家庭内ルール

「突然だが、ルールを決めたいと思う」


 同棲二日目。夜。

 夕飯を終えて、二十一時を過ぎたあたりだった。

 

 リビングにて。ダイニングテーブルを挟んで、俺と日比谷は向かい合っていた。

 俺が両膝をついて神妙な面持ちを浮かべる中、日比谷はキョトンと小首を傾げて、俺の言葉を反芻する。


「ルールですか?」

「うん。今更だけど一緒に住む上でのルールが必要だと思ってさ」

「別になくてもいいと思いますけど」

「いや、必要。じゃないと風紀が乱れるからね。さっきだって俺が風呂入ろうとしたら誰かさんが一緒に入ろうとしてきたし」

「誰ですか涼太くんの裸を見ようとする不届き者は。私が成敗してみせます!」

「…………」

「ごめんなさい。つい出来心で」

「とにかく、最低限のルールがあった方がいいと思うんだよ」


 ルールがないと、無法地帯になりかねない。特に、日比谷は何かと行動が暴走しがちだ。

 縛り付けておかないと、何をしでかすかわからない。


「まずルール一つ目として、相応の理由がある時を除いて、風呂や寝室には勝手に入らない。いいよね?」

「涼太くんがどうしてもというなら……甘んじて受け入れます」

「本来、ルールにするまでもない事なんだけどな」

「私は別に構いませんけどね。小さいときは、一緒にお風呂も添い寝もしてたじゃないですか」

「あの頃と今とじゃ状況が違うから! お互い成長してるし」


 そう、成長しているのだ。

 強靱な理性で、どうにか堪えているが、このまま行けば俺の理性がいつ決壊してもおかしくない。


 特に、日比谷は美少女なのだ。

 アイドル顔負け、女優にだって負けないルックスを持っている。付き合い始めてからは、その事実を強く痛感していた。

 

 少し気を抜けば、過ちを犯してしまいそうだ。

 だからこそ、自分自身を律しなくてはいけない。俺はコーヒーを一口飲むと、話の軌道修正を図る。


「じゃあ次は……家事の分担を決めよっか」

「家事の分担ですか?」

「うん。決めた方が効率的かなって」

「いえ、家事炊事なら全部私がやりますよ。家のことは奥さんの仕事ですから」

「聞く人が聞いたら、発狂しそうだな……。えっと、時代錯誤も甚だしいし、奥さんじゃないからね」

「でも私、家事も炊事も好きなので、全然大丈夫ですよ」

「そうはいかないよ。ちゃんと分担しよう」

「じゃあ涼太くんは私を甘えさせてください」

「は?」


 会話の流れにそぐわないお願いをされる。

 ポカンと口を開ける俺に、日比谷は続ける。

 

「涼太くんが甘えさせてくれれば百人力です。それだけで私はどんな家事でも炊事でもこなしてみせます」

「甘えさせるって……そのくらい家事関係なく、やってあげるけど」

「本当ですか?」

「ああ、つ、付き合ってんだし……そのくらいなら全然」


 俺の声量が尻すぼみになっていく。

 考え無しに言ったが、今になって少し後悔していた。

 

 日比谷が、子供みたいに純真無垢な瞳をしているのだ。度を過ぎた要求をされなきゃいいけど……。


 俺はコホンと咳払いして、空気を入れ換えると、神妙な面持ちで切り出した。


「じゃあ、家事炊事は、日にちごとに交代しよう。一人でやり切れない部分はヘルプを求める感じで。あ、でも洗濯は別々ね」

「え、どうして洗濯は別ですか? 一緒の方が楽ですよ」

「楽とかの問題じゃないと思う」

「私のこと意識してくれるのは嬉しいですけど、涼太くんは少し考えすぎだと思います」


 ふくれっ面を浮かべ、日比谷が叱責してくる。


「そんなことないよ。日比谷がオープンにしすぎなだけ」

「むぅ。……じゃあこれ、使います」


「……んっ、ちょっと待て。なんでそうなるの!?」


 日比谷が、『なんでも言うコト聞く券』を取り出す。

 それをテーブルの上に滑らせてきた。


「涼太くんが過度に気にしすぎだからです。無駄に水道代や電気代を使う必要はありません」

「……そう言われてもな……し、下着とかはさすがに」

「大丈夫です。ちゃんといざって時の下着は隠し持ってますから。洗濯に出す下着は涼太くんに見られても問題ありません」

「い、色々問題だよ!」

「じゃあこうしましょう。洗濯は私の担当にしてください。それなら、問題ないですよね?」

「……まぁ……そう、だけど」


 ニコッと柔らかい笑みを浮かべて提案される。

 俺のパンツを見られたところで、さしたる問題はない。日比谷がそれで良いというなら、俺としてはこれ以上反対意見を出す必要もないか。


「でも嫌じゃないのか? 洗濯したとはいえ、あんま触りたいものではないだろ」

「そんなこと気にしないで平気です。私は涼太くんのことが大好きなんですから」


 直球の好意を飛んできて、俺の顔が熱くなる。

 恥ずかしくなって、俺はついうつむいてしまった。


「そういえば聞いてなかったな……」

「え? なにをですか?」


 俺は俯き加減に、ぼそりと呟く。

 日比谷に向けた、というよりは独り言に近かったが、しっかりと彼女の耳には届いたらしい。


 だったらいっそ、この流れで聞いてみるか。

 俺は赤くなった顔を隠すように、顔を背けながらチラチラと目線を合わせる。


 照れ臭い感情を押し殺しながら、気になっていたことを訊ねることにした。


「日比谷は、俺のどこが好き、なの?」

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