1078. こっち!
「ファール、市原臨海9番! ホールディング!」
「ちょっと貴方、目ェ付いてるんですの!? 引っ張られたのはわたくしの方でしてよ!!」
「アリエフ様!? おお落ち着いてくださいっ!?」
再開後も序盤と同じく、エカチェリーナ目掛けシンプルに放り込んで来る市原臨海。
後ろから抑えた比奈が逆に倒れ、向こうも前半四つ目のファール。荒れ狂う彼女を14番戸島が必死に宥めていた。
「大丈夫か?」
「うんっ、全然平気だよ。……んふふっ。ノノちゃんの得意技、使ってみた♪」
「大した肝っ玉やな」
手を取り立ち上がった比奈は悪戯にウインク。身長とフィジカルの差を逆手に取り、審判の目を欺いたようだ。
今日の主審は体格差のあるマッチアップが起こると笛を吹きがち。流石は比奈、冷静な判断だ。周囲がよく見えている。
(流石に冷静では居られないか……)
片やエカチェリーナはと言うと、ここまで比奈の狡猾な駆け引き、そして俺のパワーに競り負け満足なキープが出来ておらず、あからさまにフラストレーションを溜めていた。
彼女がオフェンスの起点なのは間違いないが、なんと言うか……それに頼るばかりで、他の選手が単調なんだよな。判断が。とにかくエカチェリーナ、という感じで出し処がバレバレ。
なので対処自体は難しくない。相手ボールになったら俺と比奈、近い方がエカチェリーナを見れば良い。最悪キープされてもフォローが遅いので、二人掛かりで潰せてしまう。
(もうちょっと時間があればな……まぁ後半も相手は出来るし、今ならアイツらでも押し切れるか)
むしろ女子オンリーのスカッドより、付け入る隙はある。気になっていたマーガレットも、今のところ仕掛ける気配は無いし。
「陽翔さん。残り10秒です」
「おっけ。なら最後に仕掛けるか」
琴音が歩み寄り電光掲示板へ目を配る。前半は残り五分のタイミングで、彼女を除く三年生はお役御免。マイボールで下級生に渡してやりたい。
すぐパスを受け取り、エカチェリーナが寄る前に左へ展開。同時にインナーラップし瑞希を追い越す。パラレラの動きだ。
「どーしよっかな~。んー……こっち!」
「わっ!?」
そのまま俺を使うと思ったのだろう。思いっきり逆を突かれ、7番山岸は足元を滑らせる。おっ、一気にチャンス。
「ポスト!」
「さんきゅー長瀬!」
右サイドから斜めに侵入した愛莉が華麗にワンタッチ。見事な落としで振り切るスペースを作ってみせた。撃てる!
「うぉりゃ!!」
「……っ!」
ヒットした鋭い一撃は、辛うじて脚を伸ばしたマーガレットが渾身のブロック。不規則な軌道を描き、ゴールマウスへ向かう。
タイミングをズラされたゴレイロ内山だったが、右腕でパンっと叩き落とし外へ逃げた。コーナーキック。ゴールとは至らなかったが、まぁ上出来か。
「あとは頼んだぜ」
「イエッサー! お任せくださいっ!」
「はい来た~ウチの独壇場~!!」
「いちいち煩いな……ほら、散らばって!」
ノノ、文香、真琴と続きコートイン。キッカーは真琴が務めるようだ。ノノを最後尾に下げればリスクヘッジも問題無かろう。
っと、シルヴィアはどうしたんだ?
