1112. 息が詰まる
「ふぇぇぇぇ~~ん酷いよお~!」
「くすみん。顔も被せちゃっていーよ」
「むむぅぅーーーー!?」
結局みんなより長風呂だったので、犯行は敢えなくバレてしまった。
簀巻きにされ悶える比奈には既視感がある。一年前は今の瑞希ポジだったのに、人って変わるんだな。良くも悪くも。
「……ズルい。比奈ちゃんだけ」
「口に出した時点で同罪やぞ」
布団を丸被りし愛莉は呟く。風呂を脱出したとて平穏が訪れるわけではない。忘れていた、二週間もこの狭い部屋で同衾だと。殺す気か。
双方一応には気を遣うつもりで、俺の寝床は部屋の最奥、窓際となった。
だが寝相の悪い愛莉と琴音を横になんら抑止力にならないことはよく知っている。比奈が大人しい間にさっさと寝よう。
歩いて数十分のところに海岸があるから、みんなで朝に散歩しようと有希が言っていた。果たして三年組は間に合うかどうか……。
「……うるさ」
「ジュリーやな」
ほぼ同じタイミングで愚痴る。隣の宿から大音量のラテンミュージックが音漏れしているのだ。逆に良く寝られるな他の三人。
「夜通しあのままとか言わないでしょうね?」
「多分そうなるで」
「通報しようかしら……ッ」
愛莉は布団を抜け出し、窓を開け町田南の泊まる春菊側を覗き込んだ。部屋はまだ明るく、音楽が鳴り止む気配は無い。
いつからかは知らないが、就寝時のルーティーンなのだそうだ。と言うか、何かしら聴いていないとまったく眠れないらしい。
セレゾン時代も遠征の時はみんな大迷惑していた。大場がノイローゼになり掛けて、財部がステレオを没収したんだっけ。
「はぁ、眠気どっか行っちゃった……ねえハルト、ちょっと散歩しない? どうせアンタもすぐは寝れないでしょ」
「いや別に」
「ウソ。発情してる癖に」
「ぜってぇ俺より言うべき奴おるって」
簀巻き状態の比奈には欠片の劣情も覚えないので今のところ安心だが、愛莉の気も収めるためにも付き合ってやろう。
消灯時間は……まぁ良いや。下級生も眠れていないだろうし。
宿のサンダルを履き外へ。三十度を超える猛暑もこの時間帯に限っては無縁。
海から風が吹いて、微かに香る潮の匂いが心地良い。良い夜だ。爆音でラテンミュージックが流れていなければ。
「あっという間ね」
「初日が大掃除で終わるとはな」
「んっ……それもだけどさ」
先を行く月夜に照らされた栗色のロングヘアーに、またも既視感。
数え切れないほどの夜を過ごし、その数は日々増える一方。しかし、どれも比較は出来ない。
あの時のような制服姿でも文句は無いが、やはり愛莉に限っては芋臭いジャージも不思議と似合う。もう一年前か。
「本当に始まるのね。全国大会」
「な。エモいわ」
「うわ。軽っ。台無し」
「ええやん別にスルーせえや」
「あーあ。昔のハルトの方がクールでカッコ良かったのに。瑞希のせいで頭空っぽになっちゃった?」
「限らずやな。あと、それこそ嘘。お前あんとき俺のことなんとも思ってへんかったやろ」
「……そうでもないけどっ?」
「ど~だかねぇ~」
薄い潮風に髪を靡かせ、愛莉は振り向きざまに悪戯っぽく笑った。俺も釣られて笑う。
部活の体すら為していなかった当時を思い起こせば感傷的にもなるところだが、存外この程度の軽い話で済んでしまう。
無論、大会へ懸けるモノはとてつもなく重い。でも、重過ぎても息が詰まる。だからこれくらいでちょうど良いのだ。
出発前はピリピリしていた愛莉も、今日一日で肩の荷も下りたように見える。
それこそ比奈の言った通りで、大会中こそこんな時間を大切にしないと。理性を試すようなセクハラは困るが。
「車来るで」
「んっ……あら?」
宿の隣には駐車場があって、山嵜のマイクロバスはそこに停めてある。すると、似たような大きなバスが近付いて来た。
そう言えば、松風と春菊の駐車場は共用の筈だ。なのに今は山嵜のバスしか停まっていない。ということは。
「うちより一回りデカい……」
「ダル絡みされると面倒やな……隠れるか」
物陰に隠れ様子を窺う。側面の校章には見覚えがあった、町田南だ。凄いな、フットサル部の専用遠征バスか。流石は金持ちスポーツ強豪校。
