1076. 足りないモノ


「――なんだァ!? 全然攻めねえで、守ってるだけじゃねえか! 反則じゃねえのかよ!?」

「Booooooo!!」


 口々に叫ぶ保科父とファビアンだったが、湧き上がる拍手と歓声に遮られコートには届かない。

 それどころか、周囲に白い目で見られる始末。視線に気付き、二人は居心地悪そうに肩を丸めた。



(いやいやッ、こんなときこそデカい声出して応援しないと! ……って、言いたいのは山々なんですけどねェ~……うぅっ、場所が悪過ぎる……)


 応援団の構えるスタンドに合流したいところだが、エカチェリーナのファンらが大挙して押し寄せた影響で、通路が塞がれていた。

 これでは遠く離れたコートで苦戦する彼らとだ。菫はもどかしさに歯を歪めた。


 一方的に攻める山嵜と、ひたすらゴール前に閉じ籠る市原臨海。傍から見れば面白みに欠ける試合。


 ともすれば、アグレッシブに仕掛ける山嵜を応援したくなるのが人として自然な感情だ。普通なら。



「いいぞぉー! ナイスディフェンス!」

「がんばれ~~!!」

(クッ……!? 絵に描いたような判官贔屓……っ)


 このエリアは第三者の一般客が大半だが、声援のほとんどは市原臨海へ向けられている。推しへの溢れ出る愛を叫ぼうにも、ひたすらに条件が悪い。


 男子のビッグスター・陽翔を擁しここまで大量得点を挙げて来た山嵜の攻撃を、女子だけのスカッドで必死に耐え抜く市原臨海……アリーナの関心が後者に傾くのも致し方ない。


 一度でもシュートを防げば、割れんばかりの大歓声が木霊した。陽翔がバックパスするだけで拍手が起こり、エカチェリーナのファンと思わしき若い男がしつこいくらいヤジを飛ばす。


 これだけの大観衆が集まったというのに、逆に重しとなって圧し掛かるとは。理不尽な光景を前に、ポジティブな菫にしても苛立ちを隠せない。



(うわっ、あの人……よくやるなぁ)


 逆サイドの陽翔を狙った瑞希のキックインは、力が入り過ぎ頭上を越えていく。

 するとベンチに控えていたエカチェリーナが立ち上がり、観衆を煽るように両腕を振り上げた。


 傾き始めたスタンドの空気を機敏に感じ取ったのだろう。このままアリーナを自分たちのホームにするつもりだ……菫は居ても立っても居られず、立ち見客を押し退け前に出た。



「みんなっ、負けないで!! ここに味方は居ますっ、わたしたちが居ますからぁぁぁぁ!!」


 そんな調子で菫が周囲に訝しがられている間。もっと肩身の狭い思いをさせられていたのが、サッカー部率いる山嵜応援団である。


 どういうわけか昨日より座席の割り振りが少ない。緩衝帯にエカチェリーナのファン数人が我が物顔で侵入し、気の遣えない言動を繰り返していた。



「おいいいい!! カーチャ出せよおおおお!!」

(煩い……でも絡みたくない……ッ)


 隙あらば奇声を上げチャントを邪魔するので、この日は専らバスドラムに合わせた手拍子が中心。気にしないようにしていた克真だったが、こうも空気を読まれないと嫌気も差す頃。



「な。会長遠ざけて正解だっただろ」

「ですね……っ」


 同じくらいゲンナリしている武臣。一先ず厄介ファンの存在は忘れ、膠着状態へ陥った目下のコートに意識を向け直した。


 この二分で山嵜のシュートは10本弱。うち半数は枠を逸れ、もう半分はブロックに遭っている。優に八割を超えるであろうボール支配率とは対照的に、ちっとも得点の匂いがしない。



「こうも引かれちまうとなぁ……」

「パワープレーはリスクが大き過ぎますし……ジャッジが辛いと、打開策も無いですね」


 右サイドから陽翔が強引に仕掛けていく。右腕で力強く相手を制し、鋭いカットインから強烈なシュート。


 しかし、ネットが揺れる前にホイッスル。過剰なコンタクトと取られファールが宣告された。

 これで前半四つ目。腰に手を当て不満げに首を振る陽翔へ、主審は険しい顔つきで注意を与える。


 コート上にたった一人の男子。審判の目が厳しくなるのも仕方のないところだ。にしても辛過ぎる判定だと、二人揃って肩を落とした。



「上手いですよね、倒れ方」

「ファールの貰い方もな……低い位置で回してもロクに食い付いて来ねえし、どうしようもねえ」


 パワープレーならいざ知らず、同数でキープし続けてもギャップは生まれにくい。

 素早くパスを回せど、そもそもマークを放棄しゴール前に立ち塞がっているのだから、あまり意味も無かった。



「なあ克真、いつだっけ。チャンピオンズリーグでさ、バルサがこんな感じで負けたよな」

「09/10の準決勝ですか? インテルとの。モウリーニョが言ってましたよね。『ポゼッション率は譲ってやった。その代わりに勝ち点3を』って」

「……すっげえヤな予感する」

「やめてくださいよ……あれはファーストレグでインテルが勝ったからそうなりましたけど、今日はまだ同点なんですから」


 気丈に振る舞う克真だが、一抹の不安までは隠し切れない。この悶々とした展開が更に続き、再びエカチェリーナがコートへ現れた瞬間。アリーナの空気はいったいどうなってしまうのか。


 武臣のせいで余計なことまで思い出してしまった。その試合から二年後、バルサはまたも同じような展開で、違うチームに敗れる。


 試合終盤、移籍後まったく活躍していなかったストライカーの独走を許し、決定的なゴールまで奪われる屈辱的な敗北……。



(別に向こうがアンチ・フットボールとか、そう思わないけど……でも、凄いな。これが勝利への執着ってやつか……)


 想像したくもない残酷な結末が脳裏を過ぎり、克真は背筋を凍らせる。もっと言えば、目を覆いたくなるような光景をつい昨日、観たばかりだった。


 だが同時に、克真はこうも思う。


 もし彼らが続けざまに敗れるとしたら、そこには明白な根拠がある。

 それは恐らく今の市原臨海、そして町田南には有って、山嵜に唯一足りないモノ……。



【前半08分44秒 タイムアウト

 山嵜高校1-1町田南高校】



「素晴らしいですわ皆様!! さあ、あと一分半よ! 残りはすべてわたくしに任せなさいっ!」


 エカチェリーナが手放しで褒め称えると、防戦一方で疲労困憊の筈のチームメイトらはたちまち元気を取り戻し、歌うような声を飛ばし揃えた。休んでいた内山まで一緒に返事している。


 なんて単純な脳ミソだ。マーガレットは人知れずため息を溢し、タイムアウトを取った山嵜ベンチの様子を窺った。



(……交代は、無さそうですね)


 ビブスを交換する選手は居ない。残り五分までファーストセットは動かさないのだろう。マーガレットの顔色は益々濁ってしまう。


 博打に近いドン引き守備が成功しているだけでも不満なのに、交代策も打たず陽翔ら三年組の個人技に任せる山嵜のベンチワークは、マーガレットの志と大いに反する。尤も、結果が出ているうちは何も言えない彼女だが……。



「……なあに貴女? 言いたいことでも?」

「いえ。お嬢様」

「ならそのまま、大人しく見ておきなさい。まったく、貴女がそんな体たらくじゃ、わたくしの沽券に関わりますわっ!」

「……はい」

「しっかりしなさい。少なくとも前半の内は、ベンチで学ぶことね。まったくあの子たちったら素晴らしいわ……!」


 今となっては、自身により従順なチームメイトらの方が可愛く見えるのだろう。

 間違っても口には出せないが、主への忠心と愛情が次第に薄れつつあることに、マーガレットは気付いていた。



「……もし、お嬢様が再度出場される前に追い付かれたら、どうなさるおつもりなのですか?」

「勿論、わたくしのゴールで追い付くのよ。あの男はフルタイム出られないもの。チャンスは幾らでも作れますわ」

「……そう、ですか」

「安心なさい。臣下の不始末は主が責任を取るものよ……それにしても貴女、いつの間にあんなシュートを撃てるようになったの? 昨日も驚きましたわ」

「まぁ、はい」


 エカチェリーナは知らない。主が寝静まった後、一人コートで特訓を続けて来たマーガレットの姿を、一度だって見ていないのだから。


 ほとんど意味の無いゴールだった昨日は兎も角、今日に限れば一時的ながらリードを奪う先制弾。


 マーガレットは唇を噛む。褒めて欲しいのに。頼って欲しいのに。少しくらい認めてくれたって良いのに……。



(……私が、間違っているのでしょうか……)


 拳を強く握り俯く。やり場の無い負の感情を必死に堪えていた、その時だった。



「おおっ! チャンス、チャンス!!」

「えっ?」


 同じくベンチから見守っていたゴレイロ内山が、興奮気味に叫んでいる。

 そんな筈は無い。山嵜のファーストセットを相手に、守備しか命じられていない現スカッドがチャンスを作るなんて……。



「いっ、行けますわっ!?」


 エカチェリーナも慌てて声を挙げる。コート中央で配給役を務めていた比奈が、愛莉からの落としをトラップミス。

 ファーストディフェンスの13番・牧が身体を寄せると、比奈はアタックに堪え切れず転倒。


 攻守が引っ繰り返った。

 望外の絶好機――。


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