「んっ……アイツどーした?」
「最初のやつ、まだ引き摺ってるのかしら」
一応エリア内に居るには居るし、受け直す動き自体はしている。が、交代してからずっと黙ったまま。愛莉と瑞希も驚くほど珍しい光景だ。
彼女が試合中に喋らない時間なんて、それこそタイムアウト中に峯岸の話を聞いているときくらい。まぁ興奮していて全部バレンシア語だから、聞き取れるの俺と瑞希しか居ないんだけど……。
「なんか言ってたか? シルヴィア」
「いえ、なにも……でもさっきから、ずっとあんな感じなんですっ。聞いてみたら『大丈夫』とは言っていたんですけど」
「ふむ……」
有希も心細そうに彼女を見守る。そもそも日本語で長いお喋りが出来ないから、俺以外に心中を打ち明けるのは大変だろうが。
結局、コーナーキックは文香に合わず相手のキックインとなった。
頻りに声を飛ばしコミュニケーションを図る三人とは対照的に、シルヴィアは指示を受けるだけで自ら要求はしない。これも非常に珍しい。
試合前にも漠然とした不安を語っていた彼女だが、先の失点シーンで拍車が掛かってしまったのだろうか。
いやでも、あのポジティブの塊みたいな女が、たかがエカチェリーナの挑発如きであんなに落ち込むわけ。
「だからケツでも蹴り飛ばしておけと」
「ふざけとる場合か。なあ、ホンマになにも言ってなかったのか? 普段と様子が違うって、誰から見ても分かるやろ。あんなの」
「そうしたいのは山々だが……なっ?」
「ちっとは勉強しろ教師の癖に」
「ハハッ……返す言葉もねえ」
申し訳なさげに頬を引っ掻く峯岸。そうか。リスリングが出来るのはシルヴィアだけで、他の面々は彼女の言葉を理解出来ていないから……。
……ハーフタイムの間に、もう一度しっかり話をしよう。さっきはエカチェリーナに邪魔されたし。
なんとなくだけど、でも分かる。
これは双方の不勉強によるコミュニケーション不足と、安易に片付けて良い問題じゃない。
俺でさえ気付けていない、或いは忘れているような欠陥に、シルヴィアだけが勘付いている。
「おぉっ! ナイスディフェンスっスよ!」
「長瀬さん、自分で行くんじゃ!」
何本か自陣で繋いだ市原臨海。機を見てエカチェリーナへ縦パスを送るが、これを真琴が事前に察知。見事なカットを決める。
勢いのまま敵陣へ侵入。エカチェリーナが肩に手を掛けるが……強い、ビクともしない!
「このっ……!」
「フギャッ!?」
「あっ」
と思ったが、あまりにしつこい守備に業を煮やし、右腕を振り回してしまった。肘がエカチェリーナの顎にヒット。笛が鳴る。
コートに突っ伏し芝居掛かった悲鳴を挙げ、エカチェリーナは魚みたいにのたうち回る。主審が胸元に手を……嗚呼、イエローカード。
同時にスタンドから凄まじい量のブーイングが。アホが、先に突っ掛かったのはアイツや。あと真琴の方が可愛いし。マジで絶対に。
「まったく……ファイブファールではないか」
「第二PKはちょっと困るな……」
これにはミクルも険しい表情。ただ、ファーストセットの時間帯もファールを重ねてしまったし、真琴だけを責めるわけにはいかない。
数が蓄積しているのはみんな分かってる筈。その辺り気を付けて貰えれば……分かってるよな? 特にノノ??
「ゴレイロの人が蹴るんだね」
「自陣やしな。ここからじゃマーガレットでも狙えへんやろ……いやでも、みんな上がっとるわ」
内山がボールをセット。エカチェリーナはエリア内、7番と14番もサイドに大きく開いている。どうするんだろう、比奈は興味深そうに呟いた。
笛が鳴る。出し処を探していた内山だったが……っと、助走を取り直した。まさかこの距離から狙うつもりか?
「……っ! 違う、マーガレットや!」
「
俺と瑞希がほぼ同時に叫ぶ。助走はフェイク、すぐ近くにいたマーガレットへ預け、すぐにリターンを受けた。
最前線で構えていたのはシルヴィアだ。内山から奪えばゴールはがら空き、即決定機となる。腰を入れチャージに向かった彼女。
しかし、これは悪手となった。無人のゴールという見え透いた『餌』が、シルヴィアの冷静さを奪ってしまう。
『そうはさせないわっ!!』
内山は『はいどうぞ』と言わんばかりの横パス。マーガレットは左脚をグッと踏み込んだ。そのまま撃つつもりだ。
先の失点シーンも過ぎったのだろう。シルヴィアは腕を大きく広げ身体を投げ出す。強烈なインパクトから放たれた一撃は――。
『――――あっ!?』
振り上げた彼女の右手へ直撃。
それは、誰が見ても明らかなハンド。
ホイッスルが鳴る。
主審がエリア外の第二PKスポットを指差した。沸き上がる市原臨海サイド、アリーナ。
『うっ……うそ……ッ』
守備を頑張った結果とは言え、あまりに致命的なミス。フィールドの四人が駆け寄るが、シルヴィアはすっかり青褪め、肩を震わせていた……。
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