1079. 天秤に掛ける


「峯岸、ミクルと代えてやれ」

「……いや代えない。試合前に言っただろう。アクシデントが起きない限り、セットは弄らな……」

「これがそのアクシデントやッ!!」


 自分でも驚くほどの怒声だった。

 峯岸だけでなくベンチの皆も振り返る。


 ミクルのビブスを強引に脱がせコートへ送り出す。交代を告げられ覚束ない足取りで戻って来たシルヴィアを、誰よりも早く迎え入れた。



『ごめんなさい、ごめんなさい……ッ!!』

『なに言うとんねん。お前が止めなかったらゴールにまっしぐらや。よう飛び込んだな。偉いぞ』

『聞きたくないッ!』


 まだ前半だというのに、力無く謝罪の言葉ばかり呟く。崩れ落ちた身体を支えてやると、すぐ後ろのスタンドから指笛が聞こえて来た。


 さっきからずっと煩かった、エカチェリーナを応援する男性客たちだ。まさかアイツら、シルヴィアを煽っているのか?


 ……やっぱりそうだ。筆舌に尽くし難い罵声と下品な挑発が、耳障りな笑い声と共に彼女へ向けられている。



『――――黙れクソ共がッ、ブチ殺すぞオラァァ!! 女に寄ってたかってギャーギャー吠えやがって、猿以下の俗物が!降りて来いよ!! 俺の前でもう一度言ってみろこの野郎、 一人ずつ殺してやるッッ!! Caga Maricón!!』

『なっ……ヒロ!?』


 突如バレンシア語で観衆を罵倒し始めた俺に、泣き崩れていたシルヴィアも流石に面を上げる。煩かった連中は押し黙ってしまった。舐めんなクソが。


 もう一人の理解者である瑞希も、スラング塗れの文言にギョッと目を見開かせ、未だ興奮状態の俺を大慌てで捕獲。良いだろ、どうせ理解されていないんだから。退場したって知るか。



「ちょっ、ヤバイやばいハルっ!? それは言い過ぎ!! 向こうだと逮捕されるレベルだから!?」

「カガ・マリコ……? 誰?」

「違げーよCaga Maricón!! えーっと……!」

「……はっ!? そんな意味になるの!?」


 謎の日本人名に首を傾げる愛莉へ、瑞希はコソっと耳打ち。ドキツイ和訳に顔を引き攣らせていた。良いよ詳しく解説しなくて。あと教えてくれたのコイツの父親だから。俺は悪くないから。


 散々騒いだおかげで、試合の進行も遅れていた。ようやく主審が注意にやって来て、俺に一言二言告げコートへ戻る。


 カードも出ていないし問題は無い。フィールドの連中と琴音に落ち着く時間も与えられた。むしろこれが目的。



『……だめよ。あんなこと言っちゃ』

『シルヴィア、ちゃんと教えてくれ。お前が恐れているものの正体はなんだ? エカチェリーナが怖いのなら正直にそう言って欲しい。そんなことで怒ったりしない。お前が悲しんでいたら、俺はもっと辛いんだよ……!』

『……ヒロ?』


 自分より感情的になった人間がいたおかげで、暗い表情も影を潜めている。狙ってやったわけじゃないけど、結果的に良い方向へ転んだ。良かった。


 とてもじゃないが、ハーフタイムまで待っていられない。琴音を信じているけれど、もしここで同点に追い付かれてみろ。

 いよいよ彼女は立ち直れなくなる。それが俺に、俺たちにとってどれほど最悪の事態か。


 嗚呼、駄目だ。色々な感情がグチャグチャになって、整理が追い付かない。間違っても彼女に向けてモノじゃないって、分かっているのに。


 でも、それでも聞いて欲しい。


 シルヴィア。もしお前が、たった一人でその恐怖に立ち向かっているのだとしたら。それはそれで、重大な裏切りだぞ。



『上手く言えないのなら、俺を殴っても構わない。日本語じゃなくたって良い。お前が今、心に抱えているモヤモヤは……そのままにしたら駄目だ』

「もや、もや?」

『とにかくスッキリしろ。リラックスして、余計なことを考えるな。深呼吸して、俺の目を見てゆっくり……』

『ち、ちょっとヒロ! 待ってってば!』


 気付いたら手を握られていた。どうやら感情的になり過ぎたのか、今度はこっちが現実を見れていない。


 想像していたより、シルヴィアはずっと落ち着いている。それどころか俺を心配しているまであった。あれ……?



