第七話 レガット
広大に広がる荒野の中を1台の電気機関車が走り抜けていく。
線路の継ぎ目に接触する度に機関車は上下に少し揺れてだだん、と振動と共に軽快な音を車両に響かせていた。
広大なアヴェルダを横断するようにスメタナからは東西に線路が走っている。
その最西端の都市であるパッフェルから数百キロメートル北上した所に西の戦地最前線であるブルートー領クリオだった。
近年のブルートーとの戦線は東では無数の異界の者たちの攻撃で領土を奪われる傾向が強かったが、幻緑石資源の少ない西側ではアヴェルダが大きく戦線を押し上げていた。ここ数年で西側深部へ侵攻を進めていたアヴェルダ軍はブルートーの耕作地を抑えて食糧の供給源を奪うことを画策していた。
「早く着かねーかな、パッフェルに。」
ワクワクした面持ちでシャザールが電気機関車から外の景色を覗いている。辺り一面荒野が続く趣のない景観であるにも関わらず、座席の上で膝立ちになって周りの様子を忙しなく見回す。
「シャザール、みっともないから座っていなさいよ。」
「うるせーよ、あのバルザック将軍の下で戦えるんだぞ、これで興奮出来ない奴がどこにいるっていうんだよ。」
対面に座るエウフェミアが注意をするがシャザールは聞く耳を持たなかった。まるで犬みたいね、とエウフェミアが頭を抱える。
朝一番で出発したものの地平線には夕日が沈みかけていた。赤みが深まっていく夕日の先に終着駅のパッフェルが位置している。
窮屈そうな音を立てながら電気機関車が停止する。
夕日が地平線に隠れる頃にシャザールたちを乗せた機関車はパッフェル駅に到着していた。
夜の帳の降りたパッフェルは建物から漏れ出る灯りと街灯によってその街並みが煌々と照らされている。
西の一大都市であるパッフェルには煉瓦作りの建物が軒を連ねており、街の中央に位置する丘にはかつては闘技場であった誰もが目を引く巨大なスタジアムが構えていた。
荷物を持って車両から降りる彼らの耳に大きな歓声が聞こえる。声の発生源は街の中心部にある競技場からのようだった。
レジットと呼ばれるアヴェルダ随一の人気を誇るこのスポーツは、砂上に2つの陣地を構え、革で出来たボールを奪いながら自陣にいる味方に投げ渡すか、ボールを持ったまま自陣に戻った際に入るポイントで勝負する6対6の競技である。
元来は荒野や砂漠の多いアヴェルダの地で水の入った革の袋を奪い合った事に端を発する為、殴ることは禁止されているもののラリアット程度の肉体接触は認められている。
「今日はアヴェルダ軍チームとパッフェルのプロレジットチームで親善試合をしているのさ。」
不思議そうにスタジアムに視線をやっているシャザールに駅のホームに座る老紳士が説明した。
「へぇ。ありがと、じいさん。面白そうだし、行ってみるか。」
エウフェミアとユークリッドはスタジアムに向けて動き出したシャザールについて行く形で丘を登り始めた。
スタジアムに着くとより大きな歓声が広がる。
肌着一枚になった筋骨隆々の男たちが一つの革のボールを巡ってその巨体を躍動させていた。
戦況を見る限り巧みな技術と強靭さを持つパッフェル側にアヴェルダ軍チームが押されているようだった。
「おいおい、それでもアヴェルダを守る兵士か?だらしないぞ。」
「これならパッフェルのレジット選手を戦場に向かわせた方が良いんじゃないか?」
パッフェル市民と見られる男たちが得点を決められたアヴェルダ兵士に挑発する。
縦横無尽に走らされていた兵士たちは膝に手をついて息を整えていた。煽られた兵士は観客席を睨むことが精一杯だった。
「言うねぇ。よし、なんなら俺が出てやるぜ。」
上着を脱いでピッチに出ようとするシャザールが観客席の囲いに足をかけた。するとはっきりと響き渡る声がスタジアムに駆け巡った。
「アヴェルダの兵士たちよ。こんな事を言われて悔しくないのか。」
貴賓席にじっと座って戦況を見守っていた金髪の男が立ち上がる。
無光沢の白色の鎧を身に纏い、切れ長の鋭い目でピッチを見下ろす。その精悍な顔立ちは鎧の奥に屈強な体躯を有している事を彷彿とさせていた。
「ーーーバルザック将軍。」
絞り出すような声を発しながらシャザールは貴賓席の軍人を見つめていた。
後ろになで上げられた金色の髪、骨の秀でた引き締まった顔、そして代名詞ともなっている白い鎧。全てがその者の正体を告げていた。
