第48話 言ってなかったこと

 ここはまだ塔の中。時間はそんなに経っていない。


 すぐに目を覚ました私は、少しだけ離れた場所にふわふわと浮きながら立っていた。


 そっか。

 この私は魂で、身体から出ちゃったんだ。


 カリヴェルは私のおばあちゃんによって気絶させられ、床に沈んでいる。


 ウィル様の足元には、冥王様がくれた石が灰色になって転がっている。ヒビが入っていて、もう使えないだろう。

私が入っていた器・・・・・・・・を抱き締めて涙を流すウィル様を、ぼんやりと眺めることしかできない。


「ユズ……!どうして……」


 泣かないで、これしか方法がなかったんだから。

 不本意だけれど、ウィル様がもう一度死んじゃうよりはこれでよかったんだって心の底から思う。


 ハクは茫然として、床に座り込んでしまっている。いつもしっかり者のハクが目に見えて落ち込んでいるから申し訳ない。


 青白い顔をした私の身体は、魂が抜けてしまったので徐々に冷たくなっていくだろう。


 私がこうなるのは二度目である。


 ウィル様が泣きながらハクを見つめる。なぜ私がこうなってしまったのか理解できないんだろうな。

 顔を上げたハクは、声を振り絞って話し始めた。


 昔、私がまだウィル様と会う前に一度死んでいることを。


「五歳の頃に、ユズは一度死んだんだ。花を摘むって……崖から落ちた。そのとき、母親のアリアドネ様がすぐに見つけて、冥界から連れ戻したんだ」


 私の場合、ウィル様と違って自分の身体に戻ることができた。身体の傷をすぐに母が治してくれたこと、それに死んでから時間があまり経っていなかったことが功を奏した。


 ウィル様を蘇らせたとき、私は自分のことを話そうかどうか迷った。でも言えなかった。そこに明確な理由はなくて、何となく言えずに今日まで来てしまっただけだ。


 それに私はウィル様と違って、正義な人ではない。身を挺してウィル様を庇ったというよりは、ただ彼を死なせたくなかった。置いて行かれたくなかった。


自分のワガママを通してしまっただけ。

 

「私って卑怯ね」


 呟きは誰の耳にも届かない。

 私を失ったことを嘆き、涙を流して悲しむウィル様を見ていることしかできない。


「……?」


 でもここで、ある違和感に気づく。


 どうして私は、冥界の門にいないのだろう。前に死んだときは、気づいたら冥界の門だった。そこでウサギ獣人に会って、冥王様のところに案内されたのに。


 今、私はよく見ると半透明だけれど手も足もある。どう見ても「私」だ。


「なんで?」


 不思議に思っていると、すぐそばにふわりと黒い衣を着た人が降りてきた。


 冥王様だ。

 長い黒髪を右側でゆるく結んだイケメンは、いつものように笑みを向ける。


『ご苦労だったな』


「ご苦労って、あの石どういうものだったんですか?」


 腕組みをした冥王様は、ウィル様たちの方を見ながら説明してくれた。


『ユズが思っている通りだ。あれに触れていると、魂を強制的に定着させる』


「やっぱり。あの、私は今どういう状態なんですか?なぜ魂じゃないんですか?」


 身体っぽいものがあるのはなぜでしょう。

 その答えはまさかのものだった。


『言ってなかったか?一度死んで蘇った者は、再び死んだら冥界で働くことになっている』


「聞いてません!」


 そんな大事なことをなぜ今言うんですか!?

 働かせるために、身体っぽいのを残しているってことですね!?


 衝撃的なお報せに目を見開く私。冥王様はクツクツと笑った。


『教えなかった方がおもしそうだから』


「おもしろそうだから!?」


 冥王様のことだもの、そんな理由でしょうね!!

 でも私にはもうどうしようもない。


「ウィル様はこれからどうなります?私、ひどいことをしてしまいました」


 結婚しようって言ってくれたのに。約束は守れなくなってしまった。

 置いていかれる悲しみは、私が一番よくわかっているのに。姿を保てているせいか、死んでしまった実感がいまいち湧いてこないけれど、ウィル様を悲しませているのが自分だと思うと息が詰まって胸が苦しい。


「ユズ……!」


 私を抱き締めて離さないウィル様は、死んだ私から見ても痛々しい。今にも消えてしまいそうなくらい、その背が儚げに見えた。


 すぐにでも触れたい。

 私はここにいるから大丈夫だよって、抱き締めたい。


 でもそれはもうできなくて、声すら届かない。


 気づけば涙が頬を伝う。


『戻りたいか?』


「え?」


 涙も拭わず見上げれば、冥王様が穏やかな笑みを浮かべていた。

 こんなにも優しい顔をする人だっただろうか。

 いつも気だるそうで、眠そうにしている顔しか見ていないのでちょっと意外だ。


『我とて、おまえたちを見て何も思わぬわけではない。今回ばかりは力を貸してやる。それに、銀杖ぎんじょうの魔女の血が途絶えると世界にひずみが出る』


「冥王様……」


『それに』


「それに?」


『菓子を配達する者がいなくなるのは困る』


 そこ!?

 何を置いても菓子なんですね!?


