第4話 修羅場のはじまり


「ふぁぁ……まだ、ねむ……」



 俺は大きな欠伸をする。


 ——時刻は朝の6時半頃。

 つい先日までの俺からしたら、1時間以上も早い時間だ。

 そんな時間に電車乗ってるから……あー、普通に眠い。


 再び欠伸をして、目を擦ると横にいる七菜香が脇腹を小突いてきた。



「欠伸は隠してしてください」


「いいだろー別に。誰も見てないって」


「私が見てますし、品がないので却下です」


「相変わらずお堅いなぁ」



 俺は肩をすくめ、ため息をつく。

 それから電車に乗る人たちを眺めた。



「こんな朝早く出てるのに、この時間でも案外混んでるんだな……。早いとそれだけ空いてると思ったんだけど」


「どうでしょう? 私は、の時間は知らないですけど、この時間は私的には空いてる方だと思いますよ」


「そうだね。少なくとも、いつもよりは空いてる気がする。おしくらまんじゅうみたいなことになんねーし」


「早起きは三文の徳と言いますし、これからもこの時間で行きましょうね。生活リズムを整えるのは、良いことですから、ズボラなかずくんにはぴったりです。慣れたら今日みたいに欠伸は出なくなりますよ」


「オカンみたいなこと言うなよ……。ってか、今日こんなに眠いのは、七菜香が寝かしてくれなかったせいだからなー」


「それは仕方ないです。やり足りなかった……って」



 周りからのなんとも言えない視線を受け、七菜香の頰が赤く染まった。

 それから俺を睨むと、



「……誤解を生むような言い方はやめてください」



 頰をぷくっと膨らませて、小声でそう言ってきた。


『いやいや、どちらかと言うとお前の発言で視線が鋭くなったぞ!』と、ツッコミたいが……。

 うん、拗れそうだからやめとこう。


 俺は、反論したい気持ちを抑え「へいへい」とやる気のない返事をした。



 電車がゆらゆらと揺れ、絶妙に眠気を誘ってくる。

 そんなんでウトウトとしていると、「きゃっ」と短い悲鳴がして七菜香が俺の胸に衝突してきた。



「すいません……」


「大丈夫か? 結構揺れるから捕まっておけよ」


「大丈夫ですよ。私、バランス感覚が——きゃっ!」


「……言わんこっちゃない。ったく、七菜香は昔から頼るのが下手なんだから……。別に引っ付かなくていいしさ、とりあえずシャツでも掴んで」


「あ……はい。ありがとう……ございます」


「眠くて足元がふらつくんだろ? 我慢という名の遠慮は禁止な。学校で演技をするためにも体力はとっとけよ」


「はい……」



 七菜香は俺に言われた通り、腰の辺りをちょんと掴む。

 それから肩がぶつかるぐらいの距離に近づいてきた。


 ……珍しい。

 普段は天邪鬼で素直に従うなんてことないのに……。


 どういう心境の変化で……って、あー。

 彼女のフリをしてるのか。


 俺が自己解決をしていると、七菜香が俺に何か言いたげな視線を向けてきていた。



「どうした?」


「いえ……。ただ……さりげない行動ってずるいですよね。にい……かずくんの場合は、今更ではありますが……」


「危なければ手を貸すもんだろ? 別に意識することでもねーよ」


「さっきの行動をナチュラルにやっていたら、いずれ女性に勘違いされて刺されますから」


「物騒だなぁ。俺の行動って殺人衝動を助長させるものなのかよ」


「あくまで忠告ですよ。惚れさせまくると敵が増えますからね?」


「ははっ。それは問題ないよ。俺はモテないからさ」


「そうでしたか?」


「なんで首を傾げるんだよ。もし、こんなんで、ときめいてたらチョロインとか言われるぞー」


「私はときめいてませんからねッ!」


「へいへい~。わかってるよー」



 七菜香は俺の態度が不服だったのか、腰をつねってきて顔を背けてしまった。


 俺はそんな妹の頭を何度か突く。


 ちなみに反応はゼロ……。

 さて、この生意気な妹をどうやって反応させ——




「一輝? こんな時間に珍しいね」




 聞き覚えのある声が聞こえると同時に背後から肩を叩かれた。

 俺が声がする方に視線を移す。


 視界に入ってきたのは、肩ぐらいまで伸びた栗色の髪。

 制服は程よく着崩していて、すらっとした脚に出るところは出ている。人目を惹く見た目をしている彼女だが、大きめのヘッドフォンをつけているせいで『話しかけるなオーラ』が全開である。


 話しかけてきたのは、クラスメイトの——厳島夕莉いつくしまゆうりだった。



「よっ厳島」


「うん、おはよ」



 厳島は淡々としていて、素っ気ないようにみえる挨拶を返してきた。


 この一見、冷たそうに見える挨拶。

 でも違うことがわかっている俺は思わず苦笑してしまった。


 そう、これは厳島にとって“いつも通り”なのだ。


 こいつのことはよく知っている。

 クールで男っぽい性格をしているから話しやすく、サバサバとした性格には好感を持てた。


 高1からのクラスが一緒で席も近い。

 そうなれば、話すようになるのは当然で……つまりは気が合う友人ってわけだ。



「厳島はこの時間だったんだな」


「うん。教室に人が集まる前に入っておきたいから」


「あー、なるほどね。でも、早く行き過ぎても暇じゃないか?」


「勉強してるから別に。よかったら一輝も来れば? 集中できるよ」


「まー考えておくわ」


「それ来ないやつ。まぁ、いいけど……」



 相変わらずの無表情。

 なのに、花があるように見えるんだよなぁ。


 厳島は、こんな見た目だから男女問わず人気がある。

 でも彼女は、群れることを嫌っているからか一人でいることが多い。

 現に普通の女の子みたいに集団に属しようとしないし、一匹狼という言葉がぴったり合う。


 だから、彼女は今日も一人だ。



「それにしても、一輝はいつも遅刻しそうな生活してるのにね。今日、雨でも降るんじゃない?」


「うるせー。たまには俺も早起きする時もあるんだ」


「ふーん……それで一輝、聞きたいんだけど」



 厳島の視線が俺と七菜香に向く。

 俺が咄嗟に七菜香を離そうとした。

 だが、さっきまでに遠慮気味にくっついていたのに、今度は腰に手を回し抱き締めてくる。


 まさか……。


 俺はちらっと妹を見る。

 すると小さく頷いて、その目は『演技よろしく』と言っているようだった。



「大事そうに抱きしめてる、その子は誰?」



 淡々とした彼女の聞きなれたはずの声。


 でも何故だろう……。

 それがいつもよりも冷たい気がしたのは、気のせいだろうか?

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