『……大丈夫よ。貴方のおかげで落ち着いたから……もう泣いたりしないわ』

『そ、そうかっ……?』

『分かった、ちゃんと話すから……やっぱり、上手く言葉に出来ないけど、それでも良い?』


 スタンドがざわつき始めた。何やら大きな声が聞こえると思ったら、ノノと峯岸が束になって、主審へ先の判定を抗議しているらしい。


 手には当たったが、肘が身体に着いていたからハンドには該当しない、という類の訴えである。

 少々無理のある主張だが、どうやら峯岸はチャレンジシステムを使ったようだ。そう言えばあったな、そんなの。


 もしかして、俺とシルヴィアのために時間を作ってくれているのか。まったく、空気の読める二人だ。あとで礼を言わないと。

 


『ええよ。ゆっくり話しな』

『……あの人のこと、少し知っているの。ノノが教えてくれたから……同じインフルエンサーとして、ライバルになるかもって。その時はなんとも思わなかったわ。だって、わたしとノノの方が可愛いし……』

『間違いないな』

『でも昨日、ああやって顔を合わせて……もっと言い返してやろうと思ったのに、言えなかった。それどころか、貴方の後ろに隠れてしまって……』


 既にボールをセットし終え、副審に『いつまで意味の無いことを続けるのか』と不満げに愚痴るエカチェリーナを、シルヴィアはジッと見つめる。


 確かにそうだ。散々悪口を叩かれ怒ってはいたが、いつもの彼女なら『なんだとこの成金女』くらいのエゲつない口撃は試みるだろう。


 なのに、らしくも無く後手に回ってしまったのは……心のどこかで、エカチェリーナを恐れていたから?



『……目が同じなの。クリミヤクルミと』

『栗宮と……』

『試合が終わったあと、貴方が言ったこと……わたしにも分かるわ。ベンチからよく見えたもの。貴方を睨んでいた姿が……』


 握られた掌に、一層強い力が入る。そうか、やっぱりそうなんだ。俺とシルヴィアが抱えていた焦燥は、出処こそ違えど同じモノ。



『ミズキも言っていたわ。この試合に、大会に懸けるが違うって……きっと、そういうことなんだと思う。あの人、わたしたちが思っている以上に、余裕が無いのよ』

『余裕?』

『国を挙げて奉られているような人よ。期待に沿った成果が出なければ、母国に帰らされても不思議じゃない……自分の人生を賭けて、このコートに立っているんだと思う。でも、わたしは……っ』

『……このゲームに、人生は賭けられない?』

『そんなことないわっ! 貴方と、みんなとプレー出来る最後の大会よ。絶対に負けたくないって、心から思ってる……! でもっ……』

『重みが違う?』


 心底申し訳無さそうに、力無く頷いた。


 なるほど。想いの強さでは負けていないが、相対的にエカチェリーナよりも『浅い』と感じてしまって……そのプレッシャーを真正面から浴びたことで、委縮してしまったんだな。


 まさに俺と一緒だ。エカチェリーナとその仲間らが発する常軌を逸した執念は、栗宮胡桃にも通ずるものがあった。結局、奴の『動機』はまだ分からないままだけど……。



『……だったらさ、シルヴィア。いっそのこと、トコトン重くしてみようぜ』

『重く、する?』

『もしこの試合に負けて、アイツがノノを無理やり連れ去ろうとしても……俺は止めない。なんなら差し出してやろうと思う』

『えっ……ちょっ、嘘!?』

『嘘じゃねえ。負けたら最後、縁も切ってノノとはおさらばだ。こっちの要求も守って貰うけどな。その場凌ぎのトラッシュトークなんかには、してやらねえ。絶対にな』


 シルヴィアはあんぐりと口を開ける。本意ではない。その瞬間にフットサル部が築き上げて来たモノは消滅する。


 彼女だけではない。ノノを売ったことをみんな口を揃えて糾弾し、俺は家族どころか友情さえ失ってしまうだろう。


 でも、それくらいの覚悟が必要だ。向こうが国家の威信を掛けて、この大会に臨んでいるのなら……俺は自分に一番必要なモノを、天秤に掛ける。



『どうする? またノノと離れ離れになったら』

『……イヤ。そんなの、絶対にイヤッ!! ダメよヒロ、考え直して!?』

『なら勝てば良いんだよ!! お前の力でノノを取り戻せ! 俺も協力してやる。けど最後に勝ち取るのはシルヴィア、自分自身や!!』


 肩を掴みそう訴えると、ちょうどホイッスルが鳴った。判定は覆らなかったようだ。市原臨海の面々は手を叩き喜ぶ。



「すまん。流石に無理があった」

「上等や。ありがとな監督……ええかシルヴィア、このPKをしっかり見ておけ。プライドと誇りを持って戦っているのは、お前だけじゃねえ。みんな何か一つ、絶対に譲れないモノを抱えて、コートに立っている……!』


 さあ、最初の山場だ。

 まずは手本を見せて貰おう。


 頼むぜ、俺たちの守護神……!


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