第39話 かわいい弟ができました?

 魔物のハリネズミであるフェイを飼い始めて数日後、薬学研究所で傷薬の錬成を行っていた私は、思わぬ人に出くわした。

 第三王子のシュゼア殿下。ウィル様の末弟である。


「お、おはようございます……?」


「……誰だ、おまえ」


 他の薬師は会議や納品、高貴なお方の診療があるということで、研究所には私しかいない。だからすっかり気が緩んで、鼻歌を歌いながら空中で薬を錬成していたのがいけなかった。

 まさかシュゼア殿下が部屋から出てくるなんて思わなくて、気まずい空気が漂う。


「新しい薬師か?」


「はい。リズ・ファン・ゾグラフと申します」


 さらりと流れる黒髪。菫色の瞳は、ウィル様にそっくり。ただ、身体つきは十六歳にしては細く、背は175センチくらいあるけれど美少女っぽい。

 そっけない感じが、懐かない猫みたいだ。


 白シャツに黒いベスト、黒いトラウザーズというシンプルな服装のシュゼア殿下は、服のいたるところに薬草のカスがついているけれど、高貴な雰囲気が伝わってくる。


 かわいい、この子が私の義弟になるのね……!

 私はついついへらっと笑ってしまった。


「何がそんなに楽しいんだ。歌なんか歌って」


「え。聞こえていました?それは失礼を」


 だって、私が歌うとフェイがテーブルの上をちょこちょこ移動して、まるで踊ってるみたいなんだもん。そんなかわいいパフォーマンスを見せてくれる相棒がいたら、誰だって歌うと思うんだけれどな。


 フェイはシュゼア殿下を見て驚いたのか、ささっとビーカーの後ろに隠れる。が、透明だからまったく隠れられていなくて、それがまた悶絶するくらいかわいい。


「フェイっていうんです。このハリネズミ」


「おまえが飼ってるのか?ここで?」


 眉根を寄せて鋭い目でフェイを見るシュゼア殿下だが、睨んでいるのではなく単に興味があるんだろう。私は手のひらにフェイを載せ、殿下の前に差し出した。


「かわいいですよ。魔物ですが気性は穏やかなので、暴れたりしません」


「……」


 あら、シュゼア殿下ったら意外に素直?私が差し出したフェイを黙って受け取ると、自分の手のひらでクンクンと匂いを嗅ぐフェイをじっと見つめている。


 殿下とフェイ、かわいさのせめぎ合いを目の当たりにした私は、胸の前で手を組んで神様に感謝した。かわいい生き物は心のオアシスだった。


 しかし私の平穏は、殿下の言葉で一気に崩れ去る。


「ところでおまえ、なぜ髪色を偽装している?」


「はぃ?」


 何で!?何でバレたの!?室長だって気づいていないのに!

 ぎょっと目を瞠る私に、シュゼア殿下は訝し気な顔をする。


「なんだ、気づかれないとでも思っていたのか?かなり高等な魔法を使っているから元の色まではわからないが、髪一本一本に纏う魔力はごまかせないぞ」


 殿下がスッと私に近づき、おもむろに手を伸ばす。

 私は思わずザザッと下がり、髪の毛に触れられないくらい距離を取った。


「もっと近くで観察させろ。こんなおもしろい魔術が使えるとは、どこでそれを習った?」


「えーっと……」


 冷や汗がだくだくと流れる。

 落ち着け、落ち着け私。元の髪色はわからないってシュゼア殿下は言ったんだから、まだ銀杖ぎんじょうの魔女だってことはバレていない。


「その……私はずっと黒髪に憧れていて、それで」


「そんなことのために?」


「女性にとって髪の毛って重要なんです!黒髪になりたくて、それで魔術を研究して」


 長く艶やかな黒髪が、アストロン王国の貴族女性にとって重要なことは本当だ。

 トーリア妃のような金髪も好まれるが、真っ黒で艶のある髪はステータスなのだから、魔術で何とかなるならそうしたいと思う女性はいるはず。


 シュゼア殿下は私の言い訳をそれ以上追及せず、「ふ~ん」とだけ言ってまたフェイに視線を落とした。

 よかった、どうやら興味が逸れたみたい。


「それほどの魔術を使えるなら、ここの仕事は退屈だろう」


「え?いえ、それほど退屈ってわけでもないです」


 与えられた仕事は三十分で片づけて、城内の探索をしているからね!


「おまえ、俺の助手にしてやってもいいぞ」


「は?助手って」


 王子様相手に思わず砕けた口調になってしまった。

 はっと気が付いてももう遅い。苦い顔をしていると、シュゼア殿下はクツクツと笑った。


「いい、まどろっこしい言葉は使わずとも、好きに話せ。どうせ俺はもう王族の責務を果たしていない、ただの研究員だ」


「そんなことはないでしょう……」


 おもいっきり王族ですよ。でも本人は王位にまったく興味がなく、本当に研究だけしていたいようだ。


「おまえ、魔力が膨大にあるなら俺の助手をしろ。室長には話をしておく」


「ええっ……」


 これはもう決定事項?

 断れない空気を感じ、私は黙って頷いた。


 でもこれってチャンスよね!?

 シュゼア殿下の様子や考えていることを探るチャンスよね!?


 心の中でウィル様に話しかけるが、当然返事はない。


「あの、シュゼア殿下は何を研究なさっているのですか?」


 フェイをテーブルに置き、自分の研究室に入ろうとした殿下の背中に尋ねる。

 すると彼は歩みを止め、ちょっとだけ振り返って端的に答えた。


「毒」


「……」


「ほら、さっさと来い」


 あぁ、もう今から私は助手ですか?毒って一体、何の毒ですか?


 ウィル様。弟さんから厄介事のにおいがします。


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