第27話 お母さんかおじいちゃんか
ウィル様が聖樹の森にやってきて、八か月が過ぎた。
冒険者として順調に経験を積み、早くもBランクに昇格している。指名依頼も入るようになった。
先日、正式に
彼らは商業ギルドのあるリガンの街に拠点があり、流浪の冒険者ではない。聖樹の森に住み続けながらパーティーに加入できるから、私としても賛成なのだが……
ときおり屋根の上で、ひとりぼんやりとしているウィル様を見ると私は胸が痛む。
ウィル様、きっと国に帰りたいんだろうな。
自分がなぜ亡くなったのか、二人の弟はどうしているのか、国はどうなっているのか。思うことはたくさんあるんだろう。
ようやく生きている実感が湧いてきて、生活が安定してくるとこれまで考えないようにしてきたことがふと頭をよぎる。それは私にも経験があるから、ウィル様が今迷っているのが手に取るようにわかった。
「ウィル様……」
ここで、いってらっしゃいって言ってあげられたらいいんだけれど。
私は自分のずるさを感じている。
ウィル様は優しいから、私が行かないでって泣いて縋ればここにずっといてくれるかもしれない。
でもそれはさすがに私も本意じゃないっていうか……
私は聖樹の森から出られない。出ても必ず年に一度は戻らなきゃ。
それに、ハクを一人にできない。したくないのだ。
もしかしてお母さんもこんな気持ちだったのかな。
私が生まれてすぐ、父が国に帰ってしまうとき、手帳には「転移魔法陣ですぐに会えるから」と書かれていたけれど、もしかするとそれは強がりだったのではと思えてくる。
不思議。
あれを読んだときは「母らしいな」なんて思ったのに、私という読み手の心次第で同じ言葉も受け取り方が変わってしまう。
理想的な
一心不乱に防御効果のある魔法陣を描く私を見て、ハクがこっそり背後から近づいてきた。
「ユズ。ちょっといい?」
手にはホットミルクのカップ。
ハクはそれをテーブルに置くと、書机に向かう私の隣に立った。
「ありがとう」
カップを受け取ると、添えた両手にホッとする温かさが伝わる。
一口飲むと、蜂蜜が入っていて優しい甘さがした。
「おいしい」
「春だからね」
聖樹の森には、砂糖の実がなる木がある。綿みたいな袋をつける木で、春になるとたくさんの砂糖が集まるのだ。
昨日、みんなで砂糖をとりに行ったから、今このログハウスに砂糖の実が大量にストックされていた。
ハクは一足早く、それを精製したみたい。
「ねぇ、ユズ」
「何?」
味わっていると、ハクがおもむろに話を切り出した。
「ウィルと一緒に行っていいんだよ?」
そばに立っているハクを思わず見上げる。
「何もずっとここにいなきゃいけないわけじゃないんだし、アリアドネ様もベルガモット様も、短期で旅に出るときはあったんだ。魔法陣ですぐに帰って来られるし、ウィルと一緒に行っておいでよ」
「ハク……」
すべてお見通し。優しい目がそう言っていた。
「この家のことなら心配ない。ちゃんと留守を守るからさ」
私はこれまで、三日以上家を空けたことはなかった。それこそ、母が亡くなって聖樹の森に戻ってきてから十年間ずっと。
「僕のことなら心配ないから。ユズみたいにさみしがり屋じゃないんだよ」
くすりと笑うハク。座る私の頭をポンポンと軽く撫でた。
ハクは確かに、私が数か月いなくても平気だろう。
私と違って家事能力も高いし、一人で何でもできる。もう五十年以上生きているから、生活の知恵だってある。戦闘能力だってある。
でも私が心配なのは、ハクの気持ちの問題だった。
「ハクを置いてはいけないよ」
「大丈夫。ここにいれば、苦しさや衝動はないから」
ハクが聖樹の森に来たのは、本当に偶然だったらしい。
