1113. あまりにも多くのモノ


「ん~……! 潮風も心地良くて、最高のロケーションって感じ。こうやって朝にお散歩するの、修学旅行ぶりだねえ」

「サカんなよ朝から」

「……え~なんのこと~?」

「おい間があったぞ」


 宿から二十分も歩くと海がほど近い河川敷があり、早朝の散歩はここがゴール地点になった。八月の太陽は如何とも眩しい。


 結局ジュリーが深夜三時過ぎまで音楽を鳴らしていて、全員漏れなく寝不足。朝の散歩は俺と比奈しか出席しなかった。この期に及んで正統派ヒロインを気取られても困るが、居るだけ彼女でもマシ。


 住宅街からも遠く人気が少ないので、比奈は寝間着のまま歩いている。犬でも連れていたらさぞ理想的な老後の姿だろう。四日後には開幕戦だというのに、欠片の緊張感も無い暢気な光景である。


 ただまぁ昨晩も言ったように、根詰め過ぎても良いことは無いわけで……諸々含めて今朝の相手は、比奈がちょうど良かったと言えなくもないか。



(……特にそれらしい記事も無し、と)


 寝ぼけ眼とのバランスを取るわけでもないが、やはり考えてしまうのは栗宮胡桃の一件。滑らせたスマホに有益な情報は転がっていない。


 次の相手は町田南じゃないし、悩むべきことは他に沢山ある。とは言え、こればかりは興味本位。悪い癖と自覚はしているものの。



「長女として最低限の責務、法の前には無力……なんだろう。只事じゃないってことは分かるけど」

「比奈でもお手上げやどうしようもねえな」

「チームメイトさんに聞いてみたら?」

「それもそれでなぁ……」


 なんの気なしに話題を振る。目下最大のライバルと言えど、何かと気に掛けているミクルの姉でもあるわけだ。お互い万全の状態で戦いたいよね、なんて比奈は真っ直ぐな瞳で語る。


 仮にデバフが掛かっているとして、いざその時に立ち直ってしまうのも困るのだが……余計なお節介なのかな。



「って、噂をすればなんとやら?」

「朝から元気やな……もうボール蹴っとんのか」


 目下の河川敷にはしょっぱい芝生広場。黒のジャージで朝練に励んでいたのは、町田南の砂川、鳥居塚、ゴレイロの横村という珍しい組み合わせの三人。


 この時間は室内コートが使えないから、ここでコンディション調整をしているのだろう。にしても素早いパス回しで、早朝とは思えないほどのテンポ感。流石は町田南のレギュラー陣と言ったところ……。



「……気付かれたな」

「声掛けてみる?」

「別に話すことあらへんけどなぁ」

「聞いてみようよ、栗宮さんのこと」


 承諾を待たず土手を降りて行く比奈。

 朝食まで時間もあるし、暇潰しには悪くないか。


 いやでも、個人的には絡み辛い三人だ。そもそも兵藤とジュリー以外は会話が成り立った記憶が無いのだが。



「んだよ、冷やかしか?」

「お邪魔しま~す。せっかく同じ宿なんだし挨拶しておきたいなって。砂川さん、で合ってたよね?」

「いーよ明海で。だりぃから」

「……ツンデレさん?」

「違げーよアホ。まゆみたいなこと言うなし」


 砂川明海。ウルフカットと八重歯が印象的なチームのスコアラーである。男勝りで好戦的な性格と記憶していたが、口振りほど比奈を嫌がっている様子は無い。根っこは悪い奴でもなさそう。


 まぁ彼女は比較的まともな部類として、問題はこの二人。抽選会で一言も絡まなかったせいか、ちょっと喋りにくい。久々にコミュ障出ちゃう。



「おっ、おはようございます……! お二人も朝練、じゃないですよねスウェットですもんねすいません適当言いましたすいませんッ!!」

「待って勝手に落ち込まないで」


 横村佳菜子。ひと学年下のゴレイロだ。綺麗に切り揃った前髪とボブカット、常にオドオドした態度からは想像も出来ない大会有数のビッグセーバー。


 曲者揃いの町田南でも、彼女は特に……ゴレイロがこの女でなければ、関東王者の称号は俺たちのモノだったかもしれない。この態度で油断させるのが作戦、ではないか。素面でこれなんだろうな。



「……何か用か?」

「いやなんも。おったから話し掛けただけ……悪いな。邪魔したなら帰るわ」

「……構わない。こちら側の宿は大浴場の調子がなんとも。近く世話になるかもしれないからな」


 で、もっと扱いに困るのが彼。

 鳥居塚仁。A代表の肩書きを持つ逸材。


 ただ、兵藤から『堅物中の堅物』と聞いていたほどの曲者には見えない。寡黙な性格なのは見てくれからも想像出来るが、話が通じないってわけでもなさそうだ。少し穿った目で見過ぎていたかも。


 思い返せば俺たちは栗宮胡桃に限らず、町田南の連中を優れたプレーヤーとして認識する一方、その人となりを知ろうとはして来なかった。栗宮のチームメイトという時点でどうしてもバイアスが。



