第367話 契約




《 ……ると! ……はると! 》


「……んん?」


 頬に当たる小さな感触。

 そして自分の名を必死に呼ぶその声に、ハルトは漸く目を覚ました。


《 はると……! よかった……! ぼく、はるとがおきなかったら、どうしようかとおもったの…… 》


 いつから泣いていたのだろう。まっ赤に瞼を腫らしポロポロと大粒の涙を流しながら、リュカは起き上がったハルトの膝にしがみ付いている。


「りゅかくん、ごめんね……。ぼく、だいじょうぶ!」

《 ほんとう……? 》

「うん! ……おにぃちゃんたちは?」


 きょろりと辺りを見渡すが、人の気配はない。

 大きなベッドに豪華な机。広い部屋の中はスッキリと整理され、塵一つない状態に保たれている。

 だが、一度も来た事のない場所。それなのに、どこか温かみを感じてしまう。


《 だれもね、いないの…… 》

「だれも?」

《 みんな、ちがうばしょにいるみたい…… 》


 リュカにそう言われ、耳を澄ませる。

 どれくらいの広さかは把握出来ないが、確かに物音一つしない。

 そっと扉を開け廊下を覗くが……。


「だれも、いないです……」


 廊下だけでもこんなに長くて広い。

 誰かいてもおかしくはないのに、と不思議に思う。


《 はると! そと、たいへんなの……! 》

「そと……?」


 ハルトは未だに泣きじゃくるリュカを優しく抱え、音を立てない様にそっと窓の外を覗き込む。


「なに……? あれ……」


 ハルトの視線の先には、崩れ落ちた家々と辺り一帯に漂う黒煙。そして逃げ惑う人々に襲いかかる魔物達の姿があった。

 物音一つしないこの屋敷の外では、地獄のような惨劇が広がっていた。


「たいへんです……! りゅかくん、みんな、たすけなきゃ……!」

《 だめだよ! でてったら、はるともおそわれちゃう! 》

「でも……!」 


 あんなに大きな魔物、確かに自分一人行ったところですぐにやられてしまう……。だけどこのままジッとしていてはあの人達が……。



『 おいで 』



「え?」


 確かに今、誰かの声が聞こえた気がした。

 パッと後ろを振り向くが、そこには誰もいない。


《 はると、どうしたの? 》

「いま、こえ……」


 キュッとしがみ付くリュカを抱え、ハルトはもう一度ぐるりと周囲を見渡す。



『 こっちだよ 』



 声のする方へと、自然と引き寄せられる。


《 はると? どこいくの? 》

「わかんないけど、でも、いかなきゃ……」


 不思議と怖くはない優しい声に、ハルトの足は自然と動いていた。






*****






「……んん? にぃに……?」


 ひんやりとした冷たい床の上。思わず身震いしてしまうが、此処が何処なのか分からずにユウマは周囲をキョロキョロと見渡す。


「はるくん……? めふぃくん……? どこぉ……?」


 その声に反応する者は誰もいない。

 ユウマの周辺は、見渡す限り闇に包まれている。ここが狭いのか広いのかさえも分からずに、ユウマはその場を動けずにいた。


「……ふぇ」


 襲い来る恐怖に必死に耐えようとするが、自然と涙が溢れてくる。

 一度溢れてしまえば、それを止めようとするのは幼いユウマには難しかった。


「……てぉくん、いるぅ……?」


 涙を手で拭い、いつも傍にいた妖精のテオを探そうとするが返事はない。鼻を啜りながらも、周囲を観察しようと必死に目を凝らす。

 すると、真っ暗闇の少し先で、小さな小さな淡い光が一瞬だけユウマの目に届いた。


「てぉくん……?」


 ゆっくりゆっくりと、光の見えた場所へと這いながら近付いていく。

 するとユウマの指先に微かに小さな何かが触れた。


「てぉくん……?」


《 ……ゆぅ、ま……? 》


 消えてしまいそうなその声に、ユウマは慌てて両手を手繰り寄せる。


「ておくん! だいじょうぶ?」

《 ……ぅん、ちょっと、ねむぃだけ…… 》


 真っ暗な闇の中、どんどんと衰弱していくテオの様子が手の中で感じ取れる。


「ておくん! ゆぅくんね、しゅぐたしゅけるから!」

《 ………… 》

「ておくん! がんばってぇ……!」


 ユウマの言葉に答える様に、テオの羽が弱々しく光を放つ。

 それでもユウマは必死にテオに語り掛けた。だが次第にユウマの声にも反応しなくなり、手の平の中でぐったりと力の抜けたテオの体だけを必死に抱え込む。



「ふぇええぇ……、にぃにぃ……、はりゅくん……」





