第41話 再会

 そろそろ使用人が動き出す早朝。白くぼんやりとした空を見て、私は自分の部屋に戻ることにした。

 あと三時間ほどでまた研究室に行き、シュゼア殿下の助手をしなくてはいけない。


 ウィル様は疲れた顔だった。

 少し眠ってはどうかと私は言ったけれど、心配だからと私を部屋まで送ってくれようとする。


「寝た方が……」


 頬に手を当てると、大きな手が重ねられる。


「眠れそうにない。ユズを部屋まで送ったら、そのときは横になってみるよ」


 私たちは薬学研究所に近い寮まで、手を繋いで無言のまま歩いて帰った。


 正面に白い真四角の建物が現れ、私の部屋から近い裏口へと向かう。

 ハリネズミのフェイに餌のハーブをあげなくては、そんなことが頭に浮かんだ。


「ウィル様、もうここで」


 するっと手を離すと、ウィル様がいなくなってしまわないか不安になる。

 じっと見つめると、優しい笑みで「大丈夫だ」と返された。


「今日は式典ですよね。警備は広場の西側ですか?」


「あぁ」


 奇しくも今日、カリヴェル様とトーリア妃の結婚二周年を祝う式典がある。二年前の今日、二人の結婚式が行われたのだ。


 式典といっても、宰相や大臣が祝辞を述べて、広場にある建物のバルコニーからお二人が民衆に手を振っておしまい。トーリア妃の体調が思わしくないから、短時間で式典は終わる。

 馬車でのパレードも予定されているけれど、それはトーリア妃の体調次第。もちろん、民衆は楽しみにしているから、トーリア妃が馬車に乗らない場合は影武者である侍女がその役目を務めるらしい。


 ウィル様は兵士として、もっとも国民が集まる広場の西側で警備に当たる。私たちは特に仕事なんてなく、治癒士の手伝いで救護要員としてスタンバイするだけだ。


「また夜に」


「はい」


 ウィル様の右手を両手で握ると、ぎゅっと握り返される。

 そしてその手を離したとき。


 私の背後から突然低い声がかかった。


「そこで何をしている?」


 驚いてバッと振り向くと、寮の裏口にシュゼア殿下が立っていた。

 そしてその右手には、赤いリボンをつけたフェイがいる。


「キュルッ!」


 私に向かって飛びついてくるフェイ。手から肩に回り、私の黒髪に体を摺り寄せる。


「殿下、どうして」

 

 こんな朝早くに、こんな場所にいるなんて予想しなかった。


「おまえの部屋を訪ねたら誰もいなかった。新薬ができたから意見を聞こうと」


「こんな時間に!?」


「それで、中に入ったらフェイが寄ってきたから一緒に部屋を出た」


「勝手に入ったんですか!?」


 女子の部屋に勝手に入るとは。しかも鍵をかけていたのに、さては魔法で解除しましたね!?

 でも今、気にすべきはそこではない。


 まずい。いくら姿が違うとはいえ、ウィル様とシュゼア殿下を会わせるのはまずい。

 あああ、ウィル様を隠そうにも、私より二十センチは背が高いからまったく隠せない!


「その男は?兵か?……っ!?」


 遅かった。

 二人はばっちり目が合ってしまい、怪訝な顔をしたシュゼア殿下は一瞬にしてその目を見開く。


 ハッと息を呑んだシュゼア殿下。ウィル様と同じ菫色の瞳が驚愕に揺れる。


「兄、う、え……?」


「…………」


 ウィル様は絶句している。

 まさかこれほどに早く、ひと目で正体がバレるとは思わなかったのだろう。


 瞬きもせず、ふらふらとおぼつかない足取りで近寄ってくるシュゼア殿下の姿に、私は何も言えなくなってしまった。


「兄上……兄上ですよね!?」


 私はウィル様の隣に立ち、二人は三年ぶりに再会を果たした。


「兄上ぇぇぇ!!」


 シュゼア殿下はウィル様のシャツを掴み、背中を丸めて縋る。そんな弟に対し、ウィル様はそっとその肩に手を添えた。


 それだけで、すべてを肯定してしまった。

 困ったような、諦めたような。そんな笑みで静かに弟を宥めるウィル様は、優しい兄の顔で……。


「シュゼア、ここではまずい」


 冷静に諭すウィル様。私は二人を自分の部屋へ招き入れることにした。

 



