第29話 また明日
聖樹の森に、
周囲の木々はぷっくりとした水の膜に覆われていて、火が燃え移ることはない。これは模擬戦をするときの保護膜で、私が魔法の練習をするときにはおばあちゃんが張ってくれた。
「
リクアが放った赤い炎の渦が、ウィル様を襲う。
「くっ……!」
――ザシュッ
風の刃を
ウィル様の身体を避けるようにして過ぎ去った炎は、数メートル後ろで霧散する。
「これ一体、何の戦いなの?」
「さぁね、男の誇りかな?」
私とハクはログハウスの前でベンチに座り、二人の戦いを見学していた。
この勝負は何でもありで、魔法も剣も使いたい放題。相手が地面に膝をつくかダウンした方が負けというルールだ。私という賞品は、かかっていない。結局、ウィル様が最後まで折れなかったのだ。
たまにこっちに炎や氷が飛んでくるけれど、私たちはスッと避けることができ、ログハウスにも保護膜があるから火事になる心配はない。
二人の勝負を見守っている私の隣からは、甘い匂いがふわりと香る。
「はい、焼けたよ」
「ありがとう」
ハクはリクアの生み出す炎を利用し、砂糖をフライパンで煮詰めて黄金色のキャンディをつくっていた。木の棒に巻き付けたそれを口に含むと、蜂蜜と混ざり合った甘い味がする。
「ん~!おいしい~!」
「はい、こっちは飴の中にブルーベリーと焼きリンゴを入れてみた」
「ううっ……!このお料理上手~!!」
私たちはすっかり寛いでしまっているが、目の前ではときおり轟音がして爆風を受けた髪が大きく揺れる。
こんなにのんびりしていていいのだろうか……?
ハグハグと飴を頬張りながら、私を好きだと言ったリクアについて考えていた。
リクアと出会ったのは、まだ冒険者登録をする前の十歳くらいのとき。
師匠に連れられてやってきた彼は、当時は私と似たような身長だった。
遊び相手というか喧嘩仲間というか、ずっと友達だと思ってきた。
リクアはどんどん背が伸びて逞しくなり、一方で私は十歳児の姿のまま。
私だって中身は成長していっていたから会話は年相応のものだったけれど、見た目と中身がそぐわない私とどんな気持ちで過ごしてきたんだろう。
私は自分のことに必死過ぎて、リクアのことを考える余裕なんてなかった。
だっておばあちゃんと修行していた頃は、毎日死ぬかもしれないって思ってたし……
とても恋する余裕なんてなかった。
そして何より、私の中にはウィル様への恋心がリクアに出会う前からあったのだから。
「はぁぁぁぁ!」
――キィィィン……
魔力で強化した剣がぶつかり合う音。この半年あまりで、リクアの剣の腕は間違いなく上がった。
以前ならすぐに喉元に剣を突き付けられていたのに、今はしっかり打ち合うことができている。
でも何だか、行き場のない気持ちをウィル様にぶつけているみたいに見えた。
「荒れてるねぇ」
「そうだね……」
ウィル様はウィル様で、力任せに剣を弾いて体術に持ち込めばあっさり勝負がつきそうなのに、攻めきれずにいる風に見える。遠慮してるんだろうか、それとも純粋にこの勝負を楽しんでいるんだろうか。
顔が生き生きとしているから、きっと戦いを楽しんではいると思う。
右手一本で剣を握り、左手からは魔法を繰り出すリクア。ウィル様は両手で剣を持ち、二つの攻撃をいなしていく。
「俺はずっとユズのそばにいる理由が欲しくて」
「……」
「一緒に組まないかって何度も誘った!でもそれは間違いだった!」
「間違い?」
「あぁ、ウィルが現れる前に、さっさと好きだと伝えればよかったんだ!」
――シュッ
リクアの放った光線が、ウィル様の右頬を
「錬金術士ごときに傷つけられるようで、ユズを守れんの?これから先、ずっと守っていけんの?」
「……」
ウィル様が剣を突き出した瞬間、リクアはそれをふわりと
「
最大火力で放った炎が、ウィル様に向かう。
