第38話 お城に潜入しよう
アストロン王国の中央に位置する王都は、高い城壁に囲まれた円形の街。王城はその中心にある赤レンガの要塞だ。今は平和な小国だが、かつては戦火に巻き込まれることもあったそうで、お城は煌びやかな雰囲気ではなくどことなく物々しい。
私たちがお世話になったゾグラフ侯爵邸は、お城からほど近い場所にある貴族街にあり、お城までは馬車で三十分(歩いても似たような時間)くらいだろうか。
この国にやってきて十日、試験を受けてお城に勤めることになった私たちは、ウィル様にとって古巣なのか敵陣なのかわからないお城へと足を踏み入れた。
「今日から私はリズ。ウィル様はヴィオです」
「間違えないことを祈るよ」
寮への引越しを済ませた私たちは、ウィル様の部屋にいる。彼は剣の手入れを行っていて、私はお城の見取り図をチェックしていた。
見取り図はゾグラフ侯爵が持たせてくれたもので、絶対に見つかってはいけない重要機密である。
茶色の騎士服を纏ったウィル様は、ひとめで私が倒れそうになったほどかっこよくて、すでにメイドさんや食堂のおばちゃん、清掃員に至るまでが色めきだっている。
私はゾグラフ侯爵の遠縁の娘という立場で、「ヴィオ(ウィル様)とは親戚関係なんですよ~」と強烈に仲良しアピールして周囲を牽制した。隙あらばウィル様とお近づきになろうとする女性が多くて困る。
「それにしても、三人部屋に一人だけって何だか淋しいですね」
広々とした部屋。大部屋でもいいとウィル様は言っていたけれど、権力を持つ侯爵の甥を他とひとまとめにはできないということでこうなったんだろう。
窓を開けると、柔らかな光と涼しい風が吹き込んだ。
黒に変えた私の髪がふわりと揺れ、ウィル様はまじまじと私を見つめる。
「銀髪も見事だったが、黒も似合うな」
「でしょ?漆黒まではいかない微妙な加減がこだわりです」
ベッドに座って剣を磨くウィル様の隣に私は座った。
ギシッと音が鳴り、ちょっとだけバランスを崩す。どさくさに紛れてウィル様の腕に頭をもたれさせると、彼は私に目線をくれて微笑んだ。
「薬学研究所はどうだった?挨拶に行ったんだろう?」
「はい、朝一番で行ってきました」
私が今着ている白いブラウスと黒のスカート、その上から羽織っている
「私が今日会えたのは、古参の三名と助手さんたちです。室長は40代の男性らしいのですが、試験のときに会ったきりで今日はいませんでした。シュゼア殿下は一番奥の部屋にこもっているらしく、めったに出てこないそうです。やはり初日では会えませんでした」
「そうか」
それに気になる噂も聞いた。
「カリヴェル様の命で薬師や魔女を集めているらしいんですよ。私ほどの魔女はもちろんいないでしょうが、アストロン王国にも少なくない数の魔女がいるそうで、少なくともこれまで三人の魔女が城にやってきたんだとか」
「魔女?一体何のために」
ウィル様は眉根を寄せた。
「国王陛下の病状を回復させるためだと」
「しかし父上の病はもう……」
「はい。陛下はパライズ病ですから、痛みもない今、できる処置はありません。全身がしびれた後、眠るように亡くなられる方が多い病なので」
五年前から病に臥せっている陛下は、おそらくもう長くはもたない。
いくら快癒させたいからといって、今魔女を集めるのはおかしいと私は思った。それにこの国は、あまり魔女の力を信用していないし、疑問が募る。
「ウィルグラン殿下が亡くなられてからしばらくして、城内で亡霊がでると噂されるようになっているそうです。あ、これは門番さんから聞いたんですが」
「すごいな。もう門番と知り合いになったのか」
「はい、ご挨拶がてらクッキーを差し入れたら、色々と教えてくれました」
「情報管理がズルズルだな……」
うん。私もまさか、クッキーで門番が釣れるとは思っていなかった。
「転移魔法陣で聖樹の森に戻って、ハクに焼いてもらった甲斐がありました」
「帰ったのか?!」
「はい、ウィル様が騎士団の試験を受けている間に」
私が焼いたクッキーでは、誰一人として釣れないだろうからね!
