第33話 あなたの答えと私の答え

「ユズ」


「ウィル様……」


 春にしてはひんやりした風が吹き、星空がきれいな夜だった。私がひとりで屋根の上にいたところ、ウィル様が窓から颯爽と外に出て私のそばにやってきた。


 聖樹の森からキラキラとした魔力の胞子が空に向かって舞い上がり、ウィル様の髪色とよく似た紺色の空へとのぼっていく。


「本当に不思議な森だ。それにとても美しい」


 隣に座ったウィル様は、空を見上げてそう言った。私にとっては生まれたときから育った場所であり、見慣れた眺めだけれど、ウィル様が褒めてくれてうれしくなる。


「アストロン王国の空は、もっと黒が濃いですよね」


「そうだな。闇夜は漆黒で、星は美しいがこんな風にのんびりと眺めたことなどなかった」


 やっぱり王子様って忙しいんだなぁ。

 どちらからともなく手を繋ぎ、寄り添って過ごした。


「「…………」」


 沈黙は重くはないけれど、ウィル様は私にかける言葉を探しているみたいだった。

 いじわるな私は、あえて自分から聞かない。


 タマゾンさんからアストロン王国について聞いて以来、ずっと考えていたことがある。

 もしもウィル様が冥界にいなかったら……私たちがこんな風に寄り添える日は来なかったということだ。


 悲しいけれど、私の恋はウィル様の不遇によって実を結んだ恋だったのだ。


 もしもウィル様が今も元気であれば、予定通りトーリア妃と結婚し国で活躍していただろう。そこに私の居場所はない。これは紛れもない事実。今となってはついえた未来の可能性。


 この幸せな八か月間は、十年にも及ぶ私の執着が生み出した幻だったのではと思えてくる。


 あるべき人を、あるべきところへ帰さないといけないのではないかと私は思い始めていた。


 ウィル様と再会してから私はずっと幸せで、そこには曇りなんてないって思っていたけれど、本当はずっと怖かった。いつかウィル様が国に帰ると言い出して、ここを去ってしまうんじゃないかって。その可能性を、ずっと見て見ぬふりをしてきたのだ。


『行かないで』


 何度も飲み込んだその一言。

 これだけは言わないでおこうって決めた。


 私は銀杖ぎんじょうの魔女だから。

 誰より強くたくましくいなければ。


 大丈夫。きちんと見送れる。

 何度も何度も自分にそう言い聞かせる。けれど、深呼吸の数だけ不安も募った。


「ユズ」


 硬い腕に寄りかかる私に、ウィル様の声がした。

 私は身を起こし、隣に座る彼の菫色の瞳を見つめる。


「俺は、アストロン王国へ行こうと思う」


 予想通り、残酷な言葉が耳に届いた。

 でもそれでこそ、私が好きになったウィル様だ。じわじわと痛みだす喉の奥、大きく息を吸って吐いた私は、口角を上げて笑って見せる。


「うん。それがいいと私も思う」


 ――行かないで。私を置いて行かないで。


 そう叫んでいるのは私自身ではあるけれど、口から出た強がりもまた本心だった。

 幸か不幸か、私の胸のどこを探してもウィル様を好きだという気持ちしか出てこない。何を置いてもこの人のことが好き。


 悔いのない人生を送って欲しい。そこに私の存在が枷になるのなら、離れる覚悟はできている。


 だとしても、どうせ別れる日が来るなら……私のきれいな部分だけを覚えていて欲しい。泣いて縋りたい、引き留めたいなんて思っているこんなにも醜い私は知らせなくていい。


 気持ちを押し込めた私は、ウィル様に向かって笑いかける。


「私のことは心配しないで」


 するりと左手を引いて繋いだ手を離そうとすると、ウィル様は追いかけるように再び手を取った。


「ウィル様?」


 その手の強さに驚き、目を瞬かせる。

 ウィル様はまっすぐに私の目を見て、その想いを伝えてくれた。


「絶対にユズのところに帰ってくる。今度こそ、本当に約束する」


「約束って……」


 十年前に、また来るというあの言葉を勘違いした件を言っているんだろう。


「生まれ変わったことで、すべて新しく作り替えなければいけないと俺は思っていた。でも、弟たちのことが気がかりで……これまで自分の気持ちに気づかないふりをしてきた」


 その表情が切なげで、私の方が苦しくなってしまう。

 私の目からスッと流れた涙が、頬を伝ってスカートの上に落ちた。


「ユズと一緒に生きていきたい、これからずっと守っていきたいと思った気持ちも本当だ。でもこのままでは……過去から目を逸らしたままでは、ずっとユズへの恩返しを言い訳にしてしまう。今ならまだ、これからユズと生きていくために過去と向き合おうと思えるんだ」


