第9話 魔女は王子様とスローライフを望む
聖樹の森の朝は早い。
畑に水を撒き、薬草を摘みに出かけ、洗濯をする。
靴がないので裸足で出かけようとしたところ、ウィル様に見つかってあやうく抱っこで運ばれそうになって困った。仕方がないので、大きめの靴に中敷きを詰めに詰め、浮遊の魔法陣を靴底に描いてから出かけることにした。
初日から今後の暮らしが思いやられる。
「ウィル様、ついてきて大丈夫なの?」
まるで幽霊みたいにふわふわ浮いて森を進む私のそばには、自分も行くと言ってついたきたウィル様がいる。今日は休息日ってハクに言われたのに、本人はじっとしているつもりはないみたい。
「早く身体を動かしたいんだ。手伝わせてほしい」
「それは助かるけれど……」
何より、ウィル様の手に籠がある。私が持つと言っても返してもらえなかったので、手伝ってもらうしかない。
足下の草には朝露がキラキラと光っていて、涼しくて過ごしやすい朝。土を踏みしめる細やかな音は二人分だ。
「手足が動き、息ができることがこれほどうれしいものだとは知らなかった」
穏やかな笑みを浮かべるウィル様は、木漏れ日に目を細めた。
二日前まで魂だったんだから、普通のことが何もかもうれしく思えるんだろう。
「ふふっ、これから何がしたいですか?行きたいところとか、食べたい物とか、ウィル様が望むことを叶えたいです」
あまりに幸せそうな顔をするから、私も笑みがこぼれる。
冥界から解放されたウィル様にもっともっと笑って欲しいと思った。
「そうだな。狩りがしたい」
「狩り?」
いきなりそうくるとは。目を瞬かせていると、ウィル様は笑った。
「ユズリハに恩返しがしたい」
「うっ……!」
どこまでもまっすぐで、瞳がきれいなウィル様。微笑まれると、聖職者が放つ
でもこれは困った。今もずっときらきらした瞳で見つめてくるウィル様。これでは恩人と拾い子だ。
「恩なんて今すぐ忘れて欲しいんですけれど」
「それはできない。今俺がこうしていられるのはユズリハのおかげだから」
まじめだなぁ、もう。
むぅと膨れる私を見てウィル様は優しい目をする。
「ウィル様、狩りに行くなら体力をつけて魔法も覚えないといけませんね」
「あぁ、すぐにでも励もう」
励んじゃだめだって。
ゆっくり休んでおかないと、肉体が悲鳴を上げてからじゃ遅い。
なにせウィル様は生まれたてなんだから。
歩くこと十分。聖樹の森にある小川のほとりに私たちはやってきた。
「ここで、こういう丸い葉の草を採取してほしいです」
私は両手の指を合わせて、ハート形を作る。カタバミやクローバーに似ているけれど、これは聖樹の森にしかない薬草だった。
手本として近くに咲いていた白い花と葉をプチッとちぎる。
「これです。白い五枚の花びらで、丸い葉がわさわさっとついている草」
「わかった」
ウィル様は足下の草をよく見て、手際よく集め始める。私はほかの薬草や花を集め、彼が持ってくれている籠に入れていった。
「これは何に使うんだ?」
手を動かしたままウィル様が尋ねる。
「虫よけとかゆみ止め。それから除草剤にもにおい消しとして入れたり、香水に入れたり、けっこういろんなものに使えて便利なの」
「へぇ、そんなものがあるのか。どれくらい集める?」
「籠にいっぱいになればおしまい。これは二~三日でまた増えるから、取りつくすことなんてないから大丈夫」
私たちが薬草や花を摘んでいると、地面からポコッとかわいい動物が顔を出す。
「ユズリハ、なんだ?この生き物は?」
「うさぎモグラ。モグラと生体は同じだけれど、地上でも生活できるの。昔は食べる魔女もいたらしいです」
愛らしい目でこっちを見ているうさぎモグラは、茶色いウサギが土から出てきたようにしか見えない。
これを食べるってなかなかの気合が必要だ。文献には鶏肉のような味がすると書いてあるけれど、私は確かめる気が起こらず一度も食べたことはなかった。
