1080. 勝負アリ


(まったくあの人は、またああやって二人だけで……勝手に自分たちの世界に入って、置いてきぼりにされる気持ちを少しは考えて欲しいものです)


 改めて第二PKが宣告されると、琴音は指に巻いたテーピングを握り深呼吸。ベンチの喧騒から目を離した。


 目前約10メートル。最初のホイッスルから一度たりともボールを離さなかった銀髪の背番号9番が、彼女を舐め腐った目で見つめている。



「可哀そうな子。なんとなく分かるわ。貴女、チームで一番ドン臭いからゴレイロにされたんでしょう? そういうの、万国共通ですのね」

(まぁ否定はしませんが)


 一番疲れないポジションだから、と安易過ぎる理由でゴレイロを志望した、一年前の自分を思い出す琴音であった。

 確かにそうだ。あの頃はボールに出来るだけ触れないことばかり考えていて。


 しかし、手を使えるたった一つのポジションがフットサルにとって。

 いや、チームにおいてどれほど重要な存在か。琴音はこの一年で痛いほど学んだ。


 誰よりもボールを巧みに操り、素人だった自分でさえ憎たらしく思うほどのテクニックを持つ彼が、縋るような瞳で『頼む、琴音』と叫ぶ姿を、いったい何度目の当たりにしたことか。



「琴音センパイッ! クールに、クールにですよっ! 研究通りにやれば絶対止めれますから!」

「外せ~~外せ~~外せ~~……!!」

「いやそーいうの良いからッ!! 琴音先輩、気持ちで負けちゃダメだよ! こんな奴のシュート、姉さんの百億倍ショボいんだからさっ!」

「聖堕天使の大いなる加護を……!」


 エカチェリーナへ怨念を送る文香を除き、フィールドの皆も、ベンチのリザーブたちも力の限り声援を届けてくれる。


 ポジションによる妙だけではない。それが楠美琴音というプレーヤー、延いては人間へと送られる最上級の信頼であると、今の彼女は身に染みるほど理解することが出来た。


 止めてみせる。

 否。止められない筈が無い、とさえ思う。


 ただ心とは反対に、脚は震えたままだった。そんな時ふと浮かんでくるのが、昔から変わらぬ信頼と共に、自分を受け止めてくれる親友の笑顔。


 そして、馬鹿馬鹿しいことばかり言って自分を困らせる、彼の悪戯な瞳。


 なら、最後の仕上げは頼んでみよう。

 沸き上がる根拠の無い自信。



『緊張していますね』

「……えっ?」

『何を驚いているんですか? 昨今、英語を話せる学生など珍しくもありません』

『……そ、そうね。確かにね……』


 突然英語で話し掛けられたエカチェリーナは、先ほどまでの生真面目な顔つきとは一転、余裕綽々で微笑を溢した彼女を前に、動揺を露わにする。


 博学な琴音はよく知っていた。あの地域で暮らすアジア人はロシア語の他に、大半は英語も堪能である。裕福な育ちなら尚更。


 決して流暢というわけではないが、徹頭徹尾日本人らしい自分が英語で話し掛ければ、少なからず動揺する。そう思ったのだ。

 そしてこれは単に、自身の見てくれを自覚していることだけが理由ではなく……。



『試合前、市川さんから聞きました。チームメイトの皆さんを色々と振り回しているとか。詳しくないですが』

『……なあに? 仲間に入りたいの? 構わないけれど、優先順位は低くなりますわよ。貴女みたいな「男に好かれたい」という意思が透けて見える容姿は、悪いけどわたくしの好みじゃ……』