えへっと笑っていると、ウィル様が真剣な顔で言った。
「そのクッキー、本当にただのクッキーなのか?」
「……え?」
もしやハク、食べた人が素直になっちゃうお薬を混入したのでは。私たちの頭に可能性が浮かぶ。
これは門番がどうっていうより、ハクがやっちゃった可能性が高まってきた。そういえば私、門番に差し入れて情報を聞き出したいって目的もしっかりハクに伝えた気がする。
「ウィル様。どうやら予想は当たっていそうです」
「さすがはハク、というべきか……。ここでの食事も、出されたものには気をつけないといけないな」
爽やかな風が吹き込む部屋で、気まずい空気が流れた。
「私は明日から、シュゼア殿下に接触できないか様子を見ます。能力次第ではトーリア妃にお目通りできるかもしれないので」
「トーリアに?」
「はい、女性が少ないのでこちらはわりとすぐに接触できそうです。ゾグラフ侯爵の親戚という設定も功を奏したかと」
「わかった。俺はカリヴェルの動向を探ってみる。亡霊の件も気になるしな」
ウィルグラン殿下の亡霊、か。ご本人が自分の亡霊を探すのはおかしな話だけれど、城の中で暗殺された無念の第一王子という状況だけ見ると、亡霊が出ると噂が立っても仕方ないだろうな。
私はウィル様の部屋を後にして、再び薬学研究所に向かった。
お城に勤め始めて早二週間。
私は知識をフル活用して、あっという間に室長の信頼を得てしまった。
あまり目立つと嫉妬ややっかみがあると思ったけれど、仲間の薬師は研究オタクが揃っていて、新しい知識にどん欲で研究熱心な人たちばかりみたい。
虐められるどころか、「リズ様!」と様付けで呼ばれている。
新人なのに……!
とはいえ、身分はゾグラフ侯爵の親戚なので様付けが当然らしい。ここでのリズ・ファン・ゾグラフという貴族のブランドネームは強力だった。
今も私は、研究室で三人のお兄さんに囲まれている。
「どちらでそのような知識を!?」
「隣国のスナイブルで育ちましたから……それにちょっと旅をしておりまして」
でっち上げた経歴も、ゾグラフ侯爵のお墨付きですっかり信用されている。血筋や身分を重んじる国だけあり、私のことを面と向かって非難する人はいない。それに彼らは本当に純粋に研究が好きな人たちだった。
ただ、あまりに信頼を得すぎて、室長が自分の息子と縁談をと言い出したのは困った。もちろん、丁重にお断りさせてもらったけれども。
そしてその結果、トーリア妃に会える日は信じられないほど早く訪れる。
ここ一年、気鬱に悩まされているそうで、ほとんど部屋から出ていないらしい。
夫であるカリヴェル様との関係性は良好だそうだが、トーリア妃の体調が(主に精神面)よくならない限り、王太子妃としての公務にも差支えがあるそうで、一日も早い回復を、そして世継ぎの誕生が望まれている。
なんて面倒なんだ、王太子妃って。
婚約者を亡くし、その弟と結婚したと思ったら次は父親である公爵が倒れ、それでも変わらず世継ぎはもうけろと……!