おばあちゃんからは、「三十年くらい前に聖樹の森で行き倒れていたハクを拾った」のだと聞いた。
ハクは、
獣人は人族と同じで恋もするが、本能で伴侶を選ぶ性質がある。その相手を
運命の恋、唯一の相手、そう言えば聞こえはいいけれど、相手の人柄によってはとても不幸な結末が訪れる。
ハクの番は、金狼獣人の貴族の娘だそうで、美しいがとても傲慢な性格らしい。気に入らない者は排除する、そんな危険な思想の持ち主だから権力を使ってやりたい放題だったのだ。
本能は彼女を求めるけれど、心は拒絶する。
「この人といると自分がダメになる」とハクは、死に場所を求めるように旅に出たらしい。そして偶然にもたどり着いたのが、この聖樹の森だった。
ここは、すべての
ここにたどり着いて以来、ずっとハクは聖樹の森とその周辺のみで生活している。決して、番に見つからないように……
「僕が行方不明になってからもう三十年以上も経ってるし、さすがに探していないと思うよ?」
「そんなわけないじゃない……」
死ぬ思いをしてここまで逃げてきたんだ、それは逆に言うとそれだけ番への衝動が激しく根深いものだということ。
私を安心させるためにわざと楽観的なことを言うハク。ひとりにしている間に、ハクが連れ去られでもしたらどうしようって、私は不安なのだ。
「心配なら、森の周囲に落とし穴でも掘っておいてよ」
「落とし穴……」
「あ、ユズ。冗談だからね?真剣に受け取らないでね?」
「森の周囲に落とし穴を掘るんだったら、いっそ落ちたら冥界に繋がるようにしておこうか……」
「こら、物騒な発想はやめなさい」
「はい、ハクお母さん」
「お母さんじゃないから」
「じゃあ、おじいちゃん?」
「……お母さんでいいです」
「いいんだ」
思わず笑ってしまった。
ハクは昔と変わらず、私を包み込むように抱き締める。それは親が子にする愛情表現みたいで、とても温かかった。
「僕はね、ユズが冥界からウィルを連れ帰ってきたとき、すごく安心したんだ。人格が伴わない者に焦がれるつらさは、身をもって知っているからね。ウィルなら、ユズを不幸にしないって思ったんだ。どれほど僕が安心したか……」
「白い魂の人だからね」
「うん、きっと僕の番は死んだら即消滅だよ。フリック病の特効薬くらい、魂が黒いんじゃないかな」
うん、笑えない。凄まじいドス黒さの薬が頭に浮かんだ。
「だからね、ユズは自分が幸せになれることだけを考えて。どう考えても僕の方が人生まだまだ長いし、ユズを看取れるくらい長生きできるんだから、今この数年に固執なんてしないよ」
獣人の寿命は百五十年くらいだったか。二百年生きた人もいるっていうし、ハクはおそらく現実的な話をしてそう言っているんだろう。
時間の感覚が違うから、私の一年はハクの三~四か月程度に過ぎないのかもしれない。
「私がここを離れるかどうかはまだ何とも……とにかく、ウィル様の国のことを調べてみないと」
残りのミルクを飲み干すと、机の上のインク壺にフタをして席を立つ。
今、アストロン王国はどうなっているのか。
表向きの情報は役に立たないから、タマゾンさんに調べてもらわなきゃ。
しかしハクはもう先に動いていた。
「近日中に、タマゾンさんから報告がもらえると思うよ」
「え!?」
実は半年前に、すでにウィル様の国について調べてもらうようタマゾンさんに依頼済みなんだとか。
「早い……」
尊敬しつつも呆れてしまった。
まるで私たちが悩むことがわかっていたみたい。
「一生ついていきます……!」
抱きついてそう言うと、ハクは苦笑した。
「ついてこないで。自立して!」
「はい」
お母さんは今日もきびしいです。
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