第34話 魔女は警戒する

 ガタゴトとリズミカルに揺れる馬車。

 ……そう言えば聞こえはいいけれど、お尻が痛い。でも、国境まで送ってくれるタマゾンさんに失礼だから、そんな文句は言えるわけもなく。


 でも、いいこともあった。揺れる荷馬車に座っているとウィル様が私を抱き留めて支えてくれるのだ。浮遊の魔法陣を布に描き、それに座っていれば揺れなんてまったく感じないけれど、ウィル様と密着していたいがためにお尻を犠牲にしてしまった。


 途中、すべてお見通しのタマゾンさんがニヤッと笑っていたのは見なかったことにする。




「ありがとうございました!」


「気をつけてな!」


 私たちはアストロン王国に入ってすぐ、タマゾンさんの商隊と別れた。

 検問所で見せたのは、冒険者としての身分証。タマゾンさんの荷馬車の護衛として雇われていることになっている。

 まぁ、入国してすぐに別行動なんだけれど、護衛を片道だけ雇うことはよくあるので問題ない。


「うわぁ!国境の街ってこんなに栄えてるんですね!」


 聖樹の森を出て三日。アストロン王国の最南部にあるシトルの街にやってきた。

 人口のほとんどを人族で占めるアストロン王国だが、ここは国境だけに獣人もたくさんいた。半々ってところじゃないかな?


 獣人の多くはタマゾンさんたちの住むアランディル王国の住人で、出稼ぎや貿易などで一時滞在しているようだ。冒険者のパーティーもいる。


 ウィル様は目立つので、フードを被って魔導士に擬態してもらっている。国境の街は歓楽街も多く、「女性たちが積極的だから気を付けてね」とハクから注意があった。ウィル様が襲われては困る、私は護衛のつもりで意気込んでいる。


「ユズ、こんな真っ昼間に誰も襲って来ないさ」


 ご本人はやはり自分の魅力に気づいていない。大げさだな、と笑っていた。


「ウィル様、油断大敵です。ここは迷宮に匹敵するほど危険です」


「……俺が知らないうちに、そんなにこの街は荒れたのか」


 ぎょっと目を瞠るウィル様は、何か勘違いしている。最近では男も惑わす剣士として、ギルドで噂になっているのに、こんなに無防備ではいつ何時悪い女に襲われるかわからない。


 私は銀杖ぎんじょうを握りしめ、宿まで警戒心たっぷりで歩いていく。


「宿に着いたらそこで一泊して、明日の朝、転移魔法陣で一気に飛びます」


 昔、祖母がお世話をしたアストロン王国の貴族の邸に転移魔法陣を描いたままになっている。

 ハクが事前に手紙を出してくれているから、今頃その邸では私たちが到着するのを待っているはず。明確に何日に行きますとは教えていないので不安は残るが、「祖母が相当恩を売っている」とハクは言っていたので協力はしてもらえるだろう。


「飛ぶって、ゾグラフ侯爵邸まで飛ぶのか?まさかベルガモット様と知り合いとは……ゾグラフ家の先代には随分とかわいがってもらった」


 ウィル様は、知り合いの名前を聞いて驚いた顔をした。

 ゾグラフ侯爵家はアストロン王国きっての武門だから、ウィル様が師事していた剣の師匠の繋がりで関係性があったらしい。


 高位貴族だから顔見知りではあるかもなと思っていたけれど、予想外に近しい関係で私もびっくりした。


「先代の奥様がご病気になったとき、祖母が作った薬で快癒されたと聞いています。今でもタマゾンさんに薬を運んでもらっているので、私自身は会ったことがないんですが、ずっと取引は続いているんです」


「なるほど。先代は確かに愛妻家で有名だった。夫人のためなら、聖樹の森の魔女を頼っても不思議ではない」


「アストロン王国は治癒士や薬師が権力を持っていますから、自国で治せないなんて認められなかったんでしょうね。今はそんなことないと思うんですが、昔は国外に頼るのは恥という雰囲気だったんでしょう?」


 ウィル様のお母様もこっそりと聖樹の森にやってきた。少ない護衛に少ない荷物、とても一国の王妃様だなんて思えない状態で。


「あぁ。俺も母も、母の実家のツテを頼ってベルガモット様に会いに行ったんだ。情けないことに、自国では病を治す手段が見つからなかったから」


 ガヤガヤと騒がしい大通り。

 昔の話をするウィル様は、街を眺めつつその活気あふれる空気に安堵しているみたいだった。


 お母様の話をすると表情がわずかに曇ったけれど、すでにその目は未来のことを見据えている。


「この国をよくしたいと思ってきたんだが……どういうわけか今は王都より国境の街の方が活気があるようだな」


「そのようですね。どこの国も、人が盛んに行き来している街の方が賑わっているものです」


 私たちは屋台で昼食を買い、店の軒先でそれを食べた。

 わざと薄くカリカリに焼いたパンに、ちょっとすっぱい味のするハーブと肉が挟んであるサンドイッチ。一口食べると、ウィル様は「うまい」と呟いた。


「まだ子供だった頃、シュゼアを連れて街へこっそり出かけたんだ。そのときに、これと似たようなパンを食べた。あいつはすっぱいから嫌だって言って、結局パンだけ食べていたけれど」


