第5話 王子様はストライキ中
冥王様がいるのは、冥界にある塔の中でもっとも大きな中央殿。
まるでおとぎ話の魔王城みたいな真っ黒で恐ろしい外観は、彼の趣味だという。
私は
「冥王様~!」
冥王様の執務室に突撃した私は、書机でちゃっちゃと書類仕事をこなしている美しい人に声をかけた。
「あぁ、ユズリハか。今日は何用だ?」
ツヤツヤの黒髪を右側でゆるく一つに結び、黒い一枚布に金糸で刺繍を施した前合わせの衣を着ているのが冥王様。教会の神官と似た用な服装だ。
冥王様は笑顔を私に向けるけれど、その手元は見えないくらいの速度で紙が左から右に飛んでいく。魂の転生を許可する書類にサインをしているのだ。
ここ冥界には、たくさんの魂が集まってくる。
その色が白に近いほど純真な魂で、色がついていても淡い色であれば天国行きである。私もここで商売をするまでは知らなかったのだが、生前やったことが何であれ、魂が穢れていなければその人魂の色は淡い。
例えば、同族を何百人殺しても、家族や国を守るため己の信念に基づいて生をまっとうした者は魂が穢れることはないらしい。逆にいうと、虫や動物を自分の戯れで殺めた者なんかは人魂の色が濃い。
すべてはその者の心次第、と冥王様は昔笑って話してくれた。
人は死ぬと冥界ルールに基づいて、その魂の色で振り分けられる。
色ですべてが決まるんだから、懺悔する必要はないしそんな余地もない。それぞれの色に応じて決められた扉をくぐるだけ。
もしウィル様が死んでしまっていて、その扉をまだくぐっていないのなら生き返らせるチャンスはある。
やたらとツルツルした床を滑らないように気をつけながら、私は冥王様のそばに走り寄った。
「今日はお仕事で来たんじゃないんです!ウィル様……ウィルグラン・レイガードという人族の男性を探しています!」
縋る目でそう尋ねると、冥王様はその手を止めた。
「あぁ、あいつか」
「ご存知なのですか!?」
やけに早い反応に、思わず前のめりになる。
「もう二年前だったか、エデン行きか転生のどちらにするか選ばせてやろうと思ったのだが」
「二年!?」
そんなに経ってたんだ……。私は絶望で言葉を失った。
でも冥王様は驚きの事実を口にする。
「まだやりのこしたことがあるのだと言い張って、ずっと冥界に居座っている」
「…………え?」
居座る?そんなことができるの?
呆気にとられる私を見て、冥王様は机に肘をつきながら笑った。
「もう相手にするのも面倒でな。ユズリハ、知り合いなら連れて帰れ」
「いいんですか!?」
まさかの許可!頼んでいないのに許可が出た!
私はコクコクと激しく頷いて、冥王様に尋ねた。
「ウィル様はどこに!?」
すると冥王様の補佐官である、エルフっぽい美丈夫が奥の扉を指差した。
「あちらですよ。エデン前の広場にずっととどまっておいでです。最上階への鍵は開けておきますから、ご自由にどうぞ」
「ありがとうございます!」
お礼を言って走り出そうとする私を、冥王様が呼び止めた。
「待て、ユズリハ。連れて帰るなら肉体がいるだろう?
「何から何まで……ありがとうございます!」
「よい。こんなところまで好いた男を迎えにくる者はおらんからな。おもしろい余興だ」
冥王様は、私がウィル様を好きだってことを見抜いていた。まぁ、そうでもなければこんなに必死に探さないか。
ふふっと笑いが漏れる。
「いってきます!」
「「いってらっしゃーい」」
冥王様と補佐官さんに手を振って、私はエデン前の広場に向かった。
◆◆◆
「ウィル様っ!」
長い階段を駆け上がり、途中でめんどうになって
冥王様が神力で念話を送ってくれたので、目の前にある扉が次々に開いていく。
「ウィル様!ウィル様、どこですか!」
淡い光の差し込む草原。冥界の屋上に到着した私は、銀杖からサッと飛び降りてあたりを見回す。薄緑の草が足下に茂るここは、エデンに向かう前の魂が集まる場所。
白い魂たちは、ここで遊んでからエデンへ向かい、そこでまた遊んでから転生する。が、選択権はあくまで魂にあるので、遊ばずにすぐ転生する人もいる。
『ねぇ、遊ぼう?』
こどもの魂が私に話しかけてきた。でも私はウィル様を探すのに必死だった。
「ウィル様を知らない?」
『知らな~い』
ふわふわと漂う魂たち。表情もないのに楽しそうに舞っているのがわかる。
淡い光がそこら中に浮いていて、神秘的な雰囲気だ。
「ウィル様!」
私は彼の名前を呼びながら、それらしき魂がないか注意深く見ながら駆け足で進んでいった。
そして、しばらくやみくもに走っていると、聖樹の枝で出来たエデン行きの看板の下に、たったひとりで微動だにしない魂を見つけた。
私はそっと近づき、その魂の前に立つ。
『誰だ』
低い男の人の声。私の知っているウィル様の声ではなかった。
白い光と向かい合った私は、なぜだかこれが彼だと確信を抱く。
「ウィル様ですか?」
『……そうだ』
いた。
ようやく会えた。
魂になっちゃって顔も姿もわからないけれど、確かにここにウィル様はいた。
涙がじわりとこみ上げ、深呼吸して必死にそれを抑える。
「ウィル様。迎えに来ました」
感極まってそう伝えると、彼はじりじりと離れだす。
あれ?何で逃げるの?