 窓が西向きなので、早朝はぼんやりと光が入る程度の私の部屋。少しだけ窓を開けると、カーテンが風に揺れる。


 王子様を招き入れられるような豪華さはまったくないけれど、広さだけはあるので三人で集まっても十分なスペースだ。


「こちらへどうぞ」


 ウィル様とシュゼア殿下にはダイニングテーブルに向かい合って座ってもらい、私は備え付けの小さなキッチンへと向かった。

 温かいスープを木のカップに入れて、まだ興奮冷めやらぬシュゼア殿下に飲ませて落ち着かせる。


「おいしい……」


 ほのかに紅色に染まるシュゼア殿下は、カップに視線を落としたまま呟く。


「お口にあってよかったです」


 そうだろう、そうだろう。これはハク特製の粉末スープなのだ。

 とうもろこしに雪キノコという栄養価抜群で甘い野菜を乾燥させて粉末状にしてあるから、いつでもどこでもお湯さえあればおいしいスープが飲める。


 スープを出すと、ハクの作ってくれた普通のクッキーをテーブルに並べる。

 朝食前だしクッキーを食べる雰囲気でもないけれど、なんとなくそうした。


 シュゼア殿下は一気にスープを飲み干すと、正面に座っているウィル様の顔をまじまじと見て感想を述べた。


「本当に兄上なんですね……。顔は確かに別人なのに、どうしてだか兄上だとわかります。魔力の波長でしょうか、とても、とても懐かしい」


 カップを握りしめた両手に力がこもっているのがわかる。

 私はウィル様のそばに立ち、二人の様子を見守っていた。


「驚かせてすまない。まさか直接顔を見ることができるとは思っていなかった。それに、ひと目で気づかれるとは……ゾグラフといい、近すぎる者にはわかってしまうのかもしれないな」


 柔らかな笑みを浮かべたウィル様に、シュゼア殿下もはにかむような笑みを見せる。昨日はあれほどツンケンした態度だったのに、今はもうすっかり弟の顔になってしまっている。


 かわいいなぁ、なんて束の間のほっこりを堪能していると、遠慮がちにシュゼア殿下が私に視線を向けた。


「あの……このリズは?」


 正体を探る目に、私は諦めて髪の毛にかけた魔力を解く。

 艶のある長い黒髪は、サーッと潮が引くように毛根から毛先に向かって銀色へと変わっていった。


「リズという名前は偽名です。銀杖ぎんじょうの魔女で、ユズリハと申します」


 シュゼア殿下の菫色の瞳が、ぐっと見開かれる。

 それは髪色が変わったことに驚いたのではなく、知らぬ者がいないほど名の知れた銀杖ぎんじょうの魔女という部分に衝撃を受けているみたいだった。


銀杖ぎんじょうの魔女……老女じゃなかったのか」


 この勘違いはけっこう多い。

 魔女だって人間だから赤ちゃんのときもあって自然に年老いていくのだけれど、なぜか魔女は老女だと思い込んでいる人が多いのだ。


 私は苦笑交じりに答えた。


「魔女も若いときはあります。つい数年前まで、銀杖ぎんじょうの魔女は私の祖母でしたから、間違いではないんですが……。もっとも、祖母はいつも若々しい見た目を魔法で保っていましたから、四十代くらいにしか見えませんけれど。私は当代の銀杖ぎんじょうの魔女で、もうすぐ十八歳になります」


「十八……」


 茫然とするシュゼア殿下は、躊躇いがちにウィル様のことを尋ねた。


「あなたが兄上を生き返らせたのですか?」


「生き返らせた、というか、冥王様が連れて帰っていいと言ってくれたので譲り受けました」


「は?」


 説明がヘタな私に代わり、ウィル様がこの三年間のことを説明してくれた。

 死んでから冥界で彷徨っていたこと、一年前に迎えに来た私と一緒に新しい身体を得てこの世界に蘇ったこと。

 そして、今は冒険者をしているけれど、自分がなぜ死んだのかを知りたくてアストロン王国に戻ってきたこと。


「リズ、いや、ユズリハ様が兄上を……。ありがとうございます」


 改まって礼を言ったシュゼア殿下に、私は狼狽えてしまう。

 完全に自分のためにウィル様を冥界から連れ帰ってきたなんて言えない雰囲気だ。何となく気まずい。


「シュゼアが毒を調べて、その正体を突き止めてくれたことはユズリハから昨夜のうちに聞いた。おそらく、あの日訓練で使われた剣に毒が塗ってあったんだと俺たちは思っている」


