1081. 誇り高き放浪者
「あの、アリエフ様……っ?」
「……………………」
「ひっ……!? は、ハイライトが……!?」
ミクルの加わったセカンドセットも、再び守備偏重スカッドへ戻った市原臨海の固い守備を抉じ開けるまでは至らず。残り五分でスコアは動かないまま、山嵜の一点リードで前半が終了。
ここまで多くの試合を先行逃げ切りで勝ち進んだ市原臨海にとって、ビハインドでの折り返しは想定外とまで言わずとも良い兆候ではない。
いずれにせよ絶対的エース、エカチェリーナの類稀な決定力が必要不可欠。
にも拘らず、ロッカールームの空気は重い。それもその筈、当の本人が真っ白に燃え尽きてしまっているのだから。
これは不味いと7番山岸が対話を図るが、微動だにせずパイプ椅子に座り尽くすエカチェリーナ。
(まさか一番の秘密に気付かれてしまうとは……本当にちょっと高くしただけですし、気にするほどでもないと思うのですが)
観衆が聞き取れない英語での会話だったのが唯一の救い。情けを掛けられたわけではないにしろ。
マーガレットは吹き出る汗を拭い、完膚なきまでにノックアウトされた主の心中を酷く憂いた。
別にコンプレックスがあるわけではない。ユーラシアのあちこちに点在するトゥルク系カザフ人は、東アジア系統の顔つきをした人間も多いのだ。
異色の存在そのものに腰が引けがちな日本人と言え、似たような顔では舐められるかもという、彼女なりの配慮。
尤もエカチェリーナは、より『欧米』らしくなった自分の顔を過剰に意識していた節がある。
生まれ持った格差を除き、ほとんど似たような人生を歩んで来たわけだ。マーガレットはとうに気付いていた。
彼女が自分をはじめチームメイトらに、どのような感情を抱いているか。
「……さあ、どうしましょうかね。アリエフさん、第二PKは簡単に決まるようなものじゃないでしょ? 切り替えて後半に臨みましょう」
可能な限りの気遣いと温厚な笑みを溢し、中年の女性顧問はそう投げ掛ける。反応は無い。そもそも聞いているかも怪しい。
長らく率いているというだけで、エカチェリーナのメスが入ってからも部内の動向に不干渉を貫いている人物だ。秀でた引き出しは持っていない。マーガレットは一歩勇み出る。
この人でも、他の選手でも駄目だ。
自分がチームを引っ張らないと……。
「セットの構成はこのままで。私がピヴォに入ります。ヤマギシさん、相手のチェックが怖いのも分かりますが、勇気を持って預けてください」
「……マーガレットさん?」
「ウチヤマさん、キックインを含めプレースキックは私が蹴ります。状況にもよりますが、第一に私を見てください。勿論隙があればご自分でも」
「そっ、それは構いませんが……」
全員の注目がマーガレットに集まった。いつもエカチェリーナの傍にくっ付いているだけで、滅多に自己主張をしない彼女の珍しい提言。
驚きを露わにしたのはエカチェリーナも同様。ガバッと顔を上げ、詰まり掛けた息を飲み込むと、感情を押し殺した低い声で、こう問いた。
「……どういうつもり? 貴女」
「テコ入れをしなければ、このまま終わりです。お嬢様一人に依存する戦い方では限界があった、それだけでしょう」
「……違う、違うわッ! 貴女たちがロクなパスを寄越さないから、わたくしにチャンスが回って来ないのよ!!」
怒り任せに立ち上がったエカチェリーナをサラリと躱し、マーガレットはそれらすべてを無視して、ホワイトボードを叩く。
「前半の間、カウンターを仕掛けようにも押し上げる時間が足りず、後手に回るばかり。当然です。お嬢様のポストプレーはハルトヒロセ、そして8番にすべて潰されていました」
「貴女のフォローが足りないからよっ!」
「如何なものでしょう。ウチヤマさんのロングスローばかり待っていては、自陣からスタートする私共とあまりにも距離が遠過ぎます」
「なら無理にでもパスを出しなさいっ! なんとかすると、そう言っているの! わたくしが言ったからには、必ず実現するのよ!!」
憤激し金切り声を挙げる主を、マーガレットは心底冷めた瞳で見つめていた。もう我が儘にはウンザリだ、そんな意志さえ透ける。
「可能性は極めて低いかと。ハルトヒロセは出し抜けません。相手がシルヴィア・トラショーラスでも同じでしょう……今のお嬢様では」
