第4話 王子様を迎えに行ったら冥界でした

 十年前、私がまだ七歳だった頃。

 聖樹の森にひとりの王子様と美しいお妃様がやってきた。


 王子様の名前は、ウィルグラン様。アストロン王国の第一王子で、当時十歳。

 サラサラの髪は黒髪で、菫色の瞳がとても澄んだかわいい男の子だった。


 彼によく似たお妃様は、私の祖母がつくる薬に頼らないと生きられない身体で、とても細く儚げな人だった。


 祖母は薬を調合し、魔法陣を描いたベッドや衣服を提供し、お妃様の回復に全力を尽くした。


 滞在期間は一か月ほどだったと思う。


 その頃、母を亡くしたばかりだった私は、三歳年上の男の子という遊び相手ができたことが何よりの心のよりどころだった。


 お妃様の病気が治って欲しい。心の底からそう思った。


『魔女ってさ、うちの国では怖がる人が多いけれど、ユズはとてもかわいいね』


 ウィル様は優しい王子様で、キラキラした目でそう言ってくれた。


『ウィル様!今日は何をして遊びますか?』


 一か月、ほぼ毎日のように一緒にお勉強したり遊んだり、ずっとここで暮らしてくれるんじゃないかって幼い私はそう願っていた。


 でも、お妃様の病そのものを治すことはできず、彼らはアストロン王国に戻ることになった。


 祖母が『これ以上延命はできない。国に帰って、安らかに過ごした方がいい』と言った夜、私は戸口の裏で膝を抱えて震えていた。


 ウィル様は泣いて哀しみ、祖母に「お母様を助けて!」って縋ってた。その姿にいつもの凛々しさはなく、母を慕う普通の少年だった。


『これまでありがとうございました。ウィル、諦めましょう』


 お妃様はご自分の命がもう残り少ないことを悟り、祖母の言葉を受け入れた。ウィル様は到底受け入れられなかったようだけれど……


 その次の日。二人は聖樹の森から去っていった。


『絶対にまた来るからな!』


 泣きながら馬車を追いかける私を見て、ウィル様はずっと叫んでいた。


 その日から、またウィル様に会うことが私の目標になり、修業を終えて十七歳になった私は自分から彼を迎えに行くことを決意する。


 祖母から教わった秘術は、銀杖ぎんじょうの魔女に伝わる「会いたい人に会いに行ける魔法陣」。膨大な知識と魔力が必要になるから、修業を終えるまでは決して使わないよう言われた術だ。



 いよいよこれから魔法陣を描くべく聖樹の森に出た私は、一緒についてきてくれたハクにすべてを話した。


「と、いうわけで王子様を迎えに行ってきます!」


「あぁ、そういえばあったね、そんなこと。でもユズ、本気?」


 あれ、なんだろう。呆れられている?


「王子様がユズのことを覚えてると思うの?」


「……」


 見つめ合う私たち。まさかそんなことを言われるとは思わなかった。


「当時十歳よ?覚えてるに決まってるじゃない」


 そう言い返すと、ハクは額を手で押さえた。


「覚えているってそういうことじゃなくてさ。王子様なんだから、もうお妃様がいるかもしれないよ?婚約者とか、恋人とか……十年も前のことなんだから」


 容赦ない!

 私だってそんなことが思い浮かばなかったわけじゃない。とっくの昔に思ってたよ!?


