名前で呼んで
幼馴染と付き合うことになった。
晴れてカノジョいない歴=年齢の呪縛から解き放たれ。
ようやく、俺の灰色な学生生活が甘酸っぱく色付き始めるわけだが……しかし。
「私、子供は野球チームができるくらい欲しいです!」
「頑張りすぎでは……」
付き合い初めてからまだ一時間も経っていないというのに、会話の節々で結婚を匂わせてくるくらいだ。先行きが思いやられる……。
「──さっきも聞いたけど、日比谷はどうしてそんな俺と結婚したいの? 理由くらい教えてくれない?」
俺の部屋にて、テーブル越しにいる日比谷にそんな質問を投げてみる。
「涼太くんが結婚してくれるなら、教えてあげます」
「約束はできないけど、場合によっちゃ結婚に踏み切れるかもしれないだろ?」
「ホントですか?」
「そりゃまあ」
極端な話にはなるけれど、俺が日比谷と結婚しないと世界が滅びる的な、そんな危機的状況なのだとしたら、俺は間違いなく結婚する。
そこまでいかなくとも、俺が納得する理由があれば考えだって一変する。
日比谷はスカートの裾をギュッと掴みながら、控えめに口を開いた。
「何を言っても引かないでくれますか?」
「ああ多分、大丈夫」
ついさっき、逆プロポーズされた衝撃を受けてるからな。並大抵のことじゃ引いたりはしないだろう。
ゴクリと生唾を飲み込み首肯すると、日比谷は頬を赤らめながら、
「独り占め、したかったんです」
遠慮がちに言った。
「涼太くんを他の誰にも取られたくなくて。それで、結婚したら独り占めできると思ったんです。だから、できれば今すぐに涼太くんと結婚したいんです!」
「……えっと……それだけ?」
「はい、それだけですけど、ダメですか?」
「いや、ダメってことはないけど」
正直、拍子抜けだった。
結婚なんて大それたことを言うからには、もっと人に言えない深い事情でもあるのかと勝手に想像を膨らませていた。
けど、それだけか。
それだけって言うと、言い方が悪いかもだけど、それが素直な感想だった。
「それで涼太くん」
日比谷は、真剣に俺を見据える。鈴を転がしたような綺麗な声で俺の名前を呼んでくる。
「ん?」
「理由話しましたよ。私と結婚してくれますか?」
「ごめんなさい。無理です」
「む……それじゃ私、教え損じゃないですか」
日比谷が唇を尖らせながら、文句を垂れてくる。
「教え損って、必ず結婚するとは言ってないし」
「そうですけど、だったらせめてご褒美ください」
日比谷が拗ねた態度で、そう要求してきた。
俺はキョトンと首を横に傾げながら、日比谷の言葉を反芻した。
「ご褒美?」
「はいご褒美です」
「具体的には? あんま金かかるのは財布的にキツいんだけど」
「名前」
「?」
「私のこと、名前で呼んでください」
「名前って……なんで?」
「なんでじゃありません。涼太くん、全然名前で呼んでくれないじゃないですか」
日比谷は不貞腐れたように言う。
俺は水をかけられたようにハッとさせられた。
名字呼びが定着していたせいか、名前で呼ぶと言う発想がなかった。たしかに、付き合い始めた男女であれば、名前で呼ぶべきか。
「わかった、善処してみる」
「じゃあ早速お願いします」
「さ、早速?」
「名前が厳しいなら、『嫁さん』でも大丈夫です」
「いや、それハードル上がってるんだけど」
「妻でも家内でも……あ、奥さんでも良いですよ?」
「もっと無理だから」
俺はため息混じりに言う。
名前で呼ぶことでさえ、抵抗があるってのに、嫁さんだの奥さんだの呼べるわけがない。てか、呼んじゃダメだろう。
「つれないですね。じゃあ、大人しく名前で呼んでください」
「うっ、わ、わかったよ」
日比谷に催促される。
俺は、喉を鳴らし頬を引きつらせた。
そうだな。ここでウジウジしているのは男らしくない。サクッと呼んでしまうとしよう。
変に、間を置くから呼びにくくなるのだ。気負わずに、しりとりでもするみたいに、平然と──
「
「……っ」
──彼女の名前を呼んだ。
しかし、返ってくる言葉はなく、重たい沈黙が落ちる。
「…………」
「…………」
「……な、なんか言ってよ?」
「や、えっと……はい」
日比谷の顔がみるみる赤くなっていく。
あれだけ結婚結婚と催促していたのに、こんなウブな反応をしてくるとは思わなかった。
恥ずかしがるくらいなら、名前呼びを強要させなきゃいいのに……。
居た堪れない。非常に居た堪れない。
室温がいくつか上昇した気がした。
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