三齣 狂者たちの饗宴

第壱話 帝都

 低いエンジン音が途切れ、二つ分の足音が遠ざかっていく。

 わたしは薄く開いた車のトランクからそうっと外の様子を伺う。

 そろそろとトランクを開けてみると、そこは篝に聞いていたとおりのひと気のない路地裏だった。

 わたしはガスマスクとゴーグルを取り去ると、トランクの隙間から滑り出る。着地にちょこっと失敗しつつも、何食わぬ顔で外に降り立った。

 こここそ、音に聞く帝都。

 この赤いスポーツカーっぽい車は篝を迎えに来た戎さんのものだ。篝の車とおんなじで、やたらと武器が搭載されている。おかげでへどろ妖怪ならぬウカイに喰われて死ぬ末路は避けられた。

 道中、ウカイの群れがトランクの隙間から見えたときは正直死ぬかと思った。戎さんにわたしの存在を気取られてはならないとかで、スパイ映画さながらに車のトランクに滑り込んだのが一時間ほど前。トランクに布を噛ませて完全には閉まらないように工作するという芸当までやってのけた。

 うん、わたしってばめちゃめちゃがんばってるぞ! えらい。

 誰も褒めてくれないのでそうやって自画自賛しつつ、鞄の中のイカスミの無事を確かめる。イカスミはというと、ちょっとぐったりしている。あの快適とは言いがたいドライブのせいだろう。


『帝都についたらまず、夜鷹を探して。危険だけど、細民窟のどこかがいい』


 戎さんが来る直前、篝はわたしにがっぽりマネーを儲けるプランを話して聞かせた。

 夜鷹とは、いわゆる夜の仕事をする人のうち、見世を持たない街娼さんのことだそうだ。

 それも、わたしが探し出さなきゃいけないのは男娼。ジゴロさんってやつだ。

 といっても、わたしが男の人の身体を買うわけじゃなくて、労働を買うだけなのでそこは安心してほしい。


「篝ぃ。まず細民窟がどこだかわかんない~」


 入念な打ち合わせをする前に戎さんが迎えに来てしまったので、正直いまいち篝のプランを完璧に実行できる自信がない。

 イカスミが小さくカァと鳴く。『まあ頑張れよ』とでも励ましてくれているようだ。何の足しにもならんけど、一応ありがとうのつもりでそのつやつやの頭を撫でる。

 唯一頼みにできる篝は、戎さんに連れられて街の雑踏に消えてしまった。


 わたしは半ベソになりつつも、正真正銘の八嶌人ですよって顔をして大通りを歩く。

 すぐにいくつかの視線が絡んできた。背広の紳士に連れ添った淑やかな小袖姿のご婦人が、はっきりと眉を顰める。

 この国では、女が一人で出歩くのはとても珍しいことらしい。なのでわたしは今、浄紫階級の家出娘という設定だ。今はまだ、わたしがみろくの娘(もどき)であることは内緒。あくまで、この国の一般人に扮してマネーをがっぽり稼ぐターンだ。

 邏卒らそつ(現代日本で言う警察官だそうだ)に捕まったら身元確認がどうのこうのという話になって面倒だというので、出来るかぎり足早に歩く。

 右手には昔ながらの畳敷きの呉服屋が粋な藍の暖簾を下ろし、向かいには煌びやかな洋館が瀟洒な澄まし顔で鎮座している。

 行き交う人の装いも様々で、文豪を思わせる書生さんチックな装いから山高帽にフロックコートを着たお髭のおじさん、祇園の舞妓さんにも似ただらりの帯をゆぅらりと揺らした着飾った女の人の姿もある。芸者さんだろうか。芸者さん、八嶌にもいるのか知らないけど。

 この和洋折衷ぶりは一見、明治時代っぽさを感じなくもない。

 わたしは急ぎ足で大通りを進む。あくまで小走りに。婦女子が髪を振り乱して走るのははしたないとかで、浄紫らしくないのだそうだ。いつの世もどこの世も女には妙な制約があって面倒だなと思う。


