第22話 めんどうです

 私たちがブルクハルト侯爵邸に到着すると、豪華な金縁や飾りのついた扉を使用人が開けて中に迎え入れてくれた。

 建物の華美さに比べると、邸の中はシンプルで上品な印象だ。キラキラしていることには違いなくて、私には落ち着かない場所だけれど……



 執事っぽい人に連れられて、ご当主であるエミリア様の待つ部屋へ案内された。

 リクア、ウィル様、私の順番で長い廊下を黙って歩いていく。


「こちらです」


 臙脂えんじ色の絨毯じゅうたん、鹿っぽい魔物の剥製が壁にかかっているその部屋は、どうやら応接室らしい。


 スッと立ち上がって私たちに礼を取ったのは、当主である蛇獣人の娘さん、そしてその婚約者さんだ。


「はじめまして。エミリア・ブルクハルトと申します。わたくしが、このブルクハルト侯爵家の現当主でございます」


 彼女が顔を上げると、隣にいた男性も右手を胸元に添えてにっこりと温和な笑みを浮かべて挨拶を始める。


「どうも、私はエミリアの婚約者であるレイナル・イーターと申します」


 エリミア様は、事前にリクアから聞いていたとおり、黄緑がかった茶髪に新緑色の目のスレンダー美女。長い髪は後ろでひとつにすっきりまとめられている。

 見た目こそほとんど人族と変わらないが、手の甲から腕、肘辺りにかけて鱗のような模様が入っていて、それは蛇獣人の特徴だった。


 スカートで見えないけれど、膝より下は多分同じで鱗のような模様が入っているんだろう。


 婚約者のレイナル様は、短い黒髪に糸目の蛇獣人。優しい低音ボイスの紳士的な人に見える。


「はじめまして。錬金術士のリクアです。こっちは薬師のユズリハ、そして剣士のウィルです」


「「はじめまして」」


 私たちが揃って挨拶すると、エミリアさんがウィル様を見て「はっ!」と息を呑んだ。おそろしい美形がきて、完全に目がくぎづけになっている。


 ちょっと、エリクサーが必要なくらい弟さんが弱っているのに、ウィル様に見惚れるってどうなの?緊張感のなさに、かすかな不安を覚えた。


「エミリア」


「は、はい」


 しかもレイナル様に腰あたりをポンと叩かれて、ようやくエミリア様は復活した。

 ちょっとレイナル様に同情する。


「すみません不躾なまでに見てしまいました……!わたくし、美しいものが大好きで」


 あぁ、正直に言っちゃうんだ。

 私たちは苦笑いするしかない。


「さっそくですが、病状の確認をさせてください」


「あ、こ、こちらです!」


 仕切りなおしてリクアがそう言うと、エミリア様は弟・ノルトくんの部屋に案内してくれた。


「弟さんは、話をすることはできる状態ですか?」


 二階に上がる途中、リクアがエミリア様にノルトくんの状況を尋ねる。

 その問いに、エミリア様は力なく首を左右に振った。


「今朝からまるで返事をしません。ときおり目覚めるのですが、木の実を潰した汁などをちょっと食べただけでまた眠ってしまって……」


 かなり衰弱しているように思える。

 心配してエリクサーを求めるのも理解できた。


「感染するといけないので、使用人は乳母だけにして、私と交代でノルトの世話をしています」


「お姉さん自ら……」


 当主としての仕事もあるだろうに、それでも自分で世話をするほど弟さんを大切に思っているのは伝わってきた。


「どうかノルトを助けてやってください」


 婚約者のレイナルさんも縋るような声を出す。


「「…………」」


 私とリクアは、どうも芝居くさいなと思いつつも控えめに笑ってごまかした。

 蛇獣人の性質なのかもしれないけれど、どうも心のうちが読めない。エミリアさんは声色や表情からまだ感情が読めるのに、このレイナルという人はどうにも無機質な感じがするのだ。


(ねぇ、怪しいと思うのは私の心がけがれているから?)


(じゃあ、俺もけがれてるな)


 私とリクアはこっそり感想を言い合った。



「こちらです」


 二階の最奥部、ここがノルトくんの部屋。


――キィ……


 扉を開けて中に入ると、そこには荒い呼吸をしている金髪の男の子が眠っていた。傍らには四十代くらいの女性がいて、多分この人が乳母。私たちを見ると、礼をしてスッと壁際まで下がる。


「これは……」


 ノルトくんを一目見て、リクアが顔を顰めた。首や腕などに赤紫色の斑点が浮き上がっていて、肌が白い分それが目立つ。蛇獣人特有の鱗みたいな模様の部分にも、もれなくそれはあった。


((フリック病だ))


 迷宮の魔物から広がった病。

 ただし、リクアは病名については言及を避けた。


「失礼します」


 ベッドの隣に膝をつき、リクアはノルトくんの腕をよく見たり、喉元に手を添えたり、瞼を開かせて瞳孔の動きを見ていく。私も隣で状態を観察していたけれど、症状としては中期だろう。