 呆気にとられる私の頭を、ガシガシと大きな手が乱暴に撫でた。


『人の生は短い。冥王が私情を挟み、ユズリハの命に多少色を付けたところで大きくは変わらん』


「えええ……」


 私は困惑しつつも、心はもう決まっていた。


「お願いします。ウィル様とハクの元に私を帰してください」


『わかった』


 くすりと笑った冥王様は、その美しい顔を私のおばあちゃんの方へと向ける。


『さて、代償はベルガモットに頼むとしようか』


「え?」


 意味がわからず目を丸くしていると、なぜかおばあちゃんがにっこり笑って冥王様に返事をした。


「お久しぶりね。私がそっちで働けばいいのかね?」


『やはり見えていたか。話が早い』


 なんで!?絶句していると、おばあちゃんが説明してくれた。


「聖樹の雫を飲んでいると、冥界と通じやすくなるんだよ。向こうに行けるのも、銀杖ぎんじょうの魔女の血筋だから。あぁ、ハクは魔女の素養がないから冥王様やユズのことは見えちゃいないよ」


 つまり、魔女には冥王様や魂が見える。でもほかの人には見えない。

 ハクやウィル様、シュゼア殿下にはおばあちゃんが独り言をしゃべっているように思えるってことか。


 いやいや、そんなことはどうでもよくて、代償って何!?


『ユズリハを身体に戻す代わりに、ベルガモットを冥界へ連れていく。働き手が必要だからな。これはまぁ、言っていない契約の一部だと思ってくれ』


「言ってないことが多くないですか?まだあるんじゃ……」


『さすがにもうないと思うが、また思い出したら教える』


「えええ」


 脱力する私の前で、おばあちゃんは床に転がっていた銀杖ぎんじょうを拾ってガリガリと魔法陣を描き始めた。


 ハクやシュゼア殿下は、その様子を険しい顔で眺める。

 魔女の奇行と思われているんだろうか。私のためにありがとう、おばあちゃん!


「あ、でもいいの?まだ研究をいっぱいしたかったんじゃ」


 そうだった。冥界に行くっていうことは、この場合どうなるんだろう。死ぬってことなのかな。

 冥王様に縋る目で尋ねると、死ぬのとは違うと返された。


『生の凍結といえば近いかもしれん。死ぬわけではないから安心しろ』


「私はもういいんだよ、ちょっと今回はやりすぎたって思うところもあるしね」


 自覚あるんだ。おばあちゃんにしては、めずらしく反省しているみたい。


「それに、冥王様って昔から好みのタイプだったんだよ。こんな人のそばで働けるなら、冥界行きも歓迎だね」


「おばあちゃんらしい……!納品に行ったら、おばあちゃんに会える?」


 冥王様は頷いた。


『いいかユズ。愛する者のために生きて死ぬことは、人族の本能に近い。だが死に急ぐな。それは、残された者たちに心の傷を押しつけることになるぞ』


「はい」


『押しつけていいのは、菓子だけだ』


「…………はい」


締めの言葉が残念だった。

 しかし冥王様は満足げで、私の頬を指で撫でると祖母の描いた魔法陣にそっと手をかざす。


『聖樹の森の聖霊よ、冥界の王が命を下す。ユズリハの魂に限り代償を得てその肉体へと宿らせよ』


 冥王様の力を借りて、魔法陣が七色に輝きだす。


「っ!?」


 ハクやウィル様、シュゼア殿下が異変に気付いて身を強張らせる。

 冥王様は詠唱を続けていて、その手からはずっと白い光が魔法陣に注がれていた。


「おばあちゃん!」


「ユズ、幸せにおなり。自分の娘を助けられなかった私でも、孫を蘇らせることができるなら本望だからね」


「ありがとう……!」


 両手を重ね、しばしのお別れをした。またお菓子を持って行ったときに会えるんだから、とはわかっているけれど手を離すのがはばかられる。


 そんな私を見かねたおばあちゃんは、にっこり笑って手を離した。


「さぁ、私は冥王様と一緒に行くから。もうお別れだよ」


「うん」


 目を閉じると、身体の芯から温かくなっていくのを感じた。

 再び眠りについた私は、溶けるように消えていく。


 そして、目を開けたとき、そこには愛おしい人の顔があった。


 光の収まった魔法陣を見て、困惑するウィル様。

 私はその頬にそっと左手を伸ばす。


「っ!」


 突然の手の感触に驚いたウィル様は、私を見下ろして息を呑む。

 本当に戻ってこられたんだ、そう思ったら自然に涙があふれた。


「ただいま、ウィル様」


「ユズ……!」


 ぎゅうっと強く抱き締められ、窒息する寸前でハクに助けられる。

 あやうくもう一度死ぬところだった私は、泣きながら笑った。


「ウィル様が好きすぎて、戻ってきちゃいました」


 しつこい女だと思われるかな。

 でもそれでもいい。ウィル様とハクのそばにいたい。


 これからは、何があっても一緒に生きていけるように努力しよう。


「ユズ……!」


 今度は優しく抱き締められて、私もウィル様の背に腕を回す。

 硬いウィル様の身体の感触、温かい体温。生きていなければ感じられない、確かな存在があった。

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