〚 助ケテ、ヤロウカ? 〛





「ふぇ……?」



 泣きじゃくるユウマの傍で、何者かの声が響いた。

 低く何重にもくぐもって聞こえるその声に、ユウマはびくりと肩を震わせる。


〚 死ニソウナンダロウ? アァ……、可哀ソウニ…… 〛


「……ておくん、たしゅけてくれりゅの……?」


〚 アァ、イマカラ俺ノ言ウコトヲ繰リ返セバナ 〛


「ほんちょ……?」


〚 アァ! 俺ガ助ケテヤルトモ……! 〛


「わかった……!」


 真っ暗闇の中、ニタリと笑う相手に気付かぬまま、ユウマは声のする方へとそろりそろりと近付いていく。


〚 言ウゾ? 〛


「ん……!」



「ダメですよ?」



〚 ギャアアアァアアアア────ッ!!! 〛



 突然、ユウマの耳が塞がれた。

 そして全身を誰かに守られているが、微かに感じる熱風に思わず身じろいでしまう。そして突然噴き出した炎に照らされ、自分を抱え込む男性の姿が照らし出された。


 黒髪に、青い瞳をしたその青年。


 ユウマは不思議そうにその顔を覗き込む。

 どこかで会った気がするが、それが思い出せない。思い出そうとするが、炎が消え照らされていたその顔も分からなくなってしまう。


「ユウマさん、大丈夫ですか? 痛むところは?」

「ん~ん、ゆぅくん、どこもいたくなぃの……。でもね、ておくんげんきなくてね、めふぃくんも、はるくんも、にぃにもいなぃの……」


 ユイトたちがいない事を思い出し、ユウマはまた心細くなってしまう。

 我慢していた涙がまたポロポロと溢れてきた。


「ユウマさん、大丈夫。メフィストは無事ですよ。ユイトさんも、ハルトさんも、私が必ず見つけます」

「ほんちょ……?」

「えぇ、だから泣き止んで? 先ずはテオを治しましょう」

「ん……」


 そう優しく微笑むと、ユウマの手の中で力なく倒れているテオをそっと手で掬い上げる。


「衰弱していますね……。ここは瘴気が多過ぎる。妖精には耐えられない……」

「おにぃしゃん、ておくん、たしゅかる……?」

「えぇ、テオ次第ですが……。ユウマさん、ここからは目を閉じて、耳を塞いでください」

「おめめ、とじるの? おみみも?」

「えぇ、この子を助ける為です。出来ますか?」

「ん! ゆぅくん、できるよ!」


 そう言うと、ユウマはぎゅっと目を瞑り両手で耳を塞いだ。

 それを確認すると、青年はテオに問いかける。


「テオ。私と契約を」

《 ……けぃ、やく……? 》

「このままでは、その体は瘴気に耐えられない……。ユウマさんと離れたくないでしょう?」

《 ぼ、く……。はなれ、たくなぃ…… 》

「ならば契約を。私の魔力を分けましょう。大丈夫、痛みはありませんよ」

《 ……ぅん 》


 青年はテオが頷くのを確認すると、呪文と共にその小さな体にフッと息を吹きかけた。


 その瞬間、その小さな小さな体に変化が起きる。

 透明だった羽も淡い髪も、じわじわと黒く染まっていく。手足が伸び、幼い顔つきが徐々に少年へと変化していく。

 そして不規則だった呼吸が次第に安定していくのが分かった。



《 あっちも燃やしてきたよ~! 》



 すると、黒い髪を靡かせて、一人の妖精が青年の下に飛んできた。

 その姿はまるで黒揚羽の様に美しい。


「ありがとう。任せてしまって申し訳ない」

《 気にしないで! でも、地下にこんなに悪魔がいるなんて知らなかったから、驚いちゃった! ……あ、テオも大丈夫そうだね! 》

「えぇ、無事に契約が成立しました」

《 よかった~! 》


 そう言うと、青年の手の中でもぞりと動くテオを眺めている。


《 ……ん 》

《 テオ! 気分はどう? 》

《 ……かなり良い 》


 目覚めたテオは自分の姿をマジマジと観察すると、青年を見やる。



《 メフィスト、ボクはどうすればいい? 》



「……今まで通り、ユウマさんと共に」

《 ……分かった 》


 そして暗闇の中、未だに目を閉じて耳を塞ぐユウマの姿を見つめる。


《 ユウマは絶対、ボクが守る 》

「えぇ。お願いします」

《 私もいるからね! 》

「はい、期待していますよ」


 そしてしゃがみ込むユウマを驚かさない様にそっと抱きかかえると、メフィストは穏やかな口調で話しかけた。



「さぁ、ユウマさん。テオも無事です。家族の元へ戻りましょう」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る