第10話 おじさんの忠告は聞こう

 ウィル様は失敗を踏まえ、体力がついて心身ともに安定するまで魔法は禁止された。もちろん、禁止令を出したのはハク。我が家のヒエラルキーの頂点は彼なのだ。


「せっかく生き返ったのに、凡ミスで死んだら元も子もないよね?」


「「はい」」


「二人ともちょっと軽率だよ。そんなんじゃ命がいくつあっても足りないから。慎重に生活するように!」


「「はい」」


 顔は笑っているけれど、目がまったく笑っていない。怒ったハクは怖い。

 黒狼獣人は細身なのにそのパワーはすさまじく、怒るとオーラだけで壁が揺れる。私とウィル様は終始「ごめんなさい」と言って平謝りだった。


 そんな私たちを見て、豪快に笑うおじさんがリビングにいる。私が昔からお世話になっている商人さんだ。


「あははははは!王子様も形無しだな!」


「笑い事じゃないですよ、タマゾンさん……」


 お腹がぽこっと出たぽっちゃりおじさんのタマゾンさんは、商品の目利きもすごいが、こんな体型なのに実はけっこう強い。素手で熊を殴り倒せる武闘派だ。


「なんにせよ、ユズリハにモノを教わるのはやめた方がいい。嬢ちゃんは天才児だからな、親の教育もすごかったし」


 それは否定しません。

 歴代最高の魔女ですから。

 へらっと笑っていると、ハクから白い目を向けられた。家を壊したことがよほどだめだったらしい。


 リビングで談笑していると、ウィル様がスッと前に歩み出た。


「挨拶が遅れてしまったな。ウィルグランという」


「おぉ。これはご丁寧に!商人のタマゾンだ。人族と猫獣人のミックスだが、見た目も能力も完全に人族だよ」


 黄色味の強い金髪に丸い顔つきは猫っぽいんだけれど、この人を見て獣人を感じる人は多分いない。耳も尻尾も体毛もすべてが人族のそれなのだ。


「タマゾンさんはお父さんが人族で、お母さんが猫獣人なんですよね」


「あぁ。もう母親しかいねぇが、今度ウィルがうちに遊びに来たら紹介するよ」


 そう言って笑うタマゾンさんは、私に靴を持ってきてくれた。ついでに、成長祝いだとかわいいお洋服やバッグもくれた。でも私が一番うれしかったのは、金色ネズミのしっぽだ。これは魔力回復薬の素材として貴重だから、ありがたい。


「ありがとうございます!」


「娘の成長は喜ばしいもんだよ」


 タマゾンさんは冗談を言って笑った。

 そういえばこの人はすぐに私だってわかったなぁ。ぐっと背が伸びて大人になったのに。不思議に思っていると、彼は優しく目を細める。


「アリアドネそっくりだよ。すぐわかった」


 それは昔を懐かしむ顔。私を通して、過去を見ているように思えた。

 研究ばっかりで引きこもっていた母を知っている人は少ないから、母の話ができる貴重な相手だ。


「そんなに母に似ていますか?」


 自分でも似ているとは思ったが、他人の目を通すともっと似ているらしい。


「ものすごく似ている。懐かしいよ」


 銀髪に黒目は、母も祖母も同じだったはず。でも祖母とは顔の系統が違うかな。

 手鏡でまじまじと自分の顔を見るけれど、やはり母に似ているのだろうなと思った。


「まぁ、アリアドネはクールな女だったから、にこりともしなかったけれど」


 昔、タマゾンさんは母にフラれたと聞いている。冗談だか本当だか、酔ったらいつもその話をしていた。母は無表情でめったに笑わない人で、氷の魔女と揶揄されるくらいの人だった。


 娘の私も、ちゃんと笑った顔はたった一度しか見たことがない。父は一体、母のどこに惚れたんだろうか。漠然とした疑問を抱く。


「あ!」


私はここでようやく、さっき見つけた手帳のことを思い出した。ハクに聞いても見たことがないというから、誰のものかわからずじまいで。


「魔法で鍵がかかっているから、中を見るなら呪文を解読しないと」


 ハクは手帳の裏表紙を見て、そこに隠ぺい魔法で見えなくなってしまった魔法陣があるという。こんな手の込んだことをするのは、おそらく母だろうな。しかも天井裏に隠してあったなんて……ウィル様が天井を誤って破壊しなければ、永遠に天井裏に封印されていたということだ。


「お母さん、中に何を書いたんだろう」


「さぁな。案外ただの日記かもしれねぇぞ」


「お母さんがそんなことする?」


私の記憶にある母は、感情を表さない人間味のない人だ。あの暮らしぶりに、わざわざ隠すような内容があったとは思えないけれどな。


「何かすごい秘術かもよ」


ハクは笑う。それはありえるな、と私も思った。


「まぁそれはともかくだな……」


 タマゾンさんは、視線を私からウィル様に移すと呆れたように言った。


「ユズが立派になったのは驚いたが……ウィルはこれまたとんでもないな。街に出たら女が倒れるぞ、多分」


 やっぱり男の人から見てもそう思うんだ。

 私たちにじぃっと見つめられたウィル様は、なぜか顎に手を当てて困った顔になった。


「そうか。この国ではこの顔はそんなにひどいのか。倒れられては申し訳ないな」


「ウィル、正気かい?君には美的センスというものがないのかな?」


 ハクが呆れている。うん、私も呆れていますよ。

 ウィル様は、見た目の美しさも常識も浮世離れしているようだ。


 笑いを堪えきれないタマゾンさんはしばらく顔を背けていたが、持ってきた食材を箱に戻しながらウィル様に言った。


「あぁ、身体がなじんだらうちで荷下ろしの仕事でもするか?いきなり冒険者として迷宮探索はさすがにあぶねぇからな」


「いいのか?」


 ウィル様は乗り気だった。王子様なのに下働きもいとわないなんてびっくりだ。


「もちろんだ。狩りほどの収入にはならねぇが、身体つきは変わるだろう」


 ハクも頷いているから、ウィル様が荷下ろしの仕事をすることは決定した。


「それにちょっとは常識とか知らねぇと、いざってときにユズを守れないぞ。面倒ごとに巻き込まれるとかわいそうだ」


「ええ?私は自分のことは自分で守れますよ?」


 大海蛇シーサーペントを一人で狩れる女子なのに。首を傾げていると、タマゾンさんは笑った。


「若いときは心が安定しねぇから。油断と隙で、あぶねぇんだよ」


「そういうものなんですか?」


 よくわからない。でもウィル様は年長者の助言をすんなりと受け入れた。


「ご忠告、感謝する。力をつけて、ユズリハを守れるようになってみせる」


「お、おう……」


 あぁ、タマゾンさんまでウィル様のきらきらしいオーラにやられている。


「迷宮までたどり着く前に女の子に囲まれるんじゃないかな……」


 ハクは苦笑いだ。


 油断ならないウィル様のオーラに、私は思った。


「女除けの呪術でも探す?」


 祖母の残した呪いの書には、確かそんなものもあったはず。真剣に悩んでいると、ハクが私の肩にそっと手を置いて「それはだめ」と言った。

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