1090. イカレている


 その後、幾ばくかの攻防。思いのほか市原臨海のパスワークは乱れず、パワープレー返しのチャンスが掴めない。


 ただ、決定機を作れないのは彼女らも同じだった。山嵜の集中したディフェンスを前に時間を浪費している。



「はあぁぁぁぁッ!!」

「危っぶね!?」


 守備陣形が僅かにズレ、カディアのロングシュートが炸裂。辛うじて瑞希がコースを塞ぎ、シュートはバーの上を越した。


 カディアはビブスを脱ぎ、全力ダッシュで自陣ベンチに戻る。12番にビブスを渡し交代。守備時は下がるようだ。まぁ疲れもあるだろうしな。


 ……残りちょうど40秒か。

 悪くないな。ひと仕事には十分だ。



「陽翔さん、どうしますか?」

「ええよ。俺で」


 こちらがキープしている分には、パスを繋いで時間を使えば良いだけだ。ゴールクリアランス、琴音がひょいっとボールを投げ渡す。


 一方インプレーの時間はなるべく減らしたい市原臨海。ラインを高く設定し、山嵜陣地で奪い切ろうと面々をぴったりマーク。


 参った。すこぶる参った。

 これじゃもう――――自分で行くしかねえ。



「ッ……!? カチューシャ!!」

「分かってますわ!!」


「上がれッ! コース開けろ!」

「ちょっ、なにするつもり!?」

「マジで!? 今からアイソレーション!?」

「もぉ~陽翔くんったらあ~!」


 残る選手たちを引き連れ、三人とも敵陣へ駆け上がる。これでエカチェリーナと正真正銘の一対一。アイソレーションだ。


 失敗したら大ピンチ。いくら琴音でもこの状況では止め切れないだろう。全国の懸かった大事な場面でよくやるよ。我ながら。


 何だかんだで従うお前らも、な。


 口ではどうとでも言えるよ。

 でも、目がもう笑ってんだ。



「あ、あり得ませんわ……!? 同点に追い付かれて不利になるのは貴方たちですのよ! お仲間の困った顔が見えておりませんの!?」

「見えとるで。しっかり」

「……正気じゃないわ、貴方」

「かもな」


 カディアやチームメイトとの絆を改めて結んだ彼女にしてみれば、俺の行動は尚更おかしく映るのだろう。仲間の信頼を裏切る蛮行だと、らしくない台詞が聞こえてきそうだ。


 別に意趣返しってわけじゃない。ただエカチェリーナ。お前のおかげで、また一つ大事なことを思い出せた。それだけ。



 山嵜フットサル部は、もう俺だけのチームじゃない。一人ひとりが互いを尊重し関わり合える、本物の家族に限りなく近い集団。


 でもな。これだけは忘れちゃいけない。

 コイツら全員、俺が好きみたいなんだよ。


 どれだけ見えないところで結束し、仲を深めたところで、元を辿れば俺を基点に集まった連中。そして俺も、そんなみんなのことを愛している。


 簡単だよ。とっても。

 カッコいいところ見せたいんだ。



「後悔しますわよ……」

「やらないよりマシさ」

「……イ、イカレてますわ……ッ」


 やっと気付いたか。

 そうだよ。俺はイカレている。


 勿論みんなもな。

 だから俺たちは、山嵜は強いんだ。



「――――来いよ、偽モン」

「……ッ!?」


 男も女も関係無い。一度支配すると決めたのなら、全力で統治しろよ。余計な問題コートに持ち込んでんじゃねえよ。


 俺は圧し掛かるすべての期待、重圧、希望、そして愛を飲み込み。自らの意志を持って、狂気を纏ったのだ。


 エカチェリーナ、貴様とは違う。

 たかが一つを失い掛けた程度で、自信を失ったお前とは。覚悟が違う。


 聞いているか。

 見ているか、栗宮胡桃。

 次はお前の番だ。


