第伍話 違和

「や、やったー‼ わたし、天才? 天才なんじゃない? もしや泥棒のセンスがあるのでは」


 勝手に大盛り上がりのわたしを尻目に、男は外れた手枷をまじまじと見つめている。

 それから、わたしのことを幽霊でも見たかのような面持ちで仰いだ。


「……助かったよ。あんた、箱入りのお嬢さんか?」


 あれだけのわたしの醜態を見ておいて、箱入りお嬢様扱いとはなかなか豪胆な人だ。


「や、庶民ですよ、庶民。お母さんはパートで、お父さんは食品会社勤務の平凡を絵に描いたような女子高生ですってば」


 わたしの言葉に、男はまた渋面をつくる。なにか失礼なことを言っただろうか。


「……えっと、お名前聞いてもいいですか?」


 そんななんてことない問いにまで呆気にとられたような顔を返されて、わたしはちょっと面食らった。

 男はためらいがちに、乾いた唇をしめらせて囁く。


「…………かがり」


 カガリ。篝火とかの、カガリだろうか。あまり耳慣れない名だ。


「苗字? 名前?」


 小首を傾げれば、「苗字? 俺はウトだ」とまた意味の分からない言葉が返ってくる。

 さっきの話の流れを汲めば、ウトとやらが苗字であることは考えにくい。


「……そのウトとかジョウシってなんですか?」

「あんた、本当に箱入りなんだな」


 篝さんはそう言って苦笑する。

 この十五年、そんな言葉は聞いたことがないが、実は常識だったりするのだろうか。

 篝さんは驚いているようだったが、わたしを馬鹿にしている様子はない。

 それにしても、瀕死かと思っていたのに、意外とスムーズに会話ができるくらいには元気のようだ。それか、体力お化けなんだろうか。ひと安心しつつも、わたしは当初の目的を果たすことにした。


「えっと、とりあえず包帯替わりにタオル巻いときますね。ないよりはましってことで」


 わたしがタオルを掲げると、篝さんはぼろぼろの衣服から片方の腕を引き抜いた。よくよく見てみると、袴に着物姿だ。


「……もしかしてこの神社のひと?」

「宮の人間は、死んだよ。……俺は、たまに宿を借りてるだけ」


 なるほど。

 つまり、篝さんはホームレスらしい。

 宿を借りているというのは、おそらく勝手に上がり込んでいるということだろう。予想していた通り、この神社はすでに廃神社なのだ。

 篝さんは「悪いが、頼んだ」と律儀に言って、もうほとんど服の役割を果たしていない着物をはだけた。

 うわ、やっぱりすごくいい身体。スポーツ選手みたいに筋骨隆々としていて、もしかしたらわたしより胸もありそう。大胸筋的な意味で。いやいや、待ってわたし。怪我人相手にそんなことを考えるなんて不謹慎だ。

 わたしは頭を振って、手当に心血を注ぐことにした。

 正直、男の人の身体にまともに触れるなんて、中学のときの体育祭以来かもしれない。修学旅行マジックで彼氏ができたこともあったが、手をつなぐことすらせずに一瞬で自然消滅した。

 こんなときなのに、なんだかちょっとどきどきする。

 篝さんはホームレスらしいが清潔にしているのか、息がかかるくらいに近づいても微かな汗と血のにおい以外は嫌なにおいもしなかった。

 でもちょっと草いきれっぽいにおいもする。体臭だろうか。逆に部活終わりのわたしのほうが、よほどにおいがきついかもしれない。そうだったら恥ずかしいし申し訳ないな、なんて平和な考えが頭の片隅を過ぎる。

 傷のためか、篝さんの肌は熱を持っていた。それに血や土が日によく焼けた肌にこびりついている。わたしは鞄のなかから飲みかけのミネラルウォーターを取り出して、ポケットティッシュを濡らして汚れを拭きとった。丹念にそれを繰り返してから、包帯状に裂いたスポーツタオルを左肩から脇の下の辺りに身体の線に沿って巻いていく。

 きつめに端と端を結ぶと、わたしは軽く息を吐いた。


「助かったよ、ミチさん」

「へ、へあ? いいですよ。呼び捨てで」


 年上の男性にさんづけで呼ばれたことなんてないので、わたしはちょっと赤くなった。

 いくら手当をしたといっても、わたしはただの女子高生だ。いつでもどこでもナメられるのがなんぼで、タクシー運転手のおじさんとかにもミチちゃんとか呼ばれてタメ口で話しかけられる。まあ、悪気はないのは分かるし、たいてい親切にしてくれるので、セクハラされない限りはべつにいいんだけど。