私は一歩足を進め、彼に迫る。
「あの、大丈夫です。私、怪しくないです!」
『怪しくないという者はだいたい怪しい。私は絶対にエデンにはいかない!それに転生もしない!』
かなり警戒している。二年も膠着状態だったのだ、仕方ないといえば仕方ないんだけれど……
「ユズです!ユズリハです!魂を誘拐したりしません、魂マニアでもないです!十年ぶりなのでわからないかもしれませんが、聖樹の森のユズリハです!」
逃げられてはたまらない。私は必死で
『ユズ、リハ?』
ウィル様の動きがぴたりと止まる。
思い出そうとしているその反応に、私は期待を込めて見つめた。
『魔女、か?』
正解!私はうれしさのあまり、抱き枕のごとくウィル様の魂をぎゅうっと抱きしめた。
「ウィル様!会いたかったです!」
『やめてくれ!つぶれる!』
「はぁ……まさかこんな日が来ようとは思わなかったです」
ようやく会えたら死んでいたって何?予想外が過ぎるんですけれど。
『あの小さかったユズリハに抱き締められるとは……』
なんだかウィル様がショックを受けている。今は三十センチくらいの光の玉でしかないから、私より小さいのは当たり前なんだけれど、声が明らかに落ち込んでいた。
私はそっとウィル様を放し、これからのことを説明する。
「冥王様が、ウィル様を連れて帰っていいって言ってくださったんです!一緒に帰りましょう!」
『帰る……?』
彼の魂が揺らめく。
「はい!今から肉体を取りに行って、聖樹の幹でそれを成長させて、一緒に魔法陣で帰るんです!」
帰りは、私がいつも仕事で使っている魔法陣で帰ればいい。二人くらいなら余裕で移動できる。
ウィル様は声を震わせた。
『肉体……?帰る……?』
あ、身体について説明した方がいいかな。でもそれだってウィル様の元の身体ではないし……私が沈黙していると、ウィル様は言った。
『私の肉体に戻れるか?』
「……だとしたらどうなさいますか?」
少しの間、私たちの間には無言の時間があった。草原を、柔らかな風が吹き抜けていく。「それはできない」そう言うのは簡単だけれど、私が押し付けるのではなく、できればウィル様に選んでほしかった。
ええ、例えばどうしても元の身体がいいって言われたら、禁忌を犯して肉体再生の魔法陣を描いてやろうじゃないの。寿命が二十年くらいは減るかもしれないけれど、ウィル様のためなら仕方ない。
ドキドキしながら返答を待っていると、ふわふわと左右に揺れた彼は言った。
『いや、今さら私が戻っても混乱するだけだ。別の肉体を用意してもらえるか?』
よかった。私の寿命は守られた。左手に
「わかりました。これから種をもらいに行きます。一緒に行きましょう」
生前のプライドか、まだ少しためらったウィル様だったけれど、諦めてすいっと手のひらの上に載ってくれた。
『ユズリハ、この礼はいずれ』
まだ何も解決していないのに、そんなことを言うウィル様に私はつい笑ってしまった。
「それは高くつきますよ?私、ギルドで最高ランクの魔女ですから」
顔は見えないけれど、ウィル様も笑った気がした。
『それでも、だ。この恩は必ず返す』
生きていてくれるだけでよかったんだけれどな。その言葉を飲み込んで、私は
「それでは、肉体の種をもらいにしゅっぱーつ!」
目指すは、竜人くんの待つ再生工場。
草原を抜け、湖を抜けて私たちは空の旅を楽しんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます