第2話 魔女の修業が終わりました

 ときは転移魔法陣を使う二日前にさかのぼり、ここは聖樹の森。

 木々は薄緑色の葉を茂らせ、白や黄色の花が咲き乱れている。


 そこら中に落ちている水晶のように煌めくカケラは、聖樹が満月の夜に胞子のように飛ばす宝石だ。


 かつてはこれを巡って醜い争いが幾度も繰り返された時代もあったけれど、この宝石は聖樹の森を出ると一瞬にして崩れ落ちて空気中に溶けて消えてしまう。


 この森から持ち出すことはできない。


 しかも聖樹の森が踏み荒らされるのを嫌った魔女が、おそろしい報復の雷を放ったとか。(それが私の祖母だということは秘密)


 そんなことがあり、今では各国ともに「この地に足を踏み入れること決してならず」と盟約を結び、聖樹の森はどこの国にも属さない魔女だけの棲家となっている。


 私・ユズリハは、この地で誕生した百代目となる『銀杖ぎんじょうの魔女』。

 豊かな銀髪に大きな黒い瞳、どこにでもいる普通の女の子にしか見えないけれど、すべての魔女の始祖であると言われている銀杖ぎんじょうの魔女である。


 祖母は、悪評も名声もすべてを手に入れた偉大な魔女・ベルガモット。

 現在は世界を放浪中。別れ際、「死んだら連絡がいくようになっているから~」と笑顔で言われたのを覚えている。便りがないのが元気な証、だ。


 母は研究大好きな魔女・アリアドネ。十年ほど前に色々あって他界してしまった。無口な人で、私との関係は一般的な母娘ではなく、師弟のようだったと思う。

 研究大好きな母のせいで、私は魔力量を効率よく増やせるという術をかけられ、十七歳なのに十歳児なみの見た目という残念な魔女になってしまった。


 もういつ術が解けてもおかしくないというけれど、解けた瞬間に急激に身長が伸びるらしいから、部屋には大人用の服を用意してその日を待っている。


 私の父はというと、傭兵だったらしい。今は隣国にいるとかいないとかでよく知らない。最後に会ったのは母が亡くなった直後だから、それももう十年前になる。


 私たち銀杖ぎんじょうの魔女に課せられた使命は、この杖と共に秘術を受け継ぎ、聖樹の森を守ること。

 とはいえ、使命を果たすのは年に一度でいいのだから、その暮らしはとても地味なものである。一年のうちたった一日さえ使命を果たせば、あとは何をしていてもいい。


 今日は私の修業の最終日。試験である「狩り」から戻ってきたばかりだった。


――ジャリッ……ジャリッ……。


 森の中に、革のブーツが石を踏みしめる音がリズムよく響く。いつもより音が重いのは、大きな麻袋を背負っているからだろう。


 タイトなシャツにショートパンツ、ロングブーツといった姿は駆け出しの冒険者みたい。

 素材を狩りに行くときは、動きやすさ重視でだいたいこの格好だ。


「何とか今日中に戻ってこられた」


 私の高い声が、夜でもうっすら明るい森に吸い込まれるように消えていった。

 歩くたび、やたらと毛量が多いポニーテールが揺れる。


 一日がかりの狩りはとても疲れた。でも、まとっている黒いローブは、光沢があり傷もほつれもない。なんのケガもなく、無事に帰って来られたのはよかったと思う。


「はぁ、やっと着いた……!おかえり、私!」


 銀杖ぎんじょうの魔女は、どの魔女よりも博識で、強くたくましくなければならない。

 この杖は聖樹の枝から作られた宝具で、長さは一メートルほど。まばゆい銀色で、上部に紅い宝石がついている美しい杖だ。


 私はこれで戦ったり魔法陣を描いたり……同居している獣人のハクと同じくらい大事な相棒だと思っている。


 ごきげんな私が跳ねるように歩くと、腰に着けている銀杖ぎんじょうもまた楽しげに揺れる。杖に感情はないってわかっているけれど、なんとなくそう思う。


 私は物心つく前から修業を始め、十二歳でこの杖を祖母から譲り受けた。

 十七歳になると、狩りに行って指定された魔物を倒してくるというしきたりがある。


 昨日、私は最終試験である狩りに出かけ、夜通し格闘した結果、見事に成功したのだ。


 今日から名実ともに、一人前の銀杖ぎんじょうの魔女としての一歩が始まる。


「やっと終わった」


 あぁ、早くお風呂に入りたい。

 長い修業を終えた感動よりも、今はたださっぱりしたい。

 いつもは柔らかで手触りのいい銀髪が、海風でべったりしている。これだから海での狩りは困る。


 お腹も空いた。早くあったかいスープが飲みたいな。

 疲れた身体に、麻袋の紐が容赦なく食い込む。


「重っ……!」


 朝日が昇る頃、ようやく私の住まいであるログハウスにたどり着いた。


 ここは、祖母が残してくれた魔女の棲家すみか

 二階建てで、玄関前には小さな木箱のポストがあり、『魔女とハクの家』というブリキのプレートも設置してある。


「ただいま!」


 デッキにいた出迎えの小鳥たちに微笑みかけ、入り口にある階段を三段上る。

 ログハウスは一見してごく普通の家だが、私が描いた魔法陣がそこら中に隠してある。


 主人の帰宅を感知した扉は、取っ手部分に描かれた小さな魔法陣が淡い光を放ち、自分でノブに手をかけるまでもなく勝手に開いた。