昼時に兵藤が話していた。何かしら用事があって、栗宮胡桃は到着が遅れているとか。相模が迎えに行ったようだな。
話題の両者がバスから降りて来た。
なにか話している……。
「――散々だな。もう開幕だってのに」
「長女として最低限の責務を全うしたのみ。天上天下唯我独尊の栗宮とて、法の前には無力である。まあ、近く捻じ曲げるが」
「んだよ。元気じゃねえか」
軽口を叩き合いながら荷物を取り出す二人。
長期滞在にしては随分と量が少ない。
片道数時間のドライブのせいか相模は眠そうだ。サングラスを外したところ初めて見たな……意外と円らな目をしている。
「長女として?」
「え?」
「取材か何かじゃなかったの?」
栗宮の言葉が引っ掛かったのか、愛莉は眉を顰めた。確かこれも兵藤が……。
……いや、言っていない。マスコミにでも追い掛けられているのだろうと決め付けたのは俺たちの勝手な推測だ。
よくよく考えれば、大事な大会を控えているのに取材如きで合流を遅らせるのはおかしい。
ただでさえ特別扱いされているそうだし、チームメイトからも余計な反感を買いそうなもの。
「話したのか? 姉弟には」
「なにも」
「ああ、そう。あんま背負い過ぎんなよ」
「思ってもいないことを」
その気があるのか分からない相模の雑な労わりに、栗宮は変わらずの無表情で返した。
姉弟、つまりミクルと弘毅のことだ。
家庭の事情……?
「良い良い。俺が持つ」
「舐めるな。そこまで非力ではない」
「知ってるよ。でも持たせろ。今はどんな負担も掛けたくない……部屋は一階にした。階段を上がらなくても済む」
「上出来だ。さっさとJを黙らせて来い」
「へいへい、分かってるよ……」
わざわざ運ばせるまでも無い小さなリュックだ。だが相模はそれを強引に奪い取って、バスに鍵を掛け一足先に宿へ向かった。
そんな相模の後ろ姿を、少し立ち止まり、思い詰めた何かを拵えた複雑な面持ちで眺めている。
そして視線を地面へ下ろし、歩幅一つすらも確認しながら進み出した。
途中、栗宮は何度も周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。
足元に地雷でも落ちているかのような、戦場真っ只中へ身を投じたかのような慎重さ……。
「……行った?」
「行った」
「なんか、変なの見ちゃった感じ……?」
愛莉が不思議がるのも頷ける。
単なる夜のローテンションだけでは到底説明出来ない、奇妙な光景だった。
人の気や注目などまったく意に介さないあの栗宮胡桃が、誰かに見つかるのを恐れている。そんな風にも見えたのだ。
間違いない。先に相模と交わした、二つのやり取りが大いに関係している。
一人合流を遅らせなければならなかった、明確な理由がある……ただでさえ謎の多い奴なのに、また謎が増えてしまった。
「……気になる?」
「気にしたくはないけどな」
「まぁね……」
なんだアイツは、この期に及んで。
あの無駄に人間臭い顔は。
倫理観ゼロの地球外生命体だから、いっつも好き勝手言えるのだ。思い出しちまうじゃねえかよ、あんなのでもミクルのお姉ちゃんなんだって。
「やっぱり変な人よね。栗宮さん」
「なにを今更」
「でもさ。オリンピックも始まったでしょ? 女子サッカー、グループリーグで敗退しちゃいそうだし……栗宮さんがいたらこうはならなかったって、ネットのニュースで見たわ」
「飛行機苦手やから代表は嫌らしいな」
「……それだけで?」
「そういう奴なんだよ」
言うまでもなく変な奴である。
通り越して奇人の類。
サッカーでの成功が約束されているのに、本職でなかったフットサルに顔を突っ込み。
オリンピアンの名誉を蹴ってまで、混合の新設大会に参加する大馬鹿者。
必要無いとは言った。
気にしたくないとも言った。
でも、知っておくべきかも、とは思う。
誰にも負けないと信じていた、俺たちのひと夏に懸ける想いを、一度は打ち砕いた狂気。渇望。秘めたる根源は……いったいなんなのだろう。
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