「私と生きていくために?」


「あぁ、これからずっと一緒にいる。必ず帰ってくる。ここが、俺とユズ、ハクの家だから」


「帰って、くるんですか?」


「絶対に帰ってくる」


 滲む視界に、ウィル様の顔がかろうじて映る。

 涙を拭って見上げれば、穏やかな笑みを浮かべた彼がいた。


「これからユズと一緒にいるために、過去を片付けてくる。だから待っていて欲しい」


 その言葉に心臓がドキリと跳ねた。


「待っててって……いつ帰ってくるかもわからないのに。私のことはあっさり置いていくのに」


 しまった。

 言いたくなかったのに、私の中の醜い部分が口から零れた。

 それなのにウィル様は嫌な顔ひとつせず、私の頬を指で拭って苦笑する。


「それが、まったくあっさりじゃないんだ。困ったことに、ユズがいるとこの世界がすばらしいものに思えてしまうから。かつては当然のように受け入れていた王子としての暮らしより、ユズのそばにいた方がずっとずっと幸せなんだよ」


「幸せ……?」


「あぁ、ユズがくれた二度目の生はとても幸せなものだ」


「後悔は?エデンに行けばよかったと思いませんか?」


 涙声で尋ねると、ウィル様はクスリと笑ってキスをしてくれた。


「後悔などないよ。ユズに出会えてよかった。ここにいられてよかったと思ってる」


 再び涙腺が決壊し、私は両手で顔を覆う。

 ウィル様は私をそっと抱き締めてくれて、銀髪を優しく撫でながら言った。


「帰ってくるよ。絶対に、ユズのところに帰ってくる。それで、そのときは結婚しよう」


「……魔女が結婚?ですか?」


 息が止まるほどびっくりした。


「あぁ、しちゃいけないという決まりはないだろう?」


「……そうですね」


 盲点だった。

 貴族と婚姻した先祖はいるけれど、相手側の戸籍に記されたことはないと伝わっていたので、てっきり結婚しないものなのだと思い込んでいた。

 よく考えると、結婚してはならないという決まりはない。


 虚を突かれ、私の涙はいつしか止まっていた。


「返事をもらえるか?」


 そっと腕を放したウィル様は、少し不安げにそう尋ねた。

 私の気持ちは知ってるくせに、今さらそんな表情をするなんて。ちょっとかわいく思えてしまい、私はふっと笑みが零れた。


「はい、私と結婚してください」


「よかった」


 もう一度抱き締められて、その温かさに目を閉じる。

 この幸せは消えないんだろうか。失う怖さがなくなったわけではないけれど、「絶対に帰ってくる」というウィル様の言葉を信じてみたくなった。


「ずっと一緒にいてくださいね。絶対に帰ってきてくださいね」


「あぁ。約束だ」




 ◆◆◆




 そして翌朝。

 いつもより早い時間に起きた私は、なじみのワンピースを着て銀髪を高い位置でポニーテールにする。


 隣にあるウィル様の部屋に入るけれど、すでにそこに荷物はない。


 朝食のイイ匂いがする一階に下りると、旅支度を整えた彼の背中が見えた。階段を下りてきた私に気づき、振り返ったウィル様は困惑しているようだった。


「ユズ」


「はい」


「俺が準備していた荷物はどこかな?」


「え?倉庫です」


 私はしれっと答える。

 同時に、自分が斜めがけしている革のカバンを指差した。倉庫に魔法陣で繋がっているカバンを。


「一緒に行く気か!?」


 驚くウィル様に、私は笑顔で答えた。


「長旅というデートに出かけるんですよ!ハクお母さんから許可ももらっています」


 呆気にとられるウィル様。してやったりで笑う私。

 キッチンからスープの鍋を片手に出てきたハクは、苦笑いで私たちの前を横切っていく。


「誰がお母さんだよ、手のかかる子はいらないから」


 私たちはいつものように、テーブルに着く。

 カップにスープを注いでいると、ハクが私の顔を見て言った。


「ユズ、目の下のクマがひどいけど一体昨日何していたの?準備ってそんなに大変じゃないよね?倉庫に荷物運ぶだけなんだから」


 そう、私はほぼ徹夜の状態である。クリームを塗ったんだけれど、ごまかしきれなかったみたい。


「いや、ちょっと落とし穴を掘ってて……」


「「落とし穴!?」」


 昨夜遅くから明け方まで、私は丸太で作ったくいに魔法陣を描き、十メートル間隔でログハウスの周辺に配置した。

 ハクに対してたくらみを持つ輩は、冥界の湖に落ちていく落とし穴を……


「我ながらいい場所に落ちるようにしたと思うの」


 あれ?褒めてくれてもいいんだけれどな。


「冥界の湖なら、もしも勘違いなら冥界の迷い人捜索隊が助けてくれるし、悪しき魂の持ち主ならば湖に溶けてなくなるし……もちろん冥王様には依頼済みよ?」


 銀杖ぎんじょうの魔女に抜かりはない。

 これで私のいない間にハクが攫われる可能性は防げる。


 事情を把握していないウィル様は「なぜそんなものを?」と不思議そうな顔をしているけれど、ハクは私の執念に呆れていた。


 だって仕方ないじゃない。

 ハクは私の大切な家族なんだから。


「とにかく、今日からしばらく留守にするけれど、いつでも転移魔法陣で戻って来られるし、夏の氾濫の日の前には絶対に戻ってくるし、大丈夫!」


 そう、きっと大丈夫。

 すべてうまくいく。


 こうして私とウィル様は、アストロン王国に向けて出発した。

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