名字で呼んだら罰ゲーム後編

 名字で呼ぶと、罰ゲームというルールが課せられてから、二日目。午後七時過ぎ。

 一日目は、早々に俺が失敗してしまったこともあり、散々だった。美咲にも変な場面を目撃され、兄としての威厳が損なわれたし。元々威厳などないけど。


 しかし、今日こそはしっかりと完遂できる自信があった。昨日一日、沙由と名前で呼ぶことを意識していた事もあり、俺の中で名前呼びが定着しつつあるのだ。すでにモノローグでも、『日比谷』から『沙由』への移行が完了している。


 今日一日、沙由のことを名前で呼びきり、ご褒美をもらう。

 この上ないイージーゲームだと、思っていたのだが……。


「えっと、沙由……?」


 今日の沙由は、いつもと違っていた。

 ここ最近は、暇さえあれば俺にベッタリだったのに、今日は距離が空いている。


 まさか倦怠期……。

 いや、付き合い始めてまだ一週間ちょっと。それは流石に早すぎる気がする……。


「どうしましたか涼太くん」

「いや、今日は距離があるなぁと」

「ですね」

「えっと、だから……」

「私とイチャイチャしたいんですか?」

「まぁ、はい」


 ここ最近の俺は、恋愛脳に侵されているのか、イチャついている時間が至福だったりするわけで。

 こうして、沙由と距離が空いているのは望むところではない。

 ちなみに美咲は、友達とカラオケに行っているため、この場には居ない。


「私からじゃなくとも、涼太くんから迫ってくれてもいいんですよ?」

「そう、だよな……」


 痛いところを突かれる。

 もしかして俺が受け身な姿勢ばかり取ってるから、今日の沙由は塩対応気味なのか? 


「とはいえ、涼太くんはヘタレさんですからね」

「うぐっ」

「私のこと、名字で呼べば……全部解決しますよ」

「それが狙いか」


 疑問だった部分が解消した。

 沙由の狙いは、俺に名字呼びをさせることだったらしい。

 沙由から行動を起こさないことで、イチャつかない状況を作り、我慢の限界が来た俺に名字を呼ばせ罰ゲームと題してイチャつく。我がカノジョながら策士である。


 こうなったら、俺から行動を起こすのが最善のように思えるが、……そうだな。


「沙由がそんな感じなら諦めるよ。イチャつくのは我慢する」

「な、なんでですか……! 諦めないでくださいよっ」

「いいよ。沙由は全然耐えられるみたいだし……俺が我慢すればそれで済むんだろ」

「ち、ちが! 違います! 私だって、必死に欲を抑えてるんです。涼太くんに触れたいのに、頑張って耐えてるんです」

「じゃあこっち来て?」

「ず、ズルい……涼太くんが来てください。偶には私だって、涼太くんに求められたいです」


 イジらしく俺に視線を送ってくる。

 意地悪された仕返しをしようと思ったけど、そんな庇護欲を誘う顔をされては為す術がない。


 俺は椅子から席を立つと、ソファの方へと向かう。

 隣に座ると、沙由は嬉しそうに破顔した。身体を寄せて、肩と肩がぶつかる距離まで迫る。


「やっぱり涼太くんが傍に居てくれた方が落ち着きます」

「俺も……沙由が近くに居てくれた方がいいな」

「ホントですか……へへ」

「昨日今日って経て、名前で呼ぶの慣れてきたかも」

「そうですか。それはよかったです。私も呼ばれるの慣れてきました」


 俺は彼女の頭に手を伸ばした。

 サラサラな髪を、なぞるように撫でる。


「はぁ、どうしよ……まじで好き」

「……ッ。りょ、涼太くん、そういうの反則です……」

「好き。大好きだよ沙由」

「今、反則って言いましたよね! なんで追撃するんですか!」

「わかった……じゃあ、今後は自重する」

「じ、自重はしなくて、いいですけど」


 俯き加減にもにょもにょと言う沙由。

 俺はふわりと微笑むと、少し遠慮がちに切り出した。


「沙由は俺のこと好き?」

「なんですか急に。いつも言ってるじゃないですか」

「そうだけど、聞いたらダメ?」

「……す、好きですよ。世界で一番」

「世界一なんだ……」

「え、なにか問題ありましたか?」

「いや俺は沙由のこと宇宙一好きだから」

「そ、それを言ったら私は……えっと……宇宙より上がない! 私も涼太くんのこと宇宙一好きです」

「今更言われてもなぁ」

「うぅ、わ、私の方が好きなんですからね。涼太くんの意地悪」


 若干涙目になりながら、恨めしそうに睨んでくる。

 そんな沙由の様子に微笑をこぼすと、俺は話題を切り替えた。


「そういや、俺が沙由のこと名字で呼んだときの罰ゲーム、なにさせるつもりだったの?」 

「内緒です。涼太くんが呼べば教えてあげます」

「意固地だな。てか、もうそう簡単には名字では呼ばないと思う」

「そうですか……じゃあ、まぁ隠してもしょうがないですね」


 沙由は困ったように笑うと、ソファから立ち上がる。

 引き出しから、あるモノを取り出すと、俺の隣に戻ってきた。


「なにそれ? 耳かき?」

「はい。涼太くんの耳かきしたいなって」

「耳かきが罰ゲームって……しかも俺がしてもらう側なのか」

「変ですか?」

「変というか、全然罰ゲームではないから」

「私にとってご褒美だからいいんです」


 まぁ、当の本人がそれで良いなら良いのだけど。

 俺は思いついたように手をつくと、耳かきを指さした。


「じゃあ、今からする? 耳かき」

「ダメです罰ゲームなんですから。してほしかったら、名字で呼んでください」

「支離滅裂だな……。元々、名前で呼ばせるのが目的だったのに」

「言われて見ればそうですね」


 クスリと笑みを漏らす。

 俺は沙由をジィッと見つめると、語りかけるように訊ねる。


「どうしても罰ゲームじゃないとダメ?」

「……っ。仕方ないですね涼太くんは……もう」


 かくして、沙由に耳かきをしてもらうことになったのだった。

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