テスト勉強
日比谷との同棲を始めてから四日が経過しようとしていた。
同棲生活も慣れてきたのか、当初に感じていた特別感はすでに薄れている。
元々、幼馴染として距離が近く、互いの家に泊まりに行った回数も多かったからな。同棲という特殊環境とはいえ、非日常感はない。
すでに時刻は二十時を回ったところ。
夕飯に使った食器の洗い物をしているときだった。
「涼太くん。家事よりもするべきことがあると思います」
日比谷がソファからひょっこり顔を覗かせてくる。
「家事よりするべきことって?」
「私とのイチャイチャです」
何を言い出すかと思えば、ビックリするほど偏差値の低いことだった。
少なくとも洗い物より優先するべき内容ではない。
「それはもう十分してると思う」
「足りません。ずっとイチャイチャしたいんです私は!」
自分で言うのもアレだが、割とバカップルと呼べるレベルでイチャついてる気がする。
今でこそ、家事をしているから日比谷と距離を取れているようなものだ。
「だから私にも家事を手伝わせてください。その方が効率的に終わります」
「いや、今日は俺の当番の日だし大丈夫だよ。手伝ってもらうほど量ないし」
「私がやりたいって言ってるんですから遠慮するのは無粋だと思います」
「そうかな。てか、日比谷の場合、テスト勉強したくないだけじゃないか?」
「う……そ、そんなことはありません」
さーっと俺から視線を外す。
もう五月も終わろうとしている。目と鼻の先に、中間テストが待ち受けている時期だった。
俺の通っている学校と、日比谷の通っている学校は異なるが、中間テストの時期は重なっている。
俺は日ごろから勉強しているから、死に物狂いに頑張らなくても大丈夫だけど。
勉強嫌いの日比谷は、ちゃんと勉強しないと赤点を取りかねない。
俺は最後の洗い物を終えて、タオルで水気を取ると、日比谷の元へと向かった。
「ほら。全然進んでないじゃんか」
「だ、だってやる気が……」
「高校入試の時は、あんな頑張ってたのに」
「あれは涼太くんと同じ高校に行きたくて頑張ってただけです。結局、私の実力では無理でしたが」
それは初耳だった。
俺と同じ高校に行きたくて頑張っていたと知り、俺の頬が熱くなる。それと同時に、少し怖くなった。
俺という存在が、彼女の人生に大きな影響を与えている事実に。まぁ、俺の人生においても日比谷の影響は大きいけど。
「あ、じゃあご褒美ください。そしたら頑張れる気がします」
「ご褒美?」
「頭なでなでしてください」
「そんなことでいいの?」
「え、じゃあキ──」
「わかった。勉強が終わったらな」
「最後まで言わせてください!」
むぅ、と頬に空気を溜めて目を細める日比谷。
さすがにキスはまだ早い気がする。同棲しといてなんだけど……。
洗い物を終えると、俺は日比谷の隣に腰を下ろす。
今はリビングにいるが、ダイニングテーブルは使っていない。テレビの前にあるテーブルの上で、日比谷が英語の演習書を開いている。
ソファを背もたれ代わりに使い、日比谷は疲弊してる様子だった。ホント、勉強嫌いだな。
「分かんないところは教えるからさ、手を動──おい、くっつくなって」
「こうした方が集中できそうです」
日比谷が俺の肩に頭を預けてくる。
勉強する姿勢とは、明らかに乖離していた。
「やる気ないなら、離れるから」
「あ、しますします! しますから! 離れないでください!」
俺が腰を上げる素振りを見せると、日比谷が服の袖を掴んで必死に引き止めてくる。
涙目になって、庇護欲を誘う表情を浮かべていた。くそっ、可愛い……!
