第肆話 遊戯

「ね~、ミチちゃん、なんか頼んでいい? なんかっつーか、お・さ・け」


 きゃるん、って効果音が付きそうなおねだりポーズで、ユキシロが小首を傾げる。


「あんまり高いのはダメ。だけど、仕方ないからいーよ。わたしのもなんか頼んでくれる? お昼抜いたからお腹減っちゃった」

「ハイハーイ、おねえさ~ん、おさけちょーだい。冷えたやつ。あと焼きそばとお子さまジュースね」

「ちょっと、お子さまって……!」


 憤るわたしを意に介さず、ユキシロはお姉さんから受け取った品々を無造作に渡してくる。


「あっ、始まるみたいだよ」


 むくれたままのわたしに、ユキシロは徳利を傾けつつ顎をしゃくる。

 和太鼓の演者たちが姿を消し、フッと赤提灯の灯りが消える。次の瞬間には、向かいの二階席の辺りにぱちぱちと音を立てて火が点った。

 普通の火じゃない。ガスも薪もプロジェクションマッピングもなんにもないのに、中空に炎が浮いて見える。あれがたぶん、篝の言っていたシラビだかカグツチってやつだろう。

 その煌々とした灯りに照らされて、ひょろりとした男が深々とお辞儀をした。わたしが言うのもなんだけど、珍妙な格好をしている。顔の半分ほどがひょっとこのお面で覆われているうえ、ド派手な青と金の羽織り袴を身につけていた。


「さあさ、お立ち合い。今宵手前がお目にかけますは、荒くれ闘士どもの切った張ったの大立ち回り!」


 それらしきものは見当たらないが、拡声器でも使っているのか、独特の口上が遊戯場中に響きわたる。


「さりとて、ご安心召されよ。カグツチの加護の陣がお客人をお守りいたす。流れ弾でぽっくり、なんてことには万に一つも到りませぬゆえ。……されど。博打の敗けが込んでお勘定を頂けぬ折には、その限りではございませぬ」


 だいぶ離れているのに、男がニィと口の端を上げたのが見えたような気がした。

 すると、ぶわりと熱風のようなものが吹きすさび、白い炎が手摺と軒を一直線につないで立ち昇った。炎はすぐに透きとおり、目には見えなくなる。

 これがカグツチの加護の陣とかいうやつだろう。

 ユキシロはまったくびっくりしていないから、この八嶌では特別珍しいものではないのだと思う。彼は派手な羽織り袴の興行主を指差してわたしを向いた。


「あれがギシュ。あんな莫迦なナリして、こえーったらねぇんだぜ。」


 ギシュ。たぶん、漢字で書くと戯主だ。

 ディーラー兼実況アナウンサー的なものと考えて差し支えないだろう。


「さぁて初戦を飾るは、東はカラクリ技師の野馬やま。西は大鎌の大鳳たいほう。大鳳は二番人気の常勝の力自慢にござい。野馬は今大会ただひとりの新人で、力は未知数。八卦よい――」


 戯主の朗々とした声が途切れるなり、銅鑼の音が鳴り響く。

 次の瞬間、大鳳さんがその巨体と同じくらいはありそうな大鎌を振り上げて走り出した。


「え――? ちょっと、ユキちゃん、あれって……」

「アレってどれよ」

「いやあの鎌だよ、鎌! 本物じゃない!?」

「ハァ? んなの、本物に決まってらぁよ。でなきゃ、タマ取れねぇじゃん」

「タマって……」


 わたしがその意味を理解するよりも早く、大鎌が野馬さんの足すれすれの地面に突き刺さった。わずかに掠ったのか、血飛沫が上がる。

 わたしの心臓が嫌な音を立てた。

 だけど野馬さんは動じずに、背負っていた木箱みたいなものを下ろして、その表面をトン、と叩いた。


 からり、からり。


 乾いた音がして、中からうねる骨っぽい巨大な長い物体が出現する。推測だけど、たぶん蛇。

 どう考えても人間の背負っていた木箱に収まりきらない、十メートルはあろうかというサイズの代物だ。あの木箱、四次元ポケットかなにかなのだろうか。


「え、なんか動いてんだけど、あの骨!」

「そりゃ動くだろ。なにしろカラクリなんだから」


 カラクリ。ワッツカラクリ?

 ああでもたしか、外にあった野馬さんの幟に『骨繰技師』って書いてあるのを見た。骨繰と書いてカラクリと読ませるのだろう。

 あの蛇さんは野馬さんの指先と連動しているのか、彼はしきりに指を動かしている。よくよく見てみれば、蜘蛛の糸みたいな細い赤色をした糸状のもので蛇さんと野馬さんは繋がっていた。操り人形的なものらしい。

 そんな繊細な野馬さんの動きと対照的に、大地を揺るがす雄叫びが上がった。

 大鳳さんの鬨の声だ。

 わたしの太腿よりももっと太い、筋肉だるまみたいな上腕二頭筋。背丈にも届きそうな長くて巨大な大鎌は、まるで重さを感じさせずに縦横無尽に蛇さんの骨を砕いていく。瞬く間に、蛇さんは細切れミンチにされてしまった。

 なんていうか、大鳳さんの独擅場って感じ。


 でも中肉中背の戦場が似合わぬ男、野馬さんは涼しい顔でふたたび木箱を叩いた。

 今度は虎っぽい骨繰が躍り出る。虎さんは、野馬さんの代わりに咆哮するように大きく口を開いた。

 とはいえ、ただの骨だからか音は聞こえない。ただ、大気がびんびんと震えるのが、三階席のわたしにまで伝わってきた。


「玩具ごときが粋がりやがって!!」


 大鳳さんが大声を上げて大鎌を振りかぶる。

 野馬さんを狙ったようだけど、虎さんがそれを防いだ。大鳳さんの鎌と、虎さんの爪がぶつかり合う。虎さんの爪や牙部分はどうやら骨ではなく、なにか白っぽい鉱石のようなものが括りつけられているようだった。

 虎さんが骨をからから言わせて、信じられないくらい高く跳び上がる。

 大鳳さんの身体がすっぽりと影に覆われ、虎さんの爪が振り下ろされる。


 だけど大鳳さんのほうが一枚上手だった。

 大鳳さんは鎌を地面に滑らせて、その巨躯を物ともせずに大地を転がる。それから虎さんの着地した背中目掛けて大鎌で宙を薙いだ。音を立てて虎さんの身体が崩れ落ちていく。


「もらったぁ!」


 勝ち鬨を上げて、大鳳さんが野馬さんに斬りかかる。


 ――そのはず、だった。


 観客席がしんと水を打ったように静まり返る。

 でもそれはすぐにどよめきへと変わった。

 それから、爆発的な歓声。わんわんととよむその声という声に、わたしの感覚は鎖されていく。

 みんなが立ち上がって、誰かの名前をコールしていた。

 だけど、わたしはとてもじゃないけど、立ち上がるどころか、階下の光景を正視することすらままならない。


 わたしの脳裏に焼きついたのは、鮮烈なまでのあかと白。

 白々とした骨を染め上げる、赫い河。

 胴体を失った蛇さんの頭蓋骨が、突然ぱっくりと口を開けて弾丸のように飛び出し、大鳳さんの身体を丸呑みにした、その残像。


 地面には、肉片と臓物が飛び散っていた。人だったものの成れの果てを、サーカス団みたいな恰好をした童たちが塵袋に回収していく。その様は、まるでボールキッズのようですらあった。

 賭闘のことを格闘技バージョンの賭博だなんて思っていたけれど、ぜんぜん違う。


 これは、命の奪い合いに高みの見物を決め込んだ観客が、勝った負けたと浮かれ騒ぐ狂った遊戯だ。


 それを認識した瞬間、胃の奥から酸っぱいものがせり上がってきた。

 喉が可笑しな音を立てる。たまらずわたしはその場に夕食をぶちまけた。

 白む意識の外で、誰かがなにかを叫ぶ声が聞こえた。だけどわたしの意識はあえなくそこで途切れた。

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