「胆力のない者はアヴェルダ軍にはいらん。私が手本を見せよう。」
バルザックは白色の鎧を貴賓席の卓子に置くと、10数メートルは離れている砂上に飛び立った。着地の際に降りかかった砂を払いながらバルザックがゆっくりと立ち上がる。
驚異的な跳躍力を見せられてパッフェル陣営だけでなく、アヴェルダも驚愕の面持ちでバルザックに視線を運んでいた。
「将軍、俺も出ます。」
観客席を超えてシャザールもフィールドに降り立った。
「ーーーそこの二人、代われ。」
バルザックはシャザールに視線をやると、アヴェルダ兵士陣営として一番消耗していた2名の兵士に対して場外へ出るように顎で指示を出した。
「死ぬ気で球を取ったらその後私に渡せ。」
アヴェルダ軍陣地の近くに転がっているボールを手に取ると、バルザックは自分の身の丈の倍近くある逞しい身体つきのパッフェル選手にボールを投げ渡す。
それが試合再開の合図だった。
「了解です!」
気合いを入れたシャザールは一目散にボールを持つ男へ向かって行く。それを見た男は左前方に展開していた仲間にボールを投げ渡した。
「あっ、てめぇ。」
シャザールは宙に手を伸ばすがボールには届かない。
自分の後方にいるパッフェル選手にボールが渡るのをたシャザールは反転して敵軍の方へと向き直った。するとボールを投げた男はピッチの中央へと下がりながらシャザールの後頭部を掴んで地面に押し倒す。
「ってぇ。何すんだよ。」
「10秒動くな。反則取られるぞ。」
立ち上がって男に飛び掛かろうとするシャザールを近くにいた髪が逆立ったアヴェルダ兵士が制止させた。
レジットは肉体接触にて敵を投げ倒す事が可能な競技である。砂上に腕を含む上半身をついた選手はペナルティとして10秒間試合に参加出来なくなる事になっていた。
「ルールも知らないのに出ようとしてたのね。」
エウフェミアが額を手で覆って嘆くようにかぶりを振った。
ボールを受け取った細身の男は勢いよく加速しながらピッチを駆け抜けて行く。
「何してんだ、早くそのワインダーを止めろ。」
シャザールを制止させていた兵士が自陣に戻ろうとするパッフェル選手を指差す。
6人編成のレジットは敵陣でボールを受け取るトップと敵陣から自陣へとボールを運ぶ役目のワインダー、自陣にて敵軍の選手の動きを止めるアンカー、遊軍として縦横無尽にピッチも動くルーツレスと全体の指示とボールを持って攻撃の起点となるタワーのポジションに分かれている。
ワインダーの動きを止めようと前に立ち塞がったアヴェルダ兵を嘲笑うかのようにワインダーはその腕をすり抜けて砂上を駆け抜けていく。
「貴様ら、何腑抜けたプレーをしている。」
自陣後方にいたはずのバルザックは砂を後方に蹴り上げながらワインダーの前に躍り出た。
怒りを混じらせた声で前腕を振るい、突っ込んできたワインダーを勢いよく地面に叩きつける。抱えていたボールはそのまま砂上を転がっていった。
バルザックはボールを拾い上げると脇に抱え、ピッチの敵陣よりの位置から自陣へと駆け出した。
「止めろ!」
ピッチ中央にいるタワーとワインダーがバルザックに対抗して進行方向に進み出た。しかし強烈な推進力を持ったバルザックに掴みかかった両名は弾かれるようにして砂上に飛ばされた。
「すげぇ、、、」
砂上に座り込んだまま超人的な動きで自陣へと戻って行くバルザックを目を輝かせながら見つめるシャザール。
「行かせるかぁ。」
先ほどシャザールを倒した巨大な体躯をしたトップの選手がバルザックの肩を掴んで制止させようと試みる。
一瞬速度を失ったバルザックであったが、その推進力を完全に押し殺すことは出来ないのか、トップの選手の足元の砂を盛り上げながらバルザックは押し進んで行く。
「ぬるいな。」
「うっ。」
小さな声でバルザックは呟く。足に力を入れたバルザックは肩を押さえつけているトップの選手の拘束を力で捩じ伏せて体当たりした。鈍い音と共にトップの選手が後方に倒れ込んだ。
「お前たちはこんな選手相手に良い様にやられていたのか。」
難なく自陣のゴールラインに到着したバルザックは失望を顔に浮かべながら周囲のアヴェルダ兵に視線を送る。
「申し訳ありません。次はしっかりやるのでもう一度チャンスを下さい。」
「ーーー戦場にはもう一度のチャンスなんか転がっていないぞ。」
