第37話 どうやら予想以上にあやういらしい

 宿屋を出発し、街外れの湖に立ち寄った私はその岸に転移魔法陣を描いた。

 ウィル様は少し離れた位置で、私が銀杖ぎんじょうを手にガリガリと地面に魔法陣を描く様子を眺めている。


 現在地は、アストロン王国の最南部にあるシトルの街。

 ここから馬車に乗ると、目的地である王都までは約四日。ウィル様は単身で王都に行く予定だったから、途中にある山を歩いて越えるつもりだったと話した。


「あの山は魔獣が出るから、単身で超えるのはおすすめできません。」


「でも、斬れないわけではないだろう?」


 あぁ、きょとんとした顔がかわいい。でも発言は危険極まりないので注意しなくては。


「ウィル様、命を大事にってハクに言われましたよね!?」


 今ようやく思い出したのか、ウィル様はかすかに笑って目を伏せた。自分の力を過信して言っているんじゃなくて、何が何でも邪魔者は斬るというスタンスなんだろうな……。


 私もそれに近い感じなのであまり強くは言えないけれど、無茶はしないでほしいのでしっかりと念押しした。


「慎重すぎるほどに慎重に行きましょう!安全第一、命大事に!」


「わかった」


 今、ウィル様が腰に携えている剣は二本。戦闘用の長剣と獲物解体用の短剣、それにいざというときの毒消し薬の入った袋を持ってもらった。


 冥王様からもらった謎の石もウィル様に持ってもらおうかと思ったけれど、何の効果があるのかわからないからこれは私が持ったままにしておく。


「それでは、ゾグラフ侯爵邸へしゅっぱーつ!」


 魔法陣の中央に立った私たちを光の渦が包み込む。木々に止まっていた鳥たちが異変を感じて飛び立つと共に、私とウィル様の姿も消えた。


――シュンッ……。


 到着したのは、ゾグラフ侯爵邸の地下にある一室。ダークグレーの石造りの部屋は、窓がないけれどランプが煌々と灯っているので視界ははっきりしている。


「ようこそ、お待ちしておりましたっ!」


 私たちが突然やってきたにも関わらず、部屋の中で椅子に座っていたメイドさんらしき若い女性が慌てて礼を取った。


 まさか、ハクから連絡を受けて以来、毎日誰かが魔法陣のあるこの部屋で私たちの到着を待っていたってこと!?


 申し訳なさすぎて思わず私も丁寧に頭を下げた。


「はじめまして。銀杖ぎんじょうの魔女、ユズリハと申します。ご当主とお話できますか?」


「はっ、はいぃぃぃ!ただいま!!どうぞこちらへ」


 尋常じゃなく怯えられている。私ってこの国では恐怖の対象なのかしら!?嫌な予感がする……。

 ウィル様を見上げると、困ったように苦笑した。どうやら彼女の怯えっぷりは、ウィル様も予想外だったらしい。国全体として、魔女を恐れているというわけではないはずなんだけれど。


 私たちは終始オロオロしているその女性に案内され、ゾグラフ侯爵家の広い邸の中を移動した。





 応接室ではなく、美しい花が咲き乱れる庭園にせり出した真っ白いサロンにやってきた私たちは、そこにいた50代くらいの身なりのいい男性の前に案内された。

 立派な口髭くちひげのダンディなその人は、どう見てもゾグラフ侯爵ご本人だ。


 アストロン王国の議会を束ねる重役であり、代々王族を支える優秀な人物を輩出してきた家柄。その手腕は確かなものだと、ウィル様から聞いていた。


「この度は突然の訪問をお許しください」


 さっそく挨拶をして席に座ると、ウィル様は私の斜め後ろに立ったまま動かなかった。


 不思議に思っていると、耳元で静かに「俺は護衛だということにした方がいい」と囁かれる。

 正体がバレることを恐れての行動だろう。ただの護衛であれば、侯爵から直々に声がかかることはまずない。


 ウィル様を立たせたままにするのはちょっと気が引けるけれど、今のところそれが最善であることは明白で。私はおとなしくそれに従い、自分だけ侯爵の正面に座った。


「こちらにいらしたのが今日でよかった。昨日、領地から戻ったばかりなのです」


「まぁ、そうでしたか」


 こんなにすぐに侯爵に会えるなんて、タイミングがよかったらしい。一年の内の半分以上は領地にいるそうで、ハクからの手紙も領地へ転送されたものを読んだのだとか。

 それからすぐに魔女を迎え入れる準備を行い、一か月ほどは毎日のように誰かが魔法陣の前で待機していたという。


 そんなに待たせてしまったことを詫びると、ゾグラフ侯爵は「お気になさらず」と笑ってくれた。あとでお礼に薬や巻物スクロールを渡そう。


「当代の魔女様は、お母上によく似ておられる……。ベルガモット様には、子供の頃に散々叱られましたからなぁ。お姿が似ておられたら恐怖で震えあがるところでした」


 陽気に笑うゾグラフ侯爵だったが、祖母が一体何をしたのかと私は遠い目になってしまう。

 いくら銀杖ぎんじょうの魔女が国に属さないとはいえ、侯爵家の跡取り息子を叱るって何?