「熱が高いですね」


 おばあちゃんが特効薬を作ったあの疫病なら、最初は微熱程度が続いて徐々に衰弱していき、多分ここから赤紫色の斑点が全身に広がっていく。後期になると嘔吐がはじまり、食事や水分を受け付けなくなって衰弱してしまう。


 桶やタオルの準備がないし、エミリアさんがいうに今朝はまだ食事を少し摂ったというから、多分まだ嘔吐は始まっていない。


「どうですか?エリクサーで治りますか?」


 縋るような声でエミリア様が尋ねた。

 どうやらエリクサーを神の力くらい万能だと思っている気がする。


 リクアは立ち上がり、彼女を振り返って言った。


「ノルト様は、アリオ感染症だと思われます」


「アリオ感染症?」


「はい、似たような症状の病はたくさんありますが、可能性として。特効薬はありますのでどうかご安心を」


「よかった……!」


 エミリア様は、ホッと胸をなでおろす。

 でも私はリクアの顔をちらりと見た。そこにはいつも通りの人懐っこい笑みがあったけれど、あいにくこれはアリオ感染症ではない。あっちは斑点が出るだけで熱は出ないからだ。不治の病でもなんでもなく、重篤な皮膚病の一種である。


 そもそも、馬車の中で、リクアはノルトくんがフリック病だとほぼ確信していたように思う。

 それなのに今、病名を偽ったってことは、ここで発表できない理由があるんだろうな。


 私はちらりと、エミリア様の背後に立つレイナル様を見た。

 あ~あ、堪えきれない笑いを口元に浮かべている。リクアのことを「バカだな」とでも言うような目で……


 レイナル様は知っているんだ。

 これがアリオ感染症じゃないってことを。それはつまり、この人がノルトくんに病を植え付けたってことだ。


 本当に貴族って面倒ごとが多い。


 ウィル様もさすがにこの子がアリオ感染症じゃないってことはわかっているので、リクアの言葉に疑問を抱いているようだった。そして、何か考えがあるのだろうということも。


「治療は私たちで行います。ですから、しばらくここにご厄介になりますね」


「はい!よろしくお願いいたします!」


 リクアはその場でサラサラと手紙を書き、エミリア様に必要な薬草や素材を買い集めて欲しいと言ってそれを渡す。

 そして、彼らを部屋から追い出すと、防音魔法を私たちの周囲に張って話を始めた。


「えーっと、犯人はレイナルで決まりかな?」


「「異論なし」」


 リクアの言葉に、私とウィル様も同意する。

 動機は多分、ノルトくんに爵位を渡したくないってところだろうか。このままエミリアさんが女侯爵でいてくれた方が、レイナルさんにとっては都合がいいと思うし。


「エミリア様は、ノルトくんのことは本当に心配しているみたいだったね。早く特効薬を作ってあげなきゃ」


 おばあちゃんが遺した薬のレシピは、すべて私の頭の中にある。


「リクア。ウィル様と一緒に迷宮に行ってくれる?私はここで調合を始めるから」


「わかった」


 この薬には、特殊なトカゲの魔物が必要だ。皮の裏についている粘液をろ過してつくるんだけれど、その粘液は鮮度がよくなくてはいけないから作り置きができない。


「聖樹の雫を飲ませたら、少しはラクにならないんだろうか」


 苦しそうなノルトくんを見て、ウィル様がそう言った。


「発症してから聖樹の雫を飲ませても、あまり延命は期待できません。いずれ体力や気力が尽きて死に至ります。口の中にも発疹が出ていてロクな食事はとれないと思うし……まだ身体が大人になりきっていないから、体力もそれほど。栄養剤と熱冷まし、あとは仮死の魔法陣で肉体の時を止めるしかありません」


 正直なところ、仮死の魔法陣はあんまり使いたくない。蛇獣人はあまり魔力がないので、仮死状態を長く続けると、目覚めたときに後遺症が出る可能性があるから。


 病気が治るだけ、生きられるだけマシっていう人もいるけれど、なるべくなら病にかかる前の状態に戻してあげたい。蛇獣人はプライドが高いって聞くし、目覚めて身体が不自由になってたら自ら命を絶ちかねないっていうのもある。


 あぁ、貴族もめんどう。蛇獣人もめんどう。

 もっと合理的に生きて欲しいものだと思う。


「二人とも、ちょっと遠いけれどクリスタルの迷宮へ行ってください」


 行きは馬で四時間ほど駆けることになるけれど、帰りは私が渡した巻物スクロールでこの部屋に転移できるから、夜にはここに帰ってこられるだろう。


「いってらっしゃい!」


「は~い。すぐ帰ってくるよ」


「ユズリハ、無茶はするなよ?」


 リクアは明るい顔で手を振り、ウィル様は私を心配そうに見る。対照的な二人に、私はくすっと笑ってしまった。


「ハクが来てくれるから大丈夫!二人とも気を付けて!」


 馬に乗る二人を、私は二階の窓から見送った。

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