第参話 賭闘
「はァ!? 篝に全賭け?? 嘘だろミチちゃん。カネをドブに捨てるようなもんだぜ!」
素っ頓狂なユキシロの声が辺り一帯に響きわたる。
わたしとユキシロはというと、幟旗がはためく遊戯場の前で、チケットの購入に勤しんでいた。
ユキシロには貸衣装屋の浄紫っぽいインバネスに山高帽を身につけてもらっている。設定上では叔父と姪という間柄だ。
「いーの! わたしが決めたんだから。ユキちゃんはつべこべ言う権利ないもん。わたしは篝に賭けるの!」
なぜわたしがユキシロをユキちゃんと呼ぶようになったかは紆余曲折がある。設定どおり、叔父さんと呼んでみたら物凄くショックを受けた顔をしたのだ。なんでもまだお兄さんと呼ばれたいお年頃らしい。おじはおじでも叔父さんなんだからいいじゃん。そんなわたしの主張にもユキシロは頑として譲らなくて、しまいには「おじさんじゃないもん」といじけられた。
それでユキシロと呼び捨てようとしたけれど、同じ浄紫の年上の男性を呼び捨てにするのは貴婦人的にはおかしいらしく、ユキちゃんとソフトな呼び方をすることになったのだ。
とまあ、ユキシロの呼び名はどうでもいいから置いておく。
ユキシロが説明してくれた賭闘のルールはこうだ。
トーナメント形式で闘士が武を競い合い、その勝ち負けに応じて賭け金がチケットの購入者に配当される。つまり、観戦者は優勝が見込まれる闘士を予想してお金を突っ込めばいいわけだ。
「あのな、ミチちゃん。これ銀貨一枚で買えっけど、負けたときは一枚あたり金貨一枚払うの。分かる? 金貨! やべえんだよ。それを十五枚も買うくせに全部汙徒の野郎に賭けるって、マジのカモだぜ!」
ユキシロはそう言って頭を掻きむしる。
「ユキちゃん。条件忘れたの?」
契約のことを持ち出せば、ぐぬぬとユキシロは唇を噛んだ。
「つっても、あんたが一文無しになりゃ、俺だってタダ働きなんだぜ。まあミチちゃんは実家に泣きつきゃ、はした金なのかもしんねぇけどよぉ。ちったァココ使って賢く賭けろよ」
ユキシロは人差し指で自分の蟀谷のあたりをとんとんと弾いて、苦言を呈した。
でもそんなことを言われても、わたしには他に誰が有力なのかなんてわからない。それに篝はお宮でわたしに約束してくれた。
『かならず勝つよ。だから、俺に有り金全部突っ込んで』
こういう状況じゃなかったら、なんかちょっとヤバいアイドルに貢がされているみたいな変な気分になりかねない台詞だ。
けれど篝の表情は試合を目前に控えた選手にしては驚くほど静かな気配を纏っていて、わたしに向けられた眼差しは真摯そのものだった。
そんな顔をされては、わたしは相棒を信じるしかない。
「篝は勝つって言ったもん」
「……なに? ミチちゃんって、汙徒の野郎なんかと知り合いなの?」
「なんかって言い方やめてよ」
反駁してから、わたしはハッとして口元を押さえた。
いけない。迂闊に篝と知り合いだとバラすなとも言いつけられていたのだ。良いとこのお嬢さんは、汙徒の知り合いはいないのが普通だから、下手なことを言えば正体を怪しまれるというのが篝の言い分だった。
恐る恐るユキシロを見上げれば、彼は大して興味もなさそうに「ふーん」と明後日のほうを向いた。
助かった。ユキシロがアホなタイプで。
「ミチちゃんが大敗けしてもォ、俺ェ、地獄の果てまでお金取り立てにいくからね」
「ハイハイ。いいから、席まで案内してね。わたし、こういうとこ初めてなんだから」
そう言って、わたしはユキシロの背中をぐいぐい押す。
大扉をくぐると、爆音の太鼓の音が聞こえてきた。それから噎せ返るような熱気。歓声。
細民窟の辺りにいた人たちとはまるで装いの異なる、上流階級って感じの人たちの群れが行き交っている。女性の姿は多くない。男性の姿が殆どだったが、なかにはドレスの女性の姿もあった。
想像していたよりもずっと華やかな催しらしい。
遊戯場は三階層に分かれていた。日本風に分かりやすく言うなら、一階がVIP席。二階がS席。三階がA席みたいな感じ。
わたしは席にお金を使わなかったので、三階席だ。
階下の試合会場そのものは野ざらしになっているが、周囲の客席はぐるりと屋根で覆われ、その軒先には赤提灯が吊るされている。
朱塗りの手摺の向こうを覗くと、鉢巻きに褌姿の男衆たちが撥を手に荒々しく舞いながら太鼓を叩いているのが見えた。太鼓には全然詳しくないけれど、和太鼓そっくりだ。やっぱり、日本のパラレルワールドと言われればしっくりくるような光景だった。
いい席を見つけたのか、それまでひょこひょこふらふらしていたユキシロの動きが滑らかになる。慣れない長い羽織りと袴を身につけたわたしは、付いて行くのもやっとだ。
すぐそばを、お酒を売っているらしい女性が行き過ぎる。
艶やかな紅と黒と金を基調とした扇文様の打掛に、長く前に垂れた豪奢な帯。髪は蝶のように髷をふたつつくる形で結われ、いくつもの鼈甲の簪が濡羽色の髪を彩っていた。
さながら、吉原遊郭の花魁のようだ。ぽってりとした唇には淫靡な笑みが刷かれ、しどけないしぐさで周囲の紳士たちを見つめている。
よくよく見渡してみれば、花魁風女性だけじゃなくてわたしも男の人たちからじろじろと見られていた。
八嶌人であることを疑われているのとはたぶんちがう。
家電量販店に並んだパソコンかなにかを値踏みするみたいな。
同じ類の視線は、地元の街を歩いていても通学電車に乗っていても感じたことがある。
――こわい。
訳もなく無性にそう思って、わたしは八嶌のお嬢さましぐさも忘れて、小走りにユキシロに駆け寄った。手や腕を掴むほどの仲でもないので、背広の背中を摘まむ。
ユキシロが呆れた様子で振り返った。
「ミチちゃん、もしかしてここどーゆーとこか知らねぇの?」
問われ、わたしは首振り人形みたいに頷く。
「ったく、純粋培養が面白半分に首突っ込むもんじゃねぇぜ」
ユキシロは面倒そうにそう言って、わたしを奥の席に押し込む。わたしはイカスミを潰さないようにそっとスクールバッグを椅子に置いた。
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