朝食

 普通、共同生活には障害が付き物だと思う。


 価値観の違いで揉め事が起きたり、慣れない環境に戸惑いストレスになったり、と。思い通りにいかないことが多々あることだろう。


 だが、俺と日比谷の場合は例外的だった。


 幼い頃……それこそ物心がつく前から一緒にいるせいか、距離感が非常に近いのだ。

 互いの家に遊びに行った回数は、三桁をゆうに越しているし。相手のことは熟知している。まあ、日比谷の好意に一切気付けなかった俺が言っても説得力は皆無だと思うけど……。


 でも、本当によく知っている。それこそ家族並みに。


 だから、この同棲という超特殊空間においても、大した弊害が生じることはなかった。そして何一つ問題ごとがないまま同棲一日目を終えて、布団につく。もちろん、日比谷と部屋は別にしてある。日比谷は文句言ってたけど……。


 普段より胸の動悸は激しかったけれど、眠りにつくまでにそう多くの時間は要さなかった。多分、知らず知らずのうちに疲れていたのだろう。






 そして翌朝。


「起きてください。涼太くん」


 甘ったるい猫撫で声を耳元で感じて、俺は意識を覚醒させていた。


「朝ですよ」

「……あれ、もうそんな時か──って、うあっ、な、なにしてんだよ!?」


 尻尾を踏まれた猫みたいに飛び起きて、自分でもビックリの大声を上げていた。

 寝起きの声帯には刺激が強すぎるが、それ以上に今のこの状況は刺激が強すぎだった。


「起こしに来ました」

「いや、だからっておかしいだろ!」

「なにがですか?」

「俺の布団に潜り込んでることがだよ!」

「ダメなんですか?」

「ダメに決まってる!」

「夫婦なのに?」

「夫婦じゃない!」


 今、俺のベッドの上には日比谷がいる。

 その不自然極まりない状況に、俺は異議を唱えた。


 なにこの状況……。


 昨日の時点では、この同棲生活も案外どうにかなりそうだなとか思ったけど……やっぱり前言撤回だ。俺の彼女さんは、いささかアグレッシブすぎる。


 もし、俺の理性がミジンコ並だったら今頃どうなっていることやら。


 俺は、すっかり冴えた頭を横に振りながら、ベッドから降りる。


「どこに行くんですか? 涼太くん」

「どこって、洗面所だけど」

「…………」

「なにその目。俺なんかおかしなことでも言った?」

「いえ別に」


 日比谷がふーんっと退屈そうな顔をしながら、唇を尖らせる。

 イマイチ日比谷の言葉の意味を理解できないまま、俺は洗面所へと向かった。




 洗顔やら歯磨きやらと、あらかたやる事を終えた俺はリビングに入る。ダイニングテーブルには、すでに朝食がズラリと並んでいた。


 朝は食パンかシリアルを適当に食べる生活をしていたから、この光景は新鮮だった。

 炊き立てのご飯に、焼き魚、玉子焼きに味噌汁。家庭的な料理だ。


 俺が寝ている間に、せっせと作ってくれたのだろう。


「朝なので簡単なものしか作りませんでしたが」

「いや、そんな事ないよ。これぞ朝食って感じがする」

「そうですか、えへへ」

「でも言ってくれれば俺も手伝えたのに」

「いえいえ旦那さんの朝ご飯を作るのは、妻の仕事ですから」


 日比谷が、ニコッと爽やかなスマイルを浮かべて言い放つ。


 俺はため息混じりに、


「俺たち夫婦ではないからね?」

「もう、わかってますよそのくらい。冗談です冗談」

「日比谷が言うと、冗談に聞こえないんだよ……」


 俺は苦く笑いながら、ダイニングテーブルに向かう。そして、朝食が用意された席に座った。

 それから程なくして、コーヒーを二つ手に持った日比谷が俺の向かい側に腰を下ろす。


 日比谷の着席を確認してから、俺は両の手を合わせて、


「いただきます」

「はいどうぞ」


 箸を手に取り、早速朝食に食らいついた。

 しかし、日比谷はすぐに食べ始めない。それどころか、どこか不安げな表情で俺を見つめている。


「……どう、ですか?」

「美味しいよ。うん、すげぇ美味しい」

「えへへ、そうですか。よかったですっ」


 日比谷が照れ臭そうにはにかむ。


 以前の日比谷は料理が苦手だった。壊滅的にというほどではないが、リアクションに困るレベルの下手さ。けれど、今はその面影がなくなっている。


 きっと知らない間にたくさん練習したのだろう。その努力を考えると、ちょっと感傷的な気持ちになる。


「ちなみに隠し味が入ってるんですけど、なにか分かりますか?」

「隠し味? どれに入ってるの?」

「全部です」

「全部って……」


 俺はテーブルに並ぶ料理にあらかた手をつける。


 全部美味しい……けど、隠し味らしきものはわからなかった。


 自分で言うのもアレだが、結構舌には自信がある。だから、隠し味が入っていたら気付けると思うのだけど……。


「なにが入ってるの?」

「わかりませんか?」

「ちょっと見当がつかない」

「むう、たくさん入れたんですけど」


 日比谷がプクッと小さい頬を膨らませる。

 怒ってはいないだろうが、とても不満そうだ。


 俺はコーヒーを口に入れながら、再度考える。だが、


「ごめんホントに分かんない。正解は?」

「教えません」

「え、気になるんだけど」

「よーく考えてみてください」

「って言われてもな……」


 俺はこめかみの辺りを人差し指で掻く。

 その後もいろいろ考えてはみたが、やはり分からなかった。なぜか、日比谷が頑なに正解を教えてくれないし。


 そんなに俺が隠し味の正体に気付けなかったのが、気に食わなかったのだろうか。



 何はともあれ、そんなこんなで恋人ができて二日目。同棲二日目の朝を迎えていた。

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