 篝さんは、ただの女子高生にも敬意を払ってくれる人なのかもしれない。それってなんだかちょっと、心にぽっと灯が点ったみたいな変な気分。


「だけど、あんたはジョウシだろう」

「……だからそのジョウシってのがよく分からないんだけどな。んーと、ちょっとむずむずしちゃうから、ミチでいいです」

「なら、ミチも俺のことは篝と。敬語もやめてほしい」


 ええー、いきなりそんなハードルが高い。

 でもここで固辞するのもなんだかなあと思って、わたしは頷いた。

 思い出したように烏がカァと鳴く。


「ミチのカラクリ?」

「カラクリ? ただの烏だよ。や、ただの烏にしてはちょっとヘンだけど。なんか脚三本あるし」


 わたしの応えに、篝の周りにたくさんはてなマークが浮かぶのが見えた。

 あれ、もしかしてこの辺、烏が珍しいとか? そんなことってある?


「おいで烏」


 手を伸ばしてそう乞えば、烏が羽ばたいてわたしの肩に乗る。

 それにしても、烏って呼ぶのもなんだか変な気がしてきた。わたしもおいで人間、とか呼ばれたくない。


「うーん、名前、どうしよっかな。カァちゃん、はありきたりだし、クロ? イカスミ? あ、イカスミってかわいいんじゃない? 意外性もあるし」


 わたしの提案に烏は「カァ……」と不服そうな声を漏らした。


「イカスミ、だめ?」


 機嫌を取るように、ドライフルーツのお菓子のパッケージを開封して、目の前に一口サイズに切ってあげたそれをちらつかせる。わたしの好物だ。今日ははっさくのやつ。

 すると烏はちょっと悩んでから、『まあいいよ、どうせお前にはネーミングセンスとか期待できないし』とでもいうかのようにそれを啄んだ。


「ということで、命名、烏のイカスミです」


 わたしがへら、と笑ってイカスミを篝の目の前に差し出せば、ますます彼は困惑顔になった。あれ、やっぱりイカスミはセンスなかったかな。烏なのかイカなのか分かんないし、なんて思いながら、イカスミの頭をなでなでする。


「えっと、とにかく病院行こうよ。わたしも付き添うから」

「どうせ看てもらえねえよ」


 健康保険に入っていないとかだろうか。

 でも、このまま傷が化膿したりしたら大変だ。ほら、敗血症とかいうのになっちゃったら怖いし。


「こんなの放っておいちゃだめだって。わたしもこの間バイト代入ったから出すよ」

「……これくらい、掠り傷だ。俺は闘士で食ってるから」

「へえ……すごい」


 なんて、雰囲気に流されて感心してしまったが、字面こそ分かるけれどそもそも闘士ってなんだろう。K―1とか、プロレスとか、柔道の選手みたいなものだろうか。

 それにしてもナイフの刺し傷が掠り傷って。何針も縫うような怪我だと思うのだけど、本当に大丈夫なのだろうか。

 せめて警察にはあとで通報しようと心に決める。


「それより、都に帰るなら送っていく。護衛もなしにどうやってこんなとこまで来た?」

「……護衛って」


 篝ってば、わたしのことを本当に大財閥の深窓のご令嬢かなにかと勘違いしているのかもしれない。そんな要素はどこにもないのに。


「いや、なんか気づいたら海辺で寝てたんだよね。篝、わたしを運んできた人たち知らない? ほら、篝にこんな酷いことした人と同じだったりして」


 わたしの言葉に篝は頭を振った。


「奴らは次のトトウで対戦相手に賭けるってんで、俺にハンデを負わせにきただけだよ。かといって殺す覚悟もない。ジョウシの娘を誘拐するような度胸はねえよ」

「はあ……そうなんだ」


 よく分からないが、ともかく傷害事件は起こしても誘拐まではしないということだろうか。

 でも、それってどういう基準? わたしがもし神様に二者択一で事件を起こすように迫られたら、誘拐事件の方がまだましだな。無傷で相手を解放できるかもしれないし。


「……変だな。人影なんて見なかったけど」


 そう言って篝は顎を撫でる。

 篝はきっとしばらく前からこの神社にいたのだろう。ここを根城にしている篝にも気づかれないくらいだから、巧妙な誘拐犯だったのかもしれない。

 でもそれにしてはやることが杜撰だ。せっかく苦労して連れてきたわたしを、縛ったりもせずに放し飼いにしておくだろうか。現にわたしに逃げられているし。圏外とはいえ、スマホすら取り上げてないし。

 まあきっと、うっかりさんだったのだろう。おかげで命拾いした。ここからはこの熊にも素手で立ち向かっていけそうな篝がわたしを手助けしてくれるというし、きっと自力で家なり警察なりに辿りつけるはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る