「わっ、今のヒョイって上げるやつ凄い! どうやってやるの? わたしリフティングあんまり得意じゃないんだよねえ」

「アァン? んだよ、フットサルやってる癖にこんなのも出来ねえのか? 仕方ねえなぁ……おらっ、こうやってよ」

「わぁ~! すごいすご~い!」

「まっ、まぁな! これでもA代表だしよ、お前みたいな素人とはデキが違げーんだわ。へへっ……!」


 おだて上手の比奈に乗せられ、あっさり懐柔させられる砂川であった。うん、やはり悪い奴ではない。むしろ単純過ぎる。


 横村も混ざって三人でボールを蹴り始めてしまった。まぁ、なんだ。こちらとて慣れ合う気は無いが……。



「……もう一つあるが」

「んっ……ほな、やるか」


 交互にリフティングして、落とさずボールを交換。互いに沈黙を嫌ったわけでもないだろうが、意外にも鳥居塚との会話は弾んだ。


 俺のことはセレゾン時代も含めよく知っていて、こちらから質問する方が多い。特に隠すことも無く、鳥居塚は身の上を打ち明けてくれる。



「へえ、昔からフットサル一本なのか」

「親父も代表の選手だった。当時はプロリーグが無かったから、昼間は普通のサラリーマンだ……結局、若くして引退した。だから俺は、親父の分もプロ選手として成功したい」

「ある人に聞いてんけど、高体連の選手ってスカウトに引っ掛かりにくいんとちゃうん?」

「その通りだ。俺も愛知ミュートスのアカデミーに進むつもりだった。だが相模さんに誘われて……練習に参加して以降は、町田南以外に選択肢は無かった」


 フットサルのプロチームは前述の愛知ミュートス、コロラドが監督を務めるブラオヴィーゼ横濱を筆頭に、多くが下部組織から昇格した選手で構成されている。


 そんなプロの機関にも劣らぬ育成力を持った高校、それが町田南なのである。元より高体連では絶対的な存在だが、相模が総監督に就任して以来、更に影響力を増して来ているそうだ。



「俺だけじゃない。相模さんの指導を受けるために町田南へ進学した選手は多い……男子に限っては、だが」

「アイツら元々女子サッカー部なんやって?」

「来栖もそうだ。女子チームは強豪と言えば強豪だが、男子ほど抜けた存在ではなかった。栗宮が加入して、すべてが変わった……」


 以前、兵藤に聞いたことがある。体格差の不利を克服するため、フットサルの細々としたテクニックを学ぶべく町田南に進学したという栗宮。


 尤もそれは『サッカーで成功する』という大前提があって、フットサルはあくまで腰掛け。今回の大会にしろ、彼女にとって本来の目的ではない筈。


 ずっと引っ掛かっていたことだ。その程度の志で町田南にやって来た彼女に、鳥居塚も他の選手たちも何故か振り回されている。



「正直に言えば、アイツのことは好いていなかった。あの頓珍漢な態度は以前から変わらずだ。サッカーのためにフットサルを利用する姿勢を、俺も他の連中も快くは思っていなかった」

「まぁ、別のスポーツやしな」

「……少し訂正しよう。すべてが変わったのは、一年前の夏だ。様々な事象が重なり、アイツの身の上も大きく動いた」


 同じようにリフティングし合う三人を眺め、鳥居塚はボールを蹴るのを止めた。大きく息を吐き、当時の出来事を回想しているのか。



「砂川、来栖、そして横村。三人が女子サッカー部から移ったのもその頃だ。詳しい事情は知らないが、栗宮が目を付け、最後は相模さんが説得した。同時に混合チームも発足した」

「……何があったんだ? 去年の夏、栗宮に」

「色々と。一つはお前だ、廣瀬」


 思うところのありそうな、けれど濁りは無い複雑な瞳を、鳥居塚は真っ直ぐ俺へぶつける。変な奴ではないが、やはり圧は強い。接しにくい。


 これに関しては少しだけ予感も。準決勝、試合中にも彼女は言った。俺たちは同じ場所でプレーすべきだったと。


 予選から続く不思議な因果を思い出す。栗宮もまた、廣瀬陽翔というプレーヤーに……何らかの特別な感情を抱いていたのだろう。



「悪かったな。俺のせいで振り回して」

「お前が謝る必要は微塵も無いし、アイツに何かしてやろうと思ったところで、土台無理な相談だろう……ただ一つ」


 ボールを蹴り上げ、力強いパス。

 トラップすると同時に、鳥居塚は背を向けた。



「お前たちが考えている以上に、俺たちは……いや、この大会には、あまりにも多くのモノが懸かっている。よく覚えておけ、廣瀬陽翔」

「せやから、教えろ言うとんねん」

「俺から言えることは言った。俺はプロになりたい。ただのプロじゃない、日本フットサル界を背負って立つ、圧倒的なプレーヤーに」

「……で?」

「廣瀬、お前には世代ナンバーワンプレーヤーの看板を降ろして貰わなければならない。男女混合の大会だろうと、関係の無いことだ。お前と同じコートで戦い、俺が勝つ。それだけだ」


 やっぱりさっきのナシ。

 こんな絡み辛い奴おらんわ。

 肝心なこと一つも話しやしねえ。



「喋り過ぎた。砂川の相手でもしてやってくれ。栗宮よりはマシだが、アイツも人の気持ちが分からない女だ……」


 よう分からんことを言い残し、河川敷を一人去って行く鳥居塚であった。謎の男が謎を呼び、伏線は伏線のまま。何も進展しなかったな……収穫がゼロとは言わないが。


 まぁ良い、そろそろ良い時間だし比奈を呼び戻そう。さっきから随分と仲が良さそうだが、あまり仲良くされても作戦が漏れそうで怖……。



「だーかーらーッ! それじゃ意味がねえって言ってんだろーが! お前よくそれでフィクソやって来たな!? だぁぁクソッ、アタシが叩き直してやるッ!」


 なんか始まってるぞ。


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