魔女としてしか生きられない私が言うのもなんだけれど、やることなすこと決められているトーリア妃がかわいそうに思えてきた。
おいしいお菓子を食べて、気分を安らかにして欲しいと考えた私は、滋養強壮にいいとされる薬草を入れたクッキーを料理人に依頼して、トーリア妃のために焼いてもらう。
それを持ち、室長や侍女さんと共に王妃専用のサロンへ向かった。
「失礼いたします」
日当たりのいい部屋。侍女さんは大勢いるけれど、トーリア妃は窓辺にひとりで座り、ぼんやりとしていた。私が室長と共に挨拶をすると、一瞥して柔らかな笑みを浮かべ、「よろしく」とだけ消え入りそうな声で言った。
可憐なお姫様、そんな表現がぴったりな金髪碧眼の美女。青いドレスがよく似合っていて、とても儚げで見るからに繊細そう。
私とは大違いだな……と遠い目になってしまった。
気位が高いのではなく、多分会話をする気力がないのだろう。
無言の王太子様を前にすっかり委縮してしまった室長は、お菓子を差し入れるとすぐに退出してしまう。私ももちろん、それに続く。ご機嫌伺い、という表現がしっくりくる初対面だった。
「王太子妃様はいつもあぁなんですか?」
帰り際、一階の廊下で室長に尋ねた。
「そうだね。侍女の数名と、カリヴェル様としかお話にならない。ずっと心を閉ざしておいでだ」
「それは心配ですね」
あの生気のなさは、かなりまずいと思う。食も細いと聞くし、身体を壊してしまわないか心配だ。でも残念ながら、彼女を元気にするのは私の仕事ではなく、周囲の人の役目だろう。
無理やり食事を摂らせたり、散歩させたりできないことが悔やまれる。
いっそハクお母さんを投入できたらなぁ、なんて思って歩いていると、薬学研究所の手前で丸っこいトゲトゲした生き物の姿が目に入った。
「え……?ハリネズミ?」
「おや、こんなところに珍しいな」
私はすぐにその生き物のそばに寄り、屈んで確認した。そしてあまりのかわいさに手を伸ばす。
「おいで」
銀色のトゲが美しいハリネズミは、スンスンと私の指を匂い、クッキーの匂いにつられたのか指先をちょろちょろと舐めだした。
「かわいい!室長、この子飼ってもいいですか?」
「ええっ、でもそれって小さいけれど魔物だよね?」
あ、バレてたか。
この子は魔物のハリネズミだ。コロコロ転がって敵を倒し、成体になると口から火の塊を吐き出す。性格はとても温厚。背中の銀色のハリが高値で取引され、コレクターに狙われやすい。
なんでこんなところにいるのだろう、と疑問に思うけれど、人に慣れている様子からすると誰かこっそり飼っていたのかも……。
私はハリネズミを手のひらに乗せ、ポケットからクッキーを出して食べさせた。
うるっとした目が、「ありがとう」って言ってるみたいでとてもかわいい!
「多分誰かの家から逃げ出したんじゃないでしょうか。飼い主が見つかるまで、私が預かります」
「まぁ、攻撃性がないみたいだからいいけれど」
室長はハリネズミを観察して、特に問題ないと判断したようだ。あぁ、見知らぬおじさんに凝視され、ハリネズミがちょっと怯えている。一挙一動がかわいすぎる!
「私、今日からテイマーになります」
「冗談はやめてくれ。これ以上ペットを増やすのはダメだからな?特に、大きい生き物はダメ!爬虫類は絶対に禁止だから」
どうやら室長は、爬虫類が苦手みたい。
私も得意ではないからそこは素直に頷いた。
「それにしてもこの子、一体どこから来たんでしょうね」
魔物の取引は禁止されている。
冒険者が自分で迷宮に行って、連れて帰ってくることはあるけれど、アストロン王国にある迷宮はいずれも小さいし、このハリネズミがいるのはクリスタルの迷宮などのあったかい場所だ。この国の迷宮じゃない。
「キュウ……キュウ……」
かわいい声で鳴きながら、私の指を舐める。
う~ん、この人への慣れ方からすると、生まれたときから人に飼われているような。
もしもこの子やこの子の親を闇オークションで買ったなら、いくらかわいがっていても「いなくなりました!」って申告しにくいだろう。法律違反だからなぁ。
そうなってくると、飼い主が現れる可能性はかなり低いと思う。
「ま、帰りたくなったら帰るよね!それまであなたの名前は……フェイよ」
フェイは、物語に出てくるサクランボをくれる妖精の名前だ。昔、ウィル様が聖樹の森に来たときに、一緒に読んだ絵本に出てきたのを思い出し、私はハリネズミをフェイと名付けた。
薬学研究所に戻った私は、飼い犬ならぬ飼いハリネズミだとわかるように、赤いリボンをフェイの首に巻いた。
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