第21話 リクアへの依頼

「おはようございまっす!」


 早朝、いつものようにリクアがやってきた。でも本日の予定は、ウィル様と剣の訓練をするでも、迷宮に潜るでもない。


 今日は、ある貴族から依頼が入っているという。

 錬金術士として、師匠に来た依頼の一部をこうしてリクアが受けることもあるのだ。


「ユズにもついてきて、確かめて欲しいことがあるんだ。ウィルも」


「私?」

「俺もか?」


 予想外のお願いに、私は目を丸くした。

 リクアは朗らかな表情だけれど、いつもみたいに茶化している雰囲気ではない。これは何かある、そう思った私は急いで出かける準備をし、聖樹の森の外に用意されていた迎えの馬車に乗りこんだ。


 リクアは私の隣に座り、ウィル様は正面に座っている。

 窓の格子には木彫りの花やつた、そしてその家の紋章があった、


「これって、ブルクハルト家の紋章よね」


「うん、そうだよ。今日の依頼人はそこの娘さん。あぁ、娘さんって言い方はちょっとおかしいかな」


「娘さんがご当主、なんだっけ」


 盾と剣をモチーフにした紋章は、この国で権威のあるへび獣人・ブルクハルト侯爵家のものだ。あまり世情に詳しくない人にも知られているほどの名家。確か今は、二十代半ばくらいの娘さんが女当主だったはず。


 社交界デビューしてすぐにご両親を亡くし、年の離れた弟さんが当主になるまで姉である娘さんが家を支えているという美談は有名だ。


 リクアによると、お姉さんは二十五歳。黄緑がかった茶色の髪に、新緑色の目のスレンダー美女らしい。蛇獣人は基本的に淡白で無口な人が多いが、彼女は見た目こそきつそうだけれどとても情に厚い優しい性格なんだそうな。


「現当主はその娘さんなんだけれど、まだ十歳の弟さんがいるんだ」


 十五歳年の離れた弟か。かわいいだろうな、と私は漠然と思った。

 実際にお姉さんは弟さんをずっと守ってきたそうで、姉弟二人の仲はとてもいいとリクアは話す。


「でも弟さんが、先週あたりから体調を崩しているらしいんだ。それで師匠にエリクサーを依頼してきたんだが」


「いきなりエリクサー?」


 それはちょっとおかしい。

 エリクサーはお値段が家一軒買えるくらいする。そんなものは、いくら侯爵家でもおいそれと買えないはず。


「ケガをしたなら、エリクサーが欲しいというのはわかる。でも体調を崩している、という理由でエリクサーはちょっと例がないね」


「でしょうね。病気が治るわけじゃないもの」


 私とリクアの見解は同じだった。

 ここでウィル様がエリクサーの効果について尋ねた。


「どの程度の病ならエリクサーで治癒できるんだ?」


「う~ん、病を根本的に治すことはできないね。例えば、菌が身体に入り込んでいるなら、いくらエリクサーで一時的に体力を回復させても、その菌を取り除くか排出させるかしなきゃまた同じ症状が出てきちゃうんだよ」


 リクアの説明に、ウィル様は「なるほど」と言って頷く。


「なら、病による手足の腐食は?」


「それは治る。まぁ、結局原因を絶たないといけないっていうのは変わりないけれどね」


 そう、体調不良なら何か原因があるはずなのだ。

 それがわからない限り、貴重なエリクサーがムダになる可能性がある。


「エリクサーは作るのに材料がね……。だからムダにするわけにはいかないんだ。だから今日、俺がその弟さんの状態を見て原因を調べてみるんだけれど」


「うん、それはそうね」


「ユズにも来てもらったのは、彼の症状が聞く限りではちょっとヤバくてね」


 リクアは困った顔で眉根を寄せた。


「もしかして、ブルクハルト家に寄ったその足で迷宮に潜るかもって言ってたのと関係ある?」


 ブルクハルト家から事前に聞いた弟さんの症状に、リクアは心当たりがあるんだろう。

 それで私を呼んだってことは、もう面倒ごとの予感しかしない。


「弟さんの身体には、赤紫色の斑点がたくさん出始めているんだって」


「赤紫色の斑点……」


フリック病。私の頭にはその可能性が第一に浮かんだ。


「ベルガモット様が特効薬を作ってしずめた疫病なんじゃないかって、うちの師匠は疑ってる」


「おばあちゃんが……」


 私も話にしか聞いたことはないけれど、フリック病はもう根絶したとされる病だ。

 二十年ほど前にこの国にあった迷宮で、魔物から感染したという疫病。もうその迷宮は踏破され、廃迷宮になっていると聞いている。


「でもなんでその幼い子が?」


「わからない。誰かに接触したか、あるいは」


 リクアは言いよどむ。でも私は、その言葉を引き継いだ。


「誰かに感染させられたか」


 考えたくはないけれど、貴族や薬師の中には疫病のサンプルを持っている者がいないとも限らない。暗殺業をなりわいにしている人たちだってそうだ。

 あぁ、やっぱり面倒ごとな予感!


 私が苦い顔をしていると、ウィル様も眉根を寄せた。


「病が広がったら大変なことになるな」


 はい、おっしゃる通りです。


「私とウィル様、それにハクも……普段から聖樹の森で暮らしていて聖樹の雫を飲んでいる私たちは感染する可能性はほとんどありません。感染したとしても、身体の中で病が発症することはないんです」


「あ、俺も大丈夫だよ。師匠にいろんな毒を飲まされてるから身体が強いの」


 うん、今とんでもないことをポロッと言ったねリクア。

 私とウィル様の間に沈黙が流れる。

 ここは触れるべきか触れないべきか。私たちは後者を取った。


「とにかく、一度見てみないとね。その少年を」


「そうなるな~」


「意外と何でもない病気かもしれないし」


「エリクサーを頼むほどなのに?」


「リクア、私が一生懸命気分を立て直そうとしているのにそういうことは」


「ごめん」


 馬車は街の大通りを抜け、煌びやかな貴族街へと入っていく。

 窓から見えるのは、晴れやかな空。私たちの心とは裏腹に、どこまでも澄んだ空が広がっていた。

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