 しばらく行くと、大きな円形のスタジアムが見えてきた。スタジアムの前には、大量の色鮮やかな幟旗が翻っている。

 幟旗のいくつかには、『賭闘』と書いてあった。

 おお、賭闘。

 篝に言わせれば、汙徒が生きるための手段のひとつで、浄紫による賭博の場。

 篝はこの賭闘とやらに出場するらしかった。

 戎さんが来て話がうやむやになってしまったけれど、今まで得た情報を総合すれば、要はこの賭闘って賭博要素ありの格闘技ってことらしい。

 幟旗には、沢山の闘士たちの姿絵も描かれていて、中には篝の姿もあった。とはいえ、実際の篝よりもなんだか随分と悪人面に描かれている。この画家さん、本当に篝をちゃんと見て描いたのだろうか。わたしがもし売れっ子似顔絵師だったら絶対に、篝がへにゃってはにかんだ顔を描くのに。それが篝の一番素敵な顔だって、まだ短い付き合いだけど私はもう知っている。

 今はなにも興行していないからか、巨大な扉は閉ざされている。だけど扉の前には編み笠を被った尻っぱしょり姿のおじさんがいて、チケットを売る調子っぱずれの声が響いていた。

 わたしのお遣いの最大の目標はあのおじさんからチケットを買うことだ。でもあのおじさんからモノを買うためには女では駄目だという。

 このスタジアム――遊戯場という看板が立てられている――に入るには、男を同伴している必要があるのだ。だからわたしはその同伴をしてくれる男の人を誰でもいいから見繕わなければならないのだった。


「えっと。たしかここから北の方角に細民窟があるんだっけ」


 とはいえ、北がどっちか分からない。そもそもこの八嶌って太陽が東から昇って西に沈む世界線なのだろうか。そうであってくれと半ば祈るように願いながら太陽を探す。

 今は昼だから、日本と同じであるならば太陽はだいたい南の方角にあるはずだ。

 見上げれば、太陽は遊戯場の向かいの方向にある。つまり向かって遊戯場方向にずっと進めば北の細民窟に辿りつくはずだ。

 わたしは鞄をぎゅっと握りしめ、遊戯場横の通路を北上した。


 *


 鉄橋を越えた辺りから小奇麗な格好をした通行人の姿がなくなり、異臭の立ち込める狭いごみごみとした町並みが見えてきた。

 時代劇などで見たことのある、棟割り長屋というやつだ。とはいえ、状態はとても酷く、屋根は朽ちて壁には板紙が貼られている。

 通りで見た人力車夫によく似た格好をした男がわたしを怪訝そうに盗み見た。

 ごめんなさい。そうですよね、わたしってばめちゃくちゃ怪しい。でもおかしなことをするつもりはないんです。ジゴロさんを雇いにきただけで――という言葉はさすがに出てはこなかった。


「お嬢さん、どうしたの?」


 そう声を掛けてきたのは、三十代くらいの女だった。着物だけでなく結われた髪も乱れていて、てらてらと光る赤い紅がどことなく妖しい。たぶん、女の夜鷹さんだ。


「あたしは女も相手してるよ。たまに来るんだよ、お嬢さんみたいな浄紫のお姫さんがね。あたしは口が固い。あたしとヤっても、汙徒にはならねえよ」


 そう言って夜鷹さんはわたしの頬を掬い上げた。えええ、なんかわたしってば、今口説かれてる。

 女の人が好きな浄紫のご令嬢がこっそりスラム街的な場所にやってくるってことは、この国はもしかして同性愛が厳しく罰せられるってことなんだろうか。女の人同士とか男の人同士で付き合ったりしただけで、貴族から奴隷階級に転落させられるってこと?

 夜鷹さんは身綺麗にしていたけど、どことなく血色が悪かった。病気をしているか、栄養のあるものを食べていないのだろう。

 お誘いを突っぱねるのはなんとなく心苦しい気もしたけれど、わたしは心を鬼にして「すみません」とお断りした。

 夜鷹さんは舌打ちをするなり、離れていく。


「お嬢さん」


 次に声を掛けてきたのは、わたしと同じくらいの綺麗な男だった。


「火遊びするなら俺にしない?」


 そう言って、男はわたしを長屋との間に追い込んだ。これは壁ドンというやつじゃん。見知らぬ人の壁ドンって、ときめくどころか恐怖なんですけど。超こわい。いくらイケメンとはいえ許されませぬぞ。

 わたしは内心動揺しつつも「邪魔なんですけど!? 勝手に一人でファイヤーしてやがれくださいなんですけど!?」とオラついてみた。

 今度は男ではあったが、篝からやたらと押しの強い男は危ないから近づけるなと忠告を貰っていたのだ。

 そんな調子で、わたしは世間知らずのカネづるだと踏まれたのか、細民窟で声を掛け続けられた。でも当たりくじは一本も引けなかったので、わたしは待ちの姿勢をチェンジして、みずから突撃・長屋のお宅訪問に勤しむことにした。

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