「ここはおもしろいな」
森を見回したウィル様は、あたりを飛んでいる蜂に似た何かを見て不思議そうに言った。
「危険な動物はいないので、そこは安心かなぁ。熊も三十センチくらいの草食熊だから、出会っても逃げなくて大丈夫」
「それはぜひ会いたいな」
ウィル様の手は土で汚れている。王子様だからこういうの嫌がるかとちょっと心配だったのに、まったく気にしないようだ。
じっと見ていると私の考えがわかったのか、ウィル様が自分の手を見て笑った。
「王族らしくないだろう?アストロン王国は小国だし、王子だって騎士団の遠征に参加する。国境までいくと身分なんてほとんど関係なく、上官にしごかれるんだ」
「王子様なのに!?」
お城でのんびり暮らしているんじゃないんだ。
「国を率いるには武力がいる、と亡き父上が。でも実際には騎士団の訓練についていけるのは俺だけで、弟二人は剣がそれほど得意ではなかった」
「では、弟さんは学問を?」
「あぁ、二人は早々に騎士団での訓練は諦めたな。すぐ下の弟はまだ剣もそれほど悪くなかったが、末の弟なんて魔術の方が合っていて、部屋で色々やっていたよ」
懐かしそうに家族の話をするウィル様。もう会えないことを嘆いているようには見えないけれど、淋しさは伝わってきた。
「国に戻りたいって、思いますか?」
その言葉に、ウィル様はこちらを振り向いた。そして、俯いて静かにかぶりを振る。
「戻ったところで、俺がしてやれることはないだろう。自分がなぜ死ななくてはいけなかったか知りたい気持ちはある。でももう、終わったことだから」
ひんやりとした風が通り抜け、紺色の髪がさらさらと揺れた。
籠いっぱいに入った薬草に視線を落とし、私は言った。
「そろそろ帰りましょうか、うちに」
「あぁ」
いつの日か、あの家をウィル様が自分の家だと思ってくれる日が来たらいいのに。そんな風に思った。
家に戻ると、ハクが朝食の用意をしてくれていた。
私たちが眠っている間、ソーセージや干し肉を作ってくれていたんだとか。
「…………」
「ユズ?どうかした?」
ニコニコ顔のハク。
これは何のお肉で作ったのかしら、と気になったけれど聞くのは
「何でもない、いただきます!」
チーズと茹でたソーセージをパンに挟み、その上から特製のソースをかける。
ウィル様にとっては初めての固形物で心配したけれど、「うまい」と言って勢いよく平らげた。
こんなに早く普通の食事がとれるなんて、丈夫な身体のようでよかった。
三人で囲む食卓は、にぎやかで楽しくて、こんな日がやってきたことに感動する。
食事の後は洗濯をして、ハクとウィル様は剣やナイフを研いで装備の確認をしていた。もう訓練の準備とは、励むと言ったウィル様の本気が伺える。
私は一階にある仕事部屋に篭り、取ってきた薬草を仕分けしたり魔法でムラなく乾燥させたり、薬づくりを始めた。
塗り薬にするには、植物から抽出した油と薬草のエキスを混ぜなくてはいけないから、すり潰した豆から油を抽出している間に薬草を魔法で切り刻んでいく。
「錬成、聖樹の雫、
私の手からあふれ出した光と風が、水と葉を巻き込んでくるくると宙を舞い、薄緑色の液体へと変わる。
あとはこれを油と練り合わせたら軟膏のできあがりだ。
練るのも魔法でできるけれど、そこは手でやった方が魔力を温存できるからと祖母には習った。
――コンコン
油を皿に移していると、ウィル様が部屋に入ってきた。
「俺に何か手伝えることはないか?」
「ええっ、休養は?」
「それはユズリハもだろう」
いや、私は靴がないから出歩かないだけで、もう元気なんだけれど。背が伸びて慣れないだけだから、休まないといけないようなことはない。
「何かしたいんだ。ユズリハのために」
そう言ってウィル様は私のそばにやってくる。キラキラとした瞳で見つめられたら、だめとはいえない。
なんだか懐かれている?
