に視線をぶつけた。
「俺、今かなり神経集中してたからそれやめて。めっちゃビビった!」
「ふふっ、すみません。急にからかいたくなって」
「…………」
「も、もうやりませんから、頭乗せてください」
俺は胡乱な眼差しをひとしきり向けると、再び沙由の膝元に頭を乗せる。
「あ、あの涼太くん?」
「ん?」
「えっとそれだと耳かきできないんですけど」
「……仕返し」
「それ仕返しになってないですよ。涼太くんと目を合わせられて私は幸せです」
「…………」
「あ、なんでやめちゃうんですか」
「は、恥ずかしくなったからだよ」
仰向け状態で、沙由の膝の上に頭を乗せていた俺だったが、くるりと九十度頭を動かす。左耳が、沙由に向くように調整した。
揶揄された仕返しをしようと思ったのに、効かないどころか反撃された。
「じゃあ次はちゃんと耳かきしますね」
「うん、よろしく」
沙由は今度こそ、ちゃんと耳かきを開始する。
自分の手でやってない分、多少不安はあるけれど、心地よさの方が余裕で上回っていた。
気を抜くとそのまま寝落ちしてしまいそうな、充足感。沙由、耳かきめっちゃ上手だ。
「涼太くんの耳綺麗ですね……全然汚れないです」
「残念そうだな」
「はい。涼太くんの耳掃除したいのに、やり甲斐がないです」
「やり甲斐って……」
「次、反対向いてください」
「あーい」
言われるがまま、180度回転する。
沙由は俺の右耳に触れると、早速耳かきを──
「ふぅっ」
「ッ、だ、だからそれやめろって!」
再び、息を吹き掛けられる。
俺は飛び起きると、矢継ぎ早に叱責した。
左耳の耳掃除ですっかり油断していた。完全に身を任せていたところで、息を掛けられるのは心臓に悪い。
「すみません。そういう流れかなって」
クスクス笑う沙由。俺は唇を前に尖らせると、彼女から耳かきを奪い取った。
「交代」
「え? まだ右耳やってないですよ」
「左耳と同じで、大して汚れないよ多分」
「まぁそうかもですけど……というか目が怖いですよ涼太くん」
「全然平気。耳かきしてもらったお礼をするよ」
俺はソファの隅っこに腰を下ろすと、膝を手で叩く。
沙由は多少びくつきながらも、潔く俺の膝に頭を預けてくれた。
「み、耳に息掛けたりしないでくださいね……涼太くん」
「しないよ。そんなこと」
「ほ、ホントにしないでください」
「わかってるって」
仕返しに関しては別のことを考えていたけれど、丁寧な前振りがあったので早速応えよう。
俺は耳かきを、沙由の耳元に近づける。少しだけ掃除した後で、「ふっ」と優しく息を掛けた。
「ひゃんっ」
…………ひゃん?
予想してなかった嬌声が、俺の耳に伝わる。
沙由は仰向けの状態になると、涙目になって俺を睨み付けてきた。
「や、やらないでくださいって言いましたよね涼太くん!」
「いや、そういうフリなのかと」
「違いますよ!」
「わかった。もうやらないから安心して」
「し、信じますよ……信じますからね!」
瞳を潤ませながら、右耳をゆだねてくれる。
もう一度息を吹きかけようかと思ったが、すんでのところで堪えた。
今度こそ、普通に耳かきを開始する。
しかし、開始十秒と経たずに、沙由が聞き慣れない声を上げる。
「ひぁ……っん、ら、らめです……涼太、くん」
「待って。普通に耳かきしてるだけなんだけど」
耳かきの手を止め、焦燥感たっぷりに彼女を見つめる。悪い事してないのに、罪悪感が凄い。
沙由はすっかり上気した顔で、訥々と話し始めた。
「私、普通の人より耳、弱いみたいです。それなのに、好きな人に耳かきされたら、おかしくなっちゃいます」
や、やばい。今、ちょっと理性のタガが外れかけた。
そんな事後みたいな顔しないでほしい。
「優しくするよ」
「ほ、本当ですか?」
「俺のこと、信じられない?」
フルフルと首を横に振ってくれる。
そうしてすっかり赤くなった顔で、再び右耳を向けてきた。
「優しく、してください」
「……ジッとしてて」
「……んっ」
「…………」
耳かきを再開させると、沙由の身体が強ばる。
さっきよりも、丁寧に耳かきをしているからか、沙由もまだ耐えられているらしい。
ひとしきり耳掃除をするが、ほとんど汚れが見当たらない。なるほど、確かにこれはやり甲斐がないな。
「掃除するまでもないな」
「そ、そうですか……日頃からやってるからですかね」
「日頃から? 耳弱いのに、やってるの?」
「ま、まぁ気持ちいいので……」
なんかイケナイ質問をした気がする。これ以上、深掘りはやめておこう。
この調子なら、左耳はやる必要がなさそうだ。
「じゃあ左耳はやらなくていっか」
「え……やってくれないんですか?」
やらないわけがなかった。
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