第六話 次の戦場へ



ヘリックス川のほとりから救出されたシャザール達は本隊と合流した後、西の戦地の兵站であるラヴェルに向かう手筈となっていた。


ジョセフとシモンならびに第一中隊を残してペルム山脈から南下していったアヴェルダ軍はアヴェルダ第三の都市であるスメタナにまず到着していた。



アヴェルダ兵士が食事を取っているスメタナの酒場には野太い声がそこかしこから聞こえ、ウェイトレスがせかせかと料理と酒を運んでいた。


「しっかし軍団長置いてさっさと後退しちゃって良かったのかね?他に黄泉渡りが残ってたらまた異界の者に渡来される可能性もあるって言うのにさ。」

シャザールは不満そうに頬杖を突きながら木製のビアジョッキの底をテーブルに転がしている。

動きに従ってジョッキのビールが波打っていた。


「そもそもケルビン助けたのは誰だっつー話だよ。あーあ、こんなんだったら助けなきゃ良かったなー、そしたらあのまま前線で戦えたかもしれないし。」

防衛戦線が固まるまでは現地で待機しようと考えていたシャザールだったが、中佐のケルビンに駐屯は不要と言い切られたためスメタナまで引き戻される事となっていた。


シャザールは前線から外された事に対して人目を憚らずに文句を垂れている。

シャザールの近くにいる兵士は上司の不満を口にする傍若無人の態度にそわそわしながら視線を送っていた。


「何言ってるの、ラヴェルに派遣されるのは今回鉄橋を無事に破壊した事と関係しているのよ。」

シャザールの前に座るエウフェミアが頭を抱えながら口を開いた。


「何の話だっけ、それ?」

「はあ、本当に戦いに関する話以外聴く耳を持ってないのね。」

指先を側頭部に押し当てて聞き覚えのない話を思い出そうとするシャザール。

案の定話をきちんと聞いていなかった事を知ったエウフェミアは嘆息交じりに項垂れた。


「ブルートーが鉄道を開通させたかった先の都市がラヴェルだからだよ。ラヴェルには黄泉渡しが多く存在していて、もし鉄道が通っていたら東で採掘した幻緑石が西の前線まで運搬されて異界の者が沢山出てただろうってはnん、んごふっごふっ。」

シャザールの隣で酒場の料理をガツガツ食べながらユークリッドが作戦の背景を説明する。説明の途中で食事が喉に詰まったのか、苦しそうに咳き込むとシャザールが眉を顰めながらそっとビールジョッキを差し出した。


「ーーーふー、つーことで幻緑石がほぼ手元に無いうちに黄泉渡しの人間を沢山潰しておこうとっていう作戦よぅ。」

胸を叩いて料理を胃の中に流し込んだ後、何事もなかったかのように話を再開する。


「ふーん、まあいいや。つーか、そもそも軍団長とシモン准将で峡谷の守り出来るのかよ。」

「何言ってんだ、馬鹿。お前らは川に流されてたから知らないだろうけど、シモン准将の強さ半端じゃなかったぞ。トンネル側で出現した異界の者を結局3体倒してたっぽいし。俺らが援軍で到着した頃には奏者も異界の者も全て片付けてたんだからな。」

ユークリッドは捲し立てるようにして無遠慮なシャザールの言動を制すると、体を寄せながら小声で告げた。


シャザールが川に飛び込んだ後、残りの工兵によって鉄橋の破壊を無事に成功させたケルビン軍はシモン軍を支援するべく、路線沿いに進んでトンネルへと進んでいった。


挟撃を仕掛けようと近づいたケルビン軍を待っていたのは、3体の異界の者を討伐して剣を杖のように地面に突き立てながらワームの上に腰掛けるシモンの姿だった。


「へぇ。准将は戦争経験の少ないお坊ちゃんばかりのイメージだったけど、シモン殿に加護が与えられているという噂は本当みたいね。」

「加護?」

シャザールには聞き慣れない言葉を反芻した。


「詳しくは知らないけどホメスから高位霊体を降ろして超人的な力を得るものらしいわね。アヴェルダ内でも数えるほどしか加護を持つ者はいないと聞いているわ。私が使う剛気は浮光体を使っているから方式そのものが違うみたいね。」