そんな気がしないでもないけれど、もうこの際だから、色々と覚えてもらうのもいいかもしれない。
「では、魔法陣を描いてみますか?」
「描けるのか?」
「ええ、簡単なものであれば」
私は引き出しの中に入れてあった、厚めの羊皮紙を取り出して机に並べた。
「これは?」
「
書机の椅子にウィル様を座らせると、私は魔女の筆と特製インクの入った小さな壺を並べる。色とりどりのインクは、きれいなだけじゃなくてきちんと用途がある。
「朱色のものは、レッドドラゴンの血と聖樹の雫、ほかにも色々ブレンドしたインクです。これでなくても描けますが、使うインクによって魔法陣から放たれる攻撃力や防御力が高まったり、動作速度が上がったり、いろんな効果があるから」
ウィル様の手に筆を握らせた私は、毛先にインクをつける。手が大きいから筆が小さく見えてちょっと驚いた。
「インクは魔物の血液や樹液、砂や水なんかを混ぜて作ります。魔女それぞれにレシピがあって、私は母が遺してくれた研究を参考に作っていて……聖樹の雫は、年に一度この森に溢れる雨のようなものです」
私の話を真剣に聞いてくれるウィル様は、初めて見る魔法陣用のインクに興味津々だった。
「こんなもので描かれていたのか……」
「いえ、普通のインクでも描けますから、これは私たち魔女がつくる魔法陣ならではですね」
「魔物の一部を使うのなら、インクの素材だけでもかなり値が張るのではないか?」
「……」
これは言った方がいいんだろうか。「自分で狩っています」って。
言葉に詰まる私を、ウィル様はじっと見つめている。
あぁ、きらきらした瞳に引き込まれそう。本当にこの人は純粋な人なんだな。
私なんて、魔物を倒すほどの強い女だって知られたら嫌われるかなって、どうしたらウィル様に好きになってもらえるんだろうってそんな打算的なことばかり考えているのに。
「ユズ?」
「っ!」
初めてユズって愛称で呼ばれてドキリとした。
私は視線を逸らすと、壺に立ててあった別の筆を持ち見本を見せるためにインクをつけた。
「インクは手作りなので、素材はまぁ……入手します」
ウィル様はそれ以上深く追求しなかった。
「簡単なのは正円でつくる防御魔法陣かな。左右、上下対称の正円を描いて……」
慣れた手つきでくるんっと筆で描くと、インクがきらきらと輝きだす。魔力を篭めながら描くから、ただのインクのときよりも発色はよくなるのだ。
大量につくるときは特注したコンパスを使うこともあるけれど、なんか機械的で美しくないから私はあんまり好きじゃない。
「正円の魔法陣は、簡単なものだと四つのパーツからできています。基本的には、いつ誰が何をするかという指示と、魔力をどこから持ってくるかという指示で成り立っているんです」
さらさらと文字や記号を書くだけなんだけれど、ウィルは真剣な目で私の手元を見つめ、眉根を寄せる。もしかして一から始めるにはむずかしいのかな。
私はいつも通り、火・水・風・土魔法に対する防御効果を発動するよう、魔法陣を描いていく。
「ユズリハ、これは初心者にはかなりむずかしいな」
「やっぱり?」
私は物心つく前からやってきたから、できるかなって思ったけれど初見では無理みたいだった。
「あ、たとえばうちの扉って勝手に閉まるようになってるんだけれど、それは魔法陣にさっき説明したような指示を仕込んで描いているからなんです」
あれはけっこう簡単だ。シンプルな正円に外周に沿って文字だけが並んでいる魔法陣。
「この魔法陣の意味は、右上には『扉を元の位置に戻す』、右下には『扉が自分で動く』、左下には『魔石から魔力を吸い取る』、左上には『もしも扉が開けっ放しだったら』っていう指示を書き込んでいます」
さらさらと魔法陣を羊皮紙に描くと、ウィル様はさらに頭を抱えた。
「ちなみにこれはどこの文字?」
