第32話 私にできること
ウィル様が迷宮から戻ってくると、私たちは揃って彼を迎えた。
「疲れているなら明日に」とハクは言ったけれど、ウィル様はすぐに話を聞きたいと言った。
食事と入浴を済ませた後、私たちはリビングのテーブルにつく。
ハクが三人分のレモン水をいれてくれて、コースターの上にグラスを載せた。魔法で冷やしたグラスは、その半透明な表面を白く変える。
「改まってどうしたんだ?何か問題でも?」
優しい笑顔のウィル様。少しだけ、菫色の瞳に不安が浮かぶ。私たちが何を言いたいか、おおむね予想はついているんだろう。そんな気がした。
「ウィル様にお話があって」
「話、か」
ウィル様は隣に座る私の顔を見下ろし、ポニーテールにした銀髪をそっと撫でた。
「……」
「ユズ?」
あぁ、なんて切り出したらいいのだろう。お国のことを調べましたけれど、って言っていいの?
口をつぐんでいると、ハクが苦笑しつつ話を切り出す。
「タマゾンさんから、アストロン王国についてちょっと気になる話を聞いたんだよ」
真剣な顔でハクの話に聞き入るウィル様。
だんだんとその表情が険しく、そして曇っていくのがわかる。
私は不安に駆られ、膝に置かれたウィル様の手を両手で握った。でも私の手を握り返したウィル様は、大丈夫だと言っているみたいだった。
「実は、商会で荷運びの仕事をしているときに、アストロン王国の事情はそれなりに耳に入っていた。カリヴェルが王太子になったことは公になっているから、俺も知っていた」
身体を馴染ませる目的でタマゾンさんの商会に出入りしていたウィル様は、商人や御者、出入りの人たちから噂は聞いていたらしい。
冒険者の中にはアストロン王国から流れてきた人もいるから、情報はそれなりに入ってきていたのだ。
「ただ、シュゼアのことは公になっていないから知らなかった。まさか引きこもっているとは」
「うん、ちょっと精神的に参ってるのかもね。末の弟とウィルは仲が良かったんだよね?」
「あぁ、母親は違うがとても懐いてくれていた。側妃は隣国の元王女で、母とも仲良くやっていた。シュゼアは、何度か街へ一緒に出かけたこともあるし、御前試合では熱心に応援してくれて……。魔法を覚えたときはうれしそうに見せてきて、俺にとってはかわいい弟だった」
「それなら、なおさら心配だね」
ウィル様は自分に毒を盛った犯人について、心当たりはないという。
「シュゼアではない。カリヴェルでも……ないと思いたい」
「そうだね。弟を疑いたくはないよね」
ハクは控えめに笑って言った。
話をしている間、ずっと険しい顔をしていたウィル様だったけれど、ただ一点だけは表情を緩ませた。
「……カリヴェルとトーリアが結婚したのか。それは、よかった」
まるで二人がこうなることを望んでいたかのように、ウィル様は安堵の表情になる。
「ウィル様は、トーリア妃のことをどう思っていたのですか?」
私は思わず尋ねた。
「トーリアは、生まれながらに王太子妃になるべくして教育された娘だ。俺との婚約は母が亡くなってすぐに決まったものだが、関係性は悪くなかったと思う。気性が穏やかで、優しい娘だった。ただ、どう思っていたかと言われると……」
「婚約者とは認識していたけれど、それ以上の感情は抱いていなかったってことかな?」
ハクが言葉を引き継ぐ。
ウィル様は静かに頷くと、しばらく沈黙した後、申し訳なさそうに言った。
「トーリアはカリヴェルが好きだったと思う。それにカリヴェルも」
「どうしてそう思ったの?」
ハクがぐいぐい尋ねる。オロオロしている私とは違って、日常会話のように聞いていくのがすごい。自分の婚約者が弟を好きだという、デリケートな部分もさらりと突っ込んでしまった。
ウィル様は嫌な顔も戸惑うこともせず、苦笑いで答えた。
「見ていれば、何となくわかる。だから俺は、二人が望むなら一緒になればいいと思ったんだ。二人にはそれとなく話もした。でも、トーリアはきっぱりと否定して、俺との婚姻には納得していると。カリヴェルも同じだった。笑ったまま『何を言ってるの、兄さん』と……」
ウィル様いわく、トーリア妃は家の事情から、弟は王族としての立場からそう言ったんだろうとのことだった。
「俺は考えが甘かったのだろうな。あの二人を一緒にしてやりたいなんて」
王族としてはそうなんだろう、と私は思った。特に、トーリア妃の父親は宰相という重役だ。娘を王太子妃にすることは、家として悲願と言ってもいいはず。
王太子と第二王子では、相手に格差があると感じるだろう。
もしウィル様のいうように二人が想い合っていたとしても、その気持ちを押し込めたのは容易に想像がつく。
「だからこそわからない。カリヴェルには、俺を狙う理由がないんだ。俺はあいつさえ望めば、宰相を説き伏せて婚約を解消するとも伝えた。でもそれにはまったく反応がなかった。王位を欲していたようにも思えないし、何より俺とカリヴェルは同腹の兄弟だ。極端な話だが、どちらが王位を継ごうが政局には影響がない」
「だろうね。だからこそ、疑惑の目が第三王子のシュゼア様に向かったんだと思うよ?噂程度だけれど」
「それこそシュゼアには王位は回ってこない。俺が死んでもカリヴェルがいる。なぜそんなあり得ない噂を……!」
「ウィル様……」
リビングに沈黙が流れる。
ウィル様はシュゼア様のことを心配しているんだろう。まだ幼かった弟王子が、兄を殺したという疑惑を向けられたなんてきっとショックだったに違いない。
「俺には何もしてやれない。もう何も」
悔しそうな声。
やり場のない怒りや悲しみが伝わってくる。
固く握られた拳が解かれることはない。
そんなウィル様を見て、ハクは静かに言った。
「これからどうするのか、何ができるのか考えてみたら?受けていた依頼は今日で終わったんだよね?」
「あぁ……」
席を立ったウィル様は、自室に戻るために階段を上がっていった。
私はその背中を見送り、リビングで立ち尽くす。
私には何ができるだろう。ウィル様のために、どうすればいいんだろう?
もしもウィル様がアストロン王国に戻ってしまったら……
私のことは覚えていてくれる?
ウィル様が家族を心配してつらい思いをしているのに、私は自分のことばかりだ。どうすれば、これから先もウィル様と一緒にいられるんだろうか、笑ってくれるんだろうか。そんなことばかりが頭をよぎる。
「ユズ。大丈夫だよ」
ハクが私の肩をそっと叩く。何て返事をしていいかわからずに、私は曖昧な笑みを浮かべていた。
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