「……ッ!?」
ロッカールームが凍る。
部においてエカチェリーナの意見が退けられた、初めての瞬間だった。それも一番の理解者たる人物が、ここまで厳しく糾弾するとは。
お手付きには優しく接するが、敵対する者や気に喰わない相手には一切容赦の無い主である。
いったいどんな罵声が浴びせられるのかと、チームメイトたちは恐怖に骨身を竦ませた。
しかし、恐れていた厳罰や罵倒がマーガレットに降り掛かることは無かった。
積もっていた激情がすっかり影を潜め、エカチェリーナは蛇に睨まれたように硬直している。
「部内の関係について、今更アレコレ口出しする気はありません。お嬢様が皆さんをどれだけ見下していようと、私には関係の無いことです」
「……あっ、貴女……」
「お説教をしたいわけではないので、このくらいにしておきます。皆さんも。培って来た我々の守備力は云わば生命線。それがお嬢様に起因するものであるのならば、私の言葉も今は忘れるべきでしょう」
ブザーの音色が部屋中へ響いた。ハーフタイムの残り時間を告げる合図だ。もはや彼女に残された仕事も多くない。
一人足早に出入り口へ向かう。扉を開けたと同時に立ち止まり、マーガレットは振り向きもせず、流暢に語った。
「浅ましい俗物です。恵まれた地位に甘んじるばかりで、いつか気付いて貰えるものだと、過信しておりました」
「……マーガレット」
「その呼び名も今日でお納めください。元よりジョチ・ウルスの血を引く、独立
「――――人形遊びは、余所でお願いします」
【後半開始
山嵜高校2-1市原臨海高校】
全国の懸かったゲームで、前半一点のリード。明るい雰囲気のまま迎えたハーフタイム……準決勝と丸切り同じ展開。
皆は勿論、峯岸も重々承知するところ。指示は少なかれど、内容は昨日と正反対のものであった。
ビハインドでは市原臨海も前に出ざるを得ない。果敢にパスを繋ぎ、敵陣でプレーする時間を増やす。そして、三点目を早々に奪いに行く。
元より攻撃力では我々が大きく上回る。撃ち合いに持ち込んだ方が優位性を保てるというわけだ。カザフスタン人共の決定力は決して侮れないが、エースの落胆ぶりを見る限りそのリスクも……。
「なーんだ。復活してんじゃん」
「まぁ無理も無いわね……あの感じだと、他の選手も口出し出来るような環境じゃないっぽいし」
向こうもスタートと同じ構成で入るようだが、瑞希と愛莉が楽観視するようエカチェリーナの表情は浮かないまま。
彼女が得点源として機能しないのは、市原臨海にとって大きな誤算。二次戦略を敢えて用意せず、チームの意識と結束を高めることでここまで勝ち上がったのだろうが……この状況では、な。
(ポジション入れ替えたか)
愛莉のキックオフで後半開始。バックパスを比奈が受けすぐ俺の元へ。すると、マーガレットが自陣まで寄せて来た。
前半はフィクソの位置で守備の船頭を担っていたが、なりふり構わず前に出るつもりか。まぁ問題は無い。そっちの方がやり易いまである。
「行かせません……ッ!」
逆サイドへ展開、と見せ掛け縦を窺う。
だがマーガレットはしっかり付いて来た。
強引に突破しても良かったが、今日の主審は男女間のフィジカルコンタクトを辛めに取るからな……まだ開始早々だし、控えておくか。
(2-2か? いや……)
代わって受けた瑞希にもプレスに向かうマーガレット。気付いたら彼女がブロックの頂点にいた。エカチェリーナは背後に鎮座。
縦関係……と言えるほどの連動性も無い。これもマーガレットの独断? なら同点弾のように隙も生まれやすいし、こちらとしては有難いけれど。
「っとぉ!」
「マイボール! ……くっ!」
愛莉の落としから縦に仕掛けるも、素早いチャージでコントロールを失う。気合入ってるね~、と暢気に笑う瑞希だったが。
(変わったな、雰囲気)
正確には前半途中に再投入された時から、なんとなく思っていた。試合前と明らかに目付きが違うのだ。腹を括った、という表現が何より似合う。
……マーガレット、お前。
まさか主から、ゲームの主役を奪う気か。
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