 この大会にどんな思いを懸けているか。何に縛られ、何を目指しているか。俺は知らない。知りたくもない。必要無いのだ。


 精々胡坐を掻いて待っていろ。俺は、俺たちの信じたモノすべてを発揮し。全国の舞台で、今度こそ貴様に『解』を突き付ける。



『ホント、ばかな人……っ!』


 馬鹿はどっちだ、シルヴィア。

 そんな奴にノコノコ惚れやがって。


 まあ見てろよ。数秒後には笑えているから。

 流石はわたしのcariñoって、褒めてくれ。



「ひっ……!?」

「カチューシャ、目を逸らさないでッ!!」


 俺は間違っていない。

 否。これを正解にしてやる。


 無理も道理も捻じ曲げ、正しきモノとする。それがスターたる証明。そして、廣瀬陽翔がこのコートに立つ、たった一つの理由。


 見定められた才能も、約束された将来も興味が無い。みんなに与えられた? 運命に選ばれた? アホ言うな。


 俺が、この世界を選んだのだ。



(――――――――左)


 ロジックは無い。

 左右に揺するボディーフェイント。


 たったそれだけで、エカチェリーナは脚を滑らせた。見えない何かに引き寄せられるよう右に振られ、力無くコートへ突っ伏す。


 残る三人が慌てて飛び出して来たが、あまりにも遅い判断と言えた。どいつもこいつも足が竦んでいるのだ。


 せめてゴレイロが内山なら、夜のネットニュースで『全国を手繰り寄せる衝撃ミドル』なんて見出しが躍っただろうに。これじゃ『廣瀬、女子相手に空気を読まず』とSNSで叩かれるな。きっと。


 でも仕方ないだろ。

 周りに女しかいねえんだから。


 良いけどな。

 俺が望んだ場所だし。

 むしろ誇らしいまであるよ。



「しゃあな。記念にカード貰っときますか」


 ネットが揺れ、ちょうど時計の針も止まる。

 ブザービートになるようここまで我慢した。


 なのにみんな、逆に時間が止まっていたみたいに走り出す。これはサッカーじゃ味わえないな。フットサルならではの光景かも。


 スタンドへ飛び込んだ俺のもとに、みんなが続いて乗っかって来る。

 

 ああ、そうだ。これだよこれ。


 このズッシリとした重みを肌で、全身で味わいたいから。俺は走り続けられるんだ。


 そのまま走って、名古屋まで行こうぜ。

 なんなら頂点まで。


 そりゃもう、あっという間さ。



【三位決定戦:試合終了】


 廣瀬陽翔×2   エカチェリーナ×2 

 長瀬愛莉

 シルヴィア


【山嵜高校(神奈川)4-2市原臨海高校(千葉)】



(……なに、あれ…………ッ)


 ブザーと共に割れんばかりの大歓声。山嵜の決定的な4点目が生まれ、同時に彼らの全国大会出場が決まった。


 エカチェリーナは四つん這いになり、その場から動けないままだった。フローリングコートには、もうそこには無い彼の瞳ばかりが反射し、脳天まで届いているような気分にさえなる。


 考えれば考えるほど、その理不尽さを痛感するばかりだった。アイソレーションが始まった時点で、タイプアップまで30秒を切っていた筈。


 同点を目指すため、何よりもまずボールを奪いに行かなければならなかった。なのにエカチェリーナはその間、一歩も動けなかったのだ。


 いや、彼女だけではない。チームメイトも固唾を飲んで勝負を見守るだけで、彼に近付くのを躊躇っている様子さえあった。


 そしてエカチェリーナはついぞ、自身とチームを襲った不可解な現象の正体に気付く。否、思い知らされる。



(コートの中だけじゃない。アリーナ丸ごと、あの男の一挙手一投足に……何もかも、支配されてしまった……ッ!!)