エウフェミアは人差し指を立てて指の周りに浮光体を出現させると、今度は指を手のひらにしまい込んで浮光体を消失させた。


「シャザール、中佐がお呼びだ。」

シャザール達が声の方に顔を向けると小隊長が酒場の扉に腕を置いたままこちらを見ていた。


「ーーーえっ、俺さっき言い過ぎた?」

「知らないわよ、バカ。さっさ行きなさいよ。」

不安そうな目で小隊長から戻した視線をエウフェミア向けるシャザール。その視線を一顧だにせずにエウフェミアがそっぽを向いた。



重い足取りでケルビンがいる宿舎に到着する。

後退する際にも少し言い合いになっていたシャザールは恐る恐るケルビンの部屋の扉を叩いた。


「入れ。」

静かな口調でケルビンが答えた。


促されるままにシャザールが入室するとケルビンは机に向かって手紙を書いている最中のようであった。

カリカリと音を立てながら紙の上に筆を走らせていた。


「えっと。」

「今日川に飛び込んだ事は反省しているか?」

沈黙に耐えきれずにシャザールが口を開くとケルビンが背を向けたまま問いを投げかけてきた。


「ーーーいや、反省してないです。結果的にエウフェミアも助けられましたし。」

シャザールはケルビンの後ろに直立したまま思っている事を答える。


自分のお陰で異界の者を倒す事が出来たし、川に飛び込んだ事でエウフェミアを救出する事は事実だった。自分の行なった行為に名誉を感じはこそはするが反省などするはずがなかった。


「お前も無駄死にしていた可能性もあるんだぞ。お前の命はお前のものでは無い、アヴェルダのものだ。アヴェルダの為に使え。」

ペンを置いたケルビンは椅子ごと後ろに向き直り、眼鏡を押し上げてシャザールを見た。咎めるでも怒るでもない感情を持った瞳が真っ直ぐにシャザールを捉えていた。


「ーーー俺はアヴェルダの為に戦うがどのように戦うかは俺が決める。あんたらじゃ無い。」

自然と握りこぶしに力が入っていた。


「ホルストの自治権を取り戻したいらしいな。」

「それがどうした?」

「一人の人間に守れるものはそう多くは無い。ホルストの自治権を早く取り戻したいなら守らないものも決めるべきだ。」

立ち上がったケルビンは机の上に置いてある印璽のされた封筒を拾い上げた。封蝋はアヴェルダ軍の軍旗のデザインでもある剣と盾が描かれている。


「ジョセフ軍団長からだ。今までの功績を考慮してお前を中尉に任命する。」

「は?」

ケルビンは封のされた手紙をシャザールの胸元に押し付けるようにして渡した。

封筒を受け取ったシャザールは戸惑いながらケルビンと封筒を見返す。


「お前のような人間がアヴェルダには必要という事だ。英雄は自分では死に場所を選べないぞ。」

小さな笑みと共にそう言い残したケルビンは背中を見せて机に向き直る。


机に置いたペンを手に取ると手紙の続きを書き綴り始めた。シャザールはまだ状況が掴めていない様子で視線を泳がせながら様子を見ている。


「用事は済んだだろ。さっさと出て行け。」

「えっ、あ、はい。」

まごついたようにいつまでも部屋に残っているシャザールに対し、後ろを振り返らずにケルビンに命令した。促される形でシャザールは宿舎を後にする。



「よう、シャザール。詰められたか?」

酒場に戻ったシャザールをユークリッドが手を振りながら陽気な口調で出迎える。


「ーーー中尉になったわ。知らんけど。」

『えっ!?』

自分自身納得のしていない声色でシャザールは席に着いた。その言葉を聞いたエウフェミアとユーグリッドは驚きの声を漏らした。


「俺もよく分かんねーんだよ。なんか喧嘩腰で話してたら任命状渡してきてさ。」

釈然としない面持ちで手にしている封筒を取り上げて二人に見せた。


「確かに本物みたいね、アヴェルダ軍の軍隊章の印璽だし。」

「いや、中身は違うんじゃねーか。ドッキリ的な。」

「おい、勝手に開けんじゃねー。」

二人は興味深そうに封筒を観察しているとユーグリッドが手紙を奪って封を開けようとした。シャザールは奪われた封筒を取り返そうと手を伸ばすが一歩対応が遅かった。


「ーーーあっ、やっぱり本当の任命状だな。」

「本当だ、つまんないの。」

封を開けて中尉への任命状である事を確認したユークリッドは隣にいるエウフェミアにそのまま手渡した。

エウフェミアは物足りなさそうに書類を広げる。


「まあ取り敢えず今日はシャザールの昇任祝いという事で飲みますか。ユークリッドの奢りで。」

「えっ、俺の奢りなの?」

ユークリッドがびっくりしたようにエウフェミアに向き直った。


「よし、それならこの店の酒全部飲もう。」

先ほど勝手に手紙を開けられた仕返しとしてか、シャザールは口元に笑みを浮かべながらウェイトレスに酒の注文をする。


「マジかよ。お前の場合やり兼ねなさそうなとこが怖えーよ。」

項垂れるユークリッドを見てシャザールとエウフェミアが思わず声を出して笑った。

まだ夜も始まったばかりであった。

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