 扉の隅に魔法陣を描くと、こんな風に便利になる。


――ギシッ……。


 リビングの茶色い床は、古さを感じさせない美しい木目。歩くとかすかにきしむのも、私の耳には馴染んだ音だ。


 家の中に入ると、キッチンから何かを煮詰める音がした。「きっとお留守番を頼んだ相棒が、おいしいものを作ってくれているんだろう」そんな予感がして頬が緩む。


「ただいま~」


 帰ってきた安心感で、気の抜けた声が出る。だらしないって叱られるかな?でも今日だけは許して欲しい。


「おかえり。遅かったね。心配したよ」


 黒狼獣人の青年・ハクシンが、キッチンから顔を出して笑った。サラサラの黒髪が揺れ、今日も爽やかである。


 彼の片手には、クリーム色のスープが入った鍋が見えた。


「さすがに一人じゃ大変だった。ハクについてきてもらえばよかった」


「だから言ったのに、一緒に行くって」


 ハクはいつも通りの白いシャツに緑×黒のチェックのベスト、グレーのズボンを履いていた。

 まだ陽が上ったばかりなのに、私が帰ってくるのを見越して着替えて待っていてくれたんだろう。


 彼は人間でいうと二十歳くらいに見えるけれど、もう五十歳以上だから中身はしっかりしている。これでも獣人にしては若い方で、彼らの種族はだいたい百五十年くらい生きるらしい。


 グレーの狼の耳がぴょこぴょこ動いているのは、機嫌のいい証。穏やかな笑顔は女性たちにとても人気でときめくらしい。私からすれば安心する笑顔なんだけれど。


 お父さんというかお母さんというか、とにかく私の保護者というとこのハクになる。


「ユズ、ちゃんと素材は獲れた?」


 鍋を置いたハクは、帰ってきた私に優しく笑いかけた。その目はすでに大きな袋に向かっている。


 鼻のいい獣人のハクには、もうこの麻袋の中身がわかっているはず。それでも私の口から言わせてくれるのは優しさだろうな。


 ドサリとそれを床に下ろし、にんまりと笑って答えた。


「もちろん!生きのいい大海蛇シーサーペントを狩ってきました~!」


 満足げに頷いたハクは、その袋を軽々と持ち上げる。獣人は力が強いと改めて感じさせられる。


「お疲れ様!これで修業は完了だね!」


 ようやく終わった。その安堵から私は大海蛇シーサーペント狩りについて興奮気味に話し出す。


「も~、ほんっとうに大変だった。五年前におばあちゃんと一緒に狩ったときは、おばあちゃんが炎の鎖で大海蛇シーサーペントをぐるぐる巻きにして縛っていてくれたから、そこを銀杖ぎんじょうでえいって殴って倒せたんだけれど」


「物理!?」


 ん?何がおかしいんだろう。大海蛇シーサーペントには眉間への一撃が一番効くって常識なんだけれどな。


 五メートルくらいあるウミヘビみたいな魔物なんだけれど、魔法防御力が高いから魔法は拘束に使うのが合理的だ。


「今回はひとりだったでしょう?別にソロで倒さないといけないっていうルールはないけれど、やってみたかったから」


「やってみたかった」


「自分で炎の鎖を大海蛇シーサーペントに巻きつけて動きを止めつつ、浮遊魔法で飛び上がって、魔法陣で強化したこのブーツでかかと落としを」


「やっぱり物理!」


「当たり前でしょう?だって物理攻撃でないときれいに仕留められないもん」


 大海蛇シーサーペントの素材は大事だ。炎嵐ファイヤーストームなら一瞬で消し炭にできるかもしれないが、素材を回収して討伐証明ができなければ魔女の修業は終了しない。


「ほら、そのおかげで夜はおいしいお肉が食べられるわけだし?私の修業も終わったし?」


 えへっと首を傾げてみても、ハクは半眼で呆れていた。祖母仕込みの美少女スマイルが通用しないのは、ハクくらいだ。


「まぁ、結果的に倒せたならいいか……」


「そうでしょう?」


 銀杖ぎんじょうの魔女は明るく合理的に、がモットーなのだ。

 ニコニコと笑っていると、ハクは苦笑して麻袋を握りなおした。


「さぁ、これは保冷庫に入れておくとして、朝ごはんにしよう」


 その言葉に、私は瞼を閉じて拳を握り、喜びを爆発させる。


「うれしい!ものすごくお腹が空いているの!」


 すぐに席に着こうとしたら、ハクに叱られてしまった。


「まずは手を洗ってから!もう、子供じゃないんだからね」


 ごめん、と一言呟くように言って、私はキッチンのさらに奥にある手洗い場へと向かった。

 途中にある木の扉も、私が近づくと自然にスライドして道を開けてくれる。

 その様子を見て、ハクは誰に話しかけるでもなく呟いた。


「だんだん便利になるな、この家……」


 それの何がいけないんだろうか。扉は勝手に開閉してくれた方が絶対にいい。新しい魔法陣を研究しているときなんかは、本を読みながら歩いているから、これだとぶつからずに済んでとても便利なのだ。


 私は手を洗いながら、大きな声でキッチンに向かって叫んだ。


「ハク、ごはんを食べたらちょっと寝て、その後でやりたいことがあるの!」


 そう、私は修業を終えたのだ。

 とうとう積年の想いが叶うときがやってきた。

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