第23話 疑惑は深まる

「大丈夫だからね」


 ノルトくんと二人になった部屋で、ベッドで苦しそうに熱い息を吐く少年の頬に手を当てる。

 タオルで拭っても拭っても汗が出るので、私は水分を取らせるために栄養剤の飲み物を作った。


 エミリア様とノルトくんの乳母・サーラさんを呼び、聖樹の雫から作った栄養剤と熱冷ましが入った木の水筒を渡す。


「これを六時間に一本飲ませてください」


 回復になるかはむずかしいところだけれど、脱水症状や意識混濁はある程度防げるはず。これを飲んでいれば、しばらく食事は必要ない。ハイカロリーな乙女の敵ドリンクだけれど、病人にとっては神の水である。


「薬の材料ってどうなっていますか?」


「はい、今使用人が街に買いに行っています」


「レイナルさんは?」


「レイナルですか?彼は仕事へ」


 ふむ。どうやら完全に侮ってくれて、妨害はされそうにない感じかな。

 満足げな私を見て、二人は首を傾げた。


「今からここに人を呼びます」


「それでは、迎えをやりましょう」


 エミリアさんはそう言ってくれたけれど、私は申し出を断った。

 だって魔法陣でハクを呼ぶだけだから、迎えは必要ない。


 私は銀杖ぎんじょうを手にして、ポケットから特製インクを取り出して空中に投げる。

 ポンッと栓が抜け、インクの液体だったものはさらさらと砂のように銀杖ぎんじょうに吸い込まれていった。


「不思議なものですね」


 二人は呆気に取られてそれを見ている。


「ちょっと床をお借りします」


 そう言うと、私はゴリゴリと魔法陣を描き始めた。

 エミリアさんたちはぎょっと目を瞠ったけれど、これはハクを転移させたらすぐに消える魔法陣だから部屋が汚れるとかそういうことはない。


――シュンッ……。


 魔法陣を描いて呪文を唱えると、すぐにハクが現れた。


「うわっ、ユズだ」


「はい、ごめんね急に呼び出して」


 魔法陣の中央に立つハクは、大きな鎌を持っていた。刃を研いでいる最中に呼び出してしまったらしい。


「「きゃあっ!!」」


 あ、二人が怖がってる。

 そりゃそうよね、いきなり大きな鎌を持った黒狼獣人が出てきたんだもの。

 でもハクはこんなの慣れっこだから、二人に優しい笑みを向けた。


「はじめまして。突然お邪魔してすみません。ハクシンと申します」


 にっこりと笑ったハクは、紳士的な態度で二人を安心させる。

 そして、エミリアさんの行動は早かった。


「エミリア・ブルクハルトでございます!」


 シュッとハクに駆け寄り、神のように崇めていた。

 うん、別に神様を召喚したわけじゃないから……


 私はそれを無視して本題に入る。


「ハク、この子がちょっと病気なの。今、ウィル様とリクアが特効薬に必要な素材を獲りにクリスタルの迷宮まで行ってる」


 これだけでだいたいハクはわかってくれるだろう。

 クリスタルの迷宮まで素材を獲りに行かないといけない薬。そして、赤紫色の斑点が出ている少年。


 ハクはピクリと耳を動かし、ノルトくんを観察した。


「なるほど。わかった、ユズは調合に専念して。僕はこの子の世話をするよ」


「ありがとう」


 腕まくりをしたハクは、桶にあった水で手を清める。そしてノルトくんの上体を起こし、まずは着替えをさせるみたいだった。


「はい、ユズとエミリア様は外に出て。乳母の方?ですよね、手伝ってもらえますか」


「はい!」


 私とエミリア様はハクに言われた通りに廊下に出て、着替えが終わるのを待つ。

 廊下には誰もおらず、感染を防ぐために本当に二階は封鎖されているように見えた。


「ノルト……」


 心配そうにため息をつくエミリア様。十五歳も年の離れた弟だ、心配なんだろうな。

 実際にかなりあぶない状況ではあったし、間一髪間に合ったという表現が正しいだろう。


 私は病がどこからきたのか探るべく、エミリア様に質問する。


「ノルトくんの二か月前くらいからの状況が知りたいのですが」


「ええ、何でもお答えします。覚えている限り、となってしまいますが」


 エミリア様の話によると、ノルトくんは基本的に家で勉強をしたり剣術の稽古をしたりする毎日で、たまに親戚の家に遊びに行く程度。疑惑のレイナルさんとも仲は悪くないそうだ。