ところが読んでいたかのようにスッと背を仰け反らせたウィル様は、リクアを風魔法で横から薙ぎ、怯んだところを脇腹に一撃入れた。
「うぐっ……!」
剣を落とし膝をつくリクア。
多分もう魔力も尽きかけていて、こめかみから大量の汗が
「はぁ……はぁ……」
ウィル様も額の汗を腕で拭い、リクアを黙って見下ろしている。
「勝負がついたね」
ハクはそう言うと、ベンチから立ち上がって二人のところに歩いていった。
二人とも傷だらけだから、まずは治療をしなければ。
私もハクの後に続き、二人のそばに近づいていく。
「あぁ~!ちょっと惜しかったよな~!?」
ゴロンと仰向けに横になったリクアは、荒い息でそんな風に茶化す。
ウィル様も地面に
「ほら、さっさと傷の治療をするよ。ウィル、うちに入ろう」
「あぁ……」
ハクは問答無用でウィル様を立たせ、家の中に入っていった。
気を利かせたのだろう、私はリクアと二人きりにされる。
「「……」」
リクアは寝転がったまま、すでに暗くなった空を見上げていた。
私はすぐそばに座り、苦手な回復魔法をかける。
「いいのに」
ちらりと私を見ると、リクアは不服そうに言った。せっかく治してあげてるのに、こういう生意気なところは彼らしいと思う。
しばらく無言の時間が過ぎていったけれど、リクアは起き上がって私をまっすぐに見て尋ねた。
「そんなにウィルがいい?」
胡坐をかき、頬杖をついたリクアの身体はすっかり元通りになっている。
「うん。ウィル様じゃなきゃダメなの」
「そうか」
「うん」
「あ~あ、もったいねぇ」
「自分で言う?」
思わず苦笑した私を見て、リクアも少しだけ笑った。
「いーよ、もう。しゃーないからこれからも友達でいてやるよ。後悔すんなよ、街で一番いい男になるからな!」
跳ねるように立ち上がり、尊大な態度でそんなことを宣言する。
私は座ったままリクアを見上げ、小さく頷いた。
「ほら」
スッと差し出された手を取ると、勢いよく引っ張り上げられる。
立ち上がると、リクアはもういつものように笑っていた。
「じゃあ、帰るわ。ハクによろしく」
「え?休んでいかないの?」
さすがに体力までは回復できていないはず。
行き倒れることはないだろうけれど、万が一ということもあるからもう少し休んでいけばいいのに……
「送ろうか?魔法陣ならすぐだし」
あぁ、でも
「またな」
「うん」
「絶対にウィルに幸せにしてもらえよ。一生」
「一生……」
リクアに言われ、私はつい視線を落とす。
このままでいいはずはない。ウィル様ときちんと話をしなければ。でもそのとき私は、国に帰ってもいいって言ってあげられるだろうか……?
浮かない顔の私を見て、リクアが私の銀髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「痛い痛いっ!」
こういう力加減ができないところが本当にこどもっぽい!
恨みがましい目で見上げると、ニッと笑ったリクアは森の中に続く道を駆けだした。
「じゃあな!悪いけど明日も来るから」
え、明日も来るんだ。
何だか拍子抜けしてしまい、茫然とリクアを見送る。
「ウィルより強くなりたいのは変わらないから!また明日な!」
屈託のない笑顔。私も笑って手を振った。
「また明日ね!!」
「あぁ!」
リクアがいなくなると、私は周囲の木々に
シャボン玉のような小さな球体が空に向かって飛んで行き、はるか上空で消えた。
大きな満月は美しい金色。
少しだけ胸に残ったこのもどかしい感情は、何という名前なんだろう。
ぼんやりと空を眺めていると、ハクが窓を開けて私を呼ぶ声がした。
「ユズ!戻っておいで!」
くるりと振り向けば、ウィル様もハクの隣にいる。すっかり傷は癒えたみたい。
私は笑顔で手を上げて応え、ゆっくりと歩き出した。
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