「さて、本日の御用向きをうかがう前に……そちらの方もどうぞお座りください」


 和やかな空気から一変、不敵な笑みを浮かべたゾグラフ侯爵がウィル様に声をかけた。二人の視線がぶつかり、ウィル様は一瞬の間を置いてその申し出を丁重にお断りする。


「私はただの護衛ですから。こちらでけっこうです。お気持ちだけいただきます」


「そうですか……でも、ユズリハ様がこちらにお越しになった理由は、他ならぬあなた様のためではございませんか?」


 ゾグラフ侯爵の言葉に、私はどきりとした。

 まさかウィル様がウィルグラン殿下だってバレてる!?

 あまりに早すぎる展開についていけず、私は平静を装ってはいるけれど冷や汗が背を伝う。


「なぜわかった?オリヴァー・ゾグラフ侯」


「ウィル様!?」


 この人をよほど信頼しているのか、ウィル様はあっけなく自分のことを認めた。

 そして、その言葉を受け、ゾグラフ侯爵は大きな息を吐く。顔を上げ、ウィル様を見つめるその顔は、まるで長い間待ちわびた人にようやく会えたように感極まっているみたいで……。


「まさかこうして再びお目にかかれる日が来ようとは……!よくぞお戻りになられました!!」


「ゾグラフ侯は変わりないようで安心した。私が死んでからもう三年が経とうとしているのに、しかも姿も違うのになぜわかった?これほど早く知られるとは思わなかった」


 堂々とした態度と口調、それは私が知っている普段の優しいウィル様ではなく、王族としての姿だった。遠い人になってしまったみたいで、胸がズキリと痛む。


 ウィル様は一瞬だけ私と目が合うと、ゾグラフ侯爵に勧められるままに席に着き、私の手をそっと握ってくれた。動揺を悟られてしまい、私はちょっと狼狽うろたえる。


「その目を見ればわかります。それに歩き方、仕草。確証は持てませんでしたが、ユズリハ様が突然こちらに来られたことを思えばウィルグラン殿下のことに他はないと……。過去に王妃様が銀杖ぎんじょうの魔女であるベルガモット様を頼って聖樹の森に滞在していたことは王から耳にしておりましたので」


「父上か」


「はい。もう十年以上前のことで、私も記憶の片隅にしかありませんでしたが……魔女様と共に剣士が来られると伺い、もしやウィルグラン殿下が蘇ったのではと」


 私かっ!私とセットだったから!

 お城に潜入するにも、ウィル様はともかく私の身分や存在をどうにかごまかさないといけないことが発覚してしまった。


 銀杖ぎんじょうの魔女という権力を使って城に滞在することはできないことが判明した瞬間だった。


 ゾグラフ侯爵はほんの少し滲んだ涙を拭うと、意志の強い目で言った。


「殿下がおられなかったこの三年のこと、私でよければお話させていただきます」



 温かな光が満ちるサロンで、ゾグラフ侯爵はせきを切ったように話し出した。

 ウィル様はいつも以上に凛々しい表情で、静かに耳を傾けていた。


「ウィルグラン殿下が暗殺されたことは、一部の者しか知りません。表向きは病死として扱われました。ただ、私室で倒れていた殿下を看取ったのが直属の部下であるフォーリナーであったため、直轄部隊の皆には本当のことが伝えられました。とはいっても、真実は闇の中で……」


「未だ暗殺の背景はわかっていない、か」


 ゾグラフ侯爵はゆっくりと頷く。


「葬儀の際、トーリア妃は見るからに憔悴なさっておられましたが、第二王子のカリヴェル様がそれを支えておられました。第二王子として気丈に、ご立派に振舞われていたと記憶しております」


「そうか……」


「カリヴェル様は、殿下が亡くなられてから三か月後に王太子となり、その際にトーリア妃との婚約も発表されました。特に表立った混乱はなく、カリヴェル様と婚約していたローゼ様および侯爵家もあっさりと引きました。これは侯爵家の領地が飢饉の影響で疲弊しているところに、トーリア妃のご実家が多額の金品で支援するという取引があったためです」


 身分や血筋を重んじる風潮のあるアストロン王国では、トーリア妃が王太子妃になることに大きな反発はなく、むしろ婚約者を失ってすぐに婚姻をと急がれることに対して彼女の体調や心を心配する声が上がっていたのだとか。


