第40話 末弟の執念

 シュゼア殿下に会ったことは、その日のうちにウィル様に報告した。

 大事な弟さんが研究室の中で溶けて朽ちていなくてよかったと思うけれど、毒を研究しているというから私の心は穏やかでない。


 しかもそのきっかけが、兄を亡くしたことであるのは明らかで……。


 夜にそれを伝えるとウィル様は弟の現状に顔を顰めた。


「ひとりで毒を突き止めたというのか?」


「はい。そうおっしゃっていました。殿下によると、ウィル様の死因となったのはケーパスという木の実の汁を濃縮した毒物だそうです。殿下はそれを突きとめ、犯人を見つけ出そうとしているのですが……」


 シュゼア殿下の研究室には、ケーパスの実がたくさんあった。くるみと見た目は同じだけれど、殻は素手で割れるくらい柔らかい。実はナッツみたいな味で無毒、だがそれを包む薄皮に猛毒がある。


 アストロン王国では栽培が禁止されていて、基本的には異国から入手するしかない。


「シュゼア殿下は、トーリア妃のご実家である公爵領でケーパスが栽培されていると」


「まさか」


「研究室に篭っていると見せかけて、実際に見てきたそうです」


 私たちの間に沈黙が流れる。

 そもそも会ったばかりの私になぜこんな話をしたのか、それは暗殺の方法がわからなかったからだとシュゼア殿下は言っていた。


『おまえは優秀な薬師だろう?どうやったらこの毒で兄上を殺せたのか、考えろ』


 一介の研究員である私にこんな重要なことを話すなんて……と呆れたけれど、もう三年も経つのに未だ犯人を確保できないのだ。シュゼア殿下の気持ちを思えば、手がかりが欲しいのは理解できる。


 それに、私がゾグラフ侯爵の縁者を名乗ったことも大きいだろう。ゾグラフ侯爵はウィル様と縁があり、暗殺に加担していないことが明白だ。


 ウィル様はベッドに座り、膝の間で組んだ手を見つめ何か考えている。

 自分が倒れたときのことを思い出しているのだろうか……。


 じっと待っていると、ウィル様が静かに話し始めた。


「あの日、俺は早朝から訓練をして、その後大臣らと会議に入り、トーリアと昼食を摂った。それからまた訓練に行き、部屋に戻って視察の準備をしようとしたところ……口から血を吐いた。俺が覚えているのはそこまでだよ」


「食事に生ものはありませんでしたか?」


「わからない。でも怪しいものはなかったと思う」


「ケーパスの汁が毒の正体なら、加熱すると毒性がほとんどなくなるんです。汁を飲み物に入れて飲むとしても味が変わるし、ソースに混ぜても苦みが消せないでしょう。経口摂取でないとなれば、毒物に触れた可能性があります。ウィル様、その日はケガをしませんでした?」


「ケガ?いや……」


 否定しようとして、そこでウィル様は言葉を止めた。


「午後の訓練で、腕を切った。すぐに血は止まった」


「それかもしれません。濃縮してそれを剣の刃に塗っておけば、かすり傷でも与えると全身に毒が回ります」


「あのとき相手をしていたのは、第二部隊のデイロール少佐で……」


 私は急いでカバンからメモを取り出した。そこにはゾグラフ侯爵が調べてくれたリストがある、ウィル様が亡くなってから、失踪した兵や文官、使用人のリストだ。


「あった。ビル・デイロール。ウィル様が亡くなって三か月後に退団して、その後は行方不明になっています」


「デイロール少佐は、カリヴェルの友人の弟だ。公爵家の遠縁のはず」


 ウィル様は右手で額を覆った。


「でもゾグラフの話では、食器や剣から毒は出なかったはず。誰かが隠したってことか」


「おそらくは。タマゾンさんが調べてくれた報告に、衛兵がひとり不審な死を遂げているという情報がありました。そのデイロール少佐と衛兵が剣を取り換えて、それを衛兵が隠したならいくら調べても証拠が出てこないのもわかります」


「…………カリヴェルか」


 呻くような、嘆くような声でウィル様が呟く。


「それはまだ……。毒の出所は公爵でしょうが、公爵の独断でということも」


「わからない。トーリアさえ妃になれば、王太子は俺でもカリヴェルでもどちらでもいいはずだ。カリヴェルにも、公爵にも、殺したいほど疎まれていたとは思わなかった……」


 二人が結託していたという可能性もあるけれど、どちらにしろカリヴェル様が関わっていることはほとんど確定した。

 ウィル様は悲痛な顔で、黙ってしまった。


「ウィル様……」


 私は椅子から立ち上がり、座って項垂れるウィル様を抱き締める。弟に殺されるなんて、私にはかける言葉が見つからない。


 それからしばらく、ウィル様は何度も「なぜだ……」と消えそうな声で繰り返していた。

 ウィル様の身体を抱え、なぜか私の方が先に涙が零れてしまう。


 夜が更けて、空が白んでいくまでずっとそうしていた私たちはどちらも何も言わなかった。

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