 ウィル様は、第二王子であるカリヴェル様が主犯だろうと告げると、シュゼア殿下は予想していたのか静かに頷いただけだった。

 容疑がかかっていたとはいえ、自分がやっていないことはシュゼア殿下自身にはわかる。となると、もう一人の兄であるカリヴェル様しか思い当たる人がいなかったんだろう。


 長い沈黙の後、シュゼア殿下は言った。


「兄上、カリヴェル様はもちろんですが、トーリア妃も何か知っていると思います。もしかしたら共犯かもしれません」


「トーリアが?」


「ええ、兄上が亡くなってから、僕の顔を見ると怯えるように目を逸らすようになったんです。それに、毒は公爵家の領地で栽培されたもの……何も知らないとは考えられません」


 シュゼア殿下の考えは十分ありえることだと私は思った。可能性として、だ。

 でも部屋でぼんやりとしている儚げな雰囲気のトーリア妃を思い出すと、積極的に関わっていたようにはとても思えない。


「トーリアが何か知っていたとしても、真実を話せというのは無理だろう。公爵家の娘であり、今はカリヴェルの妃だ。真実を知りたいとは思ってここまで来たが、これ以上の混乱は望まない」


「だったらすべてを闇に葬れとおっしゃるのですか!?実の兄を毒殺して王位を簒奪するような者が、この国の王にふさわしいと!?」


「ならばどうする?証拠をつかみ、白日の下にさらすか?そうなれば王太子になるのはおまえだ」


「兄上ではないのですか!?戻ってきてくださらないと!?」


「当然だ。私は一度死んだ身で、これ以上この国の内政に関わるつもりは一切ない」


 ウィル様は堂々とした態度も口調も、すっかり以前の様子に戻っているかのようで、それなのにもうこの国に戻らないと明言する。衝撃で固まるシュゼア殿下に、私はちょっとだけ同情した。


 もちろん私としてはウィル様にアストロン王国に戻って欲しくない。自分のそばにいて欲しい。でもシュゼア殿下の気持ちも痛いほどに伝わってくる。

 慕っていた兄が目の前に再び現れたのだ、これからの未来を無意識に思い描いたはず。また仲の良い兄弟として暮らせるこれからのことを。


「シュゼア」


「……」


 意気消沈した様子のシュゼア殿下に、ウィル様は優しい声音で諭す。


「これまで一人でよくやってくれた。ありがとう。本当に感謝している」


「……」


「ただ、死んだ者はもう戻らないんだ。私はもう別の人間で、表に立つことはできない」


「……兄上は、兄上です」


 部屋に沈黙が落ちる。

 ウィル様は幼子を宥めるみたいに眉尻を下げた。テーブルの上に置いたクッキーは、カリカリといい音を立ててフェイが食べすすめている。


 しばらく無言の時間が過ぎた後、ずっと俯いていたシュゼア殿下は顔を上げた。


「おまえかっ!」


 そしていきなり立ち上がり、私を指差した。


「魔女が兄上をそそのかしたんだろう!?」


「はぁぁぁ!?」


 まさかの責任転嫁!シュゼア殿下は怒りの表情で私を睨む。


「兄上が国を見捨てるわけがないんだっ!戻ってこないのは魔女が魔法で誓約でもかけているんだろう!そうだな!絶対にそうに違いない!!」


「そんなわけないでしょう!?誓約なんてかけようと思ったらヒュドラの生き血と天属の蝶の鱗粉がいるから、素材集めをするだけで何年かかると思ってるのよ!?」


 人の精神に作用する魔法は、特別に錬成した魔法薬がないければ効果が薄い。私がやるなら完璧なものを作りたいから、全力で最高級の素材を集めてつくるから!


 ドヤ顔で無実を主張する私だったけれど、シュゼア殿下はますます疑いを深める。


「ほら、やっぱり作り方知ってるんじゃないか!兄上、騙されてはいけません!」


 ダメだ。墓穴を掘ったらしい。

 ウィル様は必死の形相で訴えかけてくる弟を宥めた。


「ユズリハはそんな卑怯なことをする魔女じゃない。何の見返りも求めずに、冥界から俺を連れ帰ってくれた恩人だ。これからは俺がユズリハを守っていきたいと思っている」


「守る!?銀杖ぎんじょうの魔女なんて自分で自分の身を守れるに決まってるでしょう!?」


 あ、何だか人に言われると引っかかるものがあるわ。

 紛れもない事実だけれども!自分のことは自分で守れるけれども!!


 ぷうっと膨れていると、ウィル様が私の髪をそっと撫でて笑った。


「強さは関係ない。シュゼアも大事な人ができればわかる」


「兄上に触るなー!」


「はぁぁぁ!?どこ見て言ってるの!?ウィル様が私に触ってるんです!私は微動だにしていませんから!」


 シュゼア殿下は反抗期なのか兄への思いを拗らせたのか、私に対する敵対心はしばらく解けそうにないような気がした。




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