「二か月前といえば、年に一度の狩猟に行きました」


「狩猟?」


 貴族の嗜みというか遊びというか、弓で狩りをするイベントがあることは私も知っている。


「レイナルと、私の従者のディアル、それから護衛が三名いたはずです。あぁ、あとは御者も。でもその日にケガをしたとかそういうことはありませんでした。かすり傷すらなかったと思います」


「そうですか」


 レイナルさんとノルトくんが一緒だったのは、そのときだけ。

 それから数日後に微熱が出始めていたけれど、ノルトくんはそれを隠していて、発覚するのが遅れたらしい。


「あの子はとても責任感の強い子ですから、私に言えなかったんだと思います。ちょっと風邪を引いただけだって思っていたみたいで」


「そうですか。そういえばレイナル様との関係はどうですか?レイナル様とエミリア様は、おうち同士のご婚約でしょうか。彼のツテで、薬を探すこともできたと思うんですけれど」


 私が大胆な質問をすると、一瞬だけエミリア様は間を空けたものの、すぐに控えめな笑みをくれた。

「ええ、たくさん薬師を紹介してくれて、彼もノルトのことを案じています」


 どうやらレイナルさんを疑っているのは、私たちだけじゃないみたい。

 きっと心の中では、エミリア様も……


 まぁ、こんな廊下の立ち話でこれ以上つっこんだことは聞けないけれど。


 でも私はどうしても、聞いておきたいことがあった。


 ノルトくんをあんな状態にしたのはレイナルさんで間違いない。でもレイナルさんは、あの薬の危険性をどこまで認識していたんだろうか。


「すごく大切な質問なのですが」


「はい、何でしょうか?」


「ここ二か月でレイナル様とキスをしましたか?」


「ええっ!?」


 エミリア様が驚きの声を上げる。


「これ、大事なことなんです。婚約者さんと唇と唇をくっつけましたか?婚前交渉は?」


「キスはそういえばノルトが熱を出してからは……頬や額、手にしかしていないような。えっと、婚前交渉はそもそもありません。はい、すみません。二十五歳にもなって何もなくてすみません。こちらから襲うくらいの気概が必要でしょうが、どうにもちょっとそれはできなくて。でも顔が好みじゃないっていうのもあります、すみません」


 なんで謝ってるの!?しなきゃいけないとか、そういうことないから!それにさらっと顔が好みじゃないって言っちゃった!

 私は焦って否定する。


「いや、謝らないでください。身体接触レベルというか体液感染の可能性を考えただけですから、深い意味はないんです」


 何だか私まで恥ずかしくなってきた。気まずい。

 二人して廊下に立ち、そのまま沈黙した。


 う~ん。今のエミリア様の話を聞く限りでは、レイナルさんはフリック病が体液で感染するって知っているように思える。

 一般的な病気ってキスしたくらいじゃ移らないけれど、ノルトくんを看病していたエミリアさんがもし感染してしまっていたら……


 婚約者である自分も、エミリアさんから感染するかもしれない。フリック病はキスや性交渉で感染するときもある。この病が何たるかを知っていて、それなのに幼いノルトくんに……


 本当に、なんてことしてくれたんだ。

 下手をすると国が亡びるような病なのに……!


 ふつふつと怒りが湧いてくる。


――ガチャッ


「もう入っていいよ」


 険しい顔で立っていた私に、扉を開けたハクから声がかかった。


 ベッドに近づくと、熱冷ましを飲んだノルトくんは最初に見たときより熱が下がったように見える。すぅっと寝息を立てていて、息がしやすくなったようにも思えた。


「背中に熱冷ましの薬を練り込んだ湿布を貼ったんだ。これでちょっとはラクになると思う」


「さすがハクお母さん」


「だからお母さんじゃないって」


 ハクは苦笑し、食べやすいものを作ると言って乳母のサーラさんと一緒に厨房へ向かった。


 私は革のカバンから調合セットを取り出し、今すぐにできることから始めようとする。


「あの、見ていてもいいですか?」


「はい。危ないので、触らないでいただければ」


 ウィル様とリクアが戻ってくるまで六時間くらいあるはず。協力してトカゲを倒せているといいけれどなぁ、と思った。

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