第36話 王子の希望 <ウィルside>
ウィルグラン・レイガード。
この世に生を受けたとき、アストロン王国を建国した初代国王の名を引き継いだ。
王族として、この国を繁栄させるためならばすべての私情を捨てろと幼い頃に師から言われ続けてきた。それを信じて疑わなかったのは、自分自身が考える力を持たない愚か者だったから……。そう気づいたのは一度死んだ後のことだ。
『ウィル様。迎えに来ました』
永遠に続く、温かい虚無な時間。
エデンの手前でただ時間だけを浪費していた俺に手を差し伸べてくれたのは、銀髪の少女の小さな手。
その手を取ることもできない、魂だけの俺に彼女は笑いかけてくれた。
新しい肉体を得て降り立った世界は、未発達の身体と乏しい生命力の俺には重く苦しい環境だった。が、同時に「生きているんだ」と実感させてくれる痛みもある。
ユズリハには感謝してもしきれない。
ハクに聞けば、冥界に長居するのは魔力の消費が激しく、いつもの魔法道具の納品であれば数分で帰ってくるという。
俺をよみがえらせるために何時間も冥界に滞在し、さらには新しい肉体を急速に育てるというのはまさに暴挙だそうだ。
『まぁこれがきっかけでユズの身体が成長したんだから、別によかったんじゃない?』
ハクはそう言って笑ったが、俺は何も返せるものがないことを申し訳なく思った。
『ウィル様!』
目覚めたユズリハは、俺の顔を見てうれしそうに笑う。
何も見返りを求めず、ただ愛おしいという気持ちを全面に出して微笑む。俺が迎えに来ると言ったのは勘違いだったと伝えても、それでもまったく態度が変わらなかった。
これまで抱いたことのない感情が、胸の奥を渦巻く。
そばにいると目で追ってしまう。
離れていると何をしているのかとふと思い出す。
俺の姿を見つけるたびにふにゃりと緩むあの笑い顔が愛おしくて、他の者に見せたくないと思う自分に気づく。
ユズリハが俺にとって特別な人になることに、それほど時間はかからなかった。
『あなたはいつもそうだ。自分以外の人間は全部同じなんだよ。トーリアも、僕も……だからそんなに簡単に割り切れるんだ』
まだウィルグランとして生きていた頃、カリヴェルにそんなことを言われた。
トーリアとカリヴェルが想い合っているなら、二人が一緒になればいいと初めて口にしたときだ。
笑いながら、冗談めかしてあんなことを言ったカリヴェルだったが、あのときどんな気持ちであぁ言ったのだろう。
ユズリハは「ウィル様は博愛主義だから」といつだったか言っていたが、それはユズなりに良い意味で例えてくれただけであって、俺はカリヴェルが言ったように自分以外はざっくり他人というくくりで見ていたのかもしれない。
王族としてよりよい国を、自分を滅することで国にとって良い選択をする。
誰かに感情移入してしまえば、その者の心を無視できなくなる。だから俺は、皆を等しく扱い等しく想っているつもりでいながら、誰のことも深く知ろうとしなかった。
カリヴェルにとって俺は、自分が焦がれても手に入らないトーリアを、いとも簡単に切り捨てたように見えたんだろうか。
もしこの考えが当たっているのなら、俺に毒を盛ったのはカリヴェルだろう。ユズやハクには、弟が毒を盛るはずがないと言っておきながら、心の中では疑っている。
だが恨んではいない。
もう過ぎたことは仕方がないのだ。それに、一度死ななければ、俺とユズリハが共に生きる道はなかったと思うから。
今、俺の目の前ですやすやと穏やかな寝息を立てるユズリハは、俺を蘇らせてからずっとこちらの事情に巻き込まれている。
アストロン王国にまでついてくるとは思わなかった。
馬車の中でそれとなく尋ねると、ユズはあっけらかんと笑って言った。
『ウィル様、アストロン王国は冥界より近いですよ?』
まるで「私から逃げられると思うのか」とでもいうように。
国に帰って何ができるかはわからないが、俺はカリヴェルと対峙し、心残りを解消したいと思っている。ユズには危険を冒して欲しくないが、おとなしく待っていてはくれないだろう。
完璧な魔女という理想に囚われた、かわいらしい人。
何に代えても守ってあげたい人。
宿のベッドで眠っているユズの頬を指でなぞると、彼女は形のいい眉を寄せた。
「俺はもう、王族には戻れないな」
寝顔を見ながら、ひとり呟く。
誰よりもユズの幸せを願う俺は、もう万人を等しく扱う王子には戻れない。迷宮に潜っているときも、誰が傷つこうとユズの安全を優先してしまう。
ユズは俺のことを優しいというが、心の奥底ではユズだけを守りたいと思ってしまう哀れな男になってしまった。
「ウィル様……?」
「あぁ、すまない。起こしてしまったか」
これからいよいよ祖国で過去と決別をする。
何があっても、その先に平穏が訪れると信じたい。
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