 もともとトーリア妃は、穏やかな気性と美しさで国民からの人気も高く、暗殺の犯人だと言いがかりをつけれられることもなかった。


「カリヴェル様は、病床の国王陛下に代わって政務にあたり、側近に支えられながらどうにか……ただ、飢饉や川の氾濫など災害の爪痕が影響し、彼の手腕を疑う声が上がっていることも事実です」


「それは俺が生きていたとしても同じだろう?」


「無論、私はあなた様とカリヴェル様を比較しようとは思っておりません。ですが、実際に困窮しているものからすれば、ウィルグラン殿下の栄光に縋りたいのです。それが人心というものでして。それにカリヴェル様の指示で、あやしげな魔導士や薬師が出入りしているという話も耳にしています。何をなさっているのかはわかりませんが、この三年の間にカリヴェル様は変わってしまわれた。以前のように穏やかな笑みを見せることはなく、側近や配下の者に対してきびしい対応が目立っています」


 ゾグラフ侯爵によると、ウィルグラン殿下の暗殺について犯人が見つからなかったこともカリヴェル様の評価を下げているという。

 自身が関わっているから事件が解決しないのか、それとも無能なのか。混乱を極めた城内は、カリヴェル様派とその他が争っている状態らしい。


 そういった逆風に、精神的にまいっているのではないかとゾグラフ侯爵は言った。


「現在、国王陛下は病によりほとんど意識がない状態で、トーリア妃の父上であられる公爵様も倒れられて療養なさっておいでです。それによりカリヴェル様が全権を得ることとなり、また反発も強くなっています」


「父上が?それに公爵まで!?原因は一体なんだ」


「流行り病だとしか伝わってきません。一部では毒だという噂もありますが、公爵は六十を超えていますから、年齢的には倒れられても不思議ではなく、真実はわかりません」


 第一王子が暗殺され、国王に継ぐ最高権力者の公爵が病に倒れ、アストロン王国は想像以上に混迷を極めていた。


「シュゼアはどうしている?」


 しばらく唇を噛みしめていたウィル様は、ふと末弟のことを尋ねた。引きこもっているとだけ聞いているが、こんな状況で彼はどうしているのだろうか。


「シュゼア様は、殿下が亡くなられてから葬儀にも参列せず、ずっと薬学研究所に篭っておられます。乳母の娘である侍女にしか食事も運ばせず、研究所の人間でも会える者は数人。魔法や毒物の研究をなさっているそうですが、この三年間は公式行事にも現れず、王位継承権も事実上の放棄とみられています」


「やはりシュゼアに会うには、直接城に入り込むしかないか……」


 考え込むウィル様。だがゾグラフ侯爵は、私たちに偽の身分をくれて城内に入る手筈を整えると言ってくれた。


「魔女様とご一緒に行かれると、ご兄弟にはウィルグラン殿下がお戻りになったことがわかってしまうでしょう。ですから、魔女様には私の遠縁の娘として薬学研究所に入っていただき、殿下には……ウィル様には私の甥として騎士団の兵になってもらうのがよいかと」


 この一か月ですでに準備をしてくれていたらしく、来週には試験を受けて特別枠で仕事に入れるというからとてもありがたい。


 私たちはゾグラフ侯爵の申し出に従い、城内に潜入することになった。


「銀髪を何とかしないと、高位の魔導士や薬師には私の正体がバレてしまいますね」


「染めるのか?」


 ウィル様がおもむろに私の髪に触れる。


「いえ、魔法で何とかします。染めたこともあるんですが、すぐに根元の色が目立っちゃうんで」


 この国で一番多いのは黒髪。次いで赤茶色や金が多い。

 私は目立たないように黒髪に変えることにした。


 ゾグラフ侯爵はこの邸から勤めに通ってもらっていいと言ってくれたが、それだと城内を自由に探索できそうにないので、二人とも使用人や騎士の寮に入ることにする。


 ウィル様と別々に寝泊まりするのは淋しいけれど、兄妹でもないのに同じ部屋にしてもらうことはできないのでここは我慢。


「城に上がるまでは、我が邸にご滞在を。お二人のことは客人として家人に紹介させていただきます」


「ありがとうございます」


「何から何まで、すまない」


 タマゾンさんから聞いていたよりも、王城の中は混沌としていそうだ。

 ウィル様の苦しげな表情に私も胸が痛んだが、ただ手を握ることしかできない。


「ウィル様……」


 今すぐ城に駆け付けたい、そう思っているだろう。

 転移魔法陣を使えばこっそり侵入することもできるけれど、弟やトーリア妃を混乱させるのは目的じゃないし、すでに一度亡くなった人間があまり表立って動くのははばかられる。


 私に何ができるかな。

 左手で銀杖ぎんじょうを握りしめ、答えの見つからない問いかけを心の中で繰り返した。


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