『なら見当違いです。整形手術は受けていないので』

『……ッッ!?』

「え……してるんですか?」


 なんとなく『陽翔が言いそうな悪口』を適当にぶつけてみたところ、エカチェリーナはそれはもう、露骨に顔を歪めた。


 これでは図星と自白しているも同然。望外の事態に、琴音も思わず日本語で返してしまう。



「そうですか……まぁその、最近は電車で若年層向けの広告等も見掛けますし、決して悪いこととは思いませんが……」

『貴女、よくもわたくしを……ッ!!』

『……侮辱した、と? 違います。もしあなたが『整形をしている』という事実を負い目に感じているのなら、それはあなた自身の問題です』

『なっ……なんですって……!?』

『容姿や財力を盾にして、優位な状況に立たなければ……自分には価値が無い。そう思っているから、癇に障るんです……日本を、私たちを舐めるのも、いい加減にしてください』


 ホイッスルが鳴った。

 琴音は腕を広げ、出来るだけ自分が大きく見えるようエカチェリーナを威嚇する。


 無論、十分とは思わない。何かと『可愛い』『可愛い』と口癖のように言われ続け、自身がいかに勝負事へ向かない顔つきをしているか、嫌でも自覚が生まれて来た頃。


 つまり、これは本命ではない。

 ゴールマウスに堂々と立ちはだかる。

 他になにも必要無い。


 強い気持ちと等身大の自分。

 たったそれこそが、彼女のプライド。



『右、右です! あなたは予選リーグの試合ですべての第二PKを、右に蹴っています! そこが得意なコースなんです! 私は知っています!』

『うるさいっ、うるさいっ、うるさい!!』


 エカチェリーナは鬼のような形相でスポットへ駆け出す。尤も琴音の視線はそちらへ向いていない。ただボールだけを追い続けていた。


 勝負アリ。

 踏み締めた左脚へ、力が宿る。



『――――プチ整形ですわッ!! ちょっと鼻を高くしただけ!! そこまで弄ってませんわああああアアアア嗚呼アアアア!!!!』


 鼓膜を抉る、つんざくような奇声。

 渾身の一撃が――バーの上へ消えた。



*     *     *     *



「はっ……外したああああアアアア!?」

「わーーーー超ラッキーーーー!!」

「っしゃああああぁぁッッ!!」

「琴音エエエエええェェエエエエ!!!!」


 まるで週休七日が憲法で定められたかのようなお祭り騒ぎだ。両軍のベンチだけでなく、アリーナも半狂乱。凄まじいカオスである。


 それもその筈。今大会エカチェリーナは三本の第二PKを蹴り、そのすべてを成功させていた。


 とりわけ『ワールドクラスの決定力を兼ね備えた正統派ストライカー』として評判な彼女の、まさかの大失敗。


 フィールドの四人は一斉に琴音へ飛び付き、喜びを爆発させる。俺も全力ダッシュで抱擁しに行きたいところだが、まだ前半だ。我慢しよう。いやでもムズムズする、マジで凄げえよ琴音……!!



「ほーーーーれ見たことかっ! 右だ、やっぱり右に蹴った! 小谷松の調べた通りだ! よくやったぞ小谷松ううぅぅ~~!!」

「ふぉほげええェェッッ!?」


 昨晩コースの研究をしたらしい聖来は、すっかり我を失い狂喜乱舞する峯岸の熱い抱擁を喰らっていた。呼吸出来てないから。離してやれって。


 ずっと手を握りっぱなしだったシルヴィアに至っては、全身から力が抜け膝から崩れ落ちてしまう。



『良かった……良かったああああ……!!』

『アホ、泣くんじゃねえよッ! 結果オーライやシルヴィア! お前のおかげでアイツ、完全に終わったぞ!!』


 早々に再開させた山嵜に対し、エカチェリーナはマーガレットに肩を揺すられようやくゲームに復帰する。マーガレットが全速で帰陣しノノのドリブルを塞き止めたが、もはや生気を失っていた。


 シルヴィアの言っていたように、それ相応の覚悟を持ってこのゲームに挑んでいたことが、あの反応だけでもよく分かる。恐らく前半の間。いや、最後までエカチェリーナは使い物にならないだろう。


 だが関係無い。俺たちのこの夏に懸ける想いを、たかが国家の威信如きに止められると思うな。そうだろシルヴィア……!



【前半終了

 山嵜高校2-1市原臨海高校】


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