「会ってみないとわからない!」


 説明するのがめんどうになって、ぷいっとそっぽを向いたら、ハクの大きなため息が聞こえてきた。


「このまま会わないなんてできない。私のことを好きじゃなくてもいいから、覚えていなくてもいいから会いたいの」


「まぁ、わかってるならいいけれど。もし忘れられてたらすぐに帰ってくるんだよ?」


「はい!好きになってもらってから帰ってきます!」


「……僕にはがんばってとしか言えないよ」


 にぃっと笑った私を見て、ハクも笑った。


 その後私は、すぐに魔法陣づくりに取り掛かった。


 虹色蝶の鱗粉とワイルドボアの肝、大海蛇シーサーペントの粘膜、普通は混ざり合うことのないこれらを聖樹の雫に溶かしてブレンドし、特製のインクをつくる。


 市販のインクでもいいんだけれど、これなら使用魔力が半分になるのだ。


 秘術を使ったら、どれほど魔力を消費するかわからない。向こうに転移して、万が一すぐに戦闘なんてことになる可能性もあるわけだし、魔力は残しておくに限る。


「できたっと」


「へぇ、やばいものが入ってるわりにきれいな水色だね」


 うん、私もびっくりした。大海蛇シーサーペントの粘膜が新鮮だから、前に作ったときよりも発色のいいインクができていた。


「さ、ここからが本番よ!」


 私は銀杖ぎんじょうを手に、直径三メートルほどの魔法陣を描いていく。


 どういう仕組みなのかはわからないけれど、銀杖ぎんじょうをインクの入った樽につけるとあっという間に水色の液体は吸収されてなくなった。


 森の地面に銀杖ぎんじょうを突き立て、両手でそれを持つと正円に近い魔法陣を描く。


 ブーツに風の魔法陣を描いているから、少し浮き上がった状態で銀杖を下に向け、くるんっとなめらかに描けばバランスのいい円ができる。

 魔法陣にはそれぞれ正円や六角形など様々な形があるけれど、バランスがよくて均整がとれている方が作動速度が速い。それに魔力消費量も少なくて済む。


 呪文は古代ルーン文字で、円の外周に沿って丁寧に綴った。現代語でも問題ないが、古代ルーン文字の方が整然としていて美しい。


 インク作りからスタートして約二時間、ようやく秘術の魔法陣が完成した。


 額の汗を手の甲で拭うと、私はハクが持ってきてくれたリンゴジュースを一気飲みする。


「それじゃ、いってきます!」


「え、もう行くの!?」


 休憩なしで行こうとする私に、ハクは呆れながらもリュックを手渡してくれた。着替えやパン、防御系の巻物スクロールが入っているいつものおでかけセットである。


 私は自分の鼓動が早く鳴るのを感じながら、魔法陣の中央に立ち銀杖ぎんじょうをそこに突き立てた。


「聖樹の森の精霊たちに告ぐ、我が望むすべての扉を開けよ!いざ、ウィルグラン・レイガードのもとへ!」


 魔法陣は私の魔力を吸収して七色に輝きだす。

 温かい風が魔法陣から巻き起こり、ポニーテールにした銀色の髪がふわりと舞い上がった。


 七色の光は、私の正面から時計回りにその色を変えていき、白い光になったときに転移魔法を発動した。


――シュンッ……。


 私はドキドキしながら目を閉じる。

 再び目を開けたときには、きっと彼の姿があるはずだから。


 白くまばゆい光と、足元から吹いていた風が収まり、肌に触れる空気が変わったことを感じて私は目を開けた。


「………………え」


 この場所は、聖樹の森から近いアランディル王国でも、ウィル様のいるはずのハルスマン王国でもない。


 目の前に広がるのは、真っ白な空と黄金色の巨大な門。

 扉の脇には通用口があり、そこに座っている守衛のウサギ獣人とばっちり目が合った。


「「…………」」


 あれ、知り合いに見えるのは気のせいだろうか。

 そう思っていると、あっちの方から声をかけてきた。


「あれ?ユズリハ、今日はちょっと色の違う魔法陣だったね。術式やインクを変えた?」


 ウサギ獣人が興味津々といった表情で尋ねる。


「ありえない」


ーーカランッ。


 銀杖がするりと手から抜け落ちた。

 ぺたんと座り込み、改めてこの場所について考えてみる。


 ここはどう見ても冥界。祖母の代からここには魔法道具や雑貨を卸していて、関係性はお客様と商売人である。


 冥王様は、長い黒髪を一つに束ねたエキゾチックな顔立ちのおじさまで、私が持ってくる肩こりに効く軟膏がお気に入りだ。


「ユズリハ?今日も魔法道具の納品?先週来たばかりだよね」


 ウサギ獣人の声が私の耳を通り抜ける。


 周りには、ふわふわと白い人魂が集まってきて、まるで私の顔をのぞきこむように斜めに傾いた。この真っ白な人魂は、冥界にやってきたばかりの者たちで、これから門をくぐって審判を受ける子たち。


 とはいえ、人魂の色はそれが薄いほど純真な魂であるので、彼らはあっさりエデン行きだろう。


『どうしたの?』


『なんで座ってるの?しんどいの?』


 人魂たちは、口々に私を心配する声を発する。

 長い耳をぴょこぴょこと揺らすウサギ獣人は、次第に心配そうな表情に変わってこちらを見た。


「ユズリハ?」


「えええ……」


 頭の中がぐちゃぐちゃで、問いかけに答える余裕はない。

 目に映る景色が信じられず、ぽかんと口を開けたまましばらく時間を消費した。


 そして、ようやく口から漏れた言葉は疑問ばかりだった。


「なんで?どうして?」


 嘘だ、嘘だ、嘘だ。こんなの絶対にありえない!

 ねぇ、私の好きな人は?

 王子様はどこ!?


 なんでウィル様は冥界こんなところにいるの!?


 大きく息を吸った私は、宙に向かって十年分の想いを吐き出す。


「なんで冥界に着いちゃったのぉぉぉ!?」


 私の声に驚いた白い人魂たちが、びっくりして数メートル吹き飛んだ。


 好きな人に会いに行ける魔法陣。間違いなく転移は成功しているはず。つまりそれは、ウィル様がすでに……。


 認めたくない。実際に確かめるまでは納得できない。


「冥王様に確認しなきゃ!」


 死んだばかりなら、まだ間に合うかもしれない。冥王様との交渉次第では、蘇生術で何とかなるかも。


「急がないと」


 大事なことに気づいた私は、すくっとその場に立ち上がる。銀杖ぎんじょうを拾い、しっかり握って冥界の門をくぐった。


「ユズリハ!?大丈夫?」


 ウサギ獣人にはなけなしの愛想笑いを向け、「大丈夫だ」と手を振る。


「ちょっと冥王様のところに行ってくる!」


 銀杖ぎんじょうに跨り、私はすぐに浮遊魔法を唱えた。


 ふわりと浮き上がる身体。人を避けられる限界の速度で、私は冥王様のいる審判の場所まで飛んでいくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る