一人身悶えていると、日比谷がピンと人差し指を立ててきた。
「あ、そうだ。良いこと思いつきました」
「ん?」
俺は首を横に傾けると、疑問符を浮かべる
「涼太くんが、後ろから私をハグしてください。それなら、勉強捗る気がします」
「いや、何言ってんの?」
「だから、私の後ろに来てください」
「あ、あぁ」
言われるがまま、俺は日比谷の後ろにつく。
見惚れるような綺麗なうなじが目に入り、すぐに視線を逸らす。
が、たじろぐ俺にお構いなしに、日比谷は俺の手を掴むと、自らのお腹のあたりへと持っていった。
「この状態なら、涼太くんとくっ付けますし、勉強に支障をきたしません」
「いや支障しかない!」
なんで、この彼女さん、彼氏に後ろから抱きつかれながら、勉強する気なの。
この体勢を維持するのは、ある種の拷問だぞ。
「分からないとこあったら、涼太くんにすぐ聞けて支障をきたすどころか効率化を図れると思います」
「そうは思えないんだけど……」
「試験中もこの状態なら、私の待ってる学力以上の力が出せるくらいです」
「そりゃこの状態なら、分からないところは俺に聞けるしね……」
「私、勉強のやる気出てきました」
「ならいいんだけどさ」
まぁ、これで勉強してくれるなら、いいか。
日比谷のことだ。五分もすれば集中が切れてくるだろう。
……と思ったのだが。
「涼太くん。ここわかんないです」
「文法はわかってる?」
「はい」
「それなら、単語の意味をまず理解しないと──って、待って。いつまでやってんの勉強」
気がつけば、二時間近く経っていた。
人間の集中力って九十分が限界とかじゃなかったっけ。とっくにオーバーしてるんだけど。
「涼太くんが勉強しろって言ったんじゃないですか」
「そうだけど、まさかこんな長丁場になるとは……」
「涼太くんと一緒にいれるんだったら、やる気も出ますよ」
「そのやる気、普段から出せないの?」
「無理です」
「即答された……」
日比谷はシャーペンをテーブルに置くと、重心を下げて俺にしなだれかかってきた。
首だけ振り返り、ニコッと柔らかな笑みを浮かべる。
「結構頑張りましたよね。勉強」
「じゃあ一旦休憩にする?」
「違いますよ。ご褒美。ご褒美をください」
「ご褒美?」
そういやさっきそんなこと言ってた気はする。
俺は恐る恐る日比谷の頭へと手を伸ばすと、枝毛一つない薄茶色の髪に触れた。サラサラして、シャンプーとはまた違うフワッとした爽やかな匂いが、鼻腔をくすぐってくる。
「えへへ。勉強頑張った甲斐ありました」
「本来、勉強にご褒美とかないんだからな」
「じゃあ涼太くんにも、私からご褒美あげます」
「それはもう貰ってるからいい」
「? 私まだなにもあげてませんよ。涼太くん、ちょっと目瞑っててください」
「……? うん」
言われるがまま、目を瞑る。
と、程なくして、頬に湿った感触が走った。
肩を上下に揺らすと、右頬を手で覆う。何をされたかはすぐに察しがついた。
「えへへっ、隙有りです涼太くん」
「……っっっ⁉︎」
耳や首まで真っ赤に染める俺。
日比谷の頭に手を伸ばすと、髪の毛をくしゃくしゃにしてやった。
「ひぁ、な、なにするんですか涼太くん!」
「ったく。こっちは我慢してるのに!」
「我慢?」
「そうだよ。すぐ俺の理性をすぐ掻き乱しやがって!」
我慢ならなくなって、日比谷のことを強めに抱きしめる。
「ひぃあぅ……りょ、涼太くん……?」
「勝手なことした罰。俺が気が済むまでこのままだから」
「……いいですよ私は。ずっとこのままでも」
「そんなこと言って後で後悔しても知らないよ?」
そうしてしばらく、ハグし合う俺らだった。ちなみに、テスト勉強の甲斐あってか、中間テストはそこそこの出来だったらしい。
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