バルザックに近づいて弁明をする兵士に冷たい視線を投げかける。冷徹な視線に戦慄を覚えた兵士はビクッと体を震わせた。
「将軍、もう一回やりましょうや。こっちもプロなんであれだけコケにされたら黙っていられないんでね。お前らもだろ、なあ?」
パッフェルのトップ選手が膝に手をつきながら立ち上がった。
その目には報復と闘志の炎が宿っている。自陣にいるパッフェルの選手にも声を掛けると低く響いた声でおうっと喊声が返ってきた。
「ふん、相手チームの方が胆力がありそうだな。」
そう言ってバルザックは再度相手のトップの選手にボールを投げ渡した。トップの男は先ほどと同様に近くに展開しているワインダーの選手に向かってボールを放り投げた。
「今度は将軍の手を借りずに相手の退却を止めるんだ。」
アンカーを担う髪の逆立ったアヴェルダ兵が敵陣付近にいる仲間に指示を出す。
先ほどのバルザックが見せた厳しい表情が脳裏に焼き付いているアヴェルダ兵は必死の形相でワインダーに迫る。
「止められるはずがないさ。俺たちのワインダーはアヴェルダで最も優れているんだから。」
アヴェルダ陣地内にいるパッフェルのトップ選手が余裕そうに呟いた。
その言葉通りにボールを持ったワインダーは前方に立ち塞がるアヴェルダ兵を巧みに手で押さえつけてすり抜ける様に突破していった。
シャザールは敵陣までの防衛戦線が突破されて事を確認したシャザールは周囲を警戒しながら敵陣へと走り出す。
「待てよ。」
シャザールは観客席との間にある塀を蹴って高く飛び上がった。自陣へ戻ろうとしているワインダーの頭上にシャザールが舞い降りる。
「かはっ。」
予期せぬ組み付けによってワインダーの選手は砂上に押さえつけられた。脇に抱えていたボールも腕から転がり出る。
「取れよ。俺はやられっぱなしってのは我慢ならねえんだ。」
砂上のボールを拾い上げたシャザールは自軍の中央に残っているパッフェルの選手の目の前にボールを投げ捨てる。
「お前ごときが舐めるんじゃねえ。」
怒りに身を任せたトップの選手はボールそっちのけでシャザールに突進すると地面に押しつぶそうとその大きな手を叩き付けた。
「くっ。こんなのにやられてるんじゃそりゃ失望しますよね、将軍。」
自分の倍以上はある巨大な体に覆いかぶさられる状況になりながらもシャザールはその攻撃を両手で受け止めていた。巨大な体に押し潰されそうになるのを眉間に皺を寄せながら何とか食い止めるシャザール。
「何!?」
「ぐ、ぐぐぅーーー俺はバルザック将軍の様な英雄になる男だ。体がデカイだけが自慢のやつなんかに倒されるわけねえんだよ。」
力負けして徐々に後退させられていたシャザールであったが肩に力を入れて押し込まれるのを止める。
「ぐぅ、ううおりゃあ。」
「うおお。」
握り合った手を上空に向けてシャザールは巨大な男の体を宙に浮かせていた。そのまま男の体を後方に叩きつける。
男の体は砂上に落とされると周囲に大きな砂塵を巻き上げた。
「俺の勝ちだな。」
ボールを拾ったシャザールは唖然として動きを止めている周囲の人間を横切りながら自陣ゴールラインを通り越した。
「うおー、すげーなお前。」
髪の逆立った男を中心にアヴェルダ軍チームの兵士たちがシャザールを取り囲む。
パッフェルのトップ選手は砂上ではありながらも強烈に背中を地面に打ち付けて気絶している様だった。その周りを仲間の選手が心配そうに囲んでいる。
パッフェル選手が競技再開不能の状態になった為、バルザックは競技場の出口へと歩みを進めていた。
「中々見込みがありそうだな。名はなんと言う?」
「シャザールです。ペルム山脈での作戦からこちらに派遣されてきました。」
自陣ゴールラインにて仲間に揉みくちゃにされているシャザールにバルザックは一瞥をくれた。仲間のアヴェルダ兵士を押さえつけてバルザックの前に躍り出たシャザールは緊張した声色で答えた。
「覚えておこう。」
踵を返したバルザックは入退場門から競技場の奥へと進んでいく。シャザールはその後ろ姿をじっと見続けていた。
The Book of Ctum 〜コアンタム・ドグマ〜 抹茶ラーメン @hideyuki_12
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