「古代ルーン文字です。私たちが話している言葉でも問題なく魔法陣は描けますが、古代ルーン文字の方だと文字数が少なくて美しいので!」
「ユズリハ、俺は古代ルーン文字を知らない。一般人というか魔女以外は知らないと思う」
「……それは予想外でした!」
魔女の常識と王子様の常識が完全に食い違っていた。
結局魔法陣はいきなり描けないということで、ウィル様の風魔法習得のために訓練をすることになる。
「訓練っていっても、加減の調節を学ぶだけですよ?」
訓練と聞いたらうれしそうな顔になったウィル様に忠告する。
王子様だった頃、魔法は一切使えなかったからとても興味があるみたい。
「魔力は自分の身体に流れる水みたいなもので、まずは手のひらに集中させて……」
ウィル様の胸の前で両手を上に向けさせて、私はそれに自分の手を重ね、彼の魔力を強制的にひっぱりだした。
「これが……」
ふわりと巻き起こった風は、私たちの前髪を揺らす。
「はい、これを練習してみてください」
「わかった」
自分の意志で魔法を使えるようになることから始めなくては、今は魔力だけはあるけれど内側でぐるぐる渦巻いている状態になってしまっている。
ウィル様の魔力に触れてわかったが、これはかなり魔力量が多い。
冒険者として経験を積めば、すぐに高位ランクになれるかもしれないと思った。
ウィル様は手のひらに意識を集中し、魔力を体内から放出する。きれいな風が繭のように作られていくのを見ると、やはり風魔法の相性がいいようだ。
「すごい!ウィル様できてる!」
思わずはしゃぐ私。すると彼は安堵したような笑みを浮かべた。
「よかった、俺にもできることがありそうだな」
しかしその瞬間、気が緩んだはずみで一気に風が強まった。目に見えるほど渦巻いた風の塊が出現する。カーテンがバタバタとはためき、紙が部屋を舞った。
「「うわっ!」」
ウィル様の手から風が轟々と音を立てて発生し、彼の身体の内側から魔力が放出されっぱなしになる。このままじゃまずい。そう思って止めようと手を伸ばしたが、一歩遅かった。
――ドォォォォン!
「きゃぁぁぁ!」
「うっ……!」
風の塊が天井に向かって飛び出し、木の板を突き破って空高く飛んでいった。二階の天井も突き破り、穴の開いた部分から青空が見えている。
私たちは床に座り込み、ぽかんと口を開けてそれを見上げる。
「……ユズ、大丈夫か?」
「はい、二人ともケガがなくてよかったですね」
おもいっきり天井には穴が開いているけども……
「ユズ!ウィル!何やったんだよ!?」
驚いたハクが飛び込んできて、ものすごい剣幕で叱られた。
「危ないから!まだウィルは身体と魂が馴染んでいないから危ないの!勝手なことをしたら休息日を伸ばすよ!?」
「「ごめんなさい」」
「ユズは天井を直して!ウィルはあっちの部屋で身体に異常がないか確認するよ!」
あぁ、王子様だった人が首根っこを掴まれて連れていかれてしまった。
ハクは私たちのことを子ども扱いしているから、お母さんモードで容赦ない。
ひとり残された部屋で、床に散らばった木屑を見て口元が引き攣る。
「ん?こんな本あったっけ……」
ふと気づけば、床に一冊の本、というより手帳のようなものが落ちていた。この部屋にあるものはすべて私の物だから、見覚えのないこの手帳は今しがた起こった事故によって上から落ちてきたものになる。
「おばあちゃんのかな、それともお母さん?」
手帳を手に首を傾げる。
しかしぼんやりしてはいられなかった。階下から、ハクが叫ぶ声が聞こえる。
「ユズー!あと三十分くらいで雨が降るよ!早く天井直して!!」
「はいっ!!」
私は慌てて風魔法で天井だった木片を集めた。
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