 面と向かって『偽物』と啖呵を切られた理由が、今ならよく分かるのだ。


 あれだけ騒然としていたスタンドが、彼がボールを持った途端シュンと静かになった瞬間を、彼女はよく覚えていた。


 或いは極度の緊張で、声援が耳に入らなかったのかもしれない。いずれにせよエカチェリーナは、彼の放つ圧倒的な『オーラ』などという、目に見えない曖昧な何かに。


 為す術も無く敗れた。

 それだけが事実として残り。

 心を、貫かれてしまった。



「……カチューシャ」


 生気の抜けてしまった彼女のもとに、カディアが力無く歩み寄る。

 名を呼ぶばかりで、それ以上の言葉は出て来ない。どれだけ凝った労りの台詞も、今は彼女の心を踏みにじり粉々にするだけ。


 カディアの恐れていた『二次被害』は現実となってしまった。ただそれは、山嵜に力負けしたことに起因するモノではない。


 唯一欠けていた何かを、得られた筈だった。それでも尚、あの男にすべてを奪われては――――。



「――――凄い」

「……えっ?」


 ところが。


 エカチェリーナが次に放った一言は。

 カディアの想像を大きく裏切った。


 絶対的な女王として君臨していた地位を、突然現れた王に奪われた。喪失感でいっぱいの筈だと、カディアは思っていたのだが。



「どうしましょう。わたくし、大きな思い違いをしていたのかもしれませんわ……!」

「……お嬢様?」

「貴女や可愛い皆さんに囲まれて、それだけで満足していたの。でも違ったわ。わたくしが本当の意味で、頂点に立つためには……あの男すらも平伏させるような力を手に入れないといけないのね……!!」

「……あの、お嬢様」

「まあ、なんたること! わたくし、国を出ただけですっかりその気でいましたのね……! 井の中の蛙、大海を知らず。今のわたくしにピッタリな言葉ですわ。嗚呼、日本語って本当に美しい……!」

「お嬢様……っ」


 どうやら彼の存在は、カディアの予想とはまったく違う角度で、エカチェリーナの心に刺さってしまったらしい。



(あぁ……そうだ、この人は……)


 幼少期から厳しい躾と周囲の視線に囲まれ、同年代の男と交流を持つ機会が極端に少なかった。


 自ら下僕扱いを望む内山は超例外で、これだけ男という存在に関心を抱いたことは一度も無かったのではないか。


 不味い。これはちょっと不味い。

 カディアは危機感を募らせる。


 試合前に交わした『例の賭け』だって、男の実態が如何なるものかよく知らないこそ、軽率に取り付けてしまったわけだ。


 となると、間違いなく彼女は……。



「ヒロセハルト……嗚呼、恐ろしい男。あの切り裂くような視線とドリブルが、ちっとも頭から離れてくれないの……! 悔しくて堪らないのに、一刻も早く忘れたいのに!」

「えっと、お嬢様……あの」

「カディア、ごめんなさい。わたくし、嘘は吐けませんの。約束も守らねばなりませんわ。一度、あの男に身を委ねようと思います!」

「お嬢様ッ!?」

「そうすればきっと、この表し難い感情を理解出来るかもしれませんわっ! 私の求めていた答えを、あの男は持っておりますのよ!!」

「いいっ、いけませんお嬢様ッ!?」


 喜び合う山嵜の面々に向かって、意気揚々と進み出したエカチェリーナ。カディアは大慌てで、彼女の腕を掴み静止に掛かる。



「なあに貴女っ! 悪いけれど、これはわたくしとあの男の約束よ! 彼が頷かない限り、いくらカディアと言えど譲れませんわ!?」

「そういうことではありませんッ!!」


 興奮気味に捲し立てるエカチェリーナを前に、カディアはふと思う。

 どうやらもう暫く、親友でなく従者として、彼女を守る責務があるかも、と。


 にしても、ただでは折れない人だ。

 ある意味では自慢の主かも。


 なんて、こっそり毒を吐き。

 何故かホッとしてしまうカディアであった。


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