第36話 母親は酒癖が悪い!
「おっひさ〜」
久しぶりに帰ってきた母さんは玄関で嬉しそうに手を振っている。
興奮しているのか、顔がほんのりと赤かった。
七菜香はなるべく顔を合わせたくないのか、俺の後ろから猫みたいな唸り声をあげている。
俺の肩をがっしりと掴み、臨戦態勢って感じだ。
「「…………」」
「ちょっと〜! 二人して無視はやめてよねぇ〜ぷはぁ」
「うわぁ、酒くさっ!」
「酒臭いってレディに失礼だぞー?」
「レディというよりはマダム……ってか、どんだけ飲んだんだよ!?」
「うーん。樽ぐらい?」
「酒の量で喩える量じゃないだろ、それ」
こんなに酔っ払って……。
てか、ストッパー役の父さんはどうしたんだよ。
酔っ払いの母さんを面倒見るなんて、俺には荷が重すぎるんだが……!
俺は七菜香に目配せをする。
すると彼女は、俺から一歩離れ親指をグッと立ててきた。
「兄さん。私はテンションについていけないのと、勉強があるので……健闘を祈ります」
「あ、ちょっと! 七菜香、俺を生贄にすんなって。酒飲んでる母さんの相手はしんどいって——行ってしまった」
「まぁまぁかずちゃん。ママと一緒に語り尽くそうではないかぁ〜!」
「あ〜鬱陶しい! 肩を組むなって」
「にゃはははっ! 久しぶりの息子に会えてママは嬉しいぞ〜」
「はいはい」
俺は母さんをソファーまで連れて行き座らせる。
くそ……七菜香の奴。
面倒ごとはいつも俺じゃないか。
まぁ、七菜香と母さんの相性は悪すぎるからつい避けてしまうんだろうけど。嘘とかマジで通じないもんな……。
「ほら、まずは水を飲めって」
「ありがと〜っ! ……ぷはー!! 生き返るねぇ〜。麗花ママ完全復活ですッ!!!」
「はいはい。とりあえず無理はすんなよ」
「うぃ〜」
「母さん、帰ってくるなんて聞いてないんだけど?」
「いいじゃな〜い。親の帰りはサプライズがつきものでしょ〜? 喩えば、彼女を連れ込んでいるときに帰宅してしまうとかねッ!」
「そんなドヤ顔で言われても……」
「更に行為中だったら尚よし!」
「お下品やめろ」
「あいあい〜」
軽い調子で返事をする母さん。
俺はため息をついた。
もし彼女がいて、母さんと鉢合わせするようなことがあったら別れる要因になりそうだよなぁ。
自分の母親だけど、黙ってれば美人なんだよ。
けど、黙ることなんてまずないし……残念の一言で片付いてしまう。
黙らせることができるとしたら父さんぐらいだし。
俺は父さんに『放し飼いは困る』とだけ、メッセージを送っておいた。
スマホをいじっているのに気になったのか。
母さんが画面を覗き込むように身を乗り出してきた。
「ねぇねぇかずちゃん! 誰と連絡のやりとりしてんのよ〜」
「ん? 誰でもいいだろー」
「よくないってぇ。ママは気になるんだからぁ」
「特にないって」
「ほらぁ、そろそろ恋人でもできたんじゃない?? 学生と言えば恋愛! 学生と言えば若気の至りでセッ——」
「言わせねぇよ!?!?」
「きゃん……。もう、かずちゃんったら乱暴者〜」
「艶っぽく言っても無駄だからな。つーか、もういい歳だろ」
俺が頭にチョップをすると、目を涙目にして上目遣いで見てくる。
自分の母親じゃなければ、こういった表情に騙されてしまうんだろうな。
……しかもこれを自然とやるから、厄介だよほんとに。
「かずちゃんにいないのは悲しいなぁ〜。候補もいないわけぇ?」
「候補って上から目線な物言いだな、おい。はぁ……残念ながらいないよ」
「そっかぁ……。じゃあとりあえずフリーなのねぇ……つまんないの〜」
「別につまらなくて結構だ」
「ほんとにほんとフリー??」
「しつこいって! マジでいいないからっ」
「そっかそっか〜」
俺の返答に母さんは嬉しそうに手をぱちぱちと叩く。
それから水をぐいっと飲んだ。
おい、息子に彼女がいないのがそんなに嬉しいのかよ。
なんか傷つくぞ……。
スマホがブブッと鳴り俺は画面に映るメッセージを見る。
それは父さんからで『直ぐには行けそうにない。出来れば行方がわからなくならないように見ていて欲しい』と書いてあった。
「なぁ母さん。父さんはどうしたんだ?」
「置いてきたよ!」
「置いてきたって………まさか喧嘩か?」
「ちょ、ちょっとかずちゃん?? 顔が怖いって〜! 大丈夫よっ! いつものじゃれあいみたいなものだからぁ。今回は仕事の商談が長引きそうだから、置いて帰ってきたのよ〜」
「そうなのか? ならいいけど……巻き込まないでくれよ」
「わかってるってぇ……」
俺はギロリと睨むと母さんがしゅんとして、水をちびちびと飲み始める。
まぁ、喧嘩とかで大揉めしてないならいいけど。もう今更ないと思うが、つい考えてしまう。
……平穏で安全が一番。何もないからこそいいんだよ。
そんなことを思いつつ、俺はため息をつきキッチンに向かった。
「とりあえず、何かつまみでも作るわ。それ食べたらさっさと寝てくれ」
「飴と鞭……優しさと突き放す心。両方を同時に言うなんてやるわねぇ」
「へいへい」
「そういえば、いつまで母さんはいるんだ?」
「そうねー。とりあえず、この休日はいることにするわねっ! なんか楽しそうな気配がするし」
「楽しそうな気配って……頼むから大人しくしててくれよ」
「あれれぇ。その聞き方は何かあるのぉ??」
「某少年みたいな言い方すんな」
ってか、そのメガネはどこから出したんだよ。
無駄に似合うな、まったく。
母さんは目をキラキラと輝かせ、好奇心の権化となっていた。
「それでそれで! 何があるのっ!! ママに教えてよ〜」
「目を輝かせて……ってか距離が近い! 離れろって」
「いやぁーん。かずちゃんのいけず〜」
「はぁ。まったくいい歳こいて。とりあえず今度の休みは友達が来るんだよ」
「友達!?!? ウチにくるのぉ!?」
「そうそう。だから余計なことを言うのは禁止な」
「え〜やだやだ〜。それじゃあママの存在意義がないじゃな〜い」
「子供か!」
「じゃあ昔のアルバムを持って突撃とか、部屋の音に耳を澄ませたりとかダメってこと〜?」
「ダメ」
「なん……だと!?」
「友達にまで迷惑をかけたら一生、口をきかないからな」
「そんな殺生なぁぁああ〜」
俺は足にしがみついてくる母さんを無視して料理を進めることにした。
ちなみにだが、この後酒盛り中に寝落ちするまで俺が付き合う羽目になったのは言うまでもないことである。
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