「かわいい」


 弟を宥めるウィル様が想像できる。兄弟の思い出を語るウィル様はとても優しい顔をしていて、それを見ると私はうれしくなって自然に頬が緩んだ。


 屋台の人がおまけでくれた白いにごり酒を飲み、私たちはしっかりとサンドイッチを完食した。




 ◆◆◆




 宿に到着すると、ウィル様にはカウンターから少し離れた位置で待ってもらって、私が部屋の手続きをした。一部屋しか空いていないと言われて一瞬どうしようかと思ったけれど、毎日同じ家に住んでいるんだから今さらか。


 だいたい、別室にして、万が一ウィル様の部屋に不届き者が侵入したら困る。

 私はその一部屋を取り、ウィル様に事情を説明して四階へと上がった。


「思っていたよりきれいな部屋ですね!」


「そうだな」


 ここは冒険者がよく利用する宿で、宿屋のランクで言うと中の上といったところか。ベッドは三つあり、シャワーとトイレは部屋の隣についている。

 食事は食堂に下りると、前払い清算で注文できるらしい。


 窓は小さいけれど、開けると風通しがよくて思ったより快適だ。


 ウィル様は背負っていた革のカバンをどさりと床に下ろし、剣をベッドサイドのテーブルに置く。私もそこに銀杖ぎんじょうをたてかけて、カバンから水の入った袋を出した。


 並んだベッドにそれぞれ腰を下ろし、向かい合うと微妙な空気が流れる。


「「…………」」


 そういえば、こうして部屋で二人きりになったことはほとんどない。せわしなく聖樹の森を後にしたけれど、昨日求婚されたばかりの恋人同士なわけで。


 全部片付いたら、というのがいつになるかわからないけれど、昨夜のことが急に頭に思い出されてつい顔が熱くなる。


「ユズ」


「……はい」


「そういう顔をされるとこっちもどうしていいか」


「えっと、そうですね。はい、気をつけます」


 ううっ……!ダメだ、今さら求婚されたことがうれしくて感情の制御ができなくなってきた。落ち着け、落ち着くんだ私!


「わかってますから!結婚なんて何年もかかるかもしれないって、ちゃんとわかってますから!すぐにどうこうって思ってるわけじゃないですから!」


「そのことなんだが……」


 躊躇いがちに口を開いたウィル様は、スッと立ち上がり私のそばに来る。そして隣に座ると、視線を床に落として言った。


「いつになるかもわからないのに、俺はものすごく酷なことをユズに言ったのではと今さらそう思って……」


 まるで後悔してるみたいにそんなことを言うウィル様。私は情けなくも口を引き結び、彼の右腕にぎゅうっとしがみついた。


「ダメですよ、もう撤回はできません。私は何十年でも待ちます」


「ユズ」


「すでに十年待ってるんです。今はこうしてウィル様に触れられる距離にいるんですから、あと十年、二十年待ったところで私の気持ちは揺るぎません!」


 ひたすら修業に明け暮れ、ウィル様の顔を思い浮かべるだけの日々とは違う。

 今はこんなに近くにいるんだから、ずっと待っていられる。私には自信がある。


 しがみつく私の手に、ウィル様はそっと手を重ねる。皮の硬い指の感触になぜか安心した。


「ありがとう」


 ウィル様は私の頭に頬を寄せ、しばらくの間は寄り添って過ごした。


「「…………」」


 いよいよアストロン王国に入ったのだから、きっと緊張しているんだろう。

 約三年ぶりの故郷。懐かしいというには残酷な結末が色濃いかもしれないけれど、過去に向き合おうと思ったウィル様の心が穏やかであってほしい。


「私、絶対にウィル様を守ります」


 もう二度と、冥界になんていかせない。私と一緒に生きていくんだから。

 そう決意してウィル様を見上げる。


「大丈夫、二度目の生は大切にする。それに、これからは俺がユズを守る番だ」


 どこまでもウィル様は優しい。こんなときなんだから、自分のことに専念してくれてもいいのに。

 不器用な人だな、と思う。


 そっと重ねた唇は少し冷たい。

 これからも細やかな幸せが続いてほしい、そう切に願う。


「私は守られるよりも前に出る方が性に合っています。前衛もできる女ですよ?」


「だとしても」


 困ったように笑うその顔が、たまらなく愛おしい。


「戦いに行くわけじゃないんで。できれば穏便に、城に潜入できるようにしましょう」


「そうだな。正体がバレるのは本意でない」


 ウィル様がいうには、騎士の入団試験を受けることができればとりあえず城内には潜入できるとのこと。私は侯爵に頼んで、薬師として研究室に入れたらと思っている。そうすれば、末弟のシュゼア殿下に接触できるかもしれないし。


「ウィル様の弟君に会えるのが楽しみです」


「そうだな……俺も楽しみだ」


 抱き合うと心地よいリズムで心音が聞こえてくる。

 目を閉じてぬくもりを享受しながら私は言った。


「昔、おばあちゃんが言っていたんです。『事実は予想をはるかに超えることがある』って。だからきっと、ウィル様が予想するよりもいいことが起こります」


 そう、きっといいことがあるはず